第1話 作戦会議
「では、今から作戦会議を行うわ!」
そう発言したのは妹である神原彩音だ。
現在は十月中旬の日曜日。時刻は夕方、場所は俺の部屋。
いつものように部屋でごろごろしていると、彩音が訪問してきた。相変わらずノックもせず部屋に入ってきた彩音は、当然とばかりにお菓子を強奪すると愛用のゲーミングチェアに腰かけた。
「急に何を言い出すかと思えば、作戦会議だと?」
以前まで日曜日に行っていたのは定期報告だったはず。
「報告はもう終わり。兄貴は姫全員と接触したわけだし、今さら報告とかいらないから。ここからは本格的な作戦会議に入るわ」
「だから、何の作戦会議だよ」
「あたしを姫にするための会議に決まってるでしょ。まあ、姫になるのは決まったようなもんだけどね」
彩音は上機嫌に笑いながらお菓子を頬張る。
幼馴染であり、聖女と呼ばれる姫ヶ咲学園のトップに君臨する姫――宵闇月姫と関係を修復させてから二週間が経過した。つまり、学園を震撼させた手作り弁当事件からそれだけの時間が流れたというわけだ。
その間、これといった動きはなかった。
何故なら中間テストがあったから。
姫ヶ咲学園は一応進学校だ。テストとなれば全員本気を出す。この時期だけは生徒の頭が恋愛から勉強にシフトする。
で、その中間テストは先日無事に終了した。
俺の結果は上々。普段ならぎりぎり学年100位以内といったところだが、今回は学年で44位という結果だった。
「まず、これだけは言ってあげる。ここまでよくやってくれたわ!」
「……おまえが俺を褒めるなんてな」
「陰キャオタクでバチャ豚のクソ兄貴でも役に立つことがあるのね。少しだけ兄貴みたいな人種の評価を上方修正してあげる」
「もう少し素直に褒めて欲しかったよ」
俺がそう返すと、彩音は愉快そうに笑った。
ここ最近の彩音はいつも上機嫌だ。それにはいくつもの理由がある。
まず、テストの点数が良かったこと。一学期期末テストでは赤点ぎりぎりだったが、今回の中間テストでは学年100位以内に入っている。
急激に成績が伸びたのは月姫が勉強を教えたからだ。毎日一緒に勉強したおかげでテストで良い点数を取った。ご褒美としてお小遣いがアップした。小遣いがアップしてテンションが上がらない奴はいない。
月姫と昔みたいに遊べるようになったのも機嫌の良さに影響しているだろう。こいつは昔から月姫を姉のように慕っていた。昨日だって一緒に買い物していた。
機嫌がいい最大の理由は姫に関してだ。
彩音の目的は学期末に行われる総選挙で上位6名に入って”姫”の称号を得ることだ。俺はこいつを姫にするために奔走していた。
そう、彩音が姫の座を手にする可能性がグッと高まったのだ。
「今回だけは素直に褒めてやってもいいわ。兄貴がここまでやってくれるとは思わなかった。そこはマジでビックリしてるし、褒め称えてもいいところかも」
姫になる可能性が高まったのは、月姫の人気が急降下しているからだ。
人気が下がったのは俺の存在にある。
俺と月姫が幼馴染であり、結婚の約束をしているという噂は全校生徒に広まっている。さらに、月姫は大勢が見守る中で手作りの弁当を渡すという暴挙に出た。
弁当の一件もすでに全校生徒が知るところになり、これまで男子の影がなく神聖な扱いをされていた聖女の人気は下落しているというわけだ。
おかげで俺はすっかり悪者だ。他の姫とも接点があるってことで羨まれ、多くの生徒から敵意を向けられている。
とはいえ、不満ばかりではない。
姫攻略をさせられたことで疎遠になっていた月姫と関係が修復できた。それだけじゃない。他の姫とも距離が近づいた。これは姫攻略をしなければ成しえなかった。
イケメンじゃない俺が相手にされるわけがないと思いつつも、美少女と知り合いになれて嬉しくない男など存在いない。
「月姉は兄貴のおかげで人気が急降下してる。それに対してあたしの評価は急上昇中。姫の座は貰ったようなものでしょ」
「そう願いたいものだな」
「客観的に見てもあたしが姫になれる可能性は高いわ。まっ、残念ながらまだまだ確実じゃないんだけどね」
彩音の発言は真実だ。
こいつの人気が急浮上しているのは氷川花音の存在が影響している。
学園最強の女王様の妹である花音は下級生で唯一の姫だ。月姫の人気が落ちている今、学園で最も注目され人気があるのは彼女だろう。
そんな花音だが、最近になって小柄な美少女とよく一緒にいる姿が目撃されている。小柄な美少女の正体こそ、我が愚妹である。
突如として出現した美少女コンビは話題を集め、花音の相棒として多くの生徒に認知されるようになった。
じわじわと人気が高まっているのはクラスでも話題になっているので俺も知っている。このまま順調に推移すれば彩音が姫の座を獲得する確率は高い。
ただし楽観はできない。人気が落ちているとはいえ、月姫は元々1位だった。順位がどこまで下がるのかわからない。
それに例の噂が全部真実ならともかく、俺と月姫は別に付き合っているわけじゃない。将来だって誓っていない。
「兄貴が月姉と将来を誓ってるって言えば完璧だったのに」
この二週間で起こった大きな出来事といえば一つだけ。
噂の一部である「将来を誓った」という部分に関する噂を、俺がきっぱり否定したことくらいだ。
「仕方ないだろ。あれだけは覚えがなかったし」
「嘘を真実にしちゃえばいいのに」
「簡単に言うなよ。付き合うとかじゃなくて結婚だぞ。現実感の欠片もない」
俺がそう言うと、彩音の奴も納得した。
「確かにね。昨日聞いたんだけど、月姉も結婚の約束に関しては知らないって言ってた。大方、あの噂に便乗して誰かが適当なこと言ったんでしょ」
「だろうな」
人気のある月姫だが、女子の中には妬む奴もいるだろう。もしかしたら彩音のように姫を狙っている女子が悪意を持って噂を流したのかもしれない。
その辺は考えても仕方ない。
「俺はおまえが姫になればそれでいい」
「姫にしないと兄貴がまずいからね」
「……約束は守れよ?」
「安心しなって。姫になれたら兄貴が気持ち悪い投げ銭ばっかしてる”長文ニキ”ってことは誰にも言わないでおいてあげる」
それを聞いて安堵した。
「で、作戦会議と言ってたが具体的には何を会議するんだ?」
本題に入ると、彩音はこくりと頷いた。
「正直かなり順調だから、ここまで来たら最後は簡単よ」
「というと?」
「兄貴が月姉に告るの!」
「……」
「月姉に恋人がいないのは聞いてる。で、一番近いところにいるのは間違いなく兄貴ってわけ。だから、後は月姉に告ればそれで終わり。二人がカップルになれば全部上手く行く。あたしは姫になれるし、兄貴の秘密も守られる。これで万事解決」
万事解決、じゃねえよ。
そもそもおまえが脅さなかったら問題にならなかっただろうに。
「手作りのお弁当を渡すくらいだし、月姉だって満更じゃないはず。多分」
「多分かよ」
「人の心はわからないからね。というわけで、作戦は以上よ。兄貴が告って姫攻略を完了させること!」
作戦でも何でもなかった。会議もしていない。
ツッコミを入れようと思ったが、用件を終えたとばかりに彩音は立ち上がった。
「あっ、あたしとしては別に告る相手は月姉じゃなくてもいいからね。兄貴には勿体なさすぎるし。そこら辺は任せるから、後は兄貴のペースでよろしく。何度も言うけど、最終的にあたしは自分が姫になれればそれでいいから」
そう言って部屋を出ていく彩音は最後まで上機嫌だった。
勝手な奴だな。
どうでもいいが、こいつがどこぞのイケメンとスキャンダルでも流れて俺の苦労が水の泡になったらキレるからな。
……
…………
しかし数日後、心の中で言ったことが現実になるなんて、この時の俺は知る由もなかった。