第34話 聖女と勉強会
「……来たか」
家のインターホンが鳴った。
出迎えた母親と来客の喋る声が二階まで聞こえる。母親のテンションがわかりやすく上がっているので間違いなく相手は月姫だろう。
「急展開だよな。明日が怖い」
放課後、俺はダッシュで学校から帰宅した。
下校時刻になる頃には例の噂は全校生徒が知るところになっていた。質問されるのが面倒なので急いで逃げたのだ。
しかし、いくら相手が総選挙1位とはいえ情報の回りが早すぎるだろ。まるで誰かが意図的に流しているようじゃないか。
玄関で行われていた会話がようやく終わったらしく、階段を上る音がする。足音がぴたりと止まり、ノック音が響く。
「どうぞ」
「お邪魔します」
月姫が入ってきた。
私服姿を久しぶりに見た。白い長袖Tシャツに黒スカートのモノトーンコーデだ。肩にかけたふわふわのショルダーバッグがとても可愛らしかった。
勉強会だよな?
妙に気合いが入っているというか、デートでもするかのようなお洒落具合じゃねえか。もう少しラフな格好で来ればいいのに。薄っすらと化粧してるみたいだし。
「ゆう君の部屋だ。懐かしいな」
月姫が部屋に来るのは何年ぶりだろう。昔はよくこの部屋でゲームしたり、マンガを読んだり、勉強したりしたものだ。
「あっ、フィギュアだ」
まずい、隠してなかった。
あの頃との大きな違いはこれだ。自分の世界に閉じこもってからハマったアニメやらゲームなどのグッズが部屋にある。おまけに露出高めの美少女グッズばかり。
「へえ、こうして見ると結構可愛いね」
月姫はグッズを見ても引かなかった。それどころか興味を示していた。
この辺りも彩音とは違う。このグッズの価値がわかるとはさすがは聖女と謳われるだけある。そういえば、月姫は昔からマンガとか好きだったな。
しばし部屋の中を見回すと、月姫はテーブルに座った。
「よろしくね」
「それは俺のセリフだ。今日はよろしく頼む」
「任せといてよ。頑張って教えちゃうから」
気合いが入っているのはいいが、その前にどうしても聞きたいことがある。
「勉強の前に聞きたい。今朝、声を掛けてきた理由を教えてくれ」
数年ぶりに会話をした。それだけでも驚きなのに月姫はわざわざ朝迎えに来た。この点だけは理由を聞いておきたい。
勉強会にしてもそうだ。思い返してみれば結構強引だった気がする。
「ダメだった?」
「別にダメじゃないけど、急だったからさ」
「そうだね。どうしてって言われると難しいけど、きっかけがあったからだね」
「きっかけって?」
月姫は人差し指を口に当てた。
「秘密」
はぐらかされてしまった。
「さっ、早速勉強しよ」
「……そうだな。勉強するか」
聞きたいことは多々あるし、言いたいこともあるが後にしよう。どうせ月姫は夕飯を食べてくわけだし。
俺たちは勉強を開始した。
勉強開始から一時間ほどが経過した。
集中力が少しずつ切れかかっていた時、玄関の扉が開いた。階段をどたどた上がる音が聞こえると、ノックもなしに部屋の扉が開いた。
「ちょっと、兄貴。あの噂だけど――」
彩音が固まった。
「お邪魔してるね、彩音ちゃん」
月姫の登場に彩音は「えっ」と驚きの声を漏らした。こいつが本気で混乱してるのを見るのは久しぶりだ。
「ど、どうして月姉がここに?」
「ゆう君と勉強会するためだよ」
彩音はそこでテーブルに目を向ける。テーブルの上には教科書やらノートやらが開かれている。
「えっと、仲直りしたの?」
「元々ケンカなんかしてないよ。ねえ、ゆう君」
話を振られた俺はこくりと頷く。
「ケンカはしてなかったな」
気まずい関係ではあったが、ケンカはしてない。そこは間違いない。
「そうなの?」
彩音の奴は俺たちがケンカでもしたと思ってたのか。疎遠になった理由を言っていなかったので、ケンカして疎遠になったと考えるのは自然か。
「てっきり兄貴が我慢できず襲い掛かったと思ってた」
本当に失礼な奴だな。
「あっちいけ。俺たちは見ての通り勉強中だ」
「ゴメンね。後でいっぱい喋ろうね」
追い出そうとしたが、彩音は小首をかしげる。
「後でって?」
「月姫は夕飯を食ってくらしい」
「ホント!?」
「うん、ごちそうになるよ」
「というわけだ。ほら、勉強の邪魔になるだろ」
最後まで混乱状態が残ったまま、彩音は扉を閉めて自分の部屋に向かって行った。
「相変わらず仲いいね、ゆう君と彩音ちゃんは」
「全然良くない」
「ふふっ、羨ましい」
馬鹿言いやがって。あいつと仲良しのわけないだろ。
彩音の出現後、少しだけ休憩して再び勉強を始めた。そのまま集中していると、夕飯の時間になった。
◇
「こうして見ると月姉は大きくなったね。色々と」
「努力してるからね」
「あたしは全然大きくならないよ」
「彩音ちゃんはそのままで良いんだよ。むしろ需要高いと思うよ」
乙女らしい会話なのか、あるいは残念な会話なのか判断しにくい会話が目の前で繰り広げられている。
夕飯を食べた後、部屋に戻ってきた。そこまではいいのだが、何故か彩音まで付いて来た。
数年ぶりにやってきた月姫に我が家は大歓迎した。話は盛り上がり、俺の部屋でお喋りの続きが行われることになったのだ。
まっ、数年ぶりだしな。
俺たちが疎遠になっていたので家には来なかった。もしかしたら彩音は寂しかったのかもしれない。姉のように慕っていたし、案外こうなることを願っていたのかもしれない。
「よく保存してたね」
「趣味だからね」
現在、二人はスマホの画像を見ながら思い出話に花を咲かせていた。
月姫は昔からスマホに思い出を保存するのが好きだった。俺も何回か一緒に撮影した。
「あっ、イケメン発見!」
彩音が画像を見ながら言った。
「この人って確か同じ中学だったよね。前に月姉と一緒にいるとこ見たよ」
「私と?」
「うん。ちょっとだけ噂になってたよ。月姉の彼氏じゃないかって。兄貴も知ってるよね、この人のこと」
呼ばれたので画像を確認する。
「っ」
映っていたのは中学時代に月姫の彼氏と噂になったイケメンの先輩だった。
思わぬ不意打ちに心臓がビクッと跳ねた。
「残念だけど、その人は従姉の彼氏だよ」
「えっ?」
従姉の彼氏?
月姫の彼氏じゃなかったのか?
「一つ年上に仲のいい従姉がいるんだ。一人っ子の私にとってはお姉ちゃんみたいな感じの人。小学校も中学校も違ったからゆう君や彩音ちゃんは会ったことないけど」
初耳だ。
「でね、その先輩は私の従姉に惚れてたんだ。部活の大会で出会って一目惚れしたみたい。私と従姉だって知ったら相談されたんだよ。どうしてもってお願いされたからアドバイスしたの。プレゼント選びまで付き合わされて大変だったよ」
プレゼント選びって、もしかして俺が見たショッピングはそれだったのか?
あの時、イケメンと楽しそうに歩く月姫を見て勝手に負けたと俺は逃げ出した。その後も真相を聞くのが怖くて何も聞かずに距離を離した。
じゃあ、俺は勝手に失恋したと勘違いしていたのか。
「このイケメンと従姉は上手くいったの?」
「大成功だったよ。一緒に勉強して、今は同じ高校通ってる。ベストカップルって噂になってるみたい」
「……実は月姉もこのイケメン狙ったりとか?」
「ないない。タイプじゃないし」
マジかよ。
数年越しに真実を知り、自分の感情がぐちゃぐちゃになった。
「噂といえば兄貴と月姉の話が広がってたよね。いきなりだったから驚いたけど、あれって大丈夫なの?」
彩音は流れで聞いた。
「あれね。流したのは私だよ」
「え、月姉が流したの?」
やっぱりおまえが犯人だったのか。
「今日ここに来ることになったから広めたの。ほら、後で知られるよりは先に言っておいたほうがいいかなって」
「その言い方だと……また来てくれるの?」
「勉強教えるのに一日で終わるわけないでしょ。人に見られたら変な噂になりそうだから、先に教えておこうと思ったの」
なるほどな。思惑を聞けば納得できる。
あれ、でも勉強会は継続なのか。
まあ俺としてはありがたい。今日勉強してみてわかったが、予想以上に自分の学力が低下していたし。
「月姉って人気者でしょ。大丈夫なの?」
「ピンチになったらゆう君が守ってくれるからね」
「兄貴じゃ頼りないよ」
おまえだけは何があっても絶対に守らないから安心しろ。
「あのさ……良かったらあたしにも勉強教えてほしいんだけど?」
「いいよ、一緒に面倒みてあげる」
「やった!」
彩音も勉強がやばかったらしく、手放しで喜んでいた。こうして見てると本当の姉妹みたいだ。
月姫が来ると知った時はどうなるか心配したが、何だか昔に戻った気がして今日は居心地が良かった。
明日の学校のことは……考えないようにしよう。




