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うらら・のら 閑話  作者: 佳原安寿
3/3

まもるもの


 はい――――完了。

 

 夏の終わり。

 今日も一丁目から八丁目までの公園の見回りと掃除を終えて、祠への抜け道を急いでいると、小さな沼のそばで浴衣姿の女の子が立ちすくんでいた。

「あらあら、あらあら……どうしたの」

 夏祭りの前夜だった。

 通りには紅白幕が掛けられ、火を入れない提灯や幟も並ぶ。

 明日の本祭りを目前に空気は賑わい、往来には体を持ったひともそうでないひとも歩いている。

 ここだけの話。彼方と此方を繋ぐ道、あわいの通りも祭りの頃には、人里の通りと交差するのだ。

 しかし人の多くは気づかない。仮に察したとしても、それがどこに通じ、何のために開くのかを知る由も無い。

 わかっているのは、あやかしだけだ。彼らは祭を楽しむため、賑やかな空気を吸うために集まってくる。

 女の子は顔を上げた。

 おかっぱ頭でくりくりとした丸い目が愛らしい。

「ここは、オオマキ葛の葉町ではないの?」

 数年前に市民投票で改名される前の地名を問われ、なんとなく察しが付く。

 そうね――――リンさんは、竹箒を肩に立てかけ頬に手を当てた。

「少し前まではそうでしたよ。今は近隣統合されて、みどり町二丁目になったの」

「ミドリ市ミドリ町?」女の子の目が大きく見開く。「……安直ね」

 ええまあ。リンさんは微笑んだ。

「……安直と言えば安直かしらね」

 やれやれ。女の子は見かけによらぬ大人びた溜め息を、ふうとつく。

「勝手に住所を変えられては困るわ。おかげで自分のうちに戻れないじゃない」

 そういうことか――――。

 と、リンさんは思った。

 この子は、ひとが盂蘭盆会に『ほとけさま』と呼ぶ存在だ。

 今は地蔵盆だが、土地柄、おかしな話ではない。数年ぶりの夏祭りに家族の様子を見に戻ったのだろう。

「じゃあ、わたしが連れて行ってあげましょう。帰りには鈴を貰うといいですよ。鈴が地蔵堂まで連れて行ってくれるので、もう迷いません」

 ふうん。女の子は腰に手を当てたまま、小さく頷いた。

「鈴ならなんでもいいの?」

「はい。キーホルダーでも根付けでもぽっくりでも」

「神社の本殿の大鈴でも?」

 それはちょっと――――リンさんが困り眉を作ったので、女の子はケタケタと笑い出した。

「あなたのお家はどこですか」

 うーん。女の子はそこで少し考えた顔をした。

「やっぱり。明日にするわ」

 明日に?

 リンさんは目を瞬かせる。

「わたし、夏祭りに帰ることになってるから。明日また出直す」

「あらまあ、そうですか」

 リンさんが返すと、にっと笑った口元だけ残して、女の子の姿は宙にかき消えた。

 思わず背中の毛を逆立てながら、リンさんは辺りを見渡す。

 

「ニンゲンって、なんだか時々……あやかしよりも怖いのよね」

 

 ふと独りごち、また周囲を見渡し、誰にも聞かれていないか確かめた。

 腰の曲がった小さなおばあさんが、少し離れた坂の下から遠目にこちらを見つめていたが、何事も無かったかのように、端の地蔵に手を合わせお供えをして去って行く。

 じんじんと名残の蝉が鳴き始めた。

 影が長い。日が落ちるまで、まだ少しある。

 リンさんは額を拭いつつ、竹箒を片手に地蔵の傍らを通り過ぎる。

 ――――あら、青のりの。

 好物のおはぎのお供えに、思わず口元がほころぶ。

 有り難い。有り難い。

 幸い辺りに人はなし。

 暑さで傷む前にいただきましょうか。

 念のために申し上げると、これは盗み食いではない。

 石の地蔵様にひとつ、鈴の神様にひとつ――――とは、このあたりの風習でもある。

 リンさんは、この辺りに昔いた古い鈴の神の奥方に当たるので、夫なき今、ひとつ御相伴に与るのはひとの気持ちにかなっている。

 ――――と思う。

 御地蔵様にはきなこを残し、青のりのほうを摘まんだとき、ふうと背中から吹く風がある。

 

 ――――おんや。

 

 沼の中から声がした。

御新造(ごしんぞ)さん、摘まみ食いですか」

 あらいやだ。リンさんは困り眉を跳ね上げる。

 け、け。

 水に浮かんだ波紋の中ほどから濡れた体躯が現れ、愉快そうな笑みを浮かべる。

「おひとが悪いわ、沼主さん」

 け、け。

 河童によく似た顔をした沼主は、ぬるぬるした灰色の禿頭を、水かきのついた掌でひと撫でする。

 ここに人里が出来る以前より棲み、今は近辺の池沼を護るものである。

「……しっかし、蒸し暑い宵ですなあ」

 ええ。

 リンさんの白い指が、器用に丸いおはぎを半分にして、どうぞと差し出すのを沼主はおとなしく待っている。

「では有り難く」

 リンさんは半分になったおはぎを沼主と分け合うと、それを味わう。

「あら美味しい。餡子にお塩がいい塩梅ですこと」

 うまいですな、と沼主も舌鼓を打った後、遠くに坂下の民家を見つめて息を付く。

「しっかし……あのうちの(おうな)も、小さくなりましたね」

 リンさんは答えず、沼主の視線を追って、青紅葉の豊かな庭先に足を引きずるようにして水を打つ老女の背中を見やる。このおはぎをこしらえ、供えてくれた媼だ。

「あたしは、あのこが生まれた時分から、よく知っておりますが……産湯にここの水を使い、夏は水辺でよく遊ぶ子で。周りに河童の生まれ変わりと、よく笑われておりましたなあ」

 そうだったと、リンさんは頷く。

「ひとり娘で、婿を取ることになった日は、見合いが嫌だと岩陰で泣きじゃくり――――それ、そこの岩です」

 堤のうえから、リンさんは指された大岩に目を投げた。

「ですが、婿殿は気の良い男で、子煩悩の孝行者と……絵に描いたような幸せに、あたしもホッとしたものですよ」

 それでも、いろいろあったようだが。沼主は息を付く。

「ひとの一生は儚い。あっという間です」

 蜻蛉がついと過ぎる。

「あと何回、このおはぎを作ってくれるやら。最近は杖をついて病院へ通うのもおぼつかず、見かねてついバス通りまで川沿いに見送っているのですが……日に日にその足も遅くなるようで」

 そうでしたか。リンさんは相槌を打つ。

「あの様子では、彼方(あちら)の橋を渡っていくのも、そう遠くないことでしょうなあ」

 妙にしんみりしてしまった。

「かも……知れません」

 け、け。

「今のは笑うところですぞ、しっかし」

 そんな心にもないことを言って、沼主は指先と口元についた青のりのカケラを丁寧に舐め取り、最後にザブリと沼の水で顔を洗う。

 青く澄んだ美しい水だった。

「ご馳走様です」

 リンさんも小さく手を合わせる。

「おいしゅうございました」

 話すうちに日が暮れる。

 沼にも宵の風が吹き始めた。

 夕闇の落ちる西の稜線に目をやると、雑木林の向こうから、気の早い笛の音がひゅるり聞こえたように思った。

「それでは、わたしはお堂の掃除がまだ残っておりますので」

 頭を下げて、リンさんは堤を歩き出す。

「ご精が出ますな」

 そういうと、また、とぷりと波紋の下に沼主は姿を消した。

 

 

 

 

 翌朝は町内会の氏子が、早くから祭の準備にやってくる。

 そこで、まだ夜が明け切らぬ前に、竹箒片手にリンさんがオオマキ神社に出向くと、薄暗がりの境内に白装束姿で、もう働くひとがいた。

 玉砂利を掃き清め、四手(しで)を垂らした注連縄(しめなわ)であちらこちらに、人出のための結界を張っている。

「おはようございます」

 と声を掛けると、白髪が振り返り、にこりと微笑んだ。

「おおや、リン様。お久しゅうございますな」

「――――ご先代も。お懐かしゅう」

 はい。と、白髪の翁はさらに微笑む。オオマキ神社の先代禰宜(ねぎ)である。

「久しぶりの祭事でございますからね」

 左様ですわね。リンさんは頷いた。

 禰宜が代替わりしたのは、この年明けのことである。表向き、例の流行病でお祭事も派手に執り行うのは御法度ということになっていたが、内情はいろいろとあった。

 この先代が亡くなって二十年。

 彼の息子達が継ぐや継がずやでもめたあと、暫しオオマキ神社の神職は空席となり、近隣のフカガメ神社の助けを借り氏子の皆が力をあわせて、神社の切り盛り、祭事を執り行っていた。

 皆、それぞれの役割を果たし、頑張っていたとは思う。

 だが――――。

 仕切るものがいない土地は荒れる。

 このまま氏神も去ってしまうのではないかと、リンさんもずいぶん気を揉んだ。

 盛り塩をして酒を供え、土を均すご先代の足元から、ゆらゆら、浄められた瘴気(しょうき)の断ち消えるのを、リンさんは見送って、ふと息をつく。

 ――――ほんにようございました。

 今年、あらたに禰宜として神職に就いたのは、この先代の孫と聞く。

 まだまだ整わない所もあるが、彼が就き、ずいぶん町の空気もよくなった。

 リンさんは、すいすい砂を掃く。

 先代が振り返った。

「なんだか――――懐かしいですな、こんな風に」

 はい。リンさんは返す。

「懐かしゅうございますね」

「五十鈴殿は――――お堂へお戻りになられましたかな」

 夫のことを尋ねられ、リンさんは言葉を濁す。

「ええ……まあ」

 察したように先代も言葉を濁した。

「左様でございますか」

 祀られぬ神は朽ちる。

 社や堂の改修は、ひとの懐次第である。神や有耶無耶から指図することではない。

 オオマキ神社にあった地蔵堂は、明治の頃に落雷に遭った。

 建立よりおさめられていた大鈴は、その火災によって本殿そばの蔵に、そして戦渦や天災でさらにあちらこちらと移されたのちに土と還り、今はみどり町二丁目公園と呼ばれる児童公園のちいさなお堂の中に、痕跡を示す札だけが貼られている。

 それは依代と呼ぶには些か頼りない。

 そんなわけで、付喪神であったリンさんの夫、五十鈴は解き放たれて、あわいの向こうへ旅に出た。

 たまにふらりと戻ってくるが、この数十年は久しく音沙汰がないのだ。

 人里はどんどん変わっていく。

 そのスピードについていくのは、正直なところしんどい。リンさんも、夫のあとを追おうかと、考えないわけではなかった。

 ――――それでも。

 この先代が生前、寺社の線引きが行われた時代にあっても尚、地蔵堂の立て直しに奔走してくれたことを、リンさんは忘れない。

 それに夏祭りのために奔走する住民の気持ちを思えば、後ろ髪を引かれる。

 先代はゆるゆると礼を取った。

「あなた様だけでもこうして残り、郷里に尽くしてくださるのは、実に有り難いことです」

 いえいえ。リンさんは丁寧に腰を折る先代に合わせ、深々と礼を返す。

 その背中が温かい。足元に淡く光が降りてきたのを感じ、ふたり同時に頭を上げた。

 ちゅん!

 鳥たちの羽ばたく音が空に行き交う。

 朝日が雲間に差し始め、本殿の扉の前に鮮やかな朱の袴を着けた巫女を従え、オオマキの氏神殿が顔を出す。

「おはようございます」

「おはようござりまする」

 リンさんと先代の姿を認めると、気安く片手をあげた。

「――――善き日じゃの、ご両人」

 はいと唱和したふたりに、大あくびを噛み殺し、からころと笑みをこぼす。

「うまうま、と。うむがしゅうの」

 ぽかんと口を開けた先代がリンさんの顔を見つめたので、リンさんも笑い出した。

「――――祭の準備がよく整って嬉しいと仰ってます」

 こそりと先代の耳もとに囁く。

 ああ。先代は大きく頷いた。

「善きかな、善きかな」

 オオマキ様が去った東の空に、ぱっと輝く金色の光が昇る。

 おお――――。

 先代の背筋がピンと伸びた。

 本祭りの朝が来たのだ。

 リンさんも日の光に一礼をして、ふたたび境内のあちこちを清掃して回った。

 さわさわと渡る風音。

 木々も風も清々しい。

 足元の白砂まで快い。

 竹箒の軽やかな音に乗り、リンさんは張り切った。

 

 

 午前七時を少し回った頃。

 テントの設営に氏子の第一陣がやってくる。

 この夏祭りの出店のおよそ半分が、こうした氏子達による有志や町内会役員による。

 今年はまだ様子を見ながらの開催で、手水場は閉鎖、かわりに境内のあちこちに消毒用のアルコールが設置され、休憩室には水分補給のイオン飲料や冷却シートなども用意されるという。

 残暑の厳しい一日になりそうだ。

 賑やかに、なごやかに、祭りの準備にいそしむ皆の様子を愛おしそうに眺めながら、先代は消えて行った。

 リンさんもまた、竹箒を片手に帰路につく。

 オオマキ神社が夏限定で出している、千鳥の根付け守りを胸に覗かせた子どもが、すぐ際を駆けていった。

 母親が境内清掃のボランティアをしているらしい。

 自分も真似をして屈み込み、玉砂利に落ちた青葉と小枝を小さな手で拾い集める。

 りん、りん。

 幼子の胸元で根付けについた鈴が可愛らしい音を鳴らしていた。

 り、りりん。

 母に呼ばれて駆けていく。

 リンさんも、微笑みながら木陰に消えた。

 ――――善きかな。善きかな。

 

 リンリン、リン――――。

 

 

 

 




シリーズ小説『うらら・のら』 作 桃正宗・佳原安寿


■重複掲載WEB

https://note.com/sumica_wato2222

https://novel.daysneo.com/author/sumica_wato5656/


■プロフィール

https://note.com/yukierika_wako/n/n92424737a968



お目文字賜り、ありがとうございました。

こちらの作品は全年齢対象ファンタジーライトノベルです。

著作権は日本国の法に守られ著作者に帰属いたします。無断での文章転載・翻訳およびデータ利用はご遠慮ください。

皆さんのご感想・ご購読をお待ちいたしております。(安寿拝)


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