第53話 迫りくるは瘴気
クラックが指を鳴らしても、即座に何かが起こるわけではなかった。
一瞬の沈黙の後、僕の耳を貫いたのは……
「きゃあああああああっ!?」
甲高い悲鳴。見れば聖女候補だったと思しき少女たちの1人が、頭を抱え恐怖の表情を浮かべていた。
「ど、どうした!? 何があった!」
アルミナ国王の問いかけに、少女は震えながら答えた。
「か、感じるんです……瘴気が、瘴気が……途方もなく強い、強い瘴気が……この国に迫っている……逃げ場なく囲って……ひ、ひいいいいっ……!」
顔面蒼白の少女はうずくまって震え始める。彼女だけでなく、他の聖女候補たちもそれを感じ取り始めたのか、同じように恐怖や混乱の表情を見せ始めた。
「アルミナ国王! よくお聞きください」
クラックが声を張り上げる。
「我々があなたに献上し続けた『紅の宝玉』は、我々が特別に用意したものです。見た目にも魔力的にも本物そっくりですが、ある特殊な性質を加えておりました。それによって作られた結界は本物と同じように瘴気を防ぎますが、異なる点があります」
偽宝玉による偽の結界……その効力とは。
「あの結界は瘴気を弾くのではなく、吸収し、溜め込むのです。『紅の宝玉』と同種の魔力により溜め込んだ瘴気を覆い隠し……しかし確実に、蓄積していく。アルミナ国内への瘴気の流入を防ぐという意味では同じ効力を発揮するため、見破るのは困難です」
瘴気を吸収し続けた偽の結界。アルミナにクラックがやってきてからずっとそれが続いていたというのか。僕は背筋が冷たくなるのを感じた。
「そして今、私の仲間がその結界に細工をし……結界を消滅させ、溜め込んだ瘴気を放出したのです」
「な……なんだと!?」
「元より瘴気が集まりやすいこの場所。何が起こるかは火を見るよりも明らかです」
聖女候補たちはその瘴気を感じ取ったのだ。彼女たちはジュリーナほどの力はないはずだが、それでも感じ取ることができるほどの強い瘴気。それが今、アルミナ王国全てを侵そうとしているのか。
「瘴気は濃度が薄い内はたやすく霧散しますが……逆に濃度が濃いほど散らばりにくく、さらに他の瘴気を集めて強さを増していく。溜め込んだ瘴気はもはや自然に晴れることはない。それどころかこの地には瘴気に導かれた魔物がどんどん集まっていき、瘴気を増していくことでしょう。そしてやがて……魔界と化すのです」
瘴気に侵され尽くした地、植物は枯れ果て、人は死に、荒廃したアルミナ王国を魔物たちが闊歩する……そんな光景が脳裏をよぎった。
それは僕だけでなくアルミナ国王や他の人々もそうだったのだろう。皆、恐怖に顔を引きつらせていた。
「アルミナ国王。実はあなたには……あなた方の一族には、感謝しているのですよ」
「か、感謝?」
「ええ。本来我らのこの計画、実現は困難だったのです。偽物の『紅の宝玉』で結界を作らせようにも、本物の『紅の宝玉』が混ざってしまえば結局その効力で瘴気は浄化されてしまうし、そもそも聖女によって偽物を見抜かれてしまう。さらにいえば、我々がこうしてアルミナ国内に近づくことすら、結界によって阻まれていたことでしょう」
アルミナ王国が建国されてから長い時が経っている。今、魔族たちが現れ侵略を始めたのは、偶然ではないということか。
「しかし、あなたが当代の聖女であるジュリーナ・コランダムを追放してくれたことで状況は動き出した。結界は弱まり、その間に我らはまんまとアルミナへと潜り込み、『紅の宝玉』が尽きたところに偽宝玉を売りつけることができたわけです」
「ぐっ……! だ、だがあれはあくまでジュリーナが国庫を使い潰すほどに『紅の宝玉』を使ったから……ま、まさか!?」
アルミナ国王は戦慄の表情を見せた。
「そ、それすらも、貴様らの策略だったというのか!?」
先代までは問題がなかった『紅の宝玉』の使用。それがジュリーナの代になってから急にアルミナの財を使い潰すほどの負担となった……それすらも魔族たちの策略によるものだったのか?
クラックは、首を横に振った。
「いいえ……違う、違うのですよ。フフフフ……ハハハハハハハハ!」
「な、なにがおかしい!?」
「これが笑わずにはいられますか。言ったでしょう、我々はアルミナに近づくことすらできなかったのです。もしそれが可能なら、もっと早くこの地は我らのものとなっていたでしょう」
「な……ならばやはり、ジュリーナが……!」
「ハハハハハハ! どこまでも笑わせてくれる王様だ。いいでしょう、お教えしましょう。皆様もよくお聞きなさい、なぜ我々が計画を実行に移すことができたか……アルミナ王国の滅亡を招いたのは誰なのか!」
クラックが楽しげに笑い声を張り上げる。これは陽動だ。人々を手玉に取り、話を聞かせる。そうこうしている間にも、解き放たれた瘴気が国に迫っている。
おそらくはそれだけじゃない……詳細はわからないが、これ見よがしにアルミナ国王を嘲笑い話を始めたということは……
話を終えた時、城内は大騒ぎとなる。嫌な予感がする。
だがここで僕が何を言っても、アルミナ国王に制され聞き入れてもらえないだろう。すでに混乱の渦中なのもあり、誰もが皆クラックから意識を逸らせないでいる。
僕たちだけで抜け出したところで何ができるわけじゃない、むしろクラックが何を話すかを知らないとその後の混乱にも対処できないかもしれない。今はアルミナ国王と共に、ただクラックの話を聞くしかないようだ。
だが同時に……ついに明らかになるのかもしれない、という期待もある。ジュリーナにかけられた冤罪、その正体が。
そう思うと僕もクラックの話に耳を傾けざるを得ない。まさかそこまで考えて?
ともあれ、クラックは語り始めた。
「アルミナを滅亡へと導いた犯人は、外ならぬアルミナ国王なのです」
「私だと!? な、何を言うか!」
「おっと間違えました、正確にはあなたより前の代のアルミナ国王……先々代、あなたからすれば祖父にあたる方です」
「私の祖父が、アルミナを滅亡に導いただと? バカな! 祖父は偉大な王として知られている、アルミナに莫大な財をもたらしたと……」
「それが問題なのですよ。先々代の王はいかようにしてアルミナに財をもたらしたか? その謎を握るのが『紅の宝玉』なのです」
そうしてクラックは語り始める。
『紅の宝玉』とアルミナ王国にまつわる真実を。




