アンノウンマザーグース
こちらは、「アンノウンマザーグース」の短編版となっています。連載版の「アンノウンマザーグース」を見ていらっしゃる方は、内容はほとんど同じですので、ご了承ください
小さくなった消しゴムを取り出そうと机の引き出しを開けると、手紙が入っていた。
その手紙はピンク色で横長の封筒が可愛らしい星のシールで止められており、まるでラブレターのようだった。
しかし、不思議なことに、そのようなものを受け取った記憶がない。告白をしたり、されたりしたことはあるが、その全ては直接の告白であったと記憶しているので、ラブレターという古典的な手段はいまだ体験したことがなかった。
よく考えてみれば、ラブレターに限らずとも、手紙など今まで見たこともなかった。
俺は少々恐怖心を抱きながらも、封筒のシールを綺麗に剥がした。中には、一枚の白色の便箋が入っていた。その便箋はなんだか懐かしい感じがして、とても綺麗な字で書かれていた。
『和樹君へ
きっと君は私のことを忘れているでしょうね。
もし、君が私のことを忘れているなら、この手紙に返信をくれませんか?
返信はこの手紙の入っていた封筒に、君の書いた新しい手紙を入れて、引き出しの中に置いてください。私はその手紙を読んで、再び手紙を書きます。
きっと君は混乱しているかもしれないね。でも、君はこの手紙に返信をくれると信じています。
この文通の中で、私のことを思い出して、見つけ出してくれることを願っています。
追伸
返信の内容はこの手紙のことでも、私のことでも何でもいいです。でも、できれば、今の君のことを書いてくれると嬉しいな。』
俺は手紙を読み終わると、ぞっとした気持ちになった。どうやらこの手紙は、俺が忘れていたものではなく、誰かが意図的に引き出しの中に置いたものだと分かった。
次の日、いつもより歩調を荒々しく、どかどかと学校の階段を上っていた。
自らのクラスに向かって、怒りながら廊下を早歩きした。
「義男、出て来い。」
俺は勢い良く教室のドアを開けると、そう叫んだ。
「何、そんな怒っちゃって、義男はまだ来てないわよ。」
「へえー、そうか。……じゃあ、教卓の下にいる義男の靴を履いた奴は義男じゃないんだな?」
教卓の下からいつも義男が履いている靴が見えていた。
「……それは、あのー……
あー、あんな所にUFOがー。」
愛海は下手な演技で、窓の外を指さした。それを聞いた教卓の下の人間は、即座に教室の出口に向かって駆け出す。それを確認した俺は、もう一つの出口から回り込んで、逃げる奴の腕を捕まえた。
やはり、義男だった。
「かくれんぼの鬼と言われたこの俺に、教卓に隠れた程度で、やり過ごせると思うなよ。」
俺は焦る義男に、握りこぶしを見せた。すると、義男は胸ポケットから千円札を取り出した。
「すいませんでした。とりあえず、半分の千円だけでもお納めください。」
義男は千円札を俺の手に握らせてきた。俺は思った反応と違ったので驚いた。
「なんだこの千円は?」
「なにって、前に遊んだ時に借りたお金の返済だろ。」
ふと思い返すと、そういえば義男に二千円を貸していたことを忘れていた。
「そうだ、早く返せよ。」
俺は思い出すように、握らされた千円札を奪い取った。
「それもそうだけど、あの手紙だよ。お前のせいで恥かいたじゃねえか。」
「……?、手紙?」
「とぼけるんじゃねえよ。引き出しの中にお前が入れた手紙だよ。引き出しに入れられているから、親が間違えて入れたのかと思って、親に聞いたら、「ラブレターじゃない、モテる男は違うねえー。」とか言われて、それからずっと、ウザ絡みされてんだよ。親が違うなら、お前の仕業以外ありえねえだろ。」
「さっきから何を言っているんだ。その手紙やらラブレターやらは本当に知らない。お前に金は返さないことはあっても、嘘はつかない。」
「教卓に隠れて、やり過ごそうとすることは嘘みたいなもんだけどな。」
「それはそれ、これはこれだ。でも、本当に何のことか分からない。」
義男は嘘をついていなさそうだった。俺は掴んだ義男の腕を離した。
「詳しく説明してくれ。なんか知らないけど、一緒に考えてやるから。」
義男は諭すようにそう言った。俺と義男はとりあえず教室に戻った。
「ごめん、義男。UFOじゃなくて、空飛ぶ猫とかにしとけば良かった。」
「オカルトでもファンタジーでも同じだよ。もっとましな嘘ついとけよ。」
義男は愛海の後ろの自分の席に座ったので、そこで話すことにした。
「昨日の夜、引き出しを開けたら、この手紙が入ってたんだ。親はそんな手紙知らないっていうから、家に最近遊びに来て、尚且つ、そんないたずらをしそうな奴はお前しかいないと思ったんだ。」
義男は俺が手に持った手紙を読んでいた。
「それで、このラブレターの内容からお前の親に朝からウザ絡みされ、あんなどかどか廊下を怒りながら、歩いていたわけか。なるほど、理解した。」
義男はしばらく考え込んだ。
「まあ、すぐにこの手紙の差出人はすぐに分かるさ。」
「本当か。」
「ああ、まず、お前はこの学校と家族しかコミュニティはない。そうだろ。」
俺は忌まわしき小学、中学のはぶられていた記憶を思い出した。
「そうだ。」
「そして、家族の仕業ではなかった。さらに、この筆跡は女子だ。そして、内容から元カノの優美と夏美の可能性が高い。しかし、私の分析では、二人ともこんな綺麗な字ではないから、その二人ではない。」
「おお、つまり?」
「ここで推理はおしまいだ。」
「は?推理小説オタクの実力はそこまでかよ。犯人が分からねえじゃねえか。」
「ちっ、ちっ、ちっ、確かに私の推理はここまでだが、私の助手の力を使えば一発さ。この学校中の女子の名前から筆跡を全て暗記している優秀な助手の愛海君?」
「……私?」
「愛海君、和樹に送られたこの手紙の筆跡は誰のものだ。さあ、答えてくれ。」
愛海は手紙をしばらく凝視した。そして、ひらめいたように、義男に目を合わせた。
「分かった。この学校の女子の字じゃない。」
義男は椅子からずっこけた。
「なあ、愛海の筆跡鑑定能力は信じられるのか?」
焼きそばパンをもぐもぐと食べている義男に話しかけた。
「愛海がこの学校の女子じゃないって言ったら、本当にそうじゃないんだろうよ。前、理科の教室に置いてあった名前の書いてないノートの持ち主をそのノートに書かれ文字だけで当てたこと知ってるだろ。」
「ああ、持ち主は三年の帰宅部の根暗女子、愛海になんで分かったか聞いたら、消去法で残った人がその人だったから、だろ。愛海の異常さは分かっちゃいるけど、この学校の女子でもない、家族でもないとなりゃ、もう誰が犯人なんだよ。」
「中学以前のお前の友達じゃないか?」
「ない!クラスで浮いて、はぶられていた話しただろ。」
「でも、今、一番可能性が高いのは、そこしかないんじゃないか。実は好きな思いを秘めていましたみたいな。」
「確かに、そうかもしれないが……。じゃあ、百歩譲って、小中の同級生が犯人だとして、引き出しの中にどうやって、手紙を入れるんだ。」
「……。」
義男は残った焼きそばパンを口に放り込み、それを噛みながら、しばらく考えた。口の中のものを飲み込むと義男は口を開いた。
「分からん。」
「だろ。ここ三日間家に入ったのは、俺を含む両親の三人とお前だけだ。家を留守にすることもあるが、ちゃんと戸締りはしている。」
「それは確実か?」
「両親は共働きで、朝が早いから俺が毎回戸締りをするが、鍵をかけ忘れたり、窓を閉め忘れたりしたことはなかったと思う。」
「……。」
再び義男は考え込んだ。
「分からん。」
「だろ。さらに付け加えるなら、うちの家の鍵は特殊で、簡単に合鍵を作れないようになっているし、家に入ろうとする不審者を通報する警備のやつをやっているから、不審者は簡単に俺の家に入れないはずだ。」
「やっぱり分からんな。降参だ。」
義男は両手を上げて、降参したことを示した。
「さすがの推理オタクもお手上げか。」
「だが、今の状況じゃ降参ってだけだ。今は情報が少なすぎる。また、進展があったら教えてくれ。」
義男がそういうと、ちょうどいいタイミングで、昼休みの終わりのチャイムが鳴った。義男はパンの包装のごみを片付け、自分の席に戻った。
俺は手紙のことを考えながらも、次の授業の準備をした。
う~ん、分からない。
結局、午後の授業中ずっと手紙のことを考えていたが、全く分からなかった。学校からの帰り道もずっと考えているが、考えは進展しなかった。
俺は家に着くと、玄関の鍵をポケットから取り出し、鍵を開けた。もちろん、鍵の閉め忘れはしていなかった。
いつものように家の中に入ると、中から玄関の鍵を閉めた。そして、二階にある自分の部屋に向かった。部屋の中に入ると、制服を脱いで、普段着に着替えた。着替え終わると、やはり、手紙のことが気になってしまう。
俺は机の引き出しに目をやった。いつも通り閉まっている。
俺は恐る恐る引き出しに手を伸ばした。昨日、手紙を取り出したため、引き出しの中には、文房具以外は入っていないはずである。手紙なんて入っていないはずである。
引き出しの取っ手に手をかけると、一気に引き出しを開けた。
中を見てみると、昨日と同じ封筒に入った手紙が置かれていた。
背筋がぞっとするような感覚に陥った。
『和樹君へ
君の混乱した様子を見ると、まだ私のことを思い出せていないみたいだね。確かに、もし、私のことを思い出せていないなら、この状況は怖いし、驚いちゃうかもしれないね。
なら、少し思い出す手助けをするために私のことを書いていこうかな。
もちろん私は女の子だよ。それと私は小、中学校の和樹君をよく知っているかな。その時の記憶で言えば、君はきらきら星とかロンドン橋落ちたとかの歌を歌っていたね。私は君の歌うきらきら星は好きだったよ。
きらきら星は今でも思い出すことがあるの。君はきらきら星は覚えているかな。いくら忘れやすい所があっても、流石に覚えているかな。
私のことはこのくらいしかないかな。この手紙の返信は前回の手紙に書いてあった通りにしてください。君からの返信が来ることを願っています。』
引き出しの中の手紙には、そのように書かれていた。この手紙に書かれている通り、俺は小さい頃、きらきら星とか、ロンドン橋落ちたとかの曲をよく歌っていた。今でも全部の歌詞を覚えている程に、印象に残っている。
しかし、その時の俺の異常な所は、その歌をいつも一人で歌っていたことだ。小、中学校時代は、全く遊ぶ友達がいなかったので、一人で砂に絵を描いて、遊びながら、歌っていた。それが学校の同級生に見られて、気味悪く思われ、友達がさらにできないという負のスパイラルに陥っていた。
ああ、ダメだ。嫌なことを思い出してしまった。忘れようと必死になっていた聞こえる陰口を言われ続けた日々や何をするにもはぶられた記憶。しかし、その記憶の中にこの手紙の差出人のヒントが隠れている。
大体のクラスメイトの女子の名前は覚えているが、どの女子も特別仲良くした記憶はない。もしかしたら、何かあったかもしれないが、記憶に残っていない。
なぜか知らないが、小中学校の記憶はかなり薄れている。やはり、嫌なことは脳がすぐに消してしまおうとするらしいが、その影響だろうか。
差出人が誰かの推理はこのくらいにして、この引き出しに手紙を置く手口を考えよう。確実にこの家に家族以外の出入りはないし、昨日の手紙のせいで、戸締りもちゃんとしていたことも確実だ。
さらに、昨日俺が手紙を読んだということを知って、すぐに返信を書いた。
つまり、この手紙の差出人は、家族と学校の人間ではないが、家族と学校の人間しか知らない情報を知っていたということになる。
「で、お前はどう思う?」
「どう思うったって、謎が余計に増えただけじゃねえか。謎の差出人、破られない密室、それに加えて、知らないことを知っている矛盾。……どうだろう。一度、この話、出版社に持っていくか?」
「馬鹿なこと言うな。肝心のトリックが分からないんじゃ。門前払いされて、終わりだ。」
「まあトリックは分からないが、情報が増えたことは進展だな。差出人はこの学校ではない女子で、お前の小中の痛い黒歴史をずっと見ていて、忘れっぽさを知っている人物である。ってことだな。」
「俺、そんな忘れっぽいか?」
「こんなに好意を寄せてる女の子忘れてるんだから、忘れっぽいに決まってんだろ。」
「そうだけどよ。俺の頭が小中のことは思い出すなって言ってるみたいに、記憶に蓋をしてくるんだよ。もし仮に、女子との思い出があったとしても、分からない。それくらいに小中の記憶は抹消したいと脳が望んでいるんだ。」
「まあ、寂しくて、一人で歌い出す奇行を始めたら、人間終わりだな。そんな記憶はすぐに消してしまいたい。」
「そうだろ。でも、誰かがずっとその奇行を見ていたなんて……あー、急に恥ずかしくなってきた~。」
俺は赤くなった顔を覆った。
「大丈夫。そんなお前がこの手紙の女子は好きなんだ。だから、ここで一曲歌っとくか?」
「誰が歌うか。この学校にその女子はいねえんだろ。ここで歌ったら、高校生活もはぶられ生活が始まっちまう。」
「まあ、その話は置いといて、手紙の話でもう一度確認しておきたいことがあるんだが、お前の家の鍵は、いくつあるんだ?」
「俺が持ってる鍵とお母さんが持ってる鍵の二本だな。お父さんは基本的に帰ってくるのが遅いから、鍵は持ってないな。お母さんは俺よりも早く帰ってくるときもあるから、一応鍵は持ってるな。」
「お母さんの鍵が実は盗まれている可能性はないか?」
「ないかな。お母さんに聞いて、鍵を持っているか聞いたら、カバンの中から鍵をだしてきたから、盗まれてはいなかった。」
「う~ん。……分からないな。」
「あっ、そうだ。言うの忘れてたんだが、一応この手紙に返信を送ってみたんだ。」
「結構大事なことじゃねえか。やっぱ、お前、忘れっぽいだろ。……で、どんな内容の手紙を送ったんだ。」
「えーっと、もしあなたがこのようなことを続けるならば、不法侵入で訴えます。この家の周りには、監視カメラが設置されていますので、確認すれば、証拠は十分だと思います。今すぐやめてください。って書いたかな。」
「何書いてんねん。」
「だって、勝手に家に入って、手紙を置いていくような奴に好意なんて持てるか?恐怖しかないだろ。それに小中の俺を知ってる人間はもう関わりたくないんだ。」
「もしこれで、手紙が来なくなったらどうするんだ?どこから不法侵入されているか分からないままの家で暮らすことになるし、そういう奴は拒絶されると、どんな行動に出るか分からない。一旦、泳がせておくことが大事なんだよ。」
「確かにそうだったかもしれない。冷静に考えられてなかったかもしれない。……帰り道に襲ってきたりしないかな?」
「まあ、やってしまったことはしょうがない。……お前はいい友達だった。」
そう泣く仕草をしながら義男が言うと、二限目の始まりのチャイムが鳴った。そのチャイムを聞いて、義男はそそくさと俺の席から離れていった。
「見捨てないでくれよ。義男~。」
そう俺は叫んだが、無情にも義男は無視し、二限目の授業が始まった。
俺は叫んだことによって周りに見られていることに気づき、一旦気を取り直して、授業を受けることにした。
手紙の差出人が今頃、俺の返信を見て怒っていないだろうかと怯えながら、授業を受けていた。しかし、眠気に逆らえず、うとうととしている時に、突然、義男が立ち上がり、大声を上げた。
「分かった。手紙の差出人は一人じゃなかったんだ。」
「こんなところに連れてきて何の意味があるんだ。授業中に叫んだから、こっぴどく怒られた義男君?」
俺は義男に連れられて、人気のない屋上階段の踊り場に着くと、義男を煽るように聞いた。
「さっき言っただろう。手紙の差出人、いや、正しく言えば、この事件の犯人は一人ではない。そして、その犯人の一人はこの学校の人間である可能性が高い。」
「ほう、面白そうだな。」
「まず、先に確認しておこう。お前のお母さんの職業は何だったかな?」
「西高の高校教師だ。」
「そうだったな。ならば、この推理は正しかったというわけだ。」
「自信満々だな。早く真相を聞かせてくれ。」
「では、状況を確認しながら、この事件の真相を説明していこう。
まず、お前の家は戸締りをちゃんとしていて、防犯カメラや警備会社と契約しているので、家に無理やり入ろうとする不審者がいる場合、すぐに分かるようになっている。そして、鍵は二本しかなく、お前とお前のお母さんしかもっていない。お前はいつもポケットに入れているから、おそらく盗むことは不可能だ。
しかし、お前のお母さんの方はどうだろう。お前のお母さんは鍵をカバンの中に入れていたんだったな。」
「それがいったいどうしたんだ。」
「ここで大事なことは、お前のお母さんはお前と違って、鍵を携帯していないということだ。
人の管理下にあるポケットの中のものを盗むことは難しいが、人の管理下に無いカバンから盗むことは難しいことではない。
さっき、俺が職員室に呼び出されて怒られた時、確認したんだが、大体の教師がカバンを机の下や上に置いていた。
なので、お前のお母さんも職員室の机の下にカバンを置いているとする。
すると、職員室の人の目さえ盗めれば、お前のお母さんのカバンから鍵を盗むことができる。」
「待て、待て、さっき言っただろう。お母さんの鍵は盗まれていなかったって。」
「焦るな。話を最後まで聞け。
まず、手紙の差出人は、お前のお母さんの鍵は盗んだ。そして、学校を出て、お前の家に向かい、盗んだ鍵を使って、家の中に入る。家に入った差出人は、お前の部屋の机の引き出しに手紙を入れる。そして、家の鍵を閉め、もう一度、お前のお母さんの学校に戻り、鍵を返す。
こうすれば、玄関から鍵を開けて入っただけだから、監視している警備会社に怪しまれず、何の痕跡も残さずに、手紙を引き出しの中に置けるわけだ。」
「まあ、できないことはないか。で、犯人が一人ではない理由を教えてくれよ。」
「そうだな。じゃあ、今言った犯行をできる人物は誰だろう?」
「う~ん。その学校の生徒とかかな。」
「そう、手紙の内容からも同年代の生徒が怪しい。だから、その生徒が学校を行き来し、犯行に及んだ。しかし、毎日のようにこのような犯行を及んでいた時、その生徒は怪しまれる可能性が高まる。なので、必要最低限の回数で犯行を済ませたい。
この時、重要になってくるのは、この学校の共犯者だ。
お前は家の引き出しに手紙が置いてあった。なんて面白いことがあったら、必ず、俺に話しに来る。このことが分かっていれば、この話を聞いた共犯者は、手紙の差出人に連絡をし、差出人が返信を置く犯行を行う。
こうすれば、必要最低限の回数に犯行を抑えることができる。」
「まあ、理屈は分かるが……。」
「さらに、俺はこの学校の共犯者の目星がついている。
その犯人の名は……愛海だ。」
「愛海?愛海がそんな犯罪じみた犯行に協力するか?」
「まあ、これは仮定の話だから、確定ではないんだが、愛海がこの学校の共犯者として、一番怪しいと思ってる。
なぜなら、第一に共犯者は、お前から手紙のことを聞き出すために、お前の近くにいる人間でなければならない。一番お前に近い人間は、俺を除けば、愛海になる。
さらに、愛海は筆跡鑑定をした時、この学校の人間じゃないって言ったな。そして、その後の手紙にも、この学校の人間じゃないと書かれていた。これは偶然の一致と言うことも考えられるが、この学校にその手紙に関わっている人間はいないという固定概念を植え付けるためのものだとしたらどうだろう。」
「なるほど、この学校の人間じゃないと強調すれば、この学校の共犯者の存在を俺たちの意識から消すことができる。そして、真相を分かりにくくさせたってことだな。」
「そう、これがこの事件の真相だ。後は、愛海をどうにかしてぼろを出させることができれば、お前のお母さんの学校の方の差出人を吐かせて、
チェックメイトだ。」
「なるほど、……筋は通っているのは分かるんだが、いまいちしっくりこないな。そこまでして手紙を引き出しに入れる理由が分からない。愛海と友達なら愛海越しに手紙を渡させる方法もあったはずだ。なぜ、リスクを冒してまで、引き出しに手紙を置くのかが分からない。」
「確かにそれはそうだが、これ以外起こった事実と辻褄が合う推理はないだろう。だから、これが真相なんだよ。」
「……そうだな。とりあえず、愛海を問い詰めようぜ。」
「よし、こういう犯人を問い詰めて、ぼろを出させるやつやってみたかったんだ。よっしゃ、やったるでえー。」
「愛海ちゃんなら、さっき体調が悪いとかで、早退しちゃったよ。」
俺たちは教室に帰り、愛海の姿が見当たらなかったので、クラスの女子に聞いてみると、そんなことを言われた。
「愛海の野郎。逃げやがったな。俺が授業中に叫んだから、勘付きやがったんだ。」
「なんで叫んだんだよ。愛海が共犯って分かってたのに。」
「つい推理ができて、舞い上がっちゃった。」
義男はおどけた表情で、舌を出した。腹立つ顔だが、ぐっと気持ちをこらえた。
「まあ、起きてしまったことはしょうがない。これで俺たちに真相を知られたと愛海たちが分かったから、相手の出方をしばらく伺おう。」
義男は大きくうなずき、自分の席に戻った。俺は少し引っ掛かることはあったが、手紙の謎の真相を知ることができたと思い、安心して、残りの授業を受けた。
昨日より少し軽い歩調で歩きながら、家路についた。家に着くと、ポケットから鍵を取り出した。鍵はもちろん開いていなかったので、鍵を開けた。家の中に入り、鍵を閉め、真っ先に俺の部屋の中に向かった。そして、引き出しを開けると、いつもの封筒が置いてあった。
ここまでは不思議ではない。手紙の差出人からの提案通り、封筒の手紙だけを入れ替えて、返信したからだ。重要なのは、封筒の中身が入れ替わっているかだ。俺は恐る恐る封筒の中の手紙を取り出した。
手紙は俺の字とは、全く違う綺麗な字で書かれており、謎の差出人からの三通目の手紙だった。
だが、もう義男の推理を聞いた後だったので、昨日より怖いと思う気持ちは少なかった。俺は手紙の内容を読んでみることにした。
ピンポーン、ピンポ、ピンポ、ピンポーン
手紙を読むことを妨げるように、家の呼び鈴が鳴った。少し驚きながらも、手紙を机の上に置いて、玄関に向かった。
玄関のカメラを見ると、呼び鈴を鳴らしたのは、お母さんだった。俺は手紙の差出人が家に襲い掛かってきたかもしれないと思ったが、違ったので、胸をなでおろした。
俺は玄関のかぎを開けて、お母さんを家の中に入れた。
「はあー、助かった。和樹が先に帰ってきてくれて。」
「どうして?」
「だって、昨日、和樹が鍵を見せてくれって言われて、鍵を見せた時、鍵をどっかに置いてしまったみたいで、家に帰る途中で、鍵がないことに気づいて、焦っちゃった。……あっ、やっぱり玄関の靴箱の上に置いてあったのね。」
俺は靴箱の上に置かれた鍵を見て、さっきまで抑え込めていた恐怖心が一気に湧き上がってきた。
「えー、今回、愛海様を私たちの推測から、引き出し手紙事件の共犯者として、無実の罪を着せ、勝手に疑ってしまったこと、昨日、本当の体調不良で休まれた愛海様に、逃げやがったな、あの腰抜けチキン野郎と思ってしまったこと、そこまで賢くない愛海様に頭の切れる犯人像を押し付けてしまったこと、
この三つについて、義男と和樹の両名が愛海様に対し、心からお詫びを申し上げます。申し訳ございませんでした。」
俺と義男は、椅子に座る愛海に向かって、ひざまずき、頭を下げた。
「三つ目は謝る必要なくない?私、馬鹿だと思われてたの?」
「はい、それは申し上げる必要もない周知の事実かと。」
「……謝る気ないでしょ?」
「いえ、この通りでございます。」
義男は俺の後頭部を押さえて、もう一度、土下座を強要してきた。
「まあ、私は馬鹿でもなんでもいいんだけど、私が犯人に仕立て上げられていたその引き出し手紙事件ってのはなんなの?」
そう聞かれた俺たちは、今まで起きたことを一つ一つ説明していった。
「……なるほどねえ。面白そうね。今の時代、ラブレターなんて今の時代では珍しいからなんかロマンチックで素敵。」
「それは他人事だから言えることであって、実際、引き出しの中に手紙が毎日置かれているのは、気味が悪いものですよ。愛海様。」
「愛海様って言うのやめてよ。……まあ、気味が悪いっちゃ悪いわね。でも、気味悪がられることを分かっているのに、なんでそんなことをするのかしら?」
「そりゃ、そんなことをする奴は、頭がおかしいんだから、常識にあてはめて考えない方がいいでしょう。」
「まあ、それはそうかもしれないわね。ところで、その問題の三通目には、どんなことが書いてあったの?」
俺は立ち上がって、自分の机の中に置いてある手紙を、愛海の下へ持ってきた。
『和樹君へ
私の手紙に返信をくれてありがとう。
不法侵入ってどういう意味だったっけ。ちょっと和樹君の書いてくれた手紙の意味が分からなかったかな。知らない間に、また私の知らない言葉を覚えたんだね。
いつもみたいに言葉の意味を教えてくれないかな?
君は私にたくさんのことを教えてくれたよね。昨日書いた歌だったり、言葉だったり、私は君からいろんなことを知れることが嬉しかったな。
でも、君は私のことをたくさん忘れてしまったんだよね。こんなことを言っても、きっと分からないよね。
でも、きっと君は私を思い出して、見つけ出してくれると信じています。』
愛海は手紙を声に出して、読み上げた。
「激ヤバじゃん。これは自分の世界に入っちゃってるわ。
もし、和樹に見覚えがないなら、これって、ストーカーみたいなもんじゃない。特に、不法侵入を知らないってとぼける所がヤバさに拍車をかけてるわ。」
「助けてよ、愛海~。義男の推理が精神の支えだったのに、外れちまったから、ずっと怖いんだよ。怖いから、あんまり眠れてないんだよ。前まで全然気にしてなかった家の雑音一つ一つが、恐怖でしかないんだ。なんだか誰かがいるみたいなそんな感覚になって、ヤバいんだよ。」
それを聞いた義男が突然立ち上がって、大声を上げた。
「それだ。差出人は密室を開ける必要なんてなかったんだ。」
「それでは、現場検証を始めよう。」
義男はおもちゃのキセルや茶色でタータンチェック柄の服を着て、探偵になりきって、俺の部屋に入ってきた。
「服に値札ついてんぞ。」
義男は静かに、服の値札を破り捨てようとしたが、値札を服とつなぐプラスチックのわっかはそのまま残っていた。
わざわざこの家に来る前に、百円ショップに行って、探偵衣装をそろえていた。義男はお金を持っていなかったが、気分が出ないと、推理を教えてやらないと言うので、仕方なく立て替えてやった。また義男への借金が増えてしまったが、もし、義男が差出人を突き止めてくれるならば、安いもんだ。
「まず、推理を始める前に、スマホを取り出してくれ。」
俺は言われるがまま、スマホを取り出した。すると、義男からメッセージが来ていた。
『今から会話は、このスマホで行うことにする。理由は後で話すから、今は素直に従ってくれ。
まず、最初に今日も引き出しの中に手紙が入っていたのか?』
俺はスマホのメッセージ機能を使って、義男に返信をした。
『今日は、手紙は入っていなかった。ちなみに、昨日は手紙の返信はしていない。怖すぎて、書く気にならなかったからだ。』
『なるほど、今日は手紙の返信はなかったか。もうお前からの手紙がないと、手紙を出さないようになったのかもな。まあいい。これから差出人を捕まえて、直接話を聞いてやろう。』
『それでは、今度こそお前の正しい推理を聞かせてくれ。』
俺は無言で、義男に拍手を送った。
『では、まず、結論を先に言うと、手紙の差出人はこの家のどこかに隠れている。』
『?』
『この会話をスマホで行っているのは、手紙の差出人に推理を聞かれないためだ。
俺たちはこの密室を破る方法を追い求めていたが、差出人が密室の中にいるのならば、密室を破る方法なんて必要ない。
家に潜んだ手紙の差出人は、お前が戸締りをして、学校に通った後、お前の部屋に入って、引き出しに手紙を入れる。そして、お前が帰ってくる前に、また隠れる。これで、鍵を使うことなしで、密室を作ることができる。』
『待ってくれ。差出人は、何日もこの家に住み着いているのか?それに、それも結局、一度密室を破らないといけないよな。』
『それなら前に話した方法を応用させればいい。お前のお母さんの鍵を使ったんだ。前回の方法で、家に入った差出人は、家に隠れ、共犯者に鍵を渡し、共犯者が鍵を閉め、密室を作る。それと日中はこの家を使い放題だから、何日でも住み放題だ。』
『確かに、水は飲み放題だし、食べ物は、少しずつなら盗めばばれないかもしれない。
でも、それは理論上はできなくもないが、少々突飛過ぎないか?』
『いいか、不可能なものを除外していった時、どんなものが残っても、それがどれだけ信じられなくても、それが真実なんだ。』
義男は何も言わず、キセルを持って、決めポーズをした。
「ホームズか?お前、この状況に酔ってるだろ。」
「まあ、いいじゃないか。それよりも犯人の潜伏先を見つけてやろう。
さあ、この物語はクライマックスに突入だ!」
俺は何かに引っかかって、こけてしまった。本棚に頭ぶつかりそうになるところを、なんとか手で本棚を押さえて、難を逃れる。
しかし、本棚は俺の体重にバランスを崩し、倒れてしまった。本棚に入っていた本が部屋中に散らばる。
「何をやっとるんだ。何もない所でこけやがって、ラブコメの主人公か。」
俺は床に叩きつけられた上に、本棚の下敷きにもなった。義男は心配することもなく、しょうもないツッコミを入れており、体中が痛む俺をイライラさせた。
部屋の中に手紙の差出人のが使っている隠れ場所や隠し通路がないか探していただけが、とんだ災難に遭ってしまった。痛い。
「盛大にこけやがって、まあ、本棚の後ろには、何もなかったことは分かったな。」
義男は、倒れた本棚を起こして、落ちた本を拾い集め、本棚に戻していった。その途中、突然大きな声を上げた。
「これ、送られてくる手紙の便箋じゃないか?」
義男はそう言って、散らばった本の中にある便箋を拾い上げた。
「やっぱ、……いや、なんでこんなところにあるんだ?」
義男は差出人が家にいる可能性に注意しながら、驚いた。俺は体に乗っている本を払いのけて、立ち上がった。
「まあ、返信を確認して、手紙を書くわけだから、この部屋に隠しておいた方が便利だからな。特に不思議はないだろう。」
しかし、もし、この家の中に差出人がいるのならば、この便箋を奪うことは手紙を書けないことにつながる。義男の推理の是非を確かめる最適な方法だと、考えた。どうやら、義男もそれを察したようで、義男は静かに、便箋を自身のポケットの中に入れた。
俺は倒した本棚を元に戻した。
それから、部屋中の家具を動かして、隠れ場所を探すが、何もなかった。この直方体な部屋の六面全てを調べたが、子供でも入ることのできる場所はなかったし、ネズミ一匹はいる穴もなかった。義男は最後に、引き出しに何か細工はないかと確認するが、特に何もなかった。
「じゃあ、他の部屋も探すか。ここには何もないと分かったわけだから。」
そう言った義男は、スマホに何かを打っていた。それを見て、俺のスマホを確認してみると、義男からメッセージが来ていた。
『今から他の部屋を探すが、その前に明日から使える侵入者確認ギミックを紹介する。』
そのようなメッセージを送った後、義男は俺に近づいて来て、俺の頭に手をやった。
ブチっ
義男は俺の髪の毛を掴み、引き抜いた。
「痛っ、何するんだよ。」
俺は義男を問い詰めようとすると、義男は口に人差し指を当て、静かにするようになだめ、もう一度メッセージを送ってきた。
『侵入者確認ギミックには、硬い髪質の髪が必要なんだ。俺みたいな柔らかい髪質だと、精度に欠くからな。』
そういうメッセージを送られると、俺の机の上にあったセロテープを小さく二つちぎった。そして、一方の窓サッシ上部に髪の毛をセロテープで張り付け、もう一方の窓ガラスにかかるようにした。その後、俺を外に出るように仕向け、部屋のドアを閉めた。すると、義男は扉上部のドア枠にも髪の毛を張り付け、扉に髪の毛がかかるようにした。
「よし、他の部屋も見てみるか。」
そう言って、義男は別の部屋に向かおうとしていた。義男は後で詳しく教えるからと口パクで伝えた。
その後、別の部屋を探したり、天井を突いて、天井に隠れ場所がないか確認したが、結局、人が入ることのできる隠れ場所は見つからなかった。
「今回も推理が外れたんじゃないのか。人が隠れることができる場所はすべて探したぞ。」
義男は人差し指を口に押さえて、静かにするように促した。
「じゃあ、こんだけ探してなかったら、どこに隠れ場所があるっていうんだよ。」
義男は人差し指を口から離した。
「じゃあ、最後の手段を見せてやる。」
そう言うと、義男は俺の部屋に戻っていった。俺は義男についていった。
『さっき言った侵入者確認ギミックの説明をする。さっき張った髪の毛がドアにかかっているのを確認してくれ。』
そう義男からのメッセージを受け取ると、俺は張り付けた髪の毛を見ると、先ほど張り付けた時と同じように、こちらのドア側に髪の毛が見えていた。義男は俺の部屋に入り、すぐにドアを閉めた。
『今、張り付けた髪の毛はどうなっている?』
そのメッセージを受け取り、髪の毛を見てみると、ドアを開けたことによって、髪の毛がドアに巻き込まれていた。
『髪の毛がドアに巻き込まれている。』
『これが侵入者確認ギミックだ。扉を開かなければ、髪の毛はドアにかかったまんま、扉が一度でも開けば、髪の毛が巻き込まれる。こうすれば、家にいない間、扉が開かれたかどうかが分かる。
すべての部屋にドアと窓以外の脱出通路がないことを確認した。なので、これを家のすべての扉と窓にすることによって、手紙の差出人がどこの部屋から出てきて、この部屋に入っているか確認することができるって訳だ。』
義男は自信満々にメッセージを送ってきた。
「家中のドアに髪の毛仕掛けたら、ハゲるわ。」
俺はドアを思いっきり開け、義男にドアツッコミをかました。
「いってえー。」
義男は鼻を押さえて、痛がっていた。
「たった数本の髪の毛の犠牲で、謎が解けるんだ。安いものだろ。分かった。これで一つもギミックが発動せずに、手紙が出されたら、もうお手上げだ。土下座だ。」
義男はメッセージを送ることもせず、声を出して言った。確かに、義男の推理が外れていても、差出人の侵入経路は必ず分かるようにはなるか。
「でももし、この誰もこの部屋を開けていない状況で、引き出しに手紙が入っていたらどうする?」
俺は冗談めかして、義男の意思を確かめてみた。窓の髪の毛は窓に巻き込まれていなかった。
「今後、一生、推理小説は読まない。」
義男はきっぱりと言い張った。俺はそうかそうかと首を振りながら、引き出しを開けた。俺は何となく四通目が入っているんじゃないかと思いながら、中身を確認した。
すると、封筒の中には、いつもの便箋ではなく、あの綺麗な字で書かれた破られたノートの紙が入っていた。
「えー、自信満々に行った推理が皆目見当違いであったこと、調子に乗った探偵セットの買い物、髪の毛を軽んずるような発言、その全てを許してもらいたい立場で申し訳ないのですが、推理小説だけは読ませてください。よろしくお願いします。」
義男は頭を強く玄関の床に擦りつけて、謝罪と懇願をした。
「こんな短期間に土下座を連発する奴からは形だけって感じで、心がないように見えるなあ。
……まあ、そんな謝ることじゃねえよ。こんなの誰も分からねえよ。完全な密室を自由に行き来するなんて、もう幽霊が犯人じゃないと無理なんじゃないか。」
「確かに今一番可能性があるのは、そんな幽霊や超能力の超常現象の類だな。現実世界で起こっていることとは思えない。
……まあ、一度帰ってから、俺も考えることにするよ。」
義男は肩を落として、俺の家を出ていった。
俺は自分の部屋に入って、四通目の手紙をもう一度見た。
『和樹君へ
もう昔みたいに君と一緒にいることはできないのかな?
和樹君は私のこと嫌いかな?
君はもうみんなみたいになっちゃったのかな?
そうかもしれないね。
これで私から送る手紙は最後です。
君には君の人生があるもんね。君はあんないい友達と一緒に人生を歩むことができるんだもんね。
手紙でしか君とつながれない私は、わがままを言っちゃいけないよね。
ごめんなさい。』
なぜだろう。この手紙を読むと、目が潤む。思い当たるものはないのに、この手紙の意味もよく分かっちゃいないのに、心は動かされる。
何かを忘れている。
それはきっとこの手紙の彼女との思い出。
何度その手紙を読んでも、その思い出は思い出せない。ただ、心が泣いている。
「和樹~。ごはんよ~」
お母さんの声が聞こえてきた。その声でふと我に返る。気付くと、義男が帰ってから、一時間以上が経っていた。お母さんが帰っていたことも気づかなかった。俺は手紙を机の上に置いて、晩御飯が用意されているリビングに向かった。
「なんか家具動かした?」
「ああ、今日、いろいろあって、義男と一緒にあちこち物を動かしたから、それだと思う。」
「家具の位置がちょっと動いてる感じがして、泥棒でも入ったのかなと思ったんだけど、和樹が動かしたならよかったわ。」
俺とお母さんは、互いにごはんをパクパクと口の中に運びながら、話をした。
「なんだか、良かったわ。和樹にも友達ができるようになって。」
話はしばらく途切れた後に、お母さんが続けるようにそう言った。
「もうそれ以上言わないでくれ。その話は聞きたくない。」
「何よ。親として心配だったのよ。いつも一人で遊んでいるだけならいいんだけど、一人で遊んでいるのに、誰かと遊んでいるような感じがして、あまりにも和樹の様子がおかしかったから、真剣に和樹は病気かなと思ったこともあるんだから。」
俺はごはんを食べる手が止まった。
「いつもあの古い橋のあたりで、一人でずっと遊んでたわよね。まあ、あの橋は取り壊されちゃったけどね。」
橋?
橋だ。いつも一人で遊んでいた。学校が終わると、毎日、一目散にあの橋に向かっていた。まるでそこに何かがあるみたいに。
何をしていた?
かくれんぼだ。そうだ。俺はかくれんぼの鬼だって、見つけるのが上手いから、言われてた。いや、書かれていた。確か、今受け取っている手紙の文字みたいに綺麗な字で。
誰が?
なぜだか、橋や文字の光景は浮かんでくるのに、この記憶の中心にあるはずの誰かの姿が浮かび上がってこない。
……
誰だ?
俺は結局、思い出せなかった。夕食食べ終わり、食器を流しに持っていくと、部屋に戻った。
俺はもう一度、手紙を見るが、やはり思い出せない。俺はもう一度、この状況を整理してみることにした。
あの橋で遊んでいた時の光景は、思い出せるのに、そこで遊んでいた誰かの姿は思い出せない。
そして、今、引き出しの中に、その時の誰かと同じ文字の手紙が置かれている。限りなく普通の人間では、不可能な方法で。
義男の言葉を思い出す。
不可能なものを除外していった時、どんなものが残っても、それがどれだけ信じられなくても、それが真実なんだ。
俺はこの一連の出来事に、一つの結論を出した。
俺は机から立ち上がり、目を閉じた。そこから何かを感じる方へ歩いて行った。何歩か歩いたところで、感じる何かに向けて、両手をかけてみた。
すると、人の肩のような感触を両手に感じることができた。
「菊。ごめんね。」
私を育ててくれた人にそう言われると、頭に激痛が走った。視界が赤色に染まると、段々と意識が遠のいて、膝から崩れ落ちる。
それから気が付くと、暗い箱の中にいた。朦朧とする意識の中で、箱を叩いた。しかし、箱はびくともしない。だが、箱は揺れている。どうやら誰かに運ばれているようだ。それが分かると、助けてと声を上げながら、箱を強く叩いた。
「おい、ちゃんと殺しておかなかったのか。ちゃんと殺しておかないと、可哀そうだろう。人柱なんだから。」
それを聞いて、私は声を出すことも、叩くこともやめた。もう助からないと悟ったからだ。
前から私たちの村を町とつなぐ橋があったが、その橋は、大雨が降るたびにすぐに壊れてしまうと言われていた。そして、人柱は、そんな災害が起こらないように、神様に生贄を捧げることだ。
私はその生贄に選ばれたのだ。
しばらくすると、私の入る箱は投げ捨てられたようだった。箱の中に冷たい水が入ってくる。しばらくすると、箱の中は、水で満たされ、私は息をすることができなくなった。息苦しくて、口を開いてしまうと、水が口の中に流れ込んでくる。それで、余計に息苦しくなって、段々視界がぼやけてくる。
私、死ぬんだ。
お父さんがいなくなって、お母さんが死んで、楽しいことなんて、何もなくて、まだ16歳になったばかりなのに、これから楽しいことがあるんだって、思ってたのに、
……死んじゃうんだ。
目が覚めると、なぜか村の川の近くで目を覚ました。その川の辺りで変わったことは、立派な橋ができていたことだ。
私はおそらく死んだはずだけど、なぜか生きているような感覚がある。
そんな時、ちょうど誰かが橋を渡って来た。私はその誰かに声をかけた。しかし、その誰かには、私の声は聞こえていないようだった。何度も声を出すが、やはり聞こえていない。
その誰かは、橋を渡り終え、私のそばを通り過ぎようとしていた。私は咄嗟にその人の服を掴んだ。どうやら、触れることはできるようだった。
私に掴まれた人は、突然のことに驚いたようで、悲鳴を上げて、村の方に逃げていった。私はそれを追いかけようとしたが、ある場所で足が動かなくなった。
そのまま、追いつけないまま、その場に立ち尽くしてしまった。
その後、橋に通る人たちで試して分かったことなのだが、私は誰からも見えていなくて、私の声も誰にも聞こえない。しかし、誰かに触ることはできるし、何かを掴むことができることが分かった。
そんな検証をしていると、村の人たちは、橋を渡ることを怖がるようになった。なので、私は誰かに触ることはやめた。
村の人々は、私が何もしないでいると、普通に橋を渡るようになっていた。
それから長い月日が経った。
私はお腹も減らないし、年も取らないようだった。なぜこんなことになったのかなんてはるか昔に考えることを辞めるくらいに、孤独に過ごしていた。
そんな時、ある男の子に出会った。
その男の子は、橋を渡っていた。私にとって、橋を誰かが渡るのは、いつもの光景だった。
しかし、その男の子はいつも通りではなかった。橋を渡り終えると、突然、橋の横にいる私の近くに来て、立ち止まった。
「みいつけた!」
その男の子は、背伸びをしながら、手を伸ばして、私の肩に手を当てた。私はしばらくぶりの人の感触に驚いて、思わず、腰を抜かしてしまった。
「僕には見えないけど、そこにいるよね?」
その男の子は、腰を抜かした私に目を合わすように、話しかけてきた。私は思わず声を出して、答えようとするが、声が聞こえないことを忘れていた。あたふたしながら、周りを見渡すと、地面は砂だったので、指で丸を書いた。
「やっぱりそうなんだ。いつもこの橋を渡る時、いつも変だなあと思っていたのは、君だったんだね。僕は漢字でこう書くんだけど、和樹っていうんだ。君の名前は?」
その和樹と名乗る男の子は、指で砂に和樹と書いた。私は漢字は分からなかったので、その形がかずきと読むことを覚えた。
私は質問に答えるように、砂の上に私の名前である菊と言う漢字書いた。たった一つ知っている漢字だ。
「何て読むの?その漢字の中の米しか読めないや。」
私は付け足すように、きくと書いた。
「へえ、きくっていうんだ。確か花の名前だよね。可愛いね。」
私はその言葉を聞いて、今まで止まっていた時が、今、突然動き出したような気がした。
「僕がこの橋を通るときは、また遊ぼうね。菊。」
私は見えるはずもないのに、和樹に向かって、手を振っていた。
それから私と和樹はたびたび遊ぶようになった。和樹が鬼で、かくれんぼをしたり、和樹が学校で習った内容や漢字を教えてもらったり、砂で書いた文字で会話したりした。
ある時、音楽の時間で習ったからと言って、いろんな曲を聞かせてくれたこともあった。ロンドン橋落ちたはなんだか好きになれない曲だったけど、きらきら星は好きな曲だった。私と違ってみんなに見られている星だけど、皆の願いを背負っているという歌詞が私の存在を肯定してくれているような気がした。
私は和樹と過ごす日々が好きだった。和樹と出会った頃はまだ八歳になったばかりで、小さくて、私の子供のようだった。
私もあの時、死んでいなければ、誰か男の人と結婚して、和樹みたいな元気な子供を産んで、育てていたのかな。
私は少しずつ大きくなる和樹にそんな思いを重ねていた。
「ごめん。親が遠くに引っ越すらしくて、この町を出ていかなくちゃならなくなったんだ。だから、
……もう、会えないかもしれない。」
和樹は泣くことを我慢しながら、悲しそうに言った。
私も悲しかった。でも、和樹には見えなくても、和樹には、泣き顔を見せたくなかった。私は涙をこらえて、和樹を抱き寄せた。私と同じくらいの身長になったのだなあと思った。和樹の成長を感じながら、和樹と過ごした日々を走馬灯のように思い返した。
「遠くに行っても、絶対忘れないから。」
和樹はそう言って、私の抱擁を剥がすと、走り去っていった。和樹の背中が遠くなっていくたびに、果てしない孤独を思い出した。
それから二年程過ぎたある日、私が人柱となった橋は、取り壊されてしまった。
すると、橋の近くまでしか動くことができなかった私が、自由に動くことができるようになった。
私は見慣れない橋の近く以外の景色に心躍った。橋の近くの景色や和樹との会話で分かっていたが、私が生きていた時代の景色とは全く違っていた。
私の死は、この景色を少し変えたのかな。
私は近くの景色をある程度見渡すと、和樹のことが気になっていた。和樹は今どこで、何をしているだろうか。
私のことを忘れてはいないだろうか。
私は私の感覚に導かれる方に、向かっていった。橋の周りしか動くことができなかった日々じゃ、ありえない程歩いていた。私は死に方も選べなくて、自由に動けなくて、ひとりぼっちで暮らしていたことなんて全て嘘で、今、生きているんじゃないかって思うようになってきた。
今、感じているこの感覚、この感情が生きているってことなんじゃないかって。
何日も歩いていると、見覚えのある姿を見かけた。和樹だった。
和樹は二年で、かなり変わっていた。身長は私が見上げるくらい高くなっていて、あの幼かった顔は、大人らしくなっていた。彼は和樹だと分かっているはずなのに、別人のようだった。今まで和樹に抱いていた気持ちとは、違う気持ちが芽生えていた。
私はこの感情を知っているけれど知らない。まだ、知ったことのない感情。
私が生きていれば、知っていたかもしれない心熱くなる感情。
私はこの感情を確かめるために、和樹の近くに近寄ってみた。
しかし、和樹はいつものように私を見つけてくれない。和樹の近くを歩いてみるが、全く気付く様子はない。私は和樹の家までついていったが、和樹は私にかまうことなく、家の扉を閉めた。
和樹はもう私のことを見つけてくれないのだろうか。
私は悲しかった。でも、不思議と涙はでなかった。和樹はきっと私のことを見つけてくれると信じていたからだ。
私から触りに行くこともできるが、私は和樹に私のことを気づかれたかった。そう思った私は、和樹への手紙で私のことを気づかせる作戦を考えた。
和樹とは、いつも文字で会話していた。その時の記憶を覚えていれば、気付いてくれるはずだ。さらに、和樹の家のどこかに手紙を入れれば、きっと見えない私のことを思い浮かぶはずだと思った。
私は手紙を用意して、和樹が家に入る瞬間を見計らって、家の中に入った。そして、私は和樹に気づかれる妄想をしながら、手紙を書いて、机の引き出しにその手紙を入れた。
しかし、和樹は気づいてくれなかった。和樹は不思議がったり、怖がったりして、私の存在を考えもしていない様子だった。
私はその後、何通か手紙を出したが、和樹は私のことを思い出すことはなかった。
私はもう諦めかけていた。和樹はもう私を見つけてくれる和樹ではないのではないかと思うようになった。あの橋で走り去っていった和樹は、もう帰ってこない。そう思った。
私は和樹とお別れすることにした。
何か奇跡が起こって、あの時の和樹が帰ってこないかと希望を込めて、最後の手紙を書いた。
俺は両手で触れている肩の感触で、いつも一緒に遊んでいた彼女のことを思い出した。なぜ今まで忘れていたんだって思うくらい大事な記憶だった。
俺は自然と涙が目から溢れ出ていた。
俺は思わず、肩に置いた手を彼女の背中に回し、抱きしめた。最後に彼女にあった時よりも、彼女は小さくなっているような気がした。いや、俺が大きくなったのか。そう考えると、俺は彼女と離れていた時間の大きさに気づかされた。
彼女の顔がかかる右肩は少しずつ濡れていくのが分かった。彼女も泣いているのだろう。
俺はそんな彼女を感じながら、ある言葉を発した。
「菊、みいつけた。」