第26話 視線
二学期に入ってから月曜日はいつも憂鬱で気分が重かったが、今日は久しぶりに体と心が軽かった。
標的がいないってだけでこれほど変わるとはな。
今年の一学期まではこれが当たり前だった。今になって「当たり前」とか「変わらぬ日常」がどれだけ貴重なのかを思い知った。まっ、思い知ったところで別に意味はないんだけど。
気は楽になったが、このまま何もしないわけにはいかない。現状維持はダメだ。ジッとしているだけでは社会的な死が近づくだけ。今の状況を打破するためには作戦を立てなければならない。
そう思って頭を働かせるが、やはりいい案は浮かばなかった。
しかし、丸一日かけて方針は決めた。
残り二人の姫に手を出すよりこれまで知り合った姫を狙ったほうがいい。成功率も高いだろうし、精神的にもそっちのほうがいい。
方針が決まれば次だ。
姫と関係を深めるためにはどうすればいいのか考え、今の俺に足りないのは恋愛の経験値だと結論を導き出した。
早速行動を開始した。普段はあまり読まないラブコメ小説やマンガを読み漁った。数日を費やして恋愛ってものを研究してみた。
だが、これは無駄な時間だった。
どの作品もヒロインがあっさり主人公に惚れてしまうのだ。主人公のスペックが高すぎる。イケメンの主人公がちょこっと頑張っただけでヒロインが惚れてしまい、一瞬でハーレムを形成する作品とか見ても何の参考にもならない。
まともな案が浮かばなかったので気分転換に推しの配信を見たり、ネトゲの嫁と楽しく狩りを行ったりした。
そうこうしている間に一週間が経過した。九月も終わりを迎えようとしていた。
今週は定期報告がなかった。俺が事前に何もしていないことを伝えると、彩音は部屋に来なかった。
思い返せば激動の一か月だった。今までの人生のおいて間違いなく最も濃い一か月だ。来月は平穏無事に過ごしたいものだ。
恐らくは不可能であろう願望を胸に秘めて迎えた九月最終日――
放課後、俺は一度帰宅してからチャリを漕いである場所に向かう。
目的はコンビニだ。某人気アイドルVtuberグループとコラボしたので、そのグッズを買いに行くところだ。姫ヶ咲学園の人間に見られるのは嫌なので地元から離れたコンビニに向かう。
残念ながら俺の推しは個人勢でグッズ販売などはない。だからこれは浮気じゃない。絶対に浮気じゃない。
コンビニに向かう途中だった。向こう側から見慣れた制服が見えた。
「あっ、神原佑真先輩」
「うわっ……お兄ちゃん」
愚妹と花音が歩いていた。二人は制服だったので学校帰りにこっちまで来たらしい。
二人の姿は目立っていた。特徴的な制服と整った容姿が相まって、そりゃもうめちゃくちゃ目立っていた。
「よ、よう。偶然だな」
チャリから降りて挨拶する。
「ちょっとこっち来て!」
挨拶を終えた瞬間、彩音が強引に俺を引っ張っていく。
「何してんのよ。攻略はストップって言ったでしょ!」
「単なる偶然だ。こっちのコンビニに用事があったんだよ」
「……もしかして、Vtuberとのコラボ?」
よくわかったな。そういうのに興味ない人種なのに。
「クラスのオタク連中が話してたからね。兄貴みたいな気持ち悪い奴」
「その言い方は相手が可哀想だから止めてやれ」
「あんな連中それで充分よ。あいつ等が教室の中でそんな話をしたせいで花音が興味持ったんだから」
「……え、マジ?」
花音がVtuberに興味を持ったのか。素直に意外だった。そういうのには興味ないタイプに見えたけど。じゃあ、こっちに来た目的も俺と同じかよ。
「興味といってもそこまでじゃないわ。気になるから見たいって程度だから」
「でも、意外だな」
「あの子は箱入りみたいだし、初めて聞くものに興味持ったんでしょ。金持ちのお嬢様がアホなヤンキーに惚れるみたいなもんよ」
我が妹ならわかりやすい例えだな。
「どうでもいいけど、邪魔だから早いとこ消えてよね」
「安心しろ。そのつもりだ」
チラッと視線を向けると、花音はこっちをジッと見ていた。
「……相変わらず仲がいい」
ぽつりとそんなことを言いやがった。
誤解だ。完全に誤解だ。誤解でしかない。こいつと仲良しとか絶対ありえない。
「ま、まあね。あたしとお兄ちゃんは仲良しだから」
「羨ましい」
「えっ、ちょっと待ってよ。羨ましいのはあたしのほうだよ。花音ちゃんはお姉ちゃんと凄い仲良しでしょ。学園でも仲良し姉妹で有名だし」
学園で最も仲睦まじい姉妹といえば誰もが氷川姉妹と答えるだろう。
この姉妹はよく一緒に登下校している。
学園最強の姫であり、氷の女王様である氷川亜里沙も妹と一緒に居る時は穏やかな表情をしている。怜悧でクールな美貌を持つ彼女の優しい顔は新しい一面として春には大きく騒がれたものだ。
「お姉ちゃんとは……仲良し」
含みのある言い方だな。
実は仲が悪かったりするのか?
さすがにそれはないだろう。話している時も嫌悪しているみたいな雰囲気はなかったし。どこからどう見ても仲良しだ。
「お姉ちゃんは少しだけ過保護。今日も一緒に帰れないって言ったら説明を求められた。優しいけど、そういうのは面倒」
なるほど、そういうことか。
「それはしょうがないよ。花音ちゃんは可愛いからね」
「可愛いのは彩音ちゃんのほう」
「ふぇ!?」
「花音よりも小さいし、おっちょこちょいなところがある。見た目も行動も全部が可愛い」
可愛いと言われた彩音は笑みを堪えきれないようで照れまくっていた。
マジでチョロいな、我が妹は。
つい先日まで敵視していた相手に篭絡されてやがる。まあ、こんなに喜ぶのは褒めてくれたのが花音だからだろう。こいつは昔から姫に憧れていたし、姫から褒められるのは至福の喜びってわけだ。
「花音よ、今後も妹と仲良くしてやってくれ」
「了解」
照れまくっている彩音を見ながら俺たちは微笑む。
「っ」
その時だった。不意に誰かの視線を感じて振り返った。
「……?」
しかし誰もいない。
変だな、確かに見られてた気がしたのに。
「先輩?」
「いや、妙な視線を感じてな」
最近の俺は視線に敏感だったりする。
姫と距離が近くなってから敵意と殺意のある目で見られるからだ。特に不知火と接点を持った辺りから明確になった気がする。
今感じたのは敵意じゃない。殺意に近い視線だった。
「……いや、大丈夫なはず。尾行されないように注意したから」
ぶつぶつと花音がつぶやいている。
冷静になるとアレだな、この状況なら殺意を向けられるのも無理ないか。
今の俺は客観的に見れば美少女二人と仲良く喋っている。片方は妹だが、他校の生徒からしたら俺が美少女たちと楽しくお喋りしているように映っているのかもしれない。
花音の攻略はストップだし、ここで長話する理由はないな。
「じゃあ、俺はこれで失礼するよ」
「待って」
帰ろうとしたら、花音に手を掴まれた。
「どうした?」
「……またね、先輩」
「お、おう。またな」
わざわざ挨拶してくれるとは可愛いところあるじゃないか。
その瞬間、再び強い殺意の視線を感じた。
っ、やっぱりだ。花音のファンが見てるのか?
ありえるな。総選挙で2位に輝いた花音のファンは多い。誤解されないようにさっさと動こう。
チャリを漕ぎだし、その場を後にした。
結局、その後は何事もなくお目当てのグッズを手に入れた。視線の主はわからなかったが、どうやら見逃してくれたみたいだ。
……
…………
そう思っていた翌日、悲劇は突然訪れた。




