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風王の冠  作者: たき
7/11

(7)

 翌朝、シータはカラモスにもらった剣をはき、闘技場を目指した。空は風の神が法衣を広げているかのごとく、一面澄んだ青色をしている。

 約束の時間である八時より少し前に着き、集合場所の扉を開くと、みんなはすでに来ていた。まだ朝の空気はひんやりしている季節だが、タウとラムダは半袖姿で、服の上には使いこんだ防具を装着している。イオタとミュー、ファイも杖こそ持っているものの、今日は法衣をまとわず、動きやすい格好をしていた。だがファイは体調が戻っていないのか一人だけ椅子に座り、青い瞳もどことなくぼんやりしている。

「結論から言う。ローは地下水路にいる」

 タウが円卓に地図を広げて説明した。

「手下の話によると、ヘイズルたちに追い込まれたのが北の廃屋で、ローはそこの涸れ井戸へ落ちたらしい。先に俺とラムダで行ってみたが、ローの姿はなかった。縄を張って下りたら、人為的に掘られた横穴があって地下水路へ通じていたんだ。地図だとここにつながっている」

「ローは地下水路で迷子になってるってこと? 井戸の横穴は自分で掘ったのかしら?」

 イオタの問いに、タウは地図を丸めながらうなずいた。

「戻ってこないところをみると、たぶんそうだろう。井戸自体はそれほど深くなかったし、本人もいなかったから、移動するだけの元気は残っていたんだと思う。穴はとてもではないがロー一人で掘れるものではなかったから、もとからあったものだな。誰かが抜け道か何かのために作ったのかもしれない」

 一応穴の奥に向かって呼びかけてみたが応答はなかったと、タウは答えた。

「このこと、ローのご両親には話した?」

「いや。ローのお母さんは寝込んでしまっているらしいし、市長も市長舎にこもりっきりで、面会の許可が下りなかったんだ。警兵の詰め所に行くことも考えたが、ローは俺たちの仲間だからな。ここはできれば俺たちの手で見つけたいと思う」

「何もせずに、ローが無事に帰ってくるのを待つだけというのは、いくらなんでも薄情だろう」

 タウとラムダの言葉に、イオタは腕を組んだ。

「まあ、それはそうだけど……風王の冠を探さなきゃいけないってときに、手間をかけさせるんだから」

 後でたっぷりおごってもらわないと割があわないわよとぼやくイオタに、タウたちも苦笑いをこぼした。

 風王の冠について調べる者とローを捜す者に分かれるかという案も出たが、結局みんなローを捜すほうを選んだ。時間がもったいないといえばもったいないが、このところ毎日情報集めにかかりきりで頭の中が煮えてしまっていたので、正直なところ、少し宝探しから離れて違うことをしたいという気持ちもあったのだ。

 また、地下水路へは涸れ井戸を使わず、きちんとした出入り口から進入することにした。せまい井戸を一人ずつ下りていくのは大変だし、ローが抜けたと思われる穴も小さくて、一番体の大きいラムダは通れなかったという。

 それに、もしローがけがでもしていて動けない状態だった場合、井戸から引き上げるのは困難だ。

 六人はたいまつや非常食など必要なものを確認し、タウを先頭に出発した。ラムダ、イオタ、ミューと続き、シータもミューの次に控え室を出たが、そのとき後ろからファイにぼそりとささやかれた。

「チカラグサは育毛剤の主要材料」

「ええっ!?」

 シータの大声にタウたちがふり返った。笑ってごまかすシータの横をファイは無表情で過ぎていく。シータは慌てて追いかけた。

 資料を見て知っている薬草を探してきただけで他意はないのだと、必死に弁解する。ファイは無言で聞いていたが、やがて一つ息をついた。どうやら怒ってはいないようだ。ほっとしたものの、自分の馬鹿さかげんにシータは落ち込んだ。どうしてファイに対してだけは、いつもいつも悪いほうへ転がってしまうのだろう。

 はああと長大息を吐き出したシータはふと、ファイの杖に目をとめた。昨日まではたしか専攻である風の神の紋章石しかなかったはずなのに、今日はさらに三つの紋章石がはめ込まれている。タウに聞いたとおり、本当に他の紋章石も持っていたのだ。

「それ、今までどこにしまってたの?」

 きっと答えてはくれないと思ったが、驚いたことにファイから返事があった。

「ここが動くようになっているから」

 ファイが杖の上部を押す。すると木がずれて三つの紋章石を覆い、もう一度先端を引っ張ると隠れていた紋章石が再び姿を見せた。

「へえ、おもしろいね」

 普段他の紋章石を隠しているのは、やはり風の法専攻生だということを示すためなのだろうか。

「紋章石ってもとからこういう形をしているの?」

「違うよ。原石がそれぞれの神の守護する聖域にあるんだ。そのまま使用すれば法術の制御がきかなくなるから、神法院で紋章の形に加工しているらしい」

 それを紋章石と呼ぶのだと聞き、シータはなるほどと納得した。

「私たちにも守護神っているの?」

「いるよ。知らずに過ごす人は多いけど、人間はみんないずれかの神に守られているんだ。タウは炎の神だし、ラムダは水の女神、ローは大地の女神の守護を受けている」

「それってどうやったらわかるの?」

「法術をかけてみれば判断できる。守護神の属性と同じ法術は、他の法術をかけたときと効果が違うから。あとは勘がよければ」

 ファイはシータの眼前に杖を突き出した。

「どの紋章石が一番光って見える?」

 シータは四つの紋章石を順番に凝視した。

 大地の女神の力を象徴する紋章石は黄色で、四角い形をしている。炎の神は赤色の三角形で、水の女神は銀色の円。風の神は青い右肩上がりの『Z』だった。

「どれもきれいだけど」

 さらに目を凝らしていると、青い紋章石が燃え上がったような気がした。

「これ。今この紋章石が燃えた」

「青い紋章石なら風の神だ」

 一言だけ告げてファイが離れる。その横顔がはにかみをまぜた優しい色だったことを、シータは見逃さなかった。

 はじめて会話らしい会話ができた。

 これは完全に許してもらえたということなのだろうか。はずむ気持ちをかかえながら、シータはみんなの後を追った。



地下水路への入り口は、ローが落ちた涸れ井戸よりずっと南にあった。もう何年も人が出入りしていないのか、かたく閉ざされた鉄の格子門はさびついている。鍵はかかっていなかったので、仲間内では力の強いラムダとタウが二人がかりで押してみたが、開きそうで開かない。そこで二人は力をためて格子門を蹴った。何度かガンガン蹴り続けているうちにようやく開いたが、今度は衝撃が強すぎたらしく、とめ具がはずれて門が倒れてきた。

 ガシャァァァァン!

 響き渡る金属音が脳内に突き刺さり、シータはくらくらした。なめてもいないのに、音を聞いただけで口の中に鉄の味が広がり、つばがたまる。

 早々に避難したのでけがはなかったものの、六人は地面に横たわった格子門をしばし無言で見つめた。

「どうするのよ」

 壊したことがばれたら怒られるわよと言うイオタに、タウとラムダは頬や鼻の頭をかき、周囲を見回して自分たち以外に人がいないのを確認してから、邪魔にならない草むらまで格子門を運んで寝かせた。草がひざ丈くらいあるので、うまい具合に隠れてすぐには見つかりそうにない。そもそも、誰も使っていないから開きが悪かったのだ。それならイオタが心配するようなことにはならないのではないかとシータは思った。ラムダも「次に来た人間が通りやすくなっていいじゃないか」と笑った。

 とりあえず修理するかどうかは後から考えることにして、六人は地下へのびる階段を下っていった。

 チチチチ、キキッ、ドトトトトトッ

 階段を下りきったところでタウとラムダがたいまつに火をつけると、ネズミの鳴き声とたくさんの足音がいっせいに散っていった。燭光に照らされた地下水路はあちこちに黒ずんだ緑色の苔が生え、足場はひび割れている。明かりが届かぬ先は闇に包まれ、水路を通る水の流れと水滴の調べ、小動物が鳴きながらはいまわる気配がやけに響いた。

「ああもう、ローの馬鹿。どうしてこんなところに入ったりするのよ」

 イオタがミューの腕にしがみつく。ミューのほうは意外に平然としていた。たいまつを持ち、ラムダとタウが地図を確認する手伝いをしている。ファイは黙って暗闇を見据えていた。

「ちょっと、いつまでじっとしている気? ファイ、さっさとローを捜してよ」

 周囲でネズミたちが再びカサカサと活動を始める。やつあたりするイオタに、ラムダがにやりとした。

「今からびくびくしているようじゃ、亡霊でも出れば気絶するな」

「よけいなお世話よっ」

「静かに。ファイ、頼む」

 タウの一声で皆は口をつぐんだ。ファイが深呼吸して唱えだす。

「青き衣をまといて碧空を巡りし風の王カーフ。来たれ、青き翼を広げし御使い。不可視の王の御元にて汝もまた不可視の存在なり。我、王の眷属にて汝を迎えん。今ここに風の道あり。されば汝の姿、見せしめよ」

 ファイが杖で宙に大きく風の神の紋章を描く。するとその部分だけ空気が切り取られたかのように光の筋が走り、微風がそよいだ。

 キュー、クルルルルル……

 かん高い鳴き声とともに、青みがかった光の翼をはばたかせ、半透明に輝く鳥が光の筋をくぐるようにしてこちらの世界へ現れた。鳥はファイの頭上で一度旋回すると、長い尾をなびかせながら地下水路の奥へ飛び立った。

「いつ見てもきれいだな」

 具現化された風の神の使いに、タウが感嘆の息をつく。ラムダが笑った。

「風の神って絶対面食いだぞ」

「馬鹿なことを言ってないで、さっさと追うわよ」

 イオタがラムダの背中を押す。たいまつを持つタウとラムダが先頭を行き、次にタウから地図を預かったイオタとファイが、そして最後にもう一本のたいまつを手にしたミューとシータが続いた。しばらくすると風の神の使いが戻ってきて、今度は六人の目に映る範囲内で飛ぶようになった。シータたちは暗闇に白く浮き上がる鳥の姿を追いながら進んでいった。

 ピチャン、ピチャン、と石造りの通路をうがつ水滴の音が、湿りにごった六つの靴音とまざりあう。歩き出してから、六人はほとんど口をきかなかった。地下水路自体はそれほど入り組んではいないが、構造が似ているためにかえって迷いやすく、すぐにわからなくなってしまいそうだ。イオタが地図に通過経路を書き込んでいっていなければ、同じ場所をぐるぐる回っているように思えただろう。

 しかも最初に地下水路に下りたときは、日が当たらないせいかひんやりとして気持ちよかったが、今は少し汗ばんでいた。風がないからだろうか。脇の水路を流れる水音のおかげで多少は涼しさを感じられるものの、服が体に張り付いてくるのは気持ち悪い。

 その水路の水も、清流のようにサラサラした音色を奏でていたかと思うと、大きなたらいの水をひっくり返したように急にザザーッと激しくなるので、聞いていて落ち着かなかった。ところどころで他の水路と合流しているのかもしれないが、先の見えにくい薄闇の中でいきなり音が変わると、びっくりしてしまう。

「そういえば、この前酒場に情報収集に行ったとき、昔ここには盗賊が住んでいたって酔っぱらったおやじが言ってたな」

 足元に落ちていた木片を蹴ってラムダが言った。

「その盗賊は宝を守るために、自分の殺した人間の生首を宝の周りに並べたらしい。またその生首が動いたりしゃべったりするとかで誰も近づけなくて、今も宝は手つかずで残っているそうだ」

「その宝というのは、風王の冠と関係がありそうなの?」

 ミューの質問に、ラムダは「さあ、どうだろうな」と肩をすくめた。

「宝探しの情報は町で店を経営している人間にしか渡されていないから、客だったそのおやじの話はただの噂話だと思うが。でも手に入れた宝の情報の中に、『地下水路に亡霊の泣き声が聞こえる』っていうのもあったから、案外どこかで結びついているのかもしれないな……おっ、部屋があるぞ」

 ラムダが示した方向にタウがたいまつをかかげる。次の角を曲がる手前に、木戸のはめ込まれた小部屋らしきものがあった。もしかしたらローがいるのではないかと期待がふくらんだが、案内をする風の神の使いはあっさりと部屋の前を素通りした。タウとラムダも無視して行くのかとシータは思ったが、二人は小部屋の前で立ちどまった。

「倉庫か何かだろうか」

「案外、盗賊の宝とやらが隠されていたりしてな」

 ラムダが木戸を押す。本人は軽く触れたつもりだったようだが、木戸が腐っていたらしい。またもや金具が取れてバタァーンッと部屋の奥側へ倒れ込んだ扉を見て、イオタが大きく息をついた。

「あんたって……馬鹿?」

 どうして二度も同じことをするのよとしかられ、ラムダは褐色の髪をかいた。そして扉を直そうと部屋に踏み込んだが、すぐに「うわっ」と叫んで飛び出してきた。ラムダに体当たりされたタウは、あやうくたいまつを落としそうになった。

「いったい何をやっ……」

 言いかけてタウもかたまる。開かれた小部屋をのぞいたファイも眉間にしわを寄せた。

「何よ?」

「見ないほうがいい」

 ファイの制止も聞かずに中を見て、イオタは絶叫した。

「きゃああああっ!!」

「イオタ、落ち着けっ」

 隣のファイにしがみついたイオタをラムダは引き離そうとしたが、我を失ったイオタは抵抗してさらにファイをしめあげた。助けようとすればするほどもがくイオタに、手を出すべきかどうかみんなが迷っていると、タウが背負っていた袋から小瓶を取り出した。ふたを開けてイオタの鼻へ近づけたとたん、もがいていたイオタがふっと力をゆるめる。倒れるイオタを片手で抱きとめたタウは、長大息をついた。

「持ってきて正解だったな。鎮静の効果があるんだ」

 イオタは完全に落ち着いたらしい。目をしばたたいてきょろきょろしてから、「あら、嫌だ。私ったら……」と恥ずかしそうにタウの手をほどいた。

「さすがは香料屋の息子。無事か、ファイ?」

 ファイがむせながら片手を挙げ、大丈夫とラムダに意思表示する。その間にミューと一緒に部屋を見たシータは、ふたの閉まった宝箱のような形の木箱と、木箱を囲む三つの髑髏を目にした。薄茶色の木箱には鍵がついておらず、また髑髏は完全に白骨化しているもの、まだわずかに髪の毛が数本残っているもの、肉がところどころ薄く張りついているものとある。さらに、眼球のなれの果てのようなものや小動物の死体が、中途半端にひからびてへしゃげた状態でどくろのそばに転がり、踏み砕かれた人骨のかけららしき白いかたまりも床一面に散らばっていた。

「うわっ、気持ち悪いなあ」

「ラムダが酒場で聞いた話って、きっとこれのことね。本当だったんだわ」

「あんたたち、おかしいわよ」

 冷静に会話するシータとミューに、イオタがげんなりとした顔つきで頭を振った。

「お、動いた。こっち見てるぞ」

「やめてよ。いちいち報告しないでっ」

 ラムダの言葉にイオタが耳をふさぐ。ようやく咳のとまったファイが、あらためて木箱と周りに置かれている三つの髑髏を凝視した。

「かけられた法術がまだいきてるんだ。解呪すればなんとか……」

「中のお宝が拝めるんだな?」

「ちょっと、ローはどうするのよ? 寄り道している場合じゃないでしょ」

「そうだな。今はローを捜すのが先だ」

 タウもイオタの意見にうなずいたので、やる気満々だったラムダは残念そうな顔になった。

「しかたないな。こいつは後回しに……ファイ?」

 それまで髑髏と木箱を見つめていたファイが、はっとした表情で天井を見上げた。続けてイオタとミューもびくりと体を揺らし、同じように落ち着かなげにあたりを見回す。

「何これ……?」

 イオタが両腕をさすりながらつぶやき、ミューも緊張した面持ちで唇を結んだ。

「どうかしたのか?」

 神法学科生三人の様子の変化に、シータたちは不安を覚えた。武闘学科生には感じられない何かが周りで起きているのか。

 ラムダの問いに、少し間を置いてファイが答えた。

「閉じ込められた」

 シータは眉根を寄せて、タウ、ラムダと顔を見合わせた。自分たちは通路にいるのに、閉じ込められたとはどういう意味なのか。

「たぶん、あれね」

 イオタとミューが部屋の中の木箱に視線を投げる。

「どういうことだ?」

「今、私たちは誰かが作りだした空間の中にいるの。出口を見つけるか、空間を作りだした相手を排除しないかぎり、元の世界へは戻れないわ」

「あれがその空間の主みたいよ」と木箱を指さしたイオタは、ラムダをにらんだ。

「あんたがこんな部屋の扉を開けるからよ」 

「さっきと何も変わっていないように見えるんだが。というか、あれってお宝じゃないのか? 噂と全然違うじゃないか」

 ラムダが困ったように木箱を見やる。シータの目にもおかしなところはないように映ったが、イオタたちは冗談を言っている顔ではない。それに、先ほどまで道案内をしてくれていた風の神の使いの姿も消えていた。相変わらず風はないし、水音も響いているので、にわかには信じられなかったが、やはり自分たちは異空間に封じ込められたということなのか。

「どうする? 出口を探す?」

 尋ねるイオタにファイはかぶりを振った。

「発信源がわかっているなら、それをたたいたほうが早いと思う」

「大丈夫かしら? 異空間を作るような相手なのに」

「やってみて、だめならまた考えればいい」

 不安そうなミューにそう告げて、ファイは全員を見回した。

「まずはあの髑髏をどけよう。木箱の中のものに縛られているみたいだから、最初にミューの清めの法でつながりを断つ。髑髏にしみついた力はそれだけではすぐになくならないだろうけど、イオタの業火の法でなら髑髏ごと消してしまえるはずだ。その後で、木箱にかかった大地の法の封印を僕が解除する」

「冗談じゃないわ。私は嫌よ。あんなものに神経を使うなんて」

「それなら僕が業火の法をかけようか?」

「…………やるわよ。やればいいんでしょ」

 好きこのんで陥った状況ではないとはいえ、自分の出番を奪われるのはもっと気分が悪いらしい。イオタは渋々といった様子で承知した。

「タウたちは髑髏の相手を頼む。イオタの法術が発動するまで何とか抑えてくれ」

「了解」

 タウとラムダがそろって答える。シータも二人にならって剣を抜いた。人間以外と戦うのは初めてだ。しかもここは別世界だという。シータは剣をにぎる手に力を込めた。

 六人が部屋に入ると、床板がミシリと音を立てた。通路は石を敷き詰められているが、室内の床は板張りで、しかも歩くと何となくブワブワしている。ところどころ黒ずんでいて亀裂や穴もあった。長年の湿気のせいで、扉のように傷んでいるのかもしれない。

 それまで好きなほうを向いていた三つの髑髏がくるりと向きを変え、シータたちにくぼんだ目を向けた。踊るように左右に頭を揺らしながら、カタカタカタッと歯をかみ鳴らす。

 タウがファイを見やり、ファイがミューに目で合図を送る。その刹那、髑髏がいっせいにシータたち武闘学科生に飛びかかった。

 ガッ!

 最初の一振りが髑髏の一つに命中する。両断まではいかなかったが、頭蓋骨にひびを入れることができた。これならいける!

 確かな手ごたえに自信をもったシータは、そのまま一つの髑髏に狙いを定めて突進した。だが二発目、三発目はかすりはしても、致命傷になるほど決まらない。むきになって剣を振るうち、いつの間にか前に出すぎていたらしい。

 木箱の角につまずいて前のめりになったシータを、タウが後ろからつかまえて引き戻した。シータは礼を言おうとしたが、タウはすぐに顔をそらすと襲撃してきた髑髏を剣でたたき落とした。シータも自分が相手にしていた髑髏が襲ってきたので、慌てて剣をなぐ。だが今度はシータの剣にはじかれた髑髏が、運悪くラムダの背中にぶつかってしまった。

「いてっ」

「ごめんっ」

 うめくラムダにあやまったが、余裕がないのかラムダはいつものように笑みを返さない。その後も好き勝手に飛び回る三つの髑髏にいいようにからかわれ、三人の攻守はなかなかかみあわなかった。タウとラムダは何とか味方の動きを把握して戦っていたが、それをどうしてもシータが乱してしまうのだ。おまけに床板のきしむ音は大きく、いつ踏み抜いてもおかしくないほどなので、ついつい足元を気にして思うように集中できない。あせればあせるほど仲間にぶつかったり邪魔したりでむだに生傷を増やしていくシータたちに、ファイはそのつどミューの代わりに治癒の法をかけるが追いつかない。

 武闘学科生三人がそうして苦労しながら髑髏を引きつけている間に、ミューが清めの法を口にした。

「波にたゆたうがごとく流るるは銀の髪、水を統べる崇高なる女王エルライ。御身よりあふるる純粋にして清冽なる滴を降らさしめ、我が前にある不浄なる地を清めたまえ」

 ミューが杖で宙に円を描く。杖の軌跡が光り、ミューの全身が月の粉をまぶしたように銀色に輝いた。

 とたん、髑髏たちはあごがはずれそうなほど口を開閉しながら、むちゃくちゃにはねまわりはじめた。予想のつかない髑髏の飛行にシータたちもかわすだけで精一杯となり、ますます場が混乱する。そんな中、髑髏たちの目がミューに向いた。自分たちと木箱の中にあるものとのつながりを切ろうとしているのが、ミューであることに気づいたのだ。

 はっとしたシータはミューを守りに走ろうとしたが、ラムダのほうが早かった。ラムダは詠唱を続けるミューの前にすばやく移動すると、飛んできた三つの髑髏を自分の槍でまとめて串刺しにした。

 周囲に白い粉末が散る。眉間から鼻頭にかけてのあたりに差し込まれたラムダの槍は、頭蓋骨を見事に貫通していた。

 シータはほっとしたものの、髑髏の来襲にもひるむどころか顔色一つ変えなかったミューに驚惑した。まるでかばってもらえるのがわかっていたかのようだ。

 いや、疑っていなかったというべきか。きっと今までも、神法学科生の詠唱中は武闘学科生がきっちり援護してきたに違いない。

「御目よりこぼれるは憂いの涙、慈愛の涙。涙は貴き力にして至上の宝玉なり。(よこしま)なるものは滅び、病めるものは安らかに。今ここに悪しき鎖は断たれ、祝福の地はよみがえる。万物をいとおしむ慈悲深き女神エルライの名において」

 ミューの言葉が終わると同時に、空中に浮かぶ水の女神の紋章がさあーっと宝箱へ滑り降りた。紋章から滴り落ちる朝露のような銀の光が木箱の周辺へ広がっていく。と、それまで何の変化もなかった木箱のまわりから、灰黒い煙がゆらゆら立ちのぼりはじめた。

 水の法に清められたことで、髑髏たちは木箱の中にあるものの呪縛から解放された。しかしファイが言ったとおり、それでおとなしくなるほど単純な関係ではなかったようだ。髑髏たちは最後の力をふりしぼるがごとく、口を開閉させながらラムダの槍を器用に登りだした。

「うわっなんだ!?」

 ラムダは振り払おうとしたが、髑髏は骨が砕けるのもかまわず、槍に貫かれたまま切っ先から柄のほうへズッズッズッと進んでくる。捨て身の攻撃で挑むつもりなのか。

「イオタ、急いでくれっ」

「はいはい、わかったわよ」

 骨のかけらを飛び散らせながらはい上がってくる髑髏に、ラムダが悲鳴に近い声で叫ぶ。イオタはそれに応え、髑髏に向けて業火の法を唱えはじめた。

「赤き深淵に御身を寄せし炎の王レオニス。昼の朋友にして闇を照らす、はざまにあっては善き者に光を、悪しき者に裁きを」

 ラムダは槍を床に突き刺して、柄へ向かってくる髑髏たちを足で踏みつけた。だが首だけとはいえ三対一、さすがにおされていく。

「その精悍なる御目はすべての敵を射すくめん。その強健なる御腕はすべての敵を打ち砕かん。その勇猛なる御心はすべての敵を退けん。今、我が前に不浄の敵あり。されば聖なる炎にて天刑とし、業ある者に報いを!」

 イオタが杖で大気中に三角形を描くと同時に、ラムダは後方に飛びすさった。紋章が髑髏たちをのみ込み、業火の炎を噴き上げる。生死の理からはずれて久しい髑髏たちはそのとき初めてほえ狂い、フオォォォッと突風のような声音でうなりながら燃えつきた。

「やれやれ。保護の法術がかかっていてよかったな、相棒」

 炎にまみれながら少しのこげめもない槍を引き抜いたラムダは、靴についたいくつもの歯型に眉をひそめた。一仕事終えたイオタが長いれんが色の巻き毛をふり上げる。

「さあ、ファイ。あんたの出番よ。ここまでして解呪できなかったら、袋だたきじゃすまないからね」

 髑髏は無事に取り除いたが、自分たちはまだ別世界にいるのか。やはりあの木箱の中にあるものを倒さない限り、元の世界には戻れないのか。

「イオタの炎で木箱ごと燃やせないのか?」

 ラムダの質問に、イオタは首を横に振った。

「無理だと思うわ。大地の法で封印されているくらいだから、ちょっと燃やしただけであっさり消えてなくなるようなものじゃないってことよ」

 つまり、相当手強い相手だということか。何度見てもただの木箱にしか思えないのに、いったい何が入っているのかと、シータは生唾を飲み込んだ。

「解呪するから下がって」

 ファイがゆっくりと木箱へ近づいた。皆が移動する中、シータはファイのそばに残ろうとしたが、イオタに引きずられて結局部屋の外に出ることになった。

「解呪ってそんなに危険なの?」

「当然よ。神様は頼まれて力を貸したのに、後から別の人間が来て『なかったことにしてくれ』ってお願いするんだから。神様は根性が曲がっているから、解呪する者の術力が先に法術をかけた者よりも上でなければ協力してくれないのよ」

「おいおい、神法士を目指す人間がそんなことを言っていいのか?」

 イオタの大胆な発言にラムダが苦笑する。

「とにかく、解呪の中に『さらなる絆に結ばれし者』って一文があるのはそのためよ。術の力が高ければ高いほど、神様との絆は深いってことだからね。それで実際に術力が下回れば『嘘つくな』って神様が怒って罰が飛んでくるの」

「それってすごく危ないんじゃ……」

 もし封印した者のほうがファイより上なら、ファイはどうなるのか。青ざめるシータにミューが微笑した。

「心配ないと思うわ。ファイは本当に危険なときは避けるもの」

「力量を見極められるのも大事なことよ」と言われ、シータはほっとした。それなら今回ファイはできないとは一言も口にしていないのだから、きっと大丈夫なのだろう。

「お、始まるぞ」

 ラムダのかけ声に全員黙る。五人は部屋の入り口に顔を寄せ、ファイが解呪するさまを見守った。

生命(いのち)をいだき育む、豊かにして美しき母なる大地。そはサルムの御名にてサルムの御身なり。我は恵みの女王の眷属にして、さらなる絆に結ばれし者。されば今ここに豊穣の女神サルムの御名において、クルキスの定めし理にそむく永遠の時に新たなる砂の流れを与えん」

 よどみなくつむがれたファイの祈りにあわせ、木箱が黄色く輝き、地面が軽く振動した。目を細めるシータの前でファイの姿がぱあああっと光華の中に消える。次にシータの視界が晴れたとき、ファイは変わらず同じ姿勢で立っていた。

「余裕の成功って感じね」

 イオタがややひがみ調子で言い捨てる。五人が来るのを待って、ファイはひざを折ると木箱に手をかけた。意外にしっかりした作りらしく、両手でゆっくりとふたを押し上げる。ギイイイッと重い扉が開くような低い音を立てながらふたが開いたとたん、イオタが悲鳴をあげてシータの腕にしがみついた。

 木箱の中に入っていたのは、壮年の男の生首だった。しかもあふれんばかりの液体に沈む首は傷一つなく、たった今切り落とされたばかりのようにみずみずしい。

「ただの生首に見えるが……」

「誰なのかな?」

 イオタから解放されて軽くなった左腕を回すシータに、ラムダは首をすくめた。

「さあな。ここまで厳重に封印されていたんだから、よっぽどすごい人物なんだろうよ」

生首の口はうっすらと開き、閉じられた目の淵はやや青くなっている。血色は悪いが、まだ生きていると言われてもおかしくはない様子だった。

「案外、その盗賊本人のものだったりして」

「もしそのとおりだとしても、いったい誰が何のためにこんなところに封印したんだ?」

腕組みをしたタウは、動かないファイを見下ろした。

「どうだ、ファイ?」

「妙な『気』は確かにこの生首が発してる」

「じゃあこれを壊せば元の世界へ戻れるんだな?」

「たぶん。ただ、この水……ただの水じゃないように見えるんだけど」

「まさか、水にも法術がかかっているとか言うんじゃないだろうな」

 ずっと生首を見つめていたファイの形相が不意に変わった。シータも異変に気づいた。薄茶色だった木箱がみるみる黒ずんできている!

 急いで木箱を閉めようとしたファイの指が、頑丈そうだったふたをバキッと砕いた。同時に木箱全体がボロボロと崩れ、木屑と化す。器をなくした水は床にしみ込み、床板までも変色させはじめた。

 驚くシータたちの目の前で、さらに信じられないことが起こった。それまで沈黙していた生首がかっと両目を開き、ファイの右腕に食いついたのだ。

「ファイ!?」

 シータが助けに入るより先にタウがこぶしではじき飛ばした生首はくるくると回転し、空中で静止した。何かを咀嚼しているその口元は紅をはいたように赤く染まっている。タウの手を借りて後退したファイの腕は肉がわずかにそがれており、ミューがすぐさま治癒の法をかけた。

 その間にも床の腐敗は進み、ついに床板が壊れ落ちて大きな穴があいた。

「美味じゃ美味じゃ。力がみなぎってくる。やはり神法士の肉にかぎるわい」

 生首がけたたましい笑い声を発する。顔はそれほど老けていないのに、低くしわがれた声は老人そのものだった。

「いまいましい『急ぎの水』のせいで復活を封じられていたが、ようやく解放された。貴様らに感謝せねばな」

 やがて生首の切断面からするすると血管がのびはじめた。さらに筋肉もつきはじめ、じわじわと体を作りあげていく姿にシータはぞっとした。

「首だけなのになんで生きてるんだ? それに『急ぎの水』って……」

「『急ぎの水』は物の成長、腐朽化を早める薬だよ」

 傷のいえたファイが答える。

 物の成長、腐朽化を早める薬――だから木箱や床板が急に崩壊したのだ。今まで木箱が無事だったのは、きっとかけられていた封印のおかげに違いない。

「イフェイオンの封印を破るとはたいした子供だ。それにこの血の味……いいぞいいぞ、すばらしい。まずは貴様の血肉をいただこう」

 生首がまだ血のついた舌で唇をなめながら、ぎらぎらと光る目をファイへ向ける。タウがファイをかばって前に立ち、生首をにらみつけた。

「イフェイオン……」

 つぶやいたファイが、はっとしたさまで顔を上げた。

「先々代の大地の法の教官だ」

「どうやら、相当まずいものを発掘しちまったようだな」

 タウの右隣にラムダが並び、槍を構える。タウはイオタを肩ごしに見やった。

「イオタ、もう一度業火の法で……」

「わしに業火の法は効かんぞ」

 生首がにたにたと笑う。まさかとファイをふり返るタウたちに、ファイは唇を引き結んだ。

「たぶん『戻りの水』を飲んだか何かしたんだ」

『戻りの水』は『急ぎの水』とは反対に、物の形を修復する効果がある。相反する二つの水が互いにぶつかりあっていたため、この生首は周りの髑髏のように肉が朽ちることもなく、また元にも戻れずにいたのだ。

「業火の法をかけても、復活するから効かない。でもこの状態では自力で再生するにも時間がかかるはずだ」

「そのとおり。だが貴様の血肉があれば、そんな心配も無用だ。さあ、早くよこせ。しっかり味わって食ってやる」

 生首がいやらしい笑い声をファイに投げる。

 タウの左に立ったシータは、ギシギシと揺れる床板を踏みしめて舌打ちした。先ほどの髑髏との戦いで、もともと傷んでいた床は限界に近い。いつ底が抜けてもおかしくはないだろう。今度は三対一なので髑髏のときよりはタウたちの動きを把握しやすいが、決して戦いやすい状態ではない。

「イオタ、業火の法を」

 ファイの言葉に、イオタは眉根を寄せた。

「はあ? あんた今、これには効かないって言ったじゃない」

「いいから」

 ファイの語調がきつくなる。

「わかったわよ。やればいいんでしょ、やれば」

「むだだ。わしには業火の炎など意味がない」

 同時に斬りかかったタウとシータ、ラムダの攻撃を生首は簡単にかわした。どれだけ素早く剣を振るっても、かすり傷一つ与えられない。自分だけならまだしも、タウやラムダでさえ武器が届かないのだ。そうしている間にも生首からはえる血管や筋肉は形を整え、皮膚が作られていく。その姿にシータは胃がむかついた。生首だけでも十分に気持ち悪いのに、肉や血管がぼこぼこつながっていくさまは、あまりにもおぞましく異様だった。

「ちっ、しつこい奴だっ」

 槍先をかわされたラムダが毒づく。どんなに攻撃しても生首はすぐに再生してしまう。なかなかしとめられないことと増えていくすり傷に、シータはいらだちを募らせた。たった一つの生首に手こずるなんて。しかも生首は完全に自分たちを馬鹿にしているのだ。

「この……!!」

 怒りにまかせ、シータは思いきり剣を振るった。最初の一振りはかわされたが、よける方向を読んでいたシータの続く一撃があたる。顔の半分まで切り込んだが、もがいて無理やり剣から離れた生首が壁ではね返って再びシータを目がけてきたときには、すでに傷口は閉じかけていた。

 生首の攻撃をシータはかろうじてよけたが、体重をかけた右足の下で床板が音を立てた。

 ミシミシ、バキィッ!

 ぎりぎりのところで右足を浮かして左側に体を傾ける。踏み抜いた床板の穴にはまるのを何とか避けたものの、そのまま体勢を崩したシータに、後ろから生首が襲いかかった。

「大気を司りし風の神カーフ。旋風の砦にてかの者の包護を!!」

 間一髪でシータに風の守りが入った。ヘイズルたちの石つぶてを防いでくれたものと同じ風だ。防御の法術を放ってくれたファイに感謝しながら、シータは床板のしっかりしたところまで逃げのびた。

 一方、はじかれた生首はファイの起こした風に切り裂かれたものの、すぐに回復した。だがファイは慌てることなく、剣を振りかざすタウにあわせて『勇みの法』をかけた。

「力と戦の支援者にして荒ぶる炎の神レオニス。王の眷属たるかの者に覇者の祝福を!!」

 ファイが杖で空中に描いた三角形が、赤々と燃えながらタウを囲む。個人の攻撃力を上昇させる『勇みの法』は、かけた人間の勇気を呼び覚まし、振るう武器の威力を増大させる炎の法の一つだ。しかも守護神の法術は他の神の法術よりもさらに効果が高くなる。炎の神を守護神とするタウの剣は、今までシータもラムダも両断できなかった生首を正面から貫いた。

「ぬうっ、おのれっ」

 額に差し込まれた剣から逃れようと生首が暴れたため、タウは剣先を床に突き立てた。そのとき、イオタの詠唱が終わった。宙に刻まれた炎の紋章が、剣から離れたタウと入れ違いに生首に降りかかり、火柱を上げる。炎にまみれた生首はうなり声を発したが、『戻りの水』の影響は強く、燃えつきるまでにはいたらなかった。ひとかけらになったところで再生を始める生首に、シータは歯がみした。業火の法ではやはり生首を倒せないのだ。

 タウとラムダもけわしい面もちで唇をかみしめている。それでも三人が再び武器を構えなおしたところで、ファイがあらたに言葉をつむいだ。

「生まれいずるものあれば息吹を教え、死にゆくものあれば進むべき世界(みち)を示さん。人の生死(たび)を見守るは風の王カーフ。御身は時を運びて巡り巡り、とどまることを好まず。されば万物もまた不変を知らずして崩れさるものなり」

「ぐわっ。そ、それは……!!」

 先に口が復活した生首は悲鳴をあげた。

「そはゆるやかなれど確かなる流れにて、逃れることかなわず」

「やめろっ。やめてくれっ」

「今ここに気高き翼あり。風の神カーフの御手に導かれ、生あるものは流転の風に、死せるものは混沌の嵐に」

 ファイが空中に風の神の紋章を記す。右肩上がりの『Z』は青白い光の羽となってあたり一面にふわあっと広がり、生首を包み込んだ。

「うおっ……出せっ。やめろぉぉっ」

 急激に荒々しくなった風の渦に、シータは息をのんだ。勢いが強すぎてはっきりとは見えないが、生首は間違いなく再び崩れていっている。ただ、切り刻んでいるのではない。生首を構成しているすべてのものが、一つ一つ無理やりはぎ取られ溶けていっているかのようだ。

「ぐおぉぉぉぉ……!!」

 シータたちが見守る中、生首は抵抗らしい抵抗もできないまま、ついに風とともに消滅していった。

 ふっと空気が変わるのをシータは感じた。景色は同じなのに体がやけに軽い。もしかして元の世界に戻れたのだろうか。

「何とか出られたみたいね」

 風の神の使いが飛んでくるのを見て、イオタが「ひどい目にあったわ」とぼやく。ファイは大きく息を吐くと、腰にさげていた水筒を手に取った。その場に勢いよく尻を落とし、水を一気にのどへ流し込む。その肩に風の神の使いがとまり、羽をしまって短く鳴いた。

「ああやって、宝を探しにきた人間を引っ張り込んでいたんだろうか」

 タウの問いかけにイオタはかぶりを振った。

「誰彼かまわずってわけではないと思うわ。普通に長生きしていた人間ではないし、再生するにしても失われた体までとなれば、『戻りの水』の効力だけでは時間がかかるはずよ。だから血肉にまで力が備わっている神法士の体を食べることで、手っ取り早く神の力を借りて元に戻ろうとしたのよ。私たちが引き込まれたのも、神法学科生が三人もいたからだわ」

 ファイを一番に狙ったのも、きっと元教官の封印を解けるなら力がたっぷりあると考えたのね、と言い、イオタは「それにしても」と続けた。

「風化の法は初めて見たわ」

「あ、それ、不思議だったの。どうしてファイの法術は効いたの?」

「根本が違うのよ。私の業火の法は相手に直接攻撃を与えて浄化するんだけど、ファイの風化の法は時間を進めて物の形を衰えさせてしまうものなの。『急ぎの水』と似ているけど、あれは対象物がもっている『時間』を早めているわけではないから、どちらかといえば業火の法と同じ直接的な作用に近いわね。つまり風化の法は『戻りの水』そのもののもつ時間を強引に未来へ送ったってわけ」

「じゃあ、『戻りの水』がまず失われて、それからあの生首も消えていったってこと?」

 そういうことね、とミューもうなずく。

「まったく、効果があるとわかっているなら、最初から使えばいいのに」

 イオタがぶつぶつ言う。ファイは水筒を腰にくくりなおして立ち上がった。

「風化の法は、対象が大きければ大きいほど術のかかりが遅くなるんだ」

 だから業火の法である程度小さくさせるという作戦に出たのか。

「ええ、ええ、そうでしょうよ。あんたっていつもおいしいところばかりもっていくんだから」

 理由を教えられないままファイに使われる形になったイオタは、完全にすねた様子でよそを向いた。

「行こう。早くローを見つけないと」

 風の神の使いが羽を広げて再び飛び去ったため、タウが先に部屋の外に出る。

「誰かさんのおかげでずいぶんと時間がかかってしまったわね」

「お前なあっ」

「ラムダ、行くぞ」

 イオタに反論しかけたラムダをタウがうながす。ラムダも渋い容相で移動を開始した。イオタとミューも続く。シータも通路へ踏みだしかけ、ふと後ろをかえりみた。一人佇んだままのファイに首をかしげる。声をかけようとしたところで、ファイの体がぐらついた。

「ファイ!?」

 ひざをつくファイに走り寄る。杖を支えに、ファイは額を押さえていた。息が荒い。

「ファイ、鳥が消えたぞ」

 戸口から顔をのぞかせたタウたちも、ファイの様子を見るなり駆け戻ってきた。

「大丈夫。少し休めば」

 言いながらも、もう立つこともできないらしい。

「力を使いすぎたんじゃない?」

 具合を診るミューの隣でイオタが言う。同じ神の法でさえ何度も発動させれば体力を消耗するのに、ファイはここに来て風、炎、水、大地と全部の法を連続して唱えたのだ。疲れて当たり前だとイオタはあきれ顔になったが、しばらく無言でファイを見つめていたタウは眉をひそめた。

「ファイ、お前、昨日休めと言ったのに休まなかったな?」

 否定の返事はない。タウの赤い瞳がいっそう厳しくなった。

「どうせ家に帰ってからも、法術でローの行方を追っていたんだろう。心配なのはわかるが、お前が倒れたら意味がないんだぞ」

「まあまあ、それくらいにしておこうぜ、タウ。もともと、地下にいるかもって話をふったのはお前だ。それでファイが何もせずに休むわけがない」

 なだめるラムダにタウも黙り込む。重い沈黙の間を破ったのはファイだった。

「イオタ、地図を」

 ファイはイオタから受け取った地図を床に広げると現在位置を確認し、ある場所に丸をつけた。

「昨日から動いていなければ、ローはこのあたりにいるはずだ」

「やっぱり先に調べていたのか」

 どうして最初に言わなかったんだと責めるタウに、「約束を破ってローを捜していたことがばれればお前に怒られると思って、言えなかったんじゃないのか」とラムダが笑う。タウはますます渋面したが、ラムダに視線でたしなめられ、ぐっと唇を結んだ。小言を吐く代わりに背負っていた袋を下ろし、ファイに背中を向けて腰を落とす。

「乗れ。ここに一人残すつもりはない」

「いや、俺が連れて行こう。タウは先頭を頼む」

 ラムダがタウの腕を取って立たせた。むすっとしていたタウは地図と袋を拾うとファイを見やり、ようやくまなじりを下げた。

「行くぞ」

 ファイはうなずくと、はうようにしてラムダの背に乗った。ラムダが腰を上げたところで、タウが出発の声を放つ。

「着いたら起こしてやるから、眠ってていいぞ」

 ラムダのささやきに、すでに意識を失いかけていたのか、ファイは素直に目を閉じた。



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