第三話 ルナソル破戒の布告
3年前、ルナソルは魔王によって支配されかけていた。
魔族及び魔物の攻撃により人類の領域は後退を続け、やがて聖地フォージアへと追いやられた。フォージアさえも魔族の手によって堕とされかけていた。
その状況を打破すべく立ち上がったのが、魔力を吸収する能力を持った勇者であるヒバ・ロベリアと剣士の菟梁 茄月をはじめとした五人の勇者パーティーだった。
彼らの強さは圧倒的で魔族をばったばったと薙ぎ倒し、ついには魔王城にまでたどり着いた。だが魔王との力の差は圧倒的なものだった。勇者一行の攻撃は魔王にとっては取るに足らないものだった。
勝てないことを悟った勇者ヒバは仲間を逃がし、自身の命を犠牲にすることで魔王を城に封印することに成功し、それにより魔族、魔物の力は大きく弱体化した。
そのときに生まれたのが魔竜ルドベキアだ。こいつは魔王の化身だと言われており、今でも勇者が魔王城に束縛している。
始めの内は徐々に小さくなっていたルドベキアの魔力が2年前から再度膨れ上がってきており、勇者の封印も近々突破されるのが容易に想像できる。
俺たちレグウスの最終目標は魔王からルナソルを奪還すること。
それには魔王の討伐が必要不可欠なのだ。
▲ △ ▲
フォージアの台地を巨大な魔物が闊歩する。全体的に暗色で構成された毛並みを揺らし、赤く光ったその鋭い目先には人里が映っている。
レテーズ川を越えてきた魔物だ。今までなら超えられなかった大型の部類だが、レテーズ川の水位の低下に伴って渡河が可能になったのだろう。
魔物は今まで到達できなかった領域に足を踏み入れ、まっすぐに人里を目指していた。
「担当交代早々に魔物を見つけてしまうとはついてない」
遠方に見える魔物を見ながら、俺こと屈魅 狭霧は隣にいるヴァルと萃那に毒を吐いた。
ヴァルは愛用の得物を丁寧に磨きながら、俺の横に腰を掛けた。
萃那はやる気のない俺を奮い立たせる。
「何言っているんですか。戦績を稼ぐチャンスですよ?」
「あれはポイント高いぞ」
「そうだぞ。高いぞ」
ヴァルの言ったことをそのまま返し、得物の手入れの邪魔にならない程度に肩を突っつく。
俺は腕を組んで歴戦の猛者感を出しているが、実際は戦績最下層のサボり魔である。そんな俺が魔物を好んで狩るわけがない。
ヴァルもそれをわかっているので、薄笑いを浮かべるだけでそれ以上は何も言ってこない。が、萃那はそれを許さない。
「早く立ってください!」
「行け!ヴァル!」
「はいはい」
ゆっくりと立ち上がったヴァルは、磨いていた得物を小さく構え、一直線に魔物に向って走り出す。ものの一瞬で魔物との距離をゼロにしたヴァルは、その得物を対象の心臓部分勢いよく突き刺した。
次の瞬間、魔物は断末魔を発した後、大気中に霧散する。
「さ~すが!お前弓いらないだろ」
ヴァネットは常に弓を持ち歩いているが、使っているところを見たことがない。腕前は知らないが、明らかに宝の持ち腐れだ。
「次は貴方が行くことをお勧めしますよ」
「お勧めしますってことは行かなくてもいいってことだ」
「人の厚揚げを取らないでください」
「それボケだよな?」
「…え?」
「え?」
やはり、こいつには頭脳明晰のレッテルだけは張れないな。
菟梁 萃那の唯一の弱点、それは頭だ。頭は悪くはないのだが賢いとはとても言えない。戦闘面での勘の良さや、臨機応変に戦いのスタイルを変える柔軟さは持ち合わせているが、私生活で馬鹿が隠しきれていないのだ。そこだけは流石に神様も与えなかったらしいな。
今のも恐らくは人の揚げ足を取るな、と言いたかったのであろう。
ふ、お前は本当に馬鹿だな。
「む!今誰かに馬鹿にされた気がします」
そう言って辺りを鋭い目つきで見渡す萃那。
何故わかった。相変わらず勘の鋭い奴である。
「気のせいだろ」
「きのせいですか」
そうして警戒心を解きそばにある木を睨む萃那。理解不能。奇行だ。
物分かりが良いのか、騙されやすいのかどっちだろう。
俺から目を離している隙に、萃那から距離をとり…。
「じゃ、俺はここらへんで…」
萃那を横目に俺は後方へダッシュする。
「あ、ちょ!」
「悪いがお暇させてもらうぜ!」
「速…!能力なしの逃げ足の速さじゃ他の追随を許さないのは、呆れを通り越してもはや流石ですね」
俺の逃げ足の速さは異常だ。自分でも誰にも足の速さ、特に逃げ足の速さは負けないと自負している。それを理解している彼女も追いかけるような真似はしなかった。本気を出せば追い付かれたとは思うが…。
戦線離脱をする俺に萃那はグチグチと憎まれ口を吐いていたが、数秒もするとそれも聞こえない距離になる。
そうして俺は、萃那たちが見えなくなるまで走り続けて、やがて一つの木の裏に力なく座り込んだ。
激しく息切れをしているのを何とか回復させる。
「また発作か…!」
俺は、主に魔物と対峙したときなどに、稀に激しい頭痛に襲われることがある。恐らく魔物に襲われた時に失った記憶が、呼び起こされようとしているだろう。
ヴェルが仮面を付けているのも、本当は彼の素顔は見たときに発作が出ることを心配してくれているのだ。
「ふう…」
何とか発作は納まったか。
未だふらつく足を無理やり起こしながら、辺りを警戒する。
前線から後退したとしても、まだここは危険区域。地形や林、昔の民家などによってレグウスが見逃した魔物がいる可能性もある。
最近は索敵魔法の発達により、見逃しが減っている。
だからこそ、油断したところをやられるなんてざらにあるわけで、レグウスの死傷者の3割は後衛で発生しているのだ。
「いるな…」
微小な魔力を検知し、俺はナイフを構えた。
視認は出来ないが、数十メートル先の林に魔物の気配を感じる。
魔物が近くにいるとき、必ず俺の能力で感知できる。
魔力を吸収する能力。それによって、どの方向に魔物がいるかを的確に当てることができるのだ。
神経を研ぎ澄まし、魔力の流れを読む。
敵の位置、数、体格、種類、強さ、属性。魔力量やその方向、種類によってそれらのことを知ることができる。魔力には持ち主の個性が現れるのだ。
「見つけた。3時の方向、距離30、中型の剣竜種」
そいつに狙いを定めた俺は思いっきり地を蹴り、魔物との距離を縮める。
「ルナソル破戒」
その言葉を言った直後、左肩に破約の印が現れる。それは紫に輝く魔力で構成されており、必ず視認できるようになっている。
木々を抜け、そいつを視認した俺は、手に持ったナイフをその巨体に刺突させた。
心臓部を狙った完璧な一撃。それにより魔物は雄叫びを上げながら倒れ込む。
当然そんな隙を狙わない手はなく、魔物の身体をナイフで切り刻む。
やがて動かなくなった巨体は霧散し、散った魔力は俺の能力で吸い込まれた。
ルナソル、それはこの世界の名前であり掟の一つでもある。
この世界は基本的に争いは禁忌であり、その戒規をルナソルと呼ぶ。3年前の魔王襲来から、この規約はほぼ意味をなしていないが、この世界の基本的なルールだ。
つまり、ルナソル破戒とは他者を傷つける、または交戦する時に使う合図、いわば宣戦布告の代替の言葉である。もちろんこの状態で自身が攻撃されても文句は言えない。
ルナソルの掟はこの世界が創られたときに作られた、最低限度の住民の権利である。この掟に従っている限りは加護によって、その者は守られる。
その加護を解くのが破戒の布告というわけだ。加護にも階級(黒・紫・青・緑・黄・白)があり、破戒の布告を使用した回数、レベルによって上がっていく(最高黒帯)。逆に時間経過で階級は下がっていく(1年で1階級のペース)。
例えば、黒級の者から白級には攻撃は通らないようになっている。要するに他者を傷つけるために破戒するなら、加護の階級を下げられる。
つまり破戒さえしなければ攻撃が通ることはまずないのだ。
しかし、それを根本から覆すのがルナソルの完全破戒(赤)である。
完全破戒を行った者はルナソルの加護を全く受けない代わり、全ての階級の加護を無効化できる。二度と再契約は叶わない。また赤帯の者にはどれ程危害を加えようと、黄以上階級は上がらないようになっている。
3年前までは幾度も使用されてきたが、魔王、魔物という人類にとって絶対的な強者が現れて以降、保身のために破壊の布告を使用する者は激減した。破壊の布告は使用しなければその分だけ帯が下がる仕組みになっている(最低黄まで)。だが、魔物、魔族は大抵赤帯なので意味はほとんどない。
もはや技の前の詠唱のようなものとして使われている。
そのため先ほどの魔物にも使用する必要はなかったのだが、暗黙の了解ということで俺は常に行っている。
先程魔物を切り裂いた自身の手の平を眺める。
この強さを持っていれば俺は友人も、家族も、記憶も失うことはなかったはずだ。
俺の家族、友人を殺し、その記憶までも消し去った魔王。
俺は絶対に奴のことを許さない。
いつかレテーズ川が干上がった時、俺が奴を…。
▲ △ ▲
私こと菟梁 萃那は狭霧さんの後ろ姿が見えなくなったところでわざとらしくため息を吐いた。彼は紫級のくせにしょっちゅう任務中に姿を消す。
どこで何をしているかは定かではないが、毎度の如く無傷で帰還することから考えてどこかでサボっているのだろう。
しかし彼の目的がさっぱりとわからない。金目当ての可能性もあるが、その場合成果主義のレグウスでサボるのは明らかに不自然なのだ。彼は討伐数すら偽らない。永遠の0である。
金目当ての奴は大抵、サバを読んで支給額を増やしたりするので、彼の目的は別にあるのだろう。
反対方向では魔物を倒したヴァネットさんが次の獲物に戦闘を仕掛けている。相変わらずすごい人だ。人間離れした魔力量、身体能力、能力・魔法の技術の高さ。どれをとっても私は彼に及んでいない。
勝てるのは幼少期から教わっていた剣術だけ。しかしこれは勝っていて当然なのだ。
仮面の下がどうなっているのかは非常に気になる所ではあるが、彼がそれを取ってくれる日を待つほかないだろう。
「彼がいれば恐らく魔王を討つことができる。父の敵である魔王を…」
私の父は有名な剣士だった。3年前、魔王を封印した勇者ヒバと共に戦った菟梁 茄月である。
私の家系は代々優秀な剣士を輩出していたが、父の実力はその中でもずば抜けていた。誰もが父が魔王を討ってくれると確信していた。
でも結果は惨敗だった。何とか生きて帰ってきた父の仲間が父の訃報を届けてきたのだ。
私は怒りに震えた。大好きだった父を殺した魔物に、それを束ねる魔王に。
絶対に父の敵を討つ。その思いだけで今までもこれからも死ぬまで頑張ることが出来る。
勇者の称号を得て私の実力をもっと上げる。
そしていつの日か私が奴を…。
俺ことヴァネット・サムはその怒りを魔物にぶつけていた。
高速で魔物の身体を切りつける。そのいたぶる感触が、魔物の断末魔が俺を高揚させる。怒りが力に代わり、自身の身体が火を灯すが如く熱くなる。
その怒りとは家族を殺されたことによるものだ。
俺が狭霧に伝えた、ロビスという者は俺の家族だった。
3年前、なんの前触れもなく俺の家族は魔族に殺された。
魔王のせいで俺は全てを失った。住処、家族、心…。あれ以上に辛い経験は、過去にも未来にも存在しないだろう。
だからこそ俺は魔王を同じ目に合わせたい。敵を討ちたい。どんな手を使ってでも、俺がお前を…。
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「「「絶対に殺してやる」」」