第35話 聖女とゴング
世の中で一番恐ろしいものは?
答えは人それぞれあるが、正解の一つは「油断」である。巷で発生している事故の多くはこの油断が原因となっている。
「で、どういうことなの?」
「説明求む」
「さあ、教えてくれたまえ」
登校した俺を待っていたのは笑みを浮かべた三人の姫だった。席に座った瞬間に出現すると、絶対に逃げられないよう包囲された。
クラスメイトの風間幸奈は八重歯をちらりと覗かせるチャーミングな笑顔。
後輩の氷川花音は精巧なビスクドールの上に貼りつけたような笑顔。
同志である不知火翼は王子様が見せるような爽やかなイケメンな笑顔。
そう、登校した直後で油断していた俺はあっさり包囲を許してしまったのだ。まさか朝からこんな行動に出るとは思っていなかった。
クラスメイト連中は静かに息を潜めている。聞き耳を立て、情報を仕入れようと必死だ。
「えっと……何のことでしょうか?」
すっとぼけながら顔色を窺う。
「決まってるでしょ。例の噂よ」
代表して風間が答える。猫を被っているはずだが、口調が荒くなっている。
噂は俺と月姫が幼馴染ってやつだよな。
あれは月姫が流していたと判明した。流した理由はあの勉強会であり、今後も勉強会を開催するつもりだったので、もし誰かに見られた時に周囲からあれこれ詮索されないように流した。
要するに事前防衛だ。
先を見据えた素晴らしい動きではあるが、せめて俺に言っておいてほしかった。
ここまできたら噂を否定しても仕方ない。俺としても中間テストでいい点数は取りたいし、あいつとまた疎遠になるのも避けたい。ここはきっぱりと言っておくべきだろう。
「あの噂なら全部事実だ」
俺は言い切った。
「「「っ!?」」」
俺が答えると、三人の顔色が変わった。
聞き耳を立てていたクラスメイトもざわざわしている。男子からは驚きというより絶望に満ちたうめき声がする。
どうしたんだ?
いくら相手が聖女様といっても異性の幼馴染がいるくらい大した問題じゃないだろ。他の姫だって子供の頃は男子と鬼ごっこしたり、一緒にどこかに遊びに出かけた経験くらいあるだろうし。
大体、幼馴染といってもそこまで関係が深くないのはこれまでの生活で理解できるだろ。高校二年の二学期まで距離があったのに――
「本当に結婚するの?」
「えっ」
今度は俺のほうが驚いた。
これまた油断していた。俺はすっかり忘れていた。
月姫に彼氏がいなかったことだったり、数年ぶりに楽しく過ごしたことで浮かれていた。例の噂で最も重要な部分である「結婚の約束をした」を完全に忘れていたのだ。
まずい、さすがにこれは訂正しないと。
慌てて訂正しようとした時、クラスメイトのざわめきが大きくなった。その原因は教室に入ってきた二人の生徒にあった。
「ほら、言ったとおりでしょ」
「わたくしもばっちり聞いたわ」
包囲の一角を崩すようにして二人の姫が乱入してきた。顔には満面のスマイルがあった。
友達である土屋美鈴は喜びを堪えきれないといった満点スマイル。
謎の同盟相手である氷川亜里沙はクールに装いながら不敵なスマイル。
どうしてこいつ等までここに?
「佑真君と宵闇さんは将来を誓った仲なんだよ」
「幼馴染同士の恋愛とか素敵ね。応援のしがいがあるわ」
おい、勝手なこと言うな。
気まずい関係からは脱却したが、結婚とか将来を誓ったとかはない。少なくとも俺は覚えていないぞ。
「っ、美鈴」
「お姉ちゃん」
不知火と花音は二人の登場に驚いている。
その中にあって風間だけは冷静だった。ぎろっとした目で俺を見た後で、息を吐いた。
「……最近一緒にいるのが多いと思ったら、そういう感じだったんだ。ただでさえ難易度高いのに完全なクソゲーにしてくれちゃって」
風間は「チッ」と小さく舌打ちしながら乱暴に発した。
その様子は気になったが、今は結婚云々の件を否定するのが先決だ。このまま変な噂が広がったらまずい。
「待て、あの噂は――」
声を発しようとした瞬間、教室内がどよめいた。
理由は簡単だ。
「うわっ、凄い雰囲気だね」
最後の姫であり、幼馴染である月姫が登場したからだ。
聖女らしいといえばいいのか、慈愛に満ちた表情をしていた。何年も見ていたのに思わず見惚れてしまう。
月姫はゆったりと歩いて来ると、俺の隣に立った。これで俺の席は周囲すべてが姫に囲まれるという凄まじい光景が出来上がった。
「見ろ、姫が揃い踏みだぞ」
「初めて見た」
「絵になるわね」
「しかし中央の彼だけが邪魔だね」
聞こえてるぞ、そこの眼鏡君。
しかしまさか姫ヶ咲学園の誇る姫6が一堂に介する機会が訪れるとは、おまけにその集まった場所が俺の席を取り囲む形とか何の冗談だ
現実感のない今の状況に唸っていると。
「私は用事を済ませに来ただけだから気にしないでね。本当なら到着する前に渡す予定だったんだけど、今日は彩音ちゃんとお喋りしてたから渡しそびれちゃった」
ちなみに今朝、月姫がまた家にやってきた。今日は俺ではなく彩音と共に登校した。どうやら昨日の話し合いで関係が前のように戻ったらしく、姉妹のように仲睦まじい姿で登校したのだ。
月姫は手に持っていた物を俺の机の上に置いた。
「はい、ゆう君」
「これは?」
「お弁当だよ」
「……誰の?」
「ゆう君のだよ。朝、早起きして作ってきたんだよ」
マジか?
月姫の料理を食べるのは小学生以来だ。あの時は料理らしい料理ではなく、目玉焼きとかその辺だったけど。
「あっ、その目は信用してないな。これでも昔よりは成長したんだよ。ゆう君の好みに合えばいいけど」
そう言って照れ笑いする姿はやっぱり可愛かった。
「……手作りのお弁当」
「くっ」
「これはまた、強烈な攻撃だね」
三人の姫が口々に漏らす。
月姫はその反応を確認してから、三人に向けて慈愛に満ちた顔で微笑む。
「あっ、最近ゆう君と知り合ったんだよね? 私のゆう君がお世話になってます」
聖女らしい表情のまま軽く会釈する。顔や行動とは裏腹に攻撃的な印象を受けたのは多分間違いないだろう。
その言葉を皮切りに空気が重くなる。いつの間にか風間と不知火と花音の表情からは笑顔が消えていた。どれくらいの時間の沈黙があっただろう。体感では数時間にも感じる重くて嫌な沈黙だ。
重苦しい空気を切り裂いたのはチャイムだった。
「あ、そろそろ戻ったほうがいいぞ」
俺は噂の否定も忘れ、とにかくこの場を収めたくてそう言った。
「そうだね。行こう、翼ちゃん」
「授業に遅れてしまうわよ、花音ちゃん」
親友と姉に促され、不知火と花音は動き出す。風間は黙って隣の席に座った。
騒ぎの収束を悟ったのか、いつの間にか集まって来ていた野次馬たちも戻っていく。俺に対して殺意を向けた者もいたが、きっと気のせいだろう。そう信じたい。
「おい、月姫も教室に戻ったほうがいいぞ」
「……」
去っていく二人と、席に座った風間に向けて月姫は小さく口を開いた。
「だか……指をくわえ……様?」
笑顔で何かつぶやいた。
だが、小声だったので内容が聞き取れなかった。
「何か言ったか?」
「ううん、何でもないよ」
「……そっか」
「じゃ、私も教室行くね。また後で」
「おう。弁当ありがとな」
感謝の言葉を述べると、月姫は満足したように去っていった。
けど、まずい事態になったな。ちゃんと噂の訂正はしないとな。てか、結婚の約束ってホントにしたんだっけな。まっ、ひとまず騒ぎは収まったからそっちの問題は後で解決するか。
騒ぎは収まったと安堵したが、鳴り響くチャイムの音が何故か戦いの開始を告げるゴングのように思えた。




