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風王の冠  作者: たき
8/11

(8)

 ザザアーッと、水路の水が勢いを増した。またどこかの水路と合流したらしい。頭の上にポタッと滴が落ちてきて、「ひゃっ」と首をすくめるシータに、隣のミューがふふっと笑う。

「けっこう奥まで来たわね」

「そうね……でも、本当にこっちで正しいのかしら?」

 地図をにらみながら、イオタが先頭のタウに問いかける。たいまつを手に前進していたタウはイオタをふり返った。

「地図どおり進んでいるはずだ。間違っているならイオタの指示に問題があるということになるぞ」

 ファイが倒れたことで、案内役だった風の神の使いも消えてしまったため、今は地図だけが頼りになっている。そしてその地図で進路を確認する係がイオタだ。

「失礼なことを言わないでよ。私が読み間違えるはずないでしょ。そうじゃなくて、本当にこの先にローがいるのかってことよ」

 全員の視線が、ラムダの背で眠るファイに集中した。地図に印をつけた本人はかすかに寝息を立てている。まったく反応のないファイに、ラムダがため息をついた。

「無理だな。目的地に着くまでたぶん起きないぞ」

「いい神経してるわね。だいたい、一人前の神法士を目指すなら自己管理は怠らないものよ」

 文句を吐き散らしたイオタは、みんなが自分の足元を見つめているのに気づいたらしい。視線を落とし、そのままかたまった。

 そそくさとイオタの前を通過した巨大な蛇は、水しぶきすらあげずに水路へ下りていった。やや緑がかった青色の体と鎖模様は、胴まわりが標準よりかなり太いことを除けば、この国でよく見かける種類だ。

「イオタ、大丈夫か?」

 ラムダがイオタの眼前で片手を振る。イオタは乾いた笑いを漏らした。

「夢よ、幻よ。嫌だわ、私ったら疲れてるのね」

 現実逃避に走るイオタにタウが嘆息する。と、不意にシータは寒気を覚えた。気温が急激に下がったというわけではない。周囲を何度も見回したシータは、最後に恐る恐る頭上をあおいだ。

 薄暗い空間に無数の光が散らばっていた。タウがたいまつをかかげたとたん、それまで泣き声一つ、足音一つ立てずに自分たちの様子をうかがっていたその生き物たちは、キキッ、チチーッといっせいにざわめいた。ものすごい数だ。

「ネ……ズ、ミ……?」

 目をみはったままイオタがつぶやく。壁の上部に突出した細い通路のような場所は、途中ところどころに穴が開いていて、そこから別の場所へ移動できるようになっているらしい。そうやって彼らはシータたちに気づかれないよう密かに集まっていたのだ。

 何を食べているのか異常に太ったドブネズミは、見つかった後も通路を小走りに行き来していたが、あまりにも数が多すぎるせいでぶつかりあい、数匹が通路から転がり落ちている。そんな中、意図的に壁を下りてくるネズミがちらほら出はじめた。まっすぐに六人を目指す彼らに同調し、他のネズミたちも一匹、二匹と壁をつたってくる。数に圧倒的な差があるからか、たいまつの明かりにもまったく臆していない。迎え討つため剣に手をかけたシータは、タウにとめられた。

「動くな。イオタが先だ。(つるぎ)の法の詠唱が終わると同時に抜くぞ」

 まずイオタの炎の攻撃でネズミの数を減らしてから、接近戦にのぞむつもりらしい。シータがうなずくのを見て、タウは地図をしまったイオタにたいまつを預けた。

「ラムダは出るな」

「やむを得んな」

 ラムダが舌打ちする。ファイを背負ったままでは派手に立ち回ることはできない。かなり深い眠りに入っているのか、こんな状態でも目覚めないファイにシータは感心した。イオタの言葉ではないが、見かけによらず神経がずぶといようだ。そしてついに、ばらばらと近づいてきていたドブネズミすべての足並みがそろった。来る――!!

「光と熱を司りし炎の神レオニス。我は請う、我に仇なすものどもに灼熱の刃を!!」

 イオタが宙に三角形を描くと同時に、ドブネズミたちがいっせいにドッと壁を駆け下りてきた。仲間に踏まれたり突き飛ばされたりしてなかば転がりながらくるネズミもいる。しかし紋章から放たれた炎は、勢いに任せて迫ってきた敵に容赦がなかった。

 ゴオオオオーッ!

 薄暗かった地下水路内がかっと明るくなる。ドブネズミたちの半分を一瞬にして灰に変えた炎は、近くにいるだけで汗が噴き出すほど熱かった。

 次は自分たちの番だ。シータはタウと一緒にネズミの集団を次々に斬り捨てた。だが斬っても斬っても飛びかかってくる。いったい何匹いるのか。

 チチッ、チーッ!

 同じ顔、同じ鳴き声――斬ったはずのネズミが生き返っているのではないかとさえ思える。終わりの読めない持久戦にいらつき、しだいに剣の振りが雑になるにつれ、狙いをはずす回数も増えてきた。

 本当にきりがない。そばでイオタも続けて剣の法を使い応戦しているが、ドブネズミたちは後から後から集まってきているのかいっこうに減らない。タウに参戦するなと言われていたラムダも、さすがにシータたちの手をすり抜けて突進してきたネズミたちを無視するわけにいかず、背中のファイを左手で支えたまま、右手で槍を操っている。

 それからしばらくして、シータがとりわけ大きなドブネズミを斬り倒したときだった。

 チチーッ!

 恐れを知らない勢いだったネズミたちの一部が、急に逃走をはじめた。それに連鎖反応を起こし、他のネズミも氾濫した濁流のようにもつれあう。

 チチーッ、チチーッ、キイィィィッ!

 耳をつんざく鳴き声と、地鳴りにも似た足音が遠ざかっていく。ドブネズミの姿が完全に見えなくなったとき、あたりに残ったのは流れの弱まった水路の水音と、どこかで垂れ落ちている水滴の調べだけだった。

「まったく、冗談じゃないわ。何なのよここはっ。これも全部ローのせいよ。見つけたら張り倒してやるんだからっ」

 イオタが息切れしながら、れんが色の髪をかきあげて汗を散らす。タウは剣をしまいながら、ネズミの逃げた先を見やった。

「しかしあれだけの数がいるとなるとまずいな」

「ああ。ローの奴、へたをすればかじられて骨だけになってるかもな」

 ラムダがファイを背負いなおしたところで、「大丈夫……生きてる」とかすれ声が漏れた。眉間に深いしわを寄せ、ファイが薄く目を開けていた。

「悪い、起こしたか」

「ファイ、起きるのが遅いわよっ」

 あやまるラムダと同時にイオタが怒鳴る。

「もうすぐのはずだから」

 ファイをひとにらみしてタウにたいまつを返し、イオタはもう一度地図を広げた。現在位置からファイが丸をつけたところまでは、確かにあと少しの距離だった。

「確証はあるの? これ以上嫌な思いをするのはごめんだわ」

「ローが()()()()()()()大丈夫」

 含みのある言いかたをしたファイは、長く息を吐き出した。

「ラムダ、下ろしてくれ」

「おいおい、その状態じゃ無理だ」

「このあたりは地下水路の中でもあまり空気がよくない。戦力を減らすのは不利だ」

 ファイが自分から体をずらしたため、ラムダはしかたなくファイを下ろした。

「イオタ、勇みの法をかけてくれ」

 ファイの頼みに、全員が目をみはった。ファイは攻撃力を上昇させる効果のある法術で、強引に体を動かすつもりなのだ。

「誰よ、こんな馬鹿を仲間にしたのは?」とあきれ顔で、イオタは勇みの法を唱えた。

「力と戦の支援者にして荒ぶる炎の神レオニス。王の眷属たるかの者に覇者の祝福を!!」

 イオタが杖で宙に描いた三角形が赤く輝きながらファイを包み込み、すうっと消える。効果はすぐに表れ、青白かったファイの頬に赤みがさした。それでも無理をしていることに変わりはないため、長時間はもたないだろう。

「急ごう」

 タウの呼びかけに、シータたちは行動を再開した。



 聞こえる水の流れが少しずつ静かになってきた。それまでザバーッ、ザバーッと水をぶちまけていたような音がしなくなり、六人の靴音のほうがよく響いている。一方で、通路の幅は同じなのに暗闇は増してきていた。心もとないたいまつの火がゆらゆらと揺れる中、微風とともに届くかすかな音にシータたちは足をとめた。

 ヒイィィィィ……ヒョオオオォォォォ

「もしかして、靴屋のおやじさんが話してたやつじゃないか?」

 途切れ途切れに伝わってくるのは、悲鳴ともすすり泣きともとれる声だ。ラムダの言葉に、靴屋で仕入れた『地下水路に亡霊の泣き声が響く』という情報をシータも思い出した。この地下水路にはやはり、先ほどの生首の他にも何かが隠されているようだ。

「ファイ、お前がローを見つけたとき、近くにあやしいものの気配はあったか?」

「なかった……と思う」

 タウの問いかけにファイが答える。イオタが「行くの?」と不安げな顔をした。

 得体の知れない存在に遭遇する危険は、できればおかしたくない。だがここまで来て引き返すわけにもいかなかった。地図では、この先の角を曲がったところにローがいるはずなのだ。

 もし厄介なものがいるのなら、よけいにローの救出を急がなければならない。手遅れという最悪の事態だけは何としても避けたかった。

 ヒイィィィ、ヒャアアアァァァ……

 近づくにつれて声はますます大きくなっていく。やがて先頭を行くタウたちと、真ん中のイオタとの距離が徐々に開きはじめた。タウとラムダが早いのではない。イオタの足が進んでいないのだ。

 背中からは読み取りにくいが、きっと怖いのだろう。イオタと並んで歩いていたファイも、遅れぎみなイオタをふり返った。

 そのとき、シータと一緒に最後尾を行っていたミューがすっと前に出た。イオタの腕にそっと触れ、優しい口調ではげます。イオタの返事は聞こえなかったが、しばらくすると足取りが再びしっかりとしたものに変わった。

 いよいよ目的地にたどり着いた。不気味な音は相変わらずこだましている。耳をすましてみたが、それ以外はコトリともカサリともしない。誰もいないのだろうか。ローは大丈夫なのか。

 一度立ちどまってラムダとうなずきあったタウが、角の向こうに顔をのぞかせ、たいまつで前方を照らした。

「タウ!?」

「ローか?」

 覚えのある声が聞こえた。もう一本のたいまつを預かるミューもタウの隣に来て明かりを広げる。暗がりの中、椅子の背もたれほどの大きさがある半円形の石碑を前に、ローが腰を下ろしていた。

「無事か? けがは?」

 駆け寄る六人にローは笑った。

「平気だよ。ちょっとすり傷があるくらい」

「よくその程度ですんだな」

「これくらいの運動神経はないと、みんなと一緒にいられないからね」

 感心するラムダにローはふんぞり返った。腹が減っているというので、タウが袋から非常食用に持ってきたパンを渡す。ローは喜び、うまそうにたいらげた。

 不気味な音はあいかわらず鳴り響いている。どうやらこの奥から聞こえてきているようだが、明かりが届かないので何も見えない。ローが無事だったということは害がないのだろうか。どちらにしても、こんな暗い場所にたった一人で二日間もいて食欲もあるなど、かなり肝がすわっている。冒険集団に参加しているだけあって、やはりただの教養学科生ではなかったのだ。

 と、そのときミューが目をみはった。

「あら? これって……」

「なるほどね。どうりで疲れるはずだわ。馬鹿を通りこして変人ね」

 周囲をきょろきょろしていたイオタもミューと同じく、ローの頭上に視線をそそぐ。シータも宙をあおいだが、闇が広がっているばかりで何も目につくものはない。首をかしげて尋ねると、ミューが答えた。

「防御の法陣よ。地面ではなく空中に描かれているから、私たちにしか見えないでしょうけど」

「探索用に飛ばした御使いを媒介にするなんて、無茶もいいところだわ。神法学科生に対する嫌味よ、イ・ヤ・ミ!」

 イオタが文句を言う。法陣は詠唱の最後に描く紋章よりももっと複雑に文字や記号が組み込まれたもので、たいていは地面に記すらしい。だがファイは風の神の使いを杖やペン代わりにして、宙に描いていたのだ。防御の法陣の中では緊急時に用いる簡易的なものらしいが、それでも空中に作成するというのはかなり高度な技なのではないだろうか。

 みんなに注目されても、法陣を描いた当の本人はすました顔をしていた。まるで自分の術が成功しようが失敗しようが、結果に興味がないかのようだ。もしくは、失敗するかもしれないという心配などまったく頭になかったか。無反応のファイが気にさわったのか、「可愛げがない」とイオタはますますふくれた。

「やっぱり法陣だったのか。青白い鳥が現れたからファイだとは気づいたんだ。で、鳥が妙な動きで頭上を飛び回るから最初は何か伝えたいのかと思ったんだけど、鳥が消えた後に襲ってきた奴らが全部はじかれていったから、これはこのままじっとしていたほうがいいってわかったんだ」

 ローが嬉しそうに話す。あらためて周りを見回したシータはぎょっとした。最初は黒っぽいごみかと思ったが、よくよく確認すると毒虫の類が切り刻まれて転がっていたのだ。ばらばらになっているので正確にはわからないが、数十匹はいたのではないか。ただ不思議なことに、途中襲撃してきたドブネズミの死骸はどこにも見当たらなかった。ここには来なかったのだろうか。

「ところで、自分から落ちたというのは本当なのか?」

「え? 突き飛ばされたんじゃないの?」

 ラムダの問いにシータは目を丸くした。昨日ヘイズルの手下と会ったラムダたちは、ローが勝手に落ちたと聞いたらしい。少々乱暴に白状させたので手下が嘘をついているとも考えられず、ラムダたちは半信半疑だったという。

「実はそうなんだ。あのとき確かにヘイズルたちに追われて例の幽霊屋敷に逃げ込んだんだけど、あそこってうちの近くだろ? ふと見たらヴェルベナが井戸のそばにいたんだよ。どうも家を抜け出したみたいでさ。そしたらヴェルベナの姿が急に消えたからびっくりしてさ、井戸をのぞいたら下にいたから、滑車の縄を伝って下りようとしたんだ。でも縄が古かったみたいで、途中でいきなり切れてそのままズドーンと」

「めまいがしてきたわ」

 あははと照れ笑いながら錆色の髪をかくローに、イオタが額を押さえる。

「ちょっと待て。ヴェルベナってたしか……」

 ラムダの言葉にその場の空気が凍りついた。イオタが悲鳴をあげて逃げると同時に、ローの背後で茶色い柱がぐいーんと立つ。シータは完全にかたまった状態で、眼前に折れてきた柱――大蛇と顔をつきあわせた。

 先端の割れた細長い舌がちらつく。シータくらいなら一のみだろう大蛇は、新顔のシータを観察するかのようにゆっくりと首をめぐらした。

 胴はシータの太ももくらいあり、長さもシータの身長より上をいきそうだ。緑色の目は鋭い光を放っているが害意はないとわかり、シータはほっとしてへたり込んだ。まさかこんなものが一緒にいたとは……しかも名前がついていてみんなも知っているということは、ローが飼っているのか。

「ネズミの死体がないわけがわかった」

「こいつがついていたなら、ファイが法陣で守ってやる必要はなかったな」

指で眉間をもみほぐすタウとラムダに、ヴェルベナの首を抱きしめながらローが反論した。

「失礼なことを言うなっ。ヴェルベナは上品な女の子なんだぞ。こんなところを徘徊しているネズミなんか食べるわけないだろ。見ろ、ここにいる間ずっと怖がって僕のそばを離れなかったんだから」

 そうよそうよと言っているのか、ヴェルベナもちろちろと舌を出したり引いたりしている。もう好きにしてくれ、とばかりにラムダが肩をすくめた。

「それにしても、井戸からここまではけっこう距離があるみたいだが」

 タウがイオタから地図を受け取り、場所を再確認した。

「うん、落ちたときはどうしようかと思ったよ。ヘイズルたちは一度顔をのぞかせた後どこかに行ったまま帰ってこないし。あせって横壁を蹴ったら崩れて、出てみれば地下水路だったからさ。最初は出口を探して手さぐりで歩いてたんだけど、そのうち助けがくるかなと思って待つことにしたんだ。で、たまたまこの石碑にたどり着いて」

 ローがそばにある半円形の石碑を指さす。タウとミューがたいまつを近づけると、古代語のようなものが照らし出された。

「我、ここに眠る……?」

 ファイが文字を読む。

「嫌だ、誰かのお墓じゃないの?」

「どうしてこんな変な場所で待ったりするのよ」と青くなるイオタとは別のことを、シータは考えていた。町の風の神の礼拝堂で手に入れた『大地の女神の体内にて、脈々と流るる命の鼓動、眠れる石のまなざしは、神の息吹の通り道』という言葉が、頭の中に浮かんでくる。これはもしかして『眠れる石』なのではないか。さらに靴屋の主が教えてくれた『地下水路に響く亡霊の泣き声』というのが『神の息吹』と同じものをさしていて、それがずっと聞こえているこの奇怪な音のことだとしたら――。

『風王の冠』はこの先にあるのか。期待を込めてタウに視線を投げると、ラムダに耳打ちしていたタウもシータを見た。だが唇の前で人指し指を立てている。今ここでは言うなということなのか。

「こんなところに長居は無用だわ。さっさと帰るわよ」

「そうだな、ローの家族も心配しているだろうし」

イオタの悲鳴まじりの提案にタウがうなずいたことに、シータは驚いた。

 調べてきたことを報告する予定だった会合は、ローが行方不明になったことで延期されたため、イオタたち文献担当者はまだ『眠れる石』のことを知らない。声を発しているものの正体はわからないが、ここまできて退くのはもったいないし、みんなに話して、思いきって飛び込んでみたほうがいいのではないか。

 たいまつを手に来た道を引き返すタウを呼びとめようとしたシータは、しかしラムダに腕をつかまれた。ラムダがあごをしゃくった先を目で追い、はっとする。まだかろうじて立ってはいるが、ファイの顔色はあきらかに悪かったのだ。

 そうだった。ファイはイオタに勇みの法をかけてもらい、無理に体を動かしていたのだ。このまま冒険を進めても、きっと途中で倒れてしまうだろう。ローも一見元気そうだが、本当は疲れているかもしれない。だからタウは帰ることにしたのだ。

 目の前の宝の可能性に気をとられて、配慮を忘れていた。シータが唇をかんでラムダにうなずき返すと、ラムダは微笑み、シータの肩を軽くたたいて歩きだした。

 イオタたちも移動を始める。ただしローはヴェルベナが寄りそっているため、少し離れて歩くようみんなから言われて渋い顔を見せた。

 そして七人は、地上を目指した。



 二日後、授業を終えたシータは、ファイの見舞いに行くというタウとラムダについていくことにした。

 地上に出るなり力つきて倒れたファイは二日間眠り続け、今朝ようやく目を覚ましたらしい。登校前に立ち寄ったというタウの話を聞きながら家に着くと、ファイの母親に迎えられた。案内されて二階に上がり、タウが扉をたたく。返事があったので開けると、ファイは寝台で上体を起こしていた。

 寝台のそばには窓があり、心地よい風が吹き込んできていた。壁には色毛糸を使って絵画を織りだした厚手の大きな布が一枚、かけられている。また、高い位置にはとまり木のようなものがいくつかあった。寝台と反対側の部屋の隅には、大きな本棚が一つ幅をきかせ、隣に机が置かれている。思っていたよりも本の数が少ないなとシータが眺めていると、ファイが言った。

「よく読むものしか置いていない。後は全部地下の書庫にあるから」

 書庫などあるのか。シータがファイをふり返ると、枕元にも分厚い本が一冊置かれていた。今日起きたばかりだというのに、もう読書していたらしい。

『風王の冠』探しの件を尋ねるファイに、イオタたちがまだ調べ物を続けているとタウは答えた。ファイが登校してきたら、すぐ話し合いをすることになるからと。ファイが休んだことに対してイオタがぶりぶり怒っていたぞとラムダが笑ったが、予想がついていたのかファイは何も言わなかった。

 そこへファイの母親が人数分の果汁を運んできた。とても鮮やかな黄色の果汁は匂いもよく、おいしそうだ。さっそく口に含んでみると、いろいろな果実の味がした。濃厚なのにすぐにさっぱりした味に変わるのがおもしろくて、シータは一気に飲み干した。

「昨日、イフェイオン先生に会ってきた」

 学院長に事情を説明して、住まいを教えてもらったとタウが話すと、ファイは興味を示した。

「あの盗賊、もとはゲミノールム学院神法学科生で先生とは同期だったそうだ。今の俺たちのように一緒に冒険をしていたらしい。それが神法学院に進学してから問題を起こして退学になったとかで、何年か行方不明になっていたんだが、いきなり盗賊として現れると町で好き放題しはじめたそうだ。捕まったときには二十人以上の人間を殺していたから、すぐに絞首刑になったんだが、『戻りの水』を飲んでいて彼は死ななかった。そこで当時ゲミノールム学院に在職中だった先生は、逃げた彼を追って仲間と地下水路に入り、彼を見つけたんだ。地上へ戻ってきちんと罪をつぐなうよう説得したが、彼は耳を貸さずに逆に攻撃してきたので、しかたなく首をとったらしい。切り離された体は動かなくなったが、首だけはまだ元気で、しかもすぐに復活をはじめたから、『急ぎの水』に沈めて封印したということだ」

「周りにいた髑髏は?」

「彼に従っていた連中だ。先生たちを手引きしたと勘違いされてその場で彼に殺されたらしい。先生たちは葬ってやろうとしたんだが、彼の強い念に引きずられたのか首は木箱のそばを離れなくてな、体だけ持ち帰って埋葬したそうだ」

 予定では、その後風の神法士を連れていって、ファイがかけたように風化の法で完全に消滅させるつもりだったが、神法学院の教官職に就くことが決まったイフェイオンはすぐに発たなければならず、仲間に託してフォーンの町を去ったという。

 てっきり仲間が後始末をしてくれたものと安心していたらしく、今回タウたちが訪問したとき、イフェイオンはひどく驚いたようだ。だがもうかなり昔のことなので、いまさら当時の仲間を問い詰めることもできない。何よりタウたちが倒してしまったため、その必要もなくなった。タウとラムダはイフェイオンから感謝と謝罪の言葉をもらい、帰途についたという。さらにタウは、イフェイオンが封印を解いたファイと話をしたがっていることを伝えた。ファイの具合がよくなったらみんなで顔を出すかという提案に、ファイもうなずいた。

「それにしても、いったいどこで『財宝を隠している』なんていう噂に変わったんだろうな」

 ラムダが寝台のそばの椅子に腰を下ろし、ぼやく。確かにイフェイオンの仲間がきちんと事を終わらせていれば、長年放置されることにはならなかっただろうし、真実がゆがんで伝わることもなかったに違いない。

 噂が噂を呼び、興味本位であそこに行った人間も数多くいるのではないか。そして髑髏と封印のおかげで木箱が開けられず逃げ帰った者は、さらに憶測でおおげさに語って事実をねじ曲げ、運悪く髑髏に捕まった者は――散乱していた白い骨のかけらを思い出し、シータは寒くなった。へたをすれば、自分たちも同じ道をたどっていたかもしれないのだ。

「しかし、今回はヘイズルたちだけのせいじゃないから、どうもすっきりしないよな」

「ローを追い詰めたのはたしかだが、落ちたのはロー自身の責任だからな」

 大きくのびをして足を組むラムダに、タウも苦笑する。ローの話になったので、シータは「あ、そうだ」と手を打った。

「私、昨日ローの家に遊びに行ったの。蛇とか蜥蜴とかがたくさんいたからびっくりしたけど、みんな人なつっこくてね。慣れるとけっこうかわいいよ。ヴェルベナなんか私のひざの上で寝たんだよ。彼女、遠い町からわざわざ取り寄せたんだって」

 シータの報告に三人が頭をかかえる。三人ともローの部屋に入ったことはあるが、そこに同居している生き物のことを嫌うまではいかなくても、かわいいとは最後まで口にできなかったらしい。「思わぬところで理解者が現れたな」とラムダがあきれ顔で頬をかいたとき、鋭い鳴き声が響き、羽音が近づいてきた。窓辺に降り立ったのはきれいな茶色い毛並みの鷹だ。右脚には青い輪をはめている。

「よう、へオース。今、お戻りか?」

 二、三度足踏みしてから体の安定を保った鷹は、ラムダに首をかしげてみせた。

「夕食の時間だから。今日は収穫がなかったみたいだ」

「ローの家に行けばいくらでも食い物があるぞ」

 ラムダが笑う。ローが聞いたら間違いなく激怒するだろう。

「あれってファイが飼ってるの?」

 へオースが羽ばたいて室内のとまり木に移動する。シータの質問にタウが答えた。

「ああ。前に荒れ地を冒険したことがあって、そのとき巣から落ちているのを見つけたんだ。どういうわけかファイになついたから引き取ってもらった」

「親鳥は?」

「近くに死んでいた鷹がいたから、もしかしたらそいつだったのかもな」

 鳥に好かれるのは、ファイが風の法を操れるからなのだろうか。凛々しい風貌のヘオースにシータがみとれていると、ラムダが眉根を寄せた。

「おい、何なんだ、この大量のチカラグサは?」

 ラムダに蹴り出されたかごいっぱいのチカラグサが、こぼれて床に落ちる。まだ青々としている細長いチカラグサの葉にシータはうろたえた。全部捨てられたと思っていたのに、まさかそのまま置かれていたなんて。

「これってたしか育毛剤に使うやつだよな?」

 ラムダが黄赤色の瞳を細めてファイの額のはえぎわを見る。

「普通の体力回復剤にも微量だけど使用する。もらいものだけど、せっかくだから調合の割合によってどれくらい効能が違うか、中級薬学での自由研究課題にしようと思って。育毛剤、作ってほしいの?」

「カラモスのおやじさんやヒドリー先生に効き目が現れたらな」

 薄い髪の代表ともいえる二人の名をあげてラムダが大笑いする。カラモスのつるつる頭と、後退しつつある炎の法担当教官の前髪を思い浮かべ、シータも噴き出した。そして、目はあわせないものの冷静に切り返してくれたファイに感謝した。自分がやったと名乗り出れば、ますますラムダにからかわれたことだろう。

 ほっとしたシータは視線を感じて頭上をあおいだ。自分は事実を知っているぞとばかりに、へオースが一度翼を広げて短く鳴いた。


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