第59話 末路
アルミナ城郭、その東門。
「ひい、ひい、ひいい……!」
門の外へ向かって、よろよろと走るアルミナ国王の姿があった。
「わ、私は悠久にして偉大なるアルミナの王だ……こ、こんなことで死んでいいはずがない! アルミナは、祝福された国なのだ……!」
王は中身の詰まった大きな袋を背負っていた。その重みのせいでバランスは崩れ、動きも遅い。だが王はけしてその袋を離そうとしなかった。
「ど、どいつもこいつも……使い物にならん! 聖女候補ども、あれだけいてなんの役にも立たん! 大臣どももそうだ、クラックの正体を見抜けない節穴ども! し、しかも、この私を置いて逃げ出しおって! 役立たず、役立たず、役立たずっ!!」
自分のことを棚に上げ、恨み事を口にする王。怒り、絶望を経て、すでにその精神は限界に近く、あらゆる責任を他者に押し付け、憎悪に身を任せることで辛うじて保っていた。
「私だけでも生き延びてみせるぅ……わ、私こそがアルミナだ、私さえ生き延びれば、アルミナは不滅なのだあ……!」
半狂乱で進み続ける王。東門は目の前まで迫っていた。
王が目指したのは門の脇にある、兵士たちが使う通用口。が、そこに手を掛けても鍵が閉まっていて、ガチャガチャと音が鳴るだけだった。
「ぐうううっ!! おのれおのれおのれおのれおのれええええええっ!!」
どこにも逃げられないという絶望から、半ば無意識の内に目を逸らす王は、憎悪によって自らの目を曇らせる。もっともあの日から彼の内に、憎悪が消えた日はなかったのかもしれない。
とその時。
閉じられていたはずのドアが、カチリと音を立て、ふいに開いた。
「み、見ろ! やはり私は生き延びる! そう運命づけられているのだっ!」
施錠されていたはずのドアが突然開いた不自然、そこに意識を向ける余裕もなく、王は喜び勇んで通用口から駆けだす。
次に迫るのは結界だ。瘴気を防ぐ、赤く輝く結界。
「結界など……役立たずの聖女共の結界などぉ!」
王は現実を直視できず、そのまま結界から飛び出した。
「見ろ! 魔物もおらん! やはり結界、聖女など不要だ、私がただし……い……」
だが結界から出て一歩と歩く間もなく、王に異変が訪れる。
「ごっ!? ぐ、がはっ……!」
激しくせき込む王。今、結界の周辺は非常に強い瘴気で覆われており、無策で飛び出した王はそれをもろに受けてしまったのだ。
「ごぼっ!? ご、ごんな、ばがなっ……! ぐががががっ!」
喉の焼けるような痛みと共に、血を吐き出す。眼からも血の涙が流れ出し、体中が病に倒れた時の様な不快感と共に苦痛にまみれ、腐るような臭いが漂い始める。
「ぐっ……!!」
たまらず倒れ込んだ王、すると手にしていた袋がその手から落ち、中からは『紅の宝玉』がガラガラと零れ落ちた。この状況に至るまで、王が密かに溜め続けたものだ。
「ほ、宝玉……アルミナの、魂……」
瘴気に侵されてなお、震える手で『紅の宝玉』に手を伸ばす王。
が、その前に立ちふさがった者がいた。
「……貴様ら……!!」
王はそれを見上げると、血走った目で睨みつける。
立っていたのはクラック。そしてその傍らにはニックもいた。クラックより幼げな印象を持つその男は、クラックと同じく、角や翼など、魔族としての本性をむき出しにしていた。
地を這う王を、2人は冷たい目で見降ろしていた。
「お疲れ様です、アルミナ王。あなたは本当によくやってくれた」
「な……に……!?」
「アルミナ国民の怒りの矛先となり、迫る危機から意識を逸らさせ……アルミナを覆う絶望の引き金ともなった。さらに隠していた『紅の宝玉』を自ら取り出し、こうして運んできてくれた。他の大臣や貴族の皆さんもそうですが、おかげで労せずに『紅の宝玉』を集めることができました」
クラックはそう言って後ろのニックをちらりと見る。ニックは巨大な布袋を背負っていた。その中にあるのは『紅の宝玉』……アルミナ王と同じく、隠し持っていた『紅の宝玉』を抱えて逃げ出そうとした大臣や貴族たちを襲い、かき集めてきたものだ。
クラックとニックの体には、返り血がついていた。
「き、ざ、ま……!」
「もっとも、あなたの一番の仕事は……ジュリーナを追放してくれたことですけどね」
クラックはアルミナ王が持ってきた『紅の宝玉』の袋をひょいと拾い、ニックに渡した。
「やめ、ろっ! わだ、じの……もの、だ……!」
震える手を伸ばすアルミナ王、その手が届くことはない。
「ニック、これで全てです。すぐに最後の準備を」
「ああ……」
「私がまた時間を稼ぎます、急ぎましょう」
クラック、そしてニックは話しつつ飛び立ち、王に最後の一瞥もくれずに去っていった。もうお前に用はない、そう言い残すことすらしなかった。
残されたアルミナ王の体はみるみるうちに瘴気に侵されていく。
「ぐ、がっ! ごぼっ、ぐがっ……!!」
その全身を襲う苦痛を駆け巡る。生きながらにして全身が死へと向かっていく、最悪と呼べる死に方だった。
「ご、がっ……ぐふっ……」
地を這うことすらできなくなり、次第に声すら失われていく。
瘴気に満ちた外に出ればこうなる。王とてそれはわかっていた。しかしそれでも外に出てしまったのは、もはや国は助からないと絶望してしまったがゆえ。
王の絶望。その理由は明確だ。
『ジュリーナがアルミナを救いに来るはずがない』。
『ジュリーナが私を助けたりするはずがない』。
『だって奴は、欲深な、悪女なのだから』。
だが……彼は知る由もないが、アルミナにはジュリーナが戻ってきていたのだ。『紅の宝玉』をもって逃げ出したりせず、王城で他の国民たちと共にただ待っていたら、生き延びる可能性は十分にあった。
少なくとも、ここで瘴気に侵され、果てしない苦しみと共に死んでいくことはなかった。
「ジュ……り……」
もし、彼が逃げ出すことを選ばなかったら。
錠のかかったドアがひとりでに開いた不自然さに気づけたなら。
目にした結界が、それまでと比べ強い赤色を取り戻していたことの理由を考えられたなら。
いや、そもそも。
ジュリーナを信じていたなら。
こんな末路を迎えることもなかっただろう。
だがもう、遅い。
「……ぁ……」
王は動かなくなった。その死を嘆く者も惜しむ者もなく、孤独に、無意味に、その命は終わりを迎えた。
最期に思ったのは絶望か、怒りか、はたまた後悔か。
それももう、どうでもいいことだろう。
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アルミナ東門、そのすぐ前に残された男の死体。
瘴気に満たされたその死体は、ほどなくして魔物に食い荒らされ、後には何も残らなかった。




