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12 女給として

 それからはあっという間だった。

 翌朝早く店を訪れると、さっそく女子部屋の「十八番」をあてがわれた。その後は寮での家事を命じられ、店でのランチの時間をこなし、少しだけ休憩して、夜のディナーもこなし……といった息つく間もない忙しさで、結局風呂に入って寝たのは夜の十一時を回っていた。

 それが毎日だった。

 休日はほぼなかった。

 それでもおいしいまかないを食べられることが幸せだった。


 美木料理長と薫子様の情事に遭遇することは、あれからも何度かあった。


 それでも相変わらず料理長は優しかったし、大和さんもずっと気軽に接してくれたし、昭さんは不愛想だけど少しずつまともに話してくれるようになった。

 早苗さんはいつも親切で、わたしが給料をいただけるようになると、新しい靴や肌着を買いに一緒に街まで買い物に行ってくれたりした。そういうことをするのも初めてだったし、そういうことを一緒にできる人ができたのも初めてだったので、わたしはとても嬉しかった。

 他の女給さんや料理人さんたちとも少しずつ仲良くなっていった。


 そうしてわたしは、リストランテの人々とうまく過ごしていけるようになった。


 孤児院のときとは、まるで違う生活だった。

 さびしいと思う暇もなかったのが良かったのだろう。わたしはもう一つ新しい家族を得たような気持ちで、充実した日々を過ごした。


 一年ほど経った頃だろうか。大和さんがイタリアに修行に行くという話になった。

 薫子様に取り入ることに成功したのかもしれない。詳しいことはわからなかったが、大和さんは本気で本場の料理を勉強してくるつもりのようだった。

 大和さんが旅立つ日の前夜、店を貸し切りにした盛大な送別会が開かれた。


「ヨーコちゃん。オレがいなくなったらさびしいー?」

「何言ってるんだ。それはお前の方だろ」


 たくさんのごちそうが客席のテーブルに並べられていた。みんなで特別なワインを開け(わたしは未成年だったのでぶどうジュースで)、乾杯をした後のこと。大和さんが半泣きでわたしのところにやってきて、昭さんがいつものようにそれを白い目で注意していた。


「そう、そうなんだよ。オレ、ヨーコちゃんと離れるのがさびしい! でも、昭、お前と離れるのもさびしいんだよー!」

「お……俺のことはいい。それよりしっかり学んで来いよ」

「うん。わかってる。絶対、一流のイタリア料理人になって帰ってくる! そうしたら、ヨーコちゃん……オレと結婚してくれる?」

「えっ」


 結婚。その言葉がやけに店の中に響き渡る。わたしは呆然とした。

 急にあたりがしんとなったので、大和さんは目をぱちくりとさせる。


「あっ、いや、冗談。冗談だよー。オレ、あっちでもたくさんの女の子とお話しがしたいんだよねー。だってイタリアは愛の国でしょ、アモーレ!」

「最低ですね」


 早苗さんがズバッと切り捨てる。

 そう、大和さんが本気なわけないのだ。けれど、一瞬信じ込んでしまった。他のみんなもそうだったらしく、でもさすがに今のは冗談よね、ということで落ち着く。

 そう。本気なわけがない。本気なわけ……。

 なんだろう。そうだと思うのに、なんとなく胸の奥がすっきりしない。


「大丈夫か」

「え……」


 そんなわたしを見ていたのか、昭さんが心配して声をかけてくる。


「あいつはああいう性格だから、いつもまともに相手するなって言ってるだろう」

「そう、なんですけど……」

「なんだ本気にしたのか」

「いえ。でも、大和さんはいつも本音をうまく隠しているような気がして。だから、つい最初は信じちゃうんです、いつも」


 今日はお酒が入っているので、そのせいもあるのだろうが、わたしには大和さんがいつも以上に無理に明るくふるまっているように見えた。

 しばらくして宴会がお開きになり、みな部屋に戻る。

 わたしにとって、リストランテの人々は第二の家族だ。勝手にわたしがそう思っているだけだけど、その一人が遠くに行ってしまうのはかなり堪えた。

 戦争で亡くなった両親を思う。

 二度と会えないふたり。大和さんだって旅先の事故や病気で二度と会えなくなるかもしれない。そう思うと胸がつぶれそうだった。


「やっぱりちゃんとお別れしたいな」


 わたしは自室を出て、大和さんの部屋を訪ねることにした。こんなこと普段は絶対にしない。でもやっぱりモヤモヤしたままでお別れしたくなかった。

 部屋の扉をそっと叩く。


「はーい。えっ、ヨーコちゃん?」


 出てきた大和さんはとても驚いていた。わたしはシーッと指を立てて、話をしにきただけと伝える。


「ええと……ここじゃああれだから、裏庭に行こうか」

「はい」


 わたしたちはそっと寮を抜け出して、裏庭に行った。菜園のある畑はまだ建物に近い場所なので、それよりも離れた駐車場に向かう。ここは仕入れのためのトラックや自転車が置かれている場所だった。


「えっと、何? さっきのオレの発言、真に受けちゃった?」

「いえ。冗談ってことなので本気にはしてません。でも」

「でも?」

「わたしは大和さんが遠くに行ってしまうこと、とてもとても心配しています。もしかして、二度と会えなくなるのかも……って思ったら、いてもたってもいられなくなりました。大和さん。絶対に、必ず帰ってきてくださいね」

「えっ……」


 一瞬きょとんとした大和さんだったけれど、すぐに両手で顔を覆った。


「うわ、うわうわ! 何だよもー、そんな心にくること言われたらさ、泣いちゃうじゃん……」


 しばらくうずくまって、動かなくなってしまう。

 ええと。どうしよう。これ、本当に泣いてるんだろうか。大和さんのことだから嘘泣きかもしれない。でも、よく見ると街灯に照らされた地面に水滴が落ちていた。


「ただの女給のくせにこんなこと言うのって変ですよね……。でも、大和さんは、わたしにとってはただの料理人じゃなくて、もう家族みたいな存在なんです。わたしには両親がいません。戦争で亡くなってしまって、どこにも……。でも、大和さんはずっとわたしやみんなにまかないを作ってくれました。もう一度こんなおいしいものを食べることができて、わたしは幸せでした。ずっと感謝しているんです。遠くにいても、それだけは忘れないでいてほしくて」

「ヨーコちゃん……」


 大和さんは顔をあげて立ち上がると、ぎゅうとわたしを抱きしめてきた。


「ありがとう。オレ、絶対立派なイタリア料理人になって帰ってくるから」

「はい。頑張ってください。お帰りを楽しみにしています」


 そうして、大和さんは旅立っていった。

 また目まぐるしい日々が始まり、やがて九年の歳月が過ぎた――。

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