表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

追放は呪詛とともに

ポイっと放り出された森の前で、したたかに打ち付けた尻をさすりながらサンドラは立ち上がった。小さなトランク一個を片手に、天気のいい昼下がりだというのにすでに暗い不気味に紅葉した森を眺める。

「いてて…はぁーあ、めんど」

溜息を吐くと幸福が逃げるだなんてことはよく聞くが、これが吐かずにおらりょうか。この国に複数居る聖女の内でサンドラは第二王子殿下と婚約していたのだが、国王から受け継いだらしい由緒正しき種馬な殿下はあろうことかサンドラと同業の庶子上がり子爵令嬢、コランバインを懐妊させ、サンドラとの婚約を破棄した。それだけなら何もよくないがまだいい。私兵を動かして彼女を国境付近の死の森へポイっと、使い終わった海綿でも捨てるように気軽に不法投棄しやがったのだ。てめぇのその海綿体に充満した血液をもっと頭に回せ。その海綿体を引きちぎってポイっとしてやろうか。とさんざ悪態を吐きたくもなる。さらに、庶子上がりの子爵令嬢も最悪だった。前々からサンドラが真面目に職務を全うしているだけでも妙に突っかかってくる娘だったが、最悪なことに死体蹴りと言わんばかりに呪いを掛けやがったのだ。聖女の特技とも言える神聖力による浄化魔法や回復魔法は使えず、汗が謎の毒液になる体質になった。植物は異常なほど成長し、内臓を持つ生き物は傷口にそれが触れたり口にしただけであっさり死んでしまう謎の毒液。思い出すとムカついてきてその辺に生えていた毒のある木の実を食うと、みずみずしく柔らかな果肉の触感といい香りとアホほど薄い甘味のあとに不快な苦さが口の中を占領する。むせ返りそうなほど苦い。

「まっっず…なんかかっぱらってくればよかった」

自分自身がどんな毒に触れても平気な体質になったことは不幸中の幸いだったが、何も食べずに何時間も馬車に揺られたのでさすがに気分が悪い。ひとまずじっとしているのも癪なので森に向かうことにした。国王は近親婚の影響なのか頭がアーパー、貴族主義の実質支配者な不穏系後釜王妃、まだまともだが影も幸も薄い故王妃の一人息子の第一王子、好色色ボケクソ野郎の第二王子、儚げで頼りない妾腹の第一王女、予算の破壊者な第二王女、まだ幼児の第三王子などなど王族はすべからく頼りにならないし、宰相も神官長もまともだが、自然災害が起こった影響や戦後の怨嗟で地脈が穢れ、その処理のために多忙ででなかなか動けない状態にある。地脈が穢れれば、作物の不作や魔獣と呼ばれる汚染され狂暴化した獣のスタンピード、不毛の地となりうる毒沼の発生、旱魃、冷夏、作物の伝染病の大流行、飢饉などの災害が起こり、戦争を連れてくる。それを防ぐために老若男女も貴賤も問わず、精霊に愛されている聖女や聖人が国から招集され、各地の浄化に駆り出されているのだ。サンドラも貧民街の出だ。くしゃくしゃな赤毛と悪い目つきのせいでよく悪ガキにからかわれてはケンカするような粗雑な人間でも聖女に成れるし、タイミングと身元によれば周期的に聖女や聖人の血を混ぜるために王家の人間や貴族と縁づくこともある。

「あ、手紙書かないと」

小さなトランクから適当な端切れを取り出して文字を並べ、貧民街の孤児院に飛ばした。隼の形にしたのでカラスやほかの肉食鳥に襲われることもまずないだろう。小さくなっていく隼を見送っていると影から黒色の小さな鷹がぬるりと出てくる。子飼いの精霊のロロ。ロロはサンドラの腕に留まってくしくしと羽繕いを始めた。

「やぁロロ、珍しいね自分から出てくんの」

「アンタの窮地だからね。で、この先はどうするつもりだい?」

猛禽らしい真ん丸な可愛らしい目をしぱしぱさせてサンドラを見つめてくる。

「どこか王国の手が入らなさそうなところに引きこもっておくかな。人里に居ることで起きるだろう面倒ごとは避けたい。若年隠居だよ若年隠居。」

「いいね、アンタと二人っきりも悪くない。じゃあアタシは上空から地形を見てみるよ」

「頼むよ姐さん」

腕を伸ばしてロロを跳ね上げると放たれた矢のような素早さで上昇していく。ギリギリ視認できるくらいの点になったロロはしばらくくるくると上空で回旋してから舞い降りて肩に留まった。

「幸運だね。良さげな土地を見つけた。だが、魔獣の気配がしたから掃除をしなきゃならないかもね」

「そっか、ありがとね」

ロロは機嫌よさげにサンドラの耳を軽く嘴で挟んではみはみと甘噛みした。そのくすぐったさを甘んじて受けながらトランクを持ち上げた。

「行こっか」

「ああ」

ロロの低めの女声で紡がれるご機嫌な鼻歌を旅路の供に、サンドラは死の森へと突き進む。しばらく森付近の道を歩いていくと、ロロが曲がるように指示をした。

「…」

ロロが翼で示す先は藪。これは困ったな、とサンドラは頭を掻いた。周りは夏の生命力を褪せさせた草。どうあがいても草だ。汗をした状態でこの草むらに入ったらどうなるか。答えは「馬鹿のように伸びる」だ。

「……はぁ…ほどほどのとこまで燃すかな」

「よっ、おっとこまえ~。全焼させるんじゃないよ。」

「茶化すなよ。まぁうまくやるさ」

軽口を叩きながら、コランバインに盗られないよう隠していた伝導石を握る。ロロとお揃いの色の石が呼応して、冷水の壁が一歩前に展開され、下に炎が広がる。呪いをかけられてからまともに魔法を使うのは初めてだったが上手く行ったようでサンドラは安堵に肩をそっと下ろした。

「上手いじゃないか」

「まぁね」

藪だった灰の平地に歩みを進めていく。灰塵と化した場所にサンドラの汗が垂れたために新たな植物が芽吹いて急成長し自然に足取りを隠していた。

「…ふぅむ、この道はもう使わない方がいいねぇ」

「植物も人間と同じように、過ぎた回復をすれば形が変になるのか」

「そういうこと。アンタは理解が速くて助かるよ」

「…見たことがあるからね」

やや間を置いてから呼吸に少しだけ失敗したようなロロの声がした。

「そうだったね」

聖女や聖人の職務には怪我人の治療も含まれている。数年前の紛争。笑うことの少なかった寡黙な剣士の苦悶に満ちた死に顔。まだ年若い騎士の、絶望に全てを諦めた淀んで凪いだ目。腐敗の甘ったるいような悪臭と血臭と死臭。蛆が傷口を食む音。そして、大規模な回復をかける度に悪化していく歪な肉塊と絶望。ロロもその当時を思い出して、嘴でサンドラの耳をやわらかく挟んだ。

「…すまない」

「いいよ、今は水と飯と寝床が第一優先でしょ。目的地まではどれくらいかかる?」

「この進度ならあと半刻ほどかかるね。ま、アンタならもっと早く着きそうだけど」

「そっか」

聖女の制服である詰襟の白く長いワンピースとブーツが動きやすく頑丈なものだったのが幸いだ。草を燃して作り出した道をひたすらに歩き、時折ロロに話相手になってもらう。

「ロロ、隠居生活になったら何がしたい?」

「そうさねぇ、まずは温泉を見つけてそこでまったりしたいかねぇ」

「…土地の精霊に協力してもらうか」

ざくざくと灰の上を歩く単調な音だけでは飽きてしまうものだから、サンドラはロロの存在がありがたかった。話相手のある道中は、時間があっという間に過ぎる。

「そういうアンタはどうしたいんだい?」

「そうだな…おっと」

「ずいぶん目的地に近づいているみたいだね」

湧き出てくるように飛び出してきた猪の魔獣の四肢を氷の棘で貫いて縫い留め、地面を隆起させて心臓を確実に貫いた。断末魔とともに血なまぐさい匂いが広がり、猪の体がもんどりうって跳ねてからぴくぴくした痙攣だけをする。

「しいて言うなら、たらふく肉が食べたいな」

生命からただの成果になり果てた魔獣猪の未だに生ぬるい肉体に聖魔法を掛けようとしてかからないことに気付き、サンドラは舌打ちをひとつした。水魔法でも除染できるが、聖魔法の方が効率がいいのだ。

「…めんどくさ。まぁやるんだけどさ」

「うーん、想像以上に厄介な呪いを掛けていったねあのクソアマ」

「ずいぶんご立腹じゃないか」

「アタシもうまい肉は食いたいのさ」

穢れだけをうまいこと水に溶かし出し、完全に抜けたのを確かめてから、空中にとどめていた水を自由にした。どす黒いもやまじりの水が跳ねて手にかかる。

「げ…って、あれ消えてる」

「アンタの汗が穢れすらも消しちまったみたいだね」

「どんだけ猛毒なんだよ。まぁ君が言うならそうなんだろうけど」

 軽口をたたき合いながらサンドラは手返し良く猪を肉へ捌いた。紛争の野営中に教わった技術だ。ふと少し昔を思い出す。真っ暗で底冷えのする夜の中、兵士も騎士も傭兵も、治療班も補給班も関係なく、一つの鍋から作られた温かい汁物を黙々と胃の腑に落としたこと。サンドラに猪の捌き方を教えた山育ちを自称する中年の傭兵。戦の終わりとともに消滅した関わり。まぁ殺しても死ななさそうな男なのだ。きっとどこかで元気にやっているだろう。処理した猪の皮や食べない内臓や骨を魔法で掘った穴に入れて埋めながらロロに問うた。

「コレどうやって食べたい?」

「焼こう」

「即答かい」

枯れ枝を探して、直接触れないように気をつけながら一か所に集める。周りの草を払って燃え広がらないようにし、さらに枝を積み上げた。枯草もまとめて火種を作り、枯れ枝に延焼させる。ぱちぱち、と小枝が爆ぜる音がし始めた。すこしずつ薪を大きなものにしていき燃焼を延焼させる。夕闇が濃くなり始めた。サンドラは魔獣や獣が寄ってきても対応できるように松明を焚火を囲むように四方に立て、落ち葉を集めて寝床の準備をした。焚火の日が絶えぬよう薪を放り入れやすいところに置き、夜を明かす準備を済ませる。薪にした枝の内にいい香りのする木の葉も混じっているのに気づいてサンドラとロロは目を合わせてほぼ同時ににんまりと悪人面とも呼べそうな笑みを浮かべた。野生のスパイスがあったのだ。皮をはいでざっと消毒した大きな落枝に処理した猪の肉塊を刺して火にかける。じわじわと炙られる脂肪に富んだ肉から融解した脂が滴り落ちて炎が大きくちらついた。煙が立っていい香りが肉にまとわりつく。熱されて変色してきた肉を前にロロがそわそわとし出したのに苦笑しながら肉にまんべんなく熱を当てる。

「いい感じじゃないかい?」

「まだだよ。まだ中が生」

ふん、わかってないなとロロが翼の付け根をひょいっと上げて人間臭いしぐさをする。

「それがいいんじゃないか」

「まぁ、お前がそれでいいならいいか」

腹を壊しているところも見たことがないのできっと大丈夫だろうという謎の信頼の元に、ひとまずロロの分を分厚めに削いで嘴に渡してやる。暗がりの中で揺らめく焚火の温かい光を反射して真ん丸な猛禽の眼がつるりと光った。自分の取り分にしっかり火を通してほおばりつつ、残りを干し肉に加工していく。口に含む瞬間に猪特有の臭みがかすかに鼻の奥を撫でこするが、それ以外は全く嫌なところのない仕上がり。温かくうまい肉を食べて一息つくことで、サンドラはやっと疲労を自覚して溜息を吐いた。疲労するのも当然だ。朝にいつも通り始業してあくせく働いてそろそろ昼飯時、というときにいたらいきなり下半身血流集中王子と同僚庶子に呼び出され、いきなり婚約破棄宣言されたかと思えば引っ立てられて無理にクッションもクソもあったもんじゃない馬車に載せられて、数時間悪路を揺さぶられたのちにポイっと捨てられ、長時間移動し、猪を仕留めて簡易ながらも拠点を作り上げているのだ。疲れないはずがないし、もしサンドラに野営の知識がなくて心折れていたなら確実に死んでいただろう出来事。疲労を自覚したからか、少し体が温まったからか、大あくびが出た。

「おっとと、大きな欠伸だ。吸い込まれるかと思ったよ」

余計な一言をぶち込んできたロロを軽く小突いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ