第17話 俺の推し
「マジで生放送がある」
夕方、俺はパソコンの前で驚いていた。本当に不死鳥フェニのゲリラ配信があったからだ。
俺の推しは生放送の頻度がそれほど高くない。Vtuberを本業にしている人は毎日のように生放送をしているが、彼女はそうではない。
理由は学生だから忙しいと説明していた。
そういったわけで週に行う生放送の数は基本的に決まっているのだが、たまにゲリラ的な感じで生放送をする時がある。今日がまさにそれだ。ちなみに内容は雑談で、サムネイルも雑談用のものだった。
彼女を全力で推している俺ですらゲリラは読めない。もしかして不知火は俺以上にフェニのことを調べているのかもしれないな。さすがは同志だ。
……でも、朝の段階だとSNSでも告知はなかったよな?
その状態でわかるものだろうか。前回の生放送時にも次は未定と言っていたはずだが。
同志を褒め称えながらも疑問を感じていると、開始の時刻になった。いつものようのオープニング映像が流れる。
『今日も元気に舞い降りました。あなたの心に小さな灯火を、毎日を楽しく生きる個人勢Vtuberの不死鳥フェニです』
いつも通りの挨拶から始まる。相変わらず脳がとろけるような甘い声に俺のテンションは上がっていく。
『みなさん、こんフェニです。いかがお過ごしでしょうか。まだまだ暑い日が続くから体調には気を付けてね。ホント、近頃の秋は夏みたいだよね。フェニもちょっと困ってたけど、そろそろ涼しくなるみたいだよ』
当たり障りのない話から始まった。
この辺りはすっかり慣れたものだ。配信を始めた頃のフェニは本当に初心者だったので成長を実感する。古参面するが、実際に古参なので別にいいだろう。
『さて、今日はちょっと話があるんだ。フェニは今から秘密を打ち明けます。前から隠していた重大な秘密を」
秘密?
唐突な展開に俺を含めたコメント欄が「?」を打つ。流れるコメント欄が予想通りだったのか、フェニは得意気に笑って続けた。
『実は、フェニって学校ではイケメン女子なの!』
おいおい、何を言い出すかと思えば。
この声でイケメン女子は無理があるだろ。俺もイケメン女子を知っているが、声はもっと中性的だ。
これはアレだな、よくある嘘っていうか冗談の類だ。
さすがに無理のあるカミングアウトだが、コメント欄は優しい。「イケメンなのは知ってた」とか「予想通りだぜ」とか「イケボで罵られたい」とかそういう感じの肯定的なコメントが流れる。
Vtuberを徹底的に甘やかすスタンス、嫌いじゃない。
――知ってた。フェニは超イケメン女子だからな。
便乗しておく。俺は空気の読める男だ。
『あっ、その反応は全然信じてないな。よし、ちょっとイケメンボイスを出しちゃうから。しっかり聞いててね』
息を吸い込むと。
『これで信じてもらえるかな。これが僕の素だよ』
「っ」
今の声は?
聞き覚えのある声が配信画面から流れてきた。唐突すぎる事態に俺は立ち上がって辺りを見回す。無論、部屋には誰もいない。
当たり前だけどコメント欄は全然気づかないようで「マジでイケボだ」とか「そういう声も出せるのか」といった感じで驚くだけだった。
『驚いたでしょ。これがフェニのもう一つの顔だよ』
元の甘い声に戻っている。
だが、俺の頭は元には戻っていない。さっきの声は聞き覚えがある。低くて素敵なその声は我が同志そっくりだ。
混乱する俺を待つわけもなく、雑談は続いていく。
『球技大会があったことは報告したよね。実はフェニって運動が得意なんだよ。バスケで準優勝したんだ。はい、褒めて』
俺以外のいつもの面子が褒め称える。
そういえば、あいつのクラスも準優勝だったな。
頭の中に浮かぶ人物も球技大会でバスケだった。準優勝に導き、周りの女子から黄色い声援を浴びていた。
……親友に告白されたエピソードも、今になって考えると。
以前の出来事を思い出す。フェニが親友に告白され、その後仲直りしたエピソードだ。
そう、俺が姫攻略生活を開始するきっかけとなった長文投げ銭が発生したのもこれがきっかけだった。
ありえないはずなのに、絶対にありえないはずなのに頭の中である人物が浮かび上がる。考えれば考えるほどに色濃くなっていく。
「推しのVtuberが同じ高校にいるとか都合よすぎだ……ははっ、ありえないって」
乾いた笑いと共に声を漏らす。
『そういえば、先週の土曜日に修羅場に遭遇したんだ。フェニがお買い物してたら偶然その現場に遭遇したんだよ。ある男の子を巡って争いが勃発してね、初めて修羅場を見てビックリしちゃった』
このエピソードも知ってる。
先日のショッピングモールでのダブルデートだ。あれは間違いなく修羅場といっていい雰囲気だった。ただ、俺の予想が確かなら遭遇したというより、修羅場を形成した一角だったはずだが。
「……」
額から変な汗が流れる。
同性に告白されたイケメン女子。球技大会でクラスを準優勝に導いたイケメン女子。ショッピングモールのダブル修羅場デートを知っているイケメン女子。そして、不死鳥フェニの生放送の予定を何故か知っていたイケメン女子。
決定打とばかりに聞き覚えがある声。
これで繋がらないほど愚かではないつもりだ。
その日の配信ではもうコメントが打てなかった。
◇
翌日の放課後、俺はいつもの空き教室にいた。
今日の授業内容は全然覚えてない。それどころじゃなかった。隣の席に座る風間も気になったが、しかしそれ以上に頭の中を疑惑と混乱とその他いろいろな感情が占めていた。
このままじゃ何も手につかない。だから、確かめることにした。
「お招きありがとう、神原君」
不知火翼が入ってきた。俺が呼び出したのだ。
相変わらず王子様でもお姫様でも通用しそうな中性的な顔立ちをしている。
今までは漠然とイケメンだと思っていたが、注視すればしっかり女子だ。紛れもなく女子なのだ。あごのラインが小さく、眉毛は薄く繊細、輪郭は全体的に丸みがある。視線を下に落としていくと胸には女性を示す膨らみがしっかりとある。
違うよな?
違うはずだ。違うに決まっている。違うと言ってほしい。
別に不知火が好き嫌いとかそういう話じゃない。正体が知りたくないっていうか、知らないほうが良い世界もあると思うんだよ。
「呼び出したってことはわかってるんだよね。さすがに昨日のは露骨すぎたよね」
「……」
「気付いてるんでしょ、僕の正体に」
その言葉で疑惑が確信に変わる。
「じゃあ、不死鳥フェニは――」
息を呑む音がした後。
「私だよ」
甘い声は間違いなく、俺の推しである不死鳥フェニの声だった。間違えるわけがない。
どうして声を変えていたのか?
今になって名乗り出た理由は?
昨日のは明らかに気付かせるためだったよな?
聞きたいことは山ほどあったのに、言葉が出なかった。
「あっ、わざわざ回りくどい方法を取ったのは配信を私物化しないためだよ。僕がすべてを喋ってしまうとVtuber不死鳥フェニを壊してしまう可能性があるからね。彼女も僕の大事な一部だ。フェニを推してくれている人に申し訳がないから――」
「俺が推してるだろ!」
気付いたら怒鳴っていた。
ハッとして顔を上げると、不知火は申し訳なさそうにしていた。
「今まで言えなくてゴメンなさい」
不死鳥フェニは俺の推し。恋愛を諦めて引きこもっていた光を与えてくれた存在。
不知火翼は俺の同志。土屋にフラれたと思い込む原因となった存在。
「ショック受けてるよね。このタイミングで正体を言ったのは他でもない。神原君にどうしても言いたいことがあるからなんだ。卑怯かもしれないけど、正体を明かさないと僕に勝ち目がなかったから」
「言いたいこと?」
「僕はね――」
その時、凄まじい勢いで扉が開く。
「ちょっと待ったぁ!」
……土屋!?