1 始まりの日
横浜の雑踏を見つめる。
戦後数年でこの街は、あの焼け野原が嘘のように復興を遂げていた。
第二次世界大戦の名残はまだいたるところにあるが、人々は生き生きと生活をしている。
わたしはお腹を極度に空かせたまま、道を行き交う人々を眺めていた。
アメリカ兵、中華街の中国人、日本人の行商。いろいろな人間がいるが、そのどこにも父母の姿はない。この世界のどこにも。
もう母の手料理は食べられないし、父が買ってきたお菓子も食べられない。その絶望にも、この数年でだいぶ慣れた。
けれどたまに思ってしまう。またあの幸せな時が戻ってきたらいいのに、と。
「そこの、お嬢さん。うちの店で女給として働きませんか?」
突然声をかけられ、わたしは顔を上げた。
いつのまにかすぐそばに黒塗りの車が停まっていた。仕立てのいいスーツを着た男性が、後部座席の窓から顔を出している。歳はかなり上。父が生きていたら、これくらいになるだろうか。きれいに切りそろえられた口ひげの紳士は、にこにこと嬉しそうに笑いながら、わたしを見つめていた。
「あなた、やめた方がいいですわよ。そこは孤児院。そんなところの子、ろくなしつけをされていないに決まっていますわ」
ふらふらと立ち上がろうとすると、男性の伴侶と思しき女性がついと後ろから顔をのぞかせた。化粧が派手だ。もしかしたら伴侶ではなく、愛人や娼婦の類かもしれない。でも、着ている洋服は男性と同じくらいしっかりしたものだった。
女性はわたしと目が合うと、汚物でも見るような顔つきになった。あれは孤児や浮浪児をさげすむ目だ。よくあること。よくあることだったが、胸の奥がずきりと傷んだ。
「いいじゃないですか、薫子さん。今は人手が足りなくて困ってるんです。それに作法なんてあとから教えればどうとでもなりますよ」
「でも……」
女性はやれやれといった風にため息をつくと、それきり何も言わなくなった。
わたしはたしかに孤児院で暮らしている。背後の粗末な建物には、戦争で身寄りをなくした子供たちが大勢つめこまれている。わたしは今年で十八になる。十八になったらここを出ていかなくてはならない。けれど、行く当ては今のところなかった。
「あの、お店って?」
キャバレーか、娼館か。近場にはそんな店がたくさんある。わたしもいずれそういう店で働くのだと思っていた。
しかし、後部座席の男性は意外なことを言った。
「丘の上の、あの白い建物です。見えますか?」
指で示された先は西の丘の上だった。あの丘の上は通称「ブラフ」と呼ばれる、かつて外国人だけが住んでいた特別区であったと聞く。今はそうでもないらしいが。木々がたくさん生い茂っていて、よく見るとその中にポツンと白い瀟洒な洋館が建っていた。
「うちはあそこでイタリア料理の店をやってるんですよ。リストランテ美木って名前、聞いたことありませんか? うちは住み込みで働くこともできますので、どうかご検討ください。では」
紳士は優しく微笑むと、運転手に向かって車を出すように言った。
わたしはその車が去っていくのをぼうっと眺めていた。わたしが料理店で働く? 想像がつかなかったが、なんだかそれは素敵なことのように思われた。少なくとも食いっぱぐれることはない。いつまでもこの孤児院にいることはできないのだから。生きるためにはどこかで働かなくては。
それは昭和二十五年、九月も終わりのことだった。
空気がすっかり冷えてきた秋の日。わたしはリストランテ美木の人々と出会った。
それがすべての「始まりの日」だった。