閑話 妖精の本気
「……何やってんだろ、私」
金曜日の放課後、私は校舎裏にいた。
特に用事があるわけでもないし、誰かと待ち合わせしているわけでもない。何となくブラブラしていたら校舎裏に着いてしまった。
ここに来たのは無意識だった。校内だと嫌でも目立つから、独りになりたかったんだと思う。
「上手くいかないな」
こみ上げる感情を抑えられなかった。
最近はイライラしてばかりだ。月曜日の騒動以来、私は自分の感情がコントロールできなくなっていた。そのせいで友達から距離を置かれているのもわかっているし、評判が悪くなっているのも知っている。
月曜日の一件がこうなってしまった原因だけど、問題の根源はそこじゃない。
あの日からだ。学園が誇る聖女様が出てきた日からすべてが狂ってしまった。
気長に神原君を攻略するつもりだった。放っておいてもいずれ私に惚れるだろうと勝手に思っていた。モブっぽい神原君には女っ気がなかったし、ライバルは出現しないと考えていたからだ。仮にライバルが出現しても、私なら勝てるという自信もあった。
でも、今は自信がない。
冴えないモブキャラみたいな神原君を狙うライバルはよりにもよって姫だった。しかも複数人。私から見ても可愛い子ばかりだ。
その中で最も強くて厄介な相手があの聖女様。生まれつきのスペックが違いすぎる。私がいくら頑張っても全然勝てそうにない。ただでさえ勝てないのに、幼馴染で昔から仲が良いとか勝ち目がない。おまけにその聖女様のバックには同じくらい強くて厄介な仲間がいる。
……宵闇さんって神原君が好きなんだよね?
恐らく間違いない。
『あっ、最近ゆう君と知り合ったんだよね? 私のゆう君がお世話になってます』
この発言は今でも印象に残っている。神原君が自分のものだと主張してきた。
しかしわからないことが多い。何故、土屋さんと氷川さんが仲間になっているのか。メリットなんてなさそうなのに。
他にも疑問はある。宵闇さんと神原君が付き合っていない点だ。見たところ交際はしていない。付き合っているなら公表すればいいし、宵闇さんの態度からして彼女になっているのなら公表するはずだ。姫とかこだわってなさそうだし。何故あの二人が付き合っていないのか不思議でならな――
「こんなところに呼び出して何の用かな?」
聞き覚えのある声がした。
声のするほうに向かうと、宵闇さんの姿があった。正面には誰かが立っている。
「単刀直入に聞いていいかな。えっと……宵闇さん」
「月姫でいいよ。同じ人を好きになった仲でしょ」
「っ、ということは、やっぱり神原君が好きなのかい?」
相手は不知火さんだった。
珍しい組み合わせだ。さっきの発言からして不知火さんが呼び出したみたい。
「もちろんだよ。ゆう君は大切な幼馴染で、初恋の相手だからね。昔からずっと好きだったし、今でも大好きだよ」
迷いなく言い切った。
「不知火さんも好きなんでしょ?」
「ま、まあね」
不知火さんも本気だったんだ。てっきり一時の気の迷いかと思ってた。
彼女が誰かに恋をするとは思っていなかった。去年は同じクラスだったけど男子に一切興味がない様子だった。視線にも入れていなかったのに。
どうして神原君なの?
仲直りを手伝ったという話だけど、それだけであの不知火さんが好きになるなんて思えない。仮にそれが理由ならチョロすぎる。
「呼び出した用件はそれだけ?」
「あ、うん。宵闇さ……月姫の気持ちを知ろうと思ってね」
「わたしも聞けてよかった。不知火さんが正式にライバルって知れたし」
「その割には僕の存在を気にしてなさそうだけど」
「勝つのはわたしだからね」
自信満々ね。
まあ、それはそうよね。幼馴染だから関係は誰よりも深いし、一緒に登校とかしてる。勝ち目があるとは思えない。
私はどこか諦めていた。この戦いは勝てないと。
不知火さんもそれが理解できるだろうし、白旗を掲げるだろう。
「どうかな」
「えっ」
「僕と神原君の間には特別な関係があるんだ。幼馴染である月姫も知らない特別な関係がね」
宵闇さんの表情が曇った。
特別な関係?
去年の不知火さんは男子と話さなかった。神原君との会話もなかったはずだ。そもそも名前を知らなかった可能性が高い。
「僕だけしか知らない神原君の情報もある」
「……嘘」
「嘘じゃないさ。例えば、神原君がハマっているゲームとかマンガとかね。それから趣味だったり、考え方とかもそうだね。僕はそういうのを全部知ってるよ。本人から教えてもらったからね。そうそう、彼が意外と情熱的な文章を書くってことを知っているかい?」
その言葉を聞いた宵闇さんが黙った。
「どこで知ったの?」
「さあ、どこかな」
一転して不知火さんが有利になった。
「それに、神原君はいつも僕を褒めてくれるんだ」
聞いたことないんだけど。
嘘っぽい内容だけど、不知火さんが嘘を吐いているようには見えない。だから宵闇さんも何も言わないんだと思う。
「神原君に買ってもらった……とは、ちょっと違うかな。でも、神原君がお金を出してくれた服とかもあるんだよ」
なにそれ。神原君は貢いでるの?
言い方の意味がちょっとわからないけど、神原君のお金で何か買ったってことはそういう意味だよね。
全然話が見えてこない。
話の意味がところどころ理解できなかったけど、さすがにその情報はショックらしい。宵闇さんの顔が強張る。ずっと余裕だったのに仮面が崩れた。
と、思っていたら。
「……ライバルは手ごわかったんだね」
再び宵闇さんの顔に笑顔が戻った。
「でも、勝つのはわたしだよ。前は勝手にライバルと思ってた人がいた。でも違った。今回は本当にライバルとの戦いだね。それも手ごわい相手。冷静になったら当たり前だよね。ゆう君みたいな良い男にはライバルがいて当然だもん」
「そうだね。正々堂々勝負しよう」
「うん。よろしくね」
「こちらこそ」
そうして二人は頷き合った。
私はただ、その様子を見ていた。
◇
宵闇さんが帰っていき、不知火さんだけが残った。
知りたい。不知火さんの秘密を。神原君との関係を。どうしてあの聖女様と真っ向から戦えるのか。その自信と根拠はどこから来るのか。
私は一歩前に踏み出した。
「不知火さん」
「っ、幸奈!?」
私の存在には気付いていなかったみたい。凄いビックリしていた。
「……さっきの話、聞いてたのかい?」
「まあね」
「盗み聞きは良くないな」
「ゴメンね。でも、偶然だったんだ」
「校舎裏で偶然ね」
聞いていたのは本当に偶然だけど、場所が場所だけに疑われるのも仕方ないか。今はそこを釈明する時間が勿体ない。
「さっきの話だけど、神原君と特別な関係って本当なの?」
「まあ、そうだね」
「どういう関係? どこで仲良くなったの?」
「それは教えられないよ」
話すつもりはないらしい。ここは話の方向を変えよう。
「そういえば、宵闇さんは強力な仲間を得たみたいだね」
「僕も気付いてる。美鈴と氷川さんが彼女に付いたって」
「厄介だよね」
「美鈴のほうは何となく理由はわかるんだ。僕としては難しいところだね」
理由がわかるの?
親友だからなのかな。私には全然わからないや。
「なら、こっちも協力しようよ」
「協力?」
「このまま宵闇さんに負けるのは癪でしょ」
「……断る」
断られると思っていなかった私は目を瞬いた。
「理由を聞いてもいい?」
「協力しても意味ないからね。幸奈も神原君が好きみたいだし」
「えっと、そうなのかな」
「見ていればわかるよ。視線とか話し方とか、態度とかね。月姫が登場するまでは幸奈が一番のライバルだと思ってたよ」
自分では気づかなかったけど、表に出ていたみたい。
私って神原君を本気で好きなのかな?
イマイチ自分でもよくわからなかった。ただ神原君から言われたあの時の言葉や行動が胸に刺さったから、漠然と落とそうとしていただけ。
いや、でもこれだけ長く同じ男子について考えたことなかったな。
初恋があんなだったし、その後に変な遊びにハマってしまった。だから私自身も恋を見失ってたのかもしれない。
「僕は神原君に救われているんだ。彼のおかげで僕は自分を見失わなかった。自分を否定しなくて済んだんだ。月姫の登場はいいきっかけになったよ。このまま待っていても僕は絶対に勝てない。そろそろ勇気出して正体を明かそうと思う。待っていてもチャンスは来ない。正体さえ明かせば戦いになるだろうし」
正体?
「何でもないよ。それじゃ」
神原君のことを語る姿はどう見ても乙女だったのに、去っていく後ろ姿は王子様に見えた。姫王子という二つ名が一番しっくり来た。
「……勝てないなぁ。私のライバル全員強すぎでしょ」
振り返ればどこかゲーム気分だった。隣の席の男子を惚れさせる遊びの延長戦だったのかもしれない。
……本気か。
そういえば、本気で頑張ったのっていつ以来だろう。
私が本気で頑張ったのはあいつに失恋して、見返してやるためにがむしゃらに自分を磨いたとき以来だ。
あの時は我ながら頑張ってたな。化粧の仕方に肌のお手入れ方法、見聞を広げるために必死で情報収集したっけ。
「このまま何もせずに負けたら一生後悔しそうだよね」
頭の中で想像してみる。神原君が宵闇さんの隣で楽しそうに笑っている姿を。不知火さんと手を繋いでいる姿を。
「……ちょっと嫌だな。ムカツク」
ライバルが強すぎて勝てないかもしれないけど、諦めたくない。
だから、私は本気を出してみることにした。