(4)
次の日になると、たんこぶの腫れもかなりおさまっていた。午後の授業を終えたシータは賭けの結果を伝えようと、二階の廊下からピュールを捜した。そして槍専攻生の更衣室に入っていくピュールを見つけると、一階まで急いだ。
更衣室に出入りする槍専攻生たちが、部屋の前をうろつくシータに不審げな目を向けていく。特に二、三回生からの「剣専攻生が何の用だ?」と言わんばかりの冷ややかな視線が痛い。いらいらしながらシータが待っていると、ようやくピュールが出てきた。後ろにはいつものように取り巻きがついている。
「よう、未来の大将殿。そろそろどこの集団も前試験の準備に入っているようだが、こんなところをふらふらしているなんて、ずいぶん余裕じゃないか」
ピュールがにやにやしながら言う。自分の勝ちを疑っていない、嫌味たっぷりの笑顔だ。
「心配しなくても大丈夫よ。ちゃんとタウたちと計画を立てるから」
鼻の穴がふくらみそうになるのを我慢しながらシータが答えると、ピュールの表情がさっと変わった。他の槍専攻一回生たちもざわつく中、ピュールは深緑色の瞳に怒りをにじませた。
「もっとましな嘘をついたらどうだ。タウたちの集団に加わっただと? あそこはなかなか仲間を増やさないことで有名なんだぞ」
「私は事実を言っただけよ」
「ふざけるなっ」
ピュールにドンと肩を突かれ、シータは一、二歩よろめいた。取り巻きたちからも嘘つき呼ばわりされてかっとなったシータがピュールに飛びかかろうとしたところで、名を呼ばれた。
「こんなところにいたのか。捜したぞ。タウから伝言だ。イオタたちの調べ物が予想より早く終わったから、予定変更して今日話し合うことになった。用事がなければ町の闘技場で待ってろってさ」
現れたのはラムダだった。三回生の登場に取り巻きたちは緊張した面持ちでかたまり、ピュールはまさかという容相で口を開けた。
「こいつが俺たちのところに仲間入りしたのは事実だぞ。なんなら学院長に前試験の申し込み書を見せてもらえ」
ラムダがシータの背中をたたき、「行くぞ」と促す。
「というわけよ。約束どおり訂正してよね」
お試し期間だと正直に教えるつもりはなかった。シータはピュールに人さし指を突きつけてから、先に歩きだしたラムダの後を追った。
「いたっ、やめて。やめてください!」
「うえええん、お母さあんっ」
町の中央広場に差しかかったところで聞こえてきた悲鳴に、シータとラムダは足をとめた。見ると黒髪の親子が複数の男に囲まれていた。髪をつかまれている。
「だから何度も言ってるだろうが。黒は暗黒神の象徴なんだよ」
「町中をそんな髪で堂々と歩かれちゃ、迷惑だ」
「ですから、私たちは暗黒神を崇拝しているわけでは……」
「わからねえ奴らだなあ。おい、あれを持ってこい」
舌打ちした男が別の男に命令する。うなずいた男が一度家に入り、桶を二つ持って出てきた。そして男たちは親子に向かって桶の中身をぶちまけた。
黄色い塗料を頭からかぶった親子は、泣きながら互いにしがみついて震えている。男たちは空になった桶を親子に投げつけると、せせら笑った。
「最初から染める努力をしていれば、大目に見てやるのによ」
「本当に目障りだ。とっととよそへ行きやがれ」
親子に対して唾まで吐き捨てて、男たちは去っていった。
見ていた大人たちも誰も助けようとしない。みんな二人が最初からいなかったかのように素通りしていく。
泣きじゃくる子供をぎゅっと抱きしめてから、母親は子を連れてよろよろと歩きはじめた。黄色と黒のまだら模様になった髪から垂れる塗料が、道にぽたぽたと染みを落としていく。それすら不吉だと言わんばかりに、近所の住民が汚れた道に水をかけ、塗料を洗い流していた。
「シータは引っ越してきたって言ってたな。ああいうのを見るの、初めてか」
びっくりするよな、とラムダがため息まじりにぼやく。
「暗黒神の信者は、集会すら隠れてやってるって噂だから、あんなに悪目立ちするようなことはしないだろうにな。それでも黒が暗黒神の色である以上、ここではどうしても嫌われて、ひどい目にあうんだ」
「……ラムダも?」
シータは泣きそうになるのをこらえながら、ラムダを見上げた。
「みんなも、やっぱり髪や瞳が黒い人のことは嫌なの?」
ラムダは返事に迷うように視線を宙へそらし、ぼりぼりと髪をかいた。
「今のところ身近にいないからわからないが……まあ、気にならないと言えば嘘になるだろうな」
胸がずきりとうずく。シータはうつむき、こぶしを握った。
「そういえばローが言っていたが、シータが生まれた国では黒髪黒目が普通なんだってな。お前もその見た目だと、向こうじゃ逆に浮いていたんじゃないか? 嫌な思いしなかったか?」
「あ、うん……それは大丈夫だったから」
「そうか。もし何か困ったことがあったら、いつでも相談しろよ」
ラムダがシータの頭をぽんぽんと軽くたたく。シータはうなずいたものの、顔を上げることができなかった。
六人の中では、ラムダが一番細かいことを気にしないような印象だった。そのラムダでさえ黒い色に抵抗があるのなら、他の五人はもっと拒否反応が強いかもしれない。
仮とはいえせっかく参加を許してもらったのに、早々に追い出されるのだけは避けたい。
いつかは話さなければならない日がくるとしても、もう少しなじんでから――ともにやっていける仲間だと受け入れられるまでは、ごまかしておかなければ。
だますことへの罪悪感と、どうしようもないのに隠さなければならない現状へのいらだちをかかえながら、シータは親子とは反対のほうへ爪先を向けた。
二人が闘技場に着くと、すでにタウとイオタ、ミュー、ファイ、そしてローが円卓を囲んで紙を広げていた。
「前試験の課題である『七色の小瓶』について、イオタたちに先に調べてもらったんだが、どうやらカーフの谷にあるらしい」
タウが一枚の紙を指さして説明した。
『風の神が駆ける月』の時期に、カーフの谷のあちこちに七つの小さな泉が湧くという。『七色の小瓶』は、それぞれの泉の水を順番に小瓶にそそいでできるもののことだ。正しい手順をふめば最後にはきれいな七層の水が完成するが、誰が何色を汲むか、またどの順番で入れるかは集団によって違うらしい。
すんなりいけば短時間でできるが、最悪の場合一日では終わらないため、一泊分の荷物を用意して、この週末に向かうことになった。
早朝、シータは荷物を背負って待ち合わせ場所の闘技場に着いた。今日はローの家の荷馬車でカーフの谷を目指すことになっている。やがて全員がそろったので、七人は予定より早く出発した。
カーフの谷はカロ市に隣接するトレノ市の中でも東のほうにある。けっこう距離があるため、七人を乗せた荷馬車はファイの『早駆けの法』で速度を上げた。
天気はよく、風も気持ちいい。青く晴れ渡る遠くの空を眺めていたシータの目に、まもなく目的地が見えてきた。
谷の入り口は草原が広がっていた。ちょうど守護神である風の神の月ということもあって、あたり一面色とりどりの花が咲き誇っている。
今日『七色の小瓶』の収集を計画していた集団は多かったようで、すでにいくつかの生徒たちがかたまって移動していた。その中にピュールを見かけ、シータの顔にしわが寄る。相手も気づいたらしく、シータを一度にらんでからぷいと背を向けた。
そのとき、頭上でバサバサと羽音がした。
「うそー、うそー」
ガラガラ声で鳴きながら上空を飛行していく灰色の鳥を見上げたローが、「嘘つき鳥だ。珍しいね」と言う。シータはまるで自分が責められているように感じ、びくりと身を縮めた。
髪は昨日念入りに染めなおしたし、大丈夫だ。そう思うのだが、やはり怖かった。もし、『七色の小瓶』の作成に失敗したら……みんなに隠していることがある自分のせいでうまくいかなかったらどうしようと、不安で仕方なかった。
「よし、行くか」
タウが声をかける。手頃な場所に荷馬車を置いて、七人は荷物を背負い、歩きはじめた。
泉からは声が聞こえるという。七人の中で誰が何番目にその水を汲めばいいか、本人だけが耳にすることができるらしい。
一つ目の泉はすぐに見つかった。薄紫色をした小さな泉に近づいたとき、ミューが反応した。
「聞こえるわ……あら? 五でも六でもって言ってる」
「五番目か六番目なら、どっちでもいいってことか?」
ラムダが首をかしげる。ローが用意していた紙に大まかな地図を書き、泉の位置と声を聞いた人間の名前、そして番号を記す間に、ミューが小瓶を取り出してとりあえず泉の水を汲んだ。全部調べてからもう一度回ると時間がかかりすぎるので、先に別の小瓶に入れておいて、後から順番通りにそそいでみることにしたのだ。
「次は、あそこに行ってみるか」
周囲を見回したタウが、先に来ていた集団の動きを観察し、別の泉の場所を確認する。行ってみると確かに黄色い泉が草陰に隠れるように存在していた。
「これは私みたいね。四番目だわ」
三つ目の赤い泉は大きな岩の後ろにあり、それはタウが「俺だな。二番目だそうだ」と言った。
そこまでは順調だったが、四つ目からはなかなか見つからなかった。途中でバトスの集団に会ったので情報交換をし、まだ発見していない泉のうち二つを教えてもらうことができたので、足早に向かう。四つ目は小高い丘にあり、暗青色の泉にはローが歓喜の声をあげた。
「僕だ。一番目だって」
日もかなり高くなったので、七人は休憩して昼食をとることにした。後から来た集団が泉の場所を聞いてきたので、タウが快く説明する。競争相手になるというのにほとんどの集団が協力しあっていることに、シータは温かい気持ちになった。
それから七人は草原のかなり端のほうにあったというバトスの情報に従い、五つ目の泉を目指した。
「よし、俺だな……五でも六でもって言ってるぞ」
本当に草原のすみですぐそばは崖となっている場所にあった黄赤色の泉を見たラムダが、小瓶に水を汲みながらみんなをふり返った。
「ということは、ミューとラムダの水だけは順番は問わないってことみたいね」
そんなことってあるのね、とイオタがつぶやく。残るはファイとシータだけだ。まだ自分の泉が見つかっていないことに、一度消えかけていた緊張がまたわき上がってきて、シータは生唾を飲み込んだ。
「あと二つだね。地図で見ると、まだ探していない場所はここと、このあたりかな」
ローが地図の二か所を指さす。
「可能性は高いな。行ってみよう」
タウの呼びかけにうなずき、再び移動を開始する。まもなく、どこからかかすかな歌声のようなものが聞こえてきた。
もしかして泉があるのだろうか。自分の耳に届いたことにシータの気持ちがはやりかけたとき、イオタがきょろきょろした。
「何か聞こえない?」
「そうね、どこかしら?」
ミューも周囲に視線をめぐらせる。「あのへんじゃないか?」とラムダがある一点を指し示した。
声に反応したのが自分だけではないことに、シータはがっかりした。どうやら泉ではないようだ。何となく全員の足がそちらへと向く。草を踏みしめて進んだ先にあったのは、木々に覆われた土壁だった。
よく見ると、下のほうに小さな穴が開いている。声はそこから漏れてきているようだ。
「ねえ、寒くない?」
霧がうっすらと立ち込めてくる中、イオタが身震いする。ずっと耳をすましていたらしいファイが、はっとしたさまで顔を上げた。
「だめだ、これは美しき老い声の――!!」
言葉は最後まで続かなかった。突然ファイだけでなく、イオタとミューものどを押さえて苦しみはじめる。何度も激しい咳をした三人は最後に小さな丸い球を吐き出した。
イオタの赤、ミューの銀、ファイの赤と銀と黄と青が混ざり合った球は、土壁に開いていた穴のほうへすうっと飛んでいく。
「…………!!」
まだのどを押さえたまま三人は口をパクパクさせるが、声が出ていない。その場に膝をつき動けなくなってしまった三人に、シータたちは困惑した。
「おい、どうした?」
「何が起きてるんだ?」
ラムダとタウも状況が飲み込めないらしい。シータは三つの球をふり返った。このまま逃してはいけない気がした。
ファイと目があう。痛みに耐えるその顔を見たとき、シータは駆け出していた。
「シータ!?」
球が穴へ吸い込まれていっている。最後に飛んでいた銀色の球に手をのばしたシータがつかんだと思った瞬間、一緒に穴の奥へ引っ張られた。
一番小柄な自分ですら通れないほどの穴だったのになぜかすり抜けてしまい、シータは呆然とした。そしてさらに眼前の光景に言葉を失う。
そこはシータが立ち上がっても十分な高さがある空間になっていた。足元にはいくつもの球が転がっている。そして奥には老婆の顔が浮き上がる大木が根をはっていた。
「シータ、大丈夫か!?」
穴の向こうからラムダが叫ぶ。シータは握っていた銀の球をポケットにしまうと、穴のほうへ顔を寄せてささやいた。
「大丈夫。でも、変な木があるの」
「変な木? あ、ちょっと待て。ファイが何か書いてる」
しばらく沈黙があった。その間にシータはあらためて周囲を見回した。
老婆は目を閉じたまま口をもごもご動かしている。あちこちに散らばっている球は四色しかないようだ。ただ一つ、ファイが吐き出した球だけは四色が混ざり合っているので、ここからでもわかる。
つと老婆が双眸を開いた。ぎょっとしてかたまるシータに、しかし老婆は見向きもせず、視線を左右に動かすと一番近い黄色い球に舌をのばした。
長く細い舌が地面に落ちている球を器用にすくい上げる。球を口に含んだ老婆はそれを味わうようにまたまぶたを下ろした。
「シータ、ファイから伝言だ。よく聞け」
穴の外からラムダが小声で呼びかけた。
「そいつは神法士の声を飴玉に変えて食らう魔物だそうだ。お前は法術が使えないから、基本的には狙われない。そのへんに、さっきファイたちが吐き出した球が転がってないか?」
「ミューの球は私が持ってる。ファイの球も見える。イオタのは……」
残念ながら赤い球は複数あるので、どれがイオタのかはわからない。しかしファイたちと一緒に吸い込まれたことを考えると、ファイの球に一番近い位置にあるのがイオタのものではないかと思えた。
「とにかく三人の球を取り戻してほしい。俺とタウが短剣で穴を広げるから、そうしたら脱出だ」
ラムダが言うそばから、土壁にかすかな振動があった。タウはすでに土を削りはじめているのだ。
「今はお前だけが頼りだが、あせらなくていい。慎重にな」
それからは時間のたつのが遅く感じた。タウたちは少しずつ穴を大きくしていっているが、やはりたった一人で魔物と対峙しているのは心細かった。
早く、早くここから出たい。じっと息を殺していたシータは、思わず「あっ」と声を漏らした。口の中の球を消化してあたりをさまよっていた老婆の視線が、ファイの球でとまったのだ。
まだ老婆の近くにたくさん球はあるのに、一つだけ四色が渦を巻きながら混ざっている球はやはり目立っている。老婆の標的がファイの球に定まったことを知り、シータは剣を抜いた。
「だめっ」
のびた舌に斬りかかる。予想外に舌の動きは速く、シータの剣は空振りした。老婆の瞳が初めてシータをとらえる。敵と認識されたのだ。
シータはファイの球と、その隣にある赤い球を拾った。これがイオタの球であることを願いながら走る。
ビュッと飛んできた舌が腰にからみつく。そのまま体を壁にたたきつけられ、シータは悲鳴をあげた。
「シータ!?」
異変を察したのか、タウが鋭く問う。背中を打って一瞬呼吸がとまったシータは、再び体を持ち上げられて地面に振り落とされた。
「くそっ」
ラムダのあせる声が届く。ぼろぼろと粉をこぼす土壁のほうへ、シータは意地で這っていった。あと少しで手が届くというところで、後ろからのびてきた舌が左足にまとわりつく。引きずられる寸前、シータはかろうじて三つの球を穴の向こうに転がした。
「大気を司りし風の神カーフ、我は請う、我に仇なすものに疾風の爪牙を!!」
ズバッと一気に土壁が壊れて大穴が開く。飛び込んできたタウがシータの足に絡みついた舌を両断し、ラムダがシータを横抱きにする。
「光と熱を司りし炎の神レオニス。我は請う、我に仇なすものに灼熱の刃を!!」
舌をぶつりと切られたために歌えなくなった老婆の顔の大木に、イオタが炎を放つ。燃え上がり炭と化していく老婆をぼんやり見ながら、シータは気を失った。
「気がついた?」
目覚めて一番に視界に映ったのは、ミューの穏やかな微笑だった。とたん、ローやイオタの顔ものぞく。
「よかった。大丈夫、シータ?」
「やっと起きたわね。心配したんだから」
頭がぼうっとしている。それでも上体を動かそうとして、激痛にシータはうめいた。
「どこ? 背中を打ったの? ちょっと待ってね」
ミューがシータの体をゆっくり横向きにしてから、『治癒の法』をかける。呼吸をするのでさえ苦しかった痛みが優しく消えていき、シータはほっと息をついた。
「ありがとう、ミュー」
慎重に体を起こす。ミューに水筒を渡されてお茶を飲むと、生き返った気がした。
「おー、目が覚めたのか」
遠くから聞こえてきた声に顔を上げる。どこかに行っていたのか、ラムダとタウ、ファイが戻ってくるところだった。
シータはあたりを見回した。どうやら魔物の住処から離れた場所まで避難したらしく、周囲は花々が風にそよぐのどかな風景が広がっていた。
気絶したシータの介抱をミューたちに任せ、三人は先に他の泉の探索に出ていたらしい。残る二つの泉を発見したという報告に、場が喜びに沸いた。
それからシータは、魔物について詳しく教えてもらった。あの大木は『美しき老い声の歌姫』といい、かつて人々を魅了するほどの美声を誇っていた女のなれの果てだった。年をとり声までも枯れてきたことを嘆き、言葉で力を発する神法士を誘い込んではその声を奪い、飴玉にしてなめていたのだ。壁のある場所ならばどこにでも出現するうえに、種を落として分身を増やしているので、なかなか退治ができないやっかいな魔物として知られているらしい。
中でいったい何があったのかとタウに尋ねられ、シータも説明した。タウたちが穴をあけるまで待つつもりだったが、老婆がファイの球に目をつけたので攻撃したら反撃されてしまったと。イオタの球は勘で選んだとはさすがに言えなかったが、普通にしゃべっているところを見ると正解だったようだ。
「そうか……」とつぶやいて、タウがシータの前で膝を折った。
「よくやってくれた。お前がいなければ、三人の声は戻らなかったかもしれない」
「本当に、シータのおかげよ。ありがとう」
ミューの言葉にイオタもうなずく。ファイですら以前よりシータを見る目が柔らかくなっている気がして、シータの胸がほんのり熱をもった。
人に感謝されると、自分も幸せな気分になれる。みんなの役に立てたことがとても嬉しかった。
「もう動けるか? あと一踏ん張りするぞ」
タウが手を差し出してくる。その手をしっかり握ってシータも立ち上がった。
二つの泉のうち、一つは先ほど魔物に遭遇した場所のそばにあった。青い泉はファイが三番目という声を聞き取り、水を汲む。
残るは一つ。こことは正反対の方角へ並んで進みながら、シータはずっとドキドキしていた。
もし自分だけ泉の声が届かなければ、きっとこの集団から追放されてしまうだろう。
そしてもう二度と、一緒に冒険に出ることはできなくなるのだ。
先ほどみんなから向けられた温かいまなざしを失いたくない。
そう思えば思うほど、泉に近づくのが怖くなっていく。
「見えたぞ。最後の泉だ」
タウがふり返る。シータは一度ぎゅっと目をつぶってから前方を見た。花々に埋もれるように湧いている緑色の泉に、鼓動が跳ねる。
みんなの視線がシータに集中する。シータはおそるおそる泉のほうへ踏み出した。
『…………番目』
かすかなささやき声にはっとする。
『……七番目……』
聞こえる。か弱い少女のような細い高音に、シータは高揚した。
「シータ?」
かたまったままのシータの肩に、ミューが心配そうな顔でそっと手を乗せる。一呼吸おいてからシータは涙目で答えた。
「七番目……そう言ってる」
(よかった……)
安心したあまりよろめく。ミューが笑顔でシータを支えた。
ローから小瓶をもらい、泉に近寄る。そして無事に水を汲んで、蓋を閉めたときだった。
「どけよ、邪魔だ」
突然後ろから突き飛ばされた。油断していたため、踏ん張ることができずに泉に落下する。
「シータ!!」
狭いが想像より深かった泉の中で何とか体を回転させる。口から大きな泡がゴボリとこぼれた。沈んでも瓶だけは放さずに、目を閉じたまま水面へ浮上したシータを、タウが引き上げた。
イオタが布を持ってきてシータの顔をふく。咳き込みながらようやく薄目を開けたシータは、遠ざかるピュールたちの背中を見た。
「何なの、あいつ。突き飛ばすなんてあんまりじゃない。私たちが終わるまでなんで待てないのよ」
イオタが憤慨している。
「シータ、大丈夫?」
ミューも寄ってきて背中をさする。少しずつ咳が落ち着いてきたシータは、もう平気だと片手を挙げた。
「早く着替えないと風邪をひくよ」
ローに言われて自分の服をつまんだシータは、あまりの有り様に顔をしかめた。全身が緑色に染まっていたのだ。
「泉の色が染み込んでしまったみたいね」
「――!!」
髪の毛を触られ、思わずミューを強く押しのける。びっくりした表情のミューに、しまったと慌てて、シータはローから受け取った大きな布で髪を覆った。
「あ、あの、ミューまで汚れるから。それよりも『七色の小瓶』を早く完成させないと」
「そうだね、この時間なら一泊しなくても何とか帰れそうだし、ここで作ってしまおうか」
ローも賛成する。そこでシータが木陰で着替える間に、タウたちは『七色の小瓶』を作る用意を整えた。
タウのてのひらより少しはみ出るくらいの大きさの小瓶に、まず一番目という声を聞いたローが暗青色の水をそそぐ。次にタウが赤色の水をそうっと入れ、全員で様子を見守った。
「分離してる。大丈夫みたいね」
イオタがほっとしたさまで言う。三番目はファイ、四番目はイオタ、五番目と六番目はどちらでもよさそうなのでミュー、ラムダの順に水を加えた。
最後はシータだ。シータは緊張しながら慎重に緑色の水を瓶に流し込んだ。タウが蓋を閉め、じっと見つめる。
「……できた」
きれいな七層の水が重なる小瓶に、七人は手をたたいて喜んだ。
これでもう大丈夫だ。無事に目的を達成できたことに、シータはほっとした。
帰りもファイが『早駆けの法』をかけたため、七人を乗せた馬車は快調に速度を上げた。まだまだ夕方になると風は少し冷たいが、それすら気持ちの高ぶった自分には心地よい。
そして馬車がセムノテース川を越えてカロ市に入り、まもなくフォーンの町に着こうかというときだった。
「シータ、布を一度替えたほうがいいわよ。すごい色になってるわ」
イオタが自分の荷物から取り出した布を出して、シータがかぶっていた布をはぎ取る。
『七色の小瓶』を無事に作成できたことで気がゆるんでいたため、シータは反応が遅れた。
イオタの短い悲鳴に驚いてローも馬車をとめる。汚れた布を握りしめたまま硬直するイオタの横で、ミューも薄紫色の双眸を見開いている。
「シータ……髪、染めてたの……?」
震えながら、イオタがじりっと後ろに下がる。
「黒……?」
六人の視線がシータに集中する。驚惑、嫌悪、恐怖、さまざまな負の感情をあからさまにするみんなに、シータも凍りついた。
そろそろと自分の髪に触れる。見なくてもわかった。
どうして色が落ちたのか。
泉に落ちたから?
普通の泉ではないから、隠していた本当の色をあらわにしてしまったのか。
誰も何も言わない。それが自分への非難だとシータは肌で感じた。
目頭が熱くなる。唇を引き結び、シータは馬車を飛び降りた。
呼びとめる声もない。背後の沈黙から少しでも早く逃れたくて、シータは一人、薄闇に紛れて駆け続けた。