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風王の冠  作者: たき
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(2)

 翌日の一限目は初級歴史学だった。武闘学科生にとっては必修ではなく選択科目だが、受講した生徒は案外多く、剣専攻生と槍専攻生が半々くらいの割合で来ていた。

 しかし代々張り合ってきた関係であるうえに、昨日のシータとピュールの一件も加わり、両専攻生の仲は決して良好ではなかった。

 この日も朝から、肩が触れただ触れないだで口論になり、殴り合いに発展したらしい。シータが登校してきたときには騒ぎはもうおさまっていたが、どちらの専攻生も数人が傷だらけになっていた。だが喧嘩してできた傷は治療室では治してもらえない。予鈴も鳴ったので、みんな機嫌の悪そうな顔で着席した。

 シータはパンテールの横に腰を下ろすと、少し離れた席にいるピュールに視線を投げた。先に登校していたパンテールの話によると、今回はピュールの取り巻きと剣専攻生がやりあったらしい。ピュール本人は昨日とは逆に、ただ眺めていただけだったが、取り巻きの生徒がピュールの目を意識していたのは間違いないだろうと、パンテールはため息をこぼした。入学してまだ数日しかたっていないというのに、槍専攻生は完全に一回生代表であるピュールを中心にまとまり、行動しているのだ。

そこへ本鈴が鳴り、担当教官が教室に入ってきた。歴史学は教養学科の教官だ。すでに八十歳に近いのではないかという小柄な男性教官は、視力も弱くなってきているのか、生徒を見るときに異常に瞳を細めていた。

 建国の前の時代について、聞き取りにくい声でぼそぼそと語り始めた教官の話に、隣のパンテールは耳を傾け、羽ペンを持つ手をよく動かしていた。剣専攻一回生代表として代表生徒会にも参加しているパンテールは、いかにもまじめで育ちのよさそうな顔立ちをしている。容姿もなかなかなので、もうすでに女生徒の目にとまっているようだ。

 一方シータのほうは、朝一番の授業だというのに早くも眠気と戦っていた。勉強にはあまり興味がないし、時間があれば少しでも剣の練習をしたいので、本当は選択授業の数をできるだけ減らしたかったのだが、あれも受けたほうがいい、これも受けたほうがいいとパンテールに勧められ、結局時間割が全部パンテールと同じになってしまった。

 面倒見がいいというか何というか。パンテールは自分のようにむやみに怒らないし、むしろなだめてくれることが多い。でもぎっしり詰まった時間割だけは勘弁してほしかったと、シータはうつむいて目を閉じた。

「シータ、起きろ」

 肩を揺さぶられ、シータは半目で顔を上げた。どうやら授業は終わったらしく、パンテールがあきれ顔で立っている。

 次は動物学の授業だ。あくびをしながら大きく背伸びをしたシータは席を離れようとしたところで、後ろから誰かにぶつかられた。

「これは失礼。小さすぎて見えなかった」

 ふり返った先に、にやにやするピュールの顔があった。またやりあうのかと期待半分、心配半分といったさまで、両専攻生たちの視線が二人に集中し、教室内に緊張が走った。

「剣専攻の未来の大将殿は、先ほどはぐっすりお休みだったようで」

 小さいと言われたうえに居眠りを指摘され、シータはかちんときた。しかしピュールに向かって一歩踏み出したところで、パンテールにとめられた。そのまま彼らの声が聞こえないところまで引きずられていく。

「また罰を受けるつもりか、シータ?」

「だってピュールが……!!」

「これ以上剣専攻一回生がいさかいを起こしたら、代表である僕も注意される。頼むから我慢してくれ」

 パンテールに懇願され、シータは憤りをぐっと腹の中へ押し戻した。

 昨日、反省文と教科書の写しを持っていくと、ウォルナット教官にさんざん怒られたのだ。卒業までずっと担当してもらう先生なので、毎日叱られるのはできれば避けたい。それに、パンテールに迷惑をかけるのはやはり気が引けた。何度か深呼吸することでどうにか気持ちを静めたシータは、パンテールと並んで動物学の教室へ向かった。

「なんであいつ、あんなに絡んでくるのかな」

 以前どこかで会ったという記憶もないし、何か気にさわるようなことをした覚えもない。自分に落ち度があるならあやまることもできるが、思い当たるふしがまったくなかった。

「お前がいちいち言い返すから、おもしろがっているところはあると思うが。ピュールの兄さんも槍専攻だから、剣専攻生への対抗意識が特別強いのかもしれないな」

「ピュールってお兄さんがいたの?」

「アレクトール・ドムスという三回生だ。ピュールが入ったのは、その兄さんの冒険集団だよ」

「何よそれ。ただ単につてで入っただけじゃない。あんなに偉そうに言ってたのに」

 賭けに乗ったのが急に馬鹿馬鹿しくなったが、いまさら取り消すことはできない。やめると言えば絶対に笑って見下してくるに違いないからだ。

 ここはやはりピュールよりすごい集団に入って、逆に自慢してやる。握ったこぶしに力を込めて、シータは自分を奮い立たせた。



 その日の昼食時間、一枚の大きな紙が生徒会の掲示板に貼り出された。パンテールと歩いていたシータは、広告に群がる生徒たちを遠くから眺めながら、今度は何が書いてあるのかパンテールに尋ねた。

「あれは『ゲミノールムの黄玉(おうぎょく)』を決める投票の宣伝だよ。でもすごい人だな」

 答えるパンテールも目をみはっている。

『ゲミノールムの黄玉』は毎年男女一人ずつ選ばれる学院の顔である。他校の行事に参加することもあるので、本来は学院の代表と呼ぶにふさわしい優秀な生徒を決めるものなのだが、実際はほとんど人気投票と化しているらしい。

 選ばれるのはどうせ二、三回生だし、自分には関係のないことだ。興味をなくして階段に向かったシータは、昇降口で上から下りてきたファイにばったり出会った。入学式では神法学科の正装姿だったが、今日は風の法専攻生の証である青い法衣を着ている。

「あっ」

 思わずファイを指さして叫んでしまったシータに、ファイははじめ小首をかしげたが、入学式で突撃してきた相手だと気づいたらしい。一度見開いた目を冷ややかにすがめると、身をひるがえした。

「あ、あのっ」

 階段をすたすたのぼっていくファイを呼びとめる。肩ごしにふり返ったファイは、ついてくるシータを見て駆けだした。

「待ってくださいっ」

 あの時のことをきちんとあやまりたい。追いすがるシータを無視して、ファイはさらに走る速度をあげた。全力疾走ならシータも負けない自信はあったが、混雑している二階では思うようにいかない。

「ちょっと、危ないじゃない」

「気をつけろよ、おい」

 衝突した上級生たちに文句を言われながら、シータは必死に後を追った。しかしファイは立ちどまるどころかどんどん先に進んでいく。青い法衣を目印にしようにも、風の法専攻生は他にもいるので、それだけで探すとかえってわかりにくい。結局、シータがもう一つの階段にたどり着いたときには、ファイは行方をくらましていた。

「な……んで、逃げるの」

 せめて話だけでも聞いてくれればいいのに。シータはぐったりと手すりにもたれかかった――つもりだったが、急に力を抜いたせいか手足ががくんと崩れ、そのまま踏ん張ることもできず踊り場まで転げ落ちた。

「いっ……たあ」

 最後にあおむけに倒れたシータは、眉間にしわを寄せて前髪をかきあげた。

 入学式の日をあわせると、派手に転んだのはこれで二度目だ。受け身を取ったので大きなけがはしていないが、あちこちが痛い。

 のろのろと起き上がったシータは、目の前に一人の男子生徒がいるのに気づいた。階段を上がってきたらしいその錆色の髪の少年は細身で、背も自分より少し高いくらいか。いかにも賢そうだが、嫌味のない顔立ちをしている。服装からして教養学科生のようだ。

「君、大丈夫?」

 暗青色の瞳をしばたたき、少年がシータの顔をのぞき込む。その手には生徒会議事録と書かれた冊子があった。

「けがは? 治療室までついて行こうか?」

 少年の親切な申し出に、シータは「大丈夫ですっ」と急いで立ち上がった。剣専攻生ともあろう者が、階段を転がり落ちるなんて。しかも目撃されるなど恥もいいところだ。

 見られたのがピュールでなくてよかった。シータは上級生らしき少年に頭を下げると、一階まで一気に駆け下りた。



 午後の演習を終えたシータたち剣専攻一回生は、みんなでまとまって更衣室まで向かった。剣専攻一回生は二十四人いて、シータはまだ全員の顔と名前を把握していなかったが、武闘学科新入生唯一の女子であり、かつピュールと派手に喧嘩したシータのことはみんなすぐに覚えたらしい。なんだかんだと話しかけてくる生徒が多く、お互いに冗談を言い合える仲になるのにそれほど時間はかからなかった。

 着替えた後、シータは陰りはじめた中庭をちらりと見やって玄関に向かった。そして生徒会室の前を通りかかったところで、昼休みに見そこねた貼り紙が目について足をとめた。

『冒険者の集い』の告知の隣で、『ゲミノールムの黄玉、栄冠は誰の手に!?』と大きく書かれた広告がでかでかと幅をきかせている。それには投票日や結果発表日、そして去年選ばれた二人と今年の有力候補者についての記事が載っていた。

 去年の『黄玉の騎士』はタウ・カエリーで、『黄玉の姫』はイオタ・サリーレ。二人とも現在三回生で、今年も最有力候補になっている。

 タウ・カエリーの名前はシータも知っていた。武闘学科生の大半が進学する武闘館でもすでに通用する実力の持ち主と言われ、特待生入り確実と噂されている剣専攻生だ。

 他の候補者の紹介も読もうと横に一歩踏み出したシータは、そのとき右側から来た生徒とぶつかった。

「うわっ」

 手にしていたお互いの教科書が床に散らばる。相手の顔を見てシータは息をのんだ。昼休みに階段で会った男子生徒だったのだ。

 まさかもう一度出会うとは。昼休みの失態がよみがえり動揺するシータに、相手も気づいたらしい。暗青色の瞳を大きくして彼が口を開きかけたため、シータは乱暴に教科書をかき集めると、わびの言葉もそこそこに逃げ出そうとした。しかし、取り忘れた一冊を拾った彼が、教科書を裏返して「あれ?」とつぶやいた。

「もしかして、入学式でファイをはじき飛ばした一回生って、君?」

「な、なんで……」

 知っているのか。。ますますうろたえるシータに少年は微笑んだ。

「入学式の後で治療室から出てくるファイに会ってさ。気を失ってたっていうからびっくりして……なるほどね」

 何が「なるほどね」なのか。首をかしげるシータに、少年は言った。

「ああ、ごめん。想像していたとおり元気な一回生だったから」

 口調が明るいので馬鹿にされている感じはしないが、ほめられているとも受け取りにくい。反応に困るシータにくすりと笑って、少年は右手を差し出してきた。

「僕はロー・ケーティ。教養学科の二回生で生徒会役員もしているんだ。よろしく」

 シータは慌てて右手を服でこすってから名乗って握手した。呼び捨てでかまわないと言われたので承知する。役員になるくらいだから、やはり賢いのだろう。口調もはきはきしていて、聞いていて気持ちがいい。ローが歩きだしたのでシータもつられて肩を並べ、二人は正門に向かった。

「へえー、引っ越してきたばかりなんだ。それで剣専攻の入学試験に合格するなんてすごいね。向こうで訓練してたの?」

「うん、お母さんに教えてもらったの」

「女剣士か、格好いいね」

 ローが心から感心したように笑う。

「どこの国から来たの?」

「ネーロ王国だよ」

「そうなんだあ……え? ネーロ王国?」

 ローの足がぴたりととまる。その視線がシータの髪と瞳にそそがれるのに気づき、シータはぎくりとした。

「ネーロ王国の人ってたしか……」

「あ、あの、お父さんはこの国出身で、私はお父さんに似たの」

「そうか……よかったね。もし黒い髪と瞳だったら、この国では生活しにくいから」

「あー、うん、そうみたいだね」

 シータはごまかし笑いをしてうつむいた。少し離れた国だから、まさかネーロ王国人の見た目を知っている人がいるとは思わなかった。これからは口にしないように気をつけよう。

「ところで相談なんだけど、まだ人を集めている冒険集団ってないかな?」

 話題を変えたシータに、ローは「うん?」と首を傾けてから、「あるよ。僕たちの集団」と答えた。

 話によれば、ローが所属している冒険集団にはファイもいるという。他には三回生が四人いて、合計六人だということを聞き、シータは食いついた。何とか仲間に入れてもらえないかと頼み込むシータに、ローは宙を見上げて黙り込んだ。

「やっぱり一回生だと難しい?」

「いや、僕たちの集団はそういうことにはあまり重点を置かないよ。僕とファイが入ったのも一回生の半ば頃だったし。何と言っても、教養学科生の僕が仲間になれたくらいだからね」

 確かに、教養学科生が冒険に参加するのは珍しいことだ。武器も法術も使えない生徒を受け入れるなんて、かなり懐の広い人間が集まっているのではないだろうか。だが、それなら誰でも大丈夫な気がするのに、今まで一人分あいていたのはどういうことなのか。尋ねるシータに、「仲間選びにけっこううるさいんだよ」とローは肩をすくめた。

「結成したのは去年の今頃だったって聞いてるけど、僕とファイが入るまでは四人で冒険していたそうだし、僕たちが入ってからも、希望者は来たけど全部断っていたんだ」

 シータはますますいぶかしんだ。教養学科生や一回生を入れることには抵抗がないくせに、仲間選びにうるさいとはおかしくないか。いったい何を基準にしているのか。

「会えばわかるよ。でも一人でも反対する人がいたら仲間にはなれないから、そのつもりで……うわっ、まずいな」

正門まであと少しというところで、ローの顔色が変わった。見ると、教養学科の男子生徒が正門の前に立っている。その数ざっと十人近くか。

「裏門……だめだ、たぶんふさがれてる。困ったな」

「知り合い?」

「同期生。何かと文句をつけてくるんだ」

 周囲を見回すローは妙にぴりぴりしている感じだ。そんなに危険な相手なのか。もう一度目を向けると、彼らはにやにや笑っていた。特に中心にいる男子生徒の目つきが一番いやらしい。

 その生徒は、学院の鐘のような体型をしていた。顔も肉づきがよく、頬がぱんぱんにふくれている。そのせいか、灰緑色の瞳も奥にくぼんでいた。

 今日、彼が落とした教科書をうっかり踏んでしまってさ、とこぼすローに、シータは驚いた。

「そんなことで待ち伏せするの?」

 あり得ない。シータがあきれたところで、その男子生徒が声をかけてきた。 

「よう、ロー。遅かったじゃないか」

 背丈はローと変わらないが、彼のほうが横幅があるぶん、細身のローがずいぶん小さく見える。完全に迫力負けしている。

「ヘイズル、教科書のことなら何度もあやまったじゃないか」

「黙れ!」

 突き出されたヘイズルの腹がブルンッとたてに揺れる。周りの少年たちがローとシータをいっせいに取り囲んだ。

「僕の大事な教科書を、お前は笑いながら踏みにじったんだ。みんなの前で僕を馬鹿にしようとしたのはわかってるんだぞっ」

 ローが笑って人の教科書を踏むなんて想像できない。横目に見やると、ローは「なんでそういう解釈をするんだよ」と額を押さえていた。

 二人の関係はよくわからないが、ローがたびたびこういう目にあっているのは何となくわかった。彼が黙ってローを解放するつもりのないことも。

 これは放っておけない。ローをかばって前へ出るシータに、ヘイズルが鼻を鳴らした。

「ふん。護衛役がいるなんていい身分だな、市長の息子さんよ?」

「ええっ!?」

 市長の名前なんて覚えていないので、まったく気づかなかった。シータがふり返ると、ローはばつが悪そうな顔で錆色の髪をかいた。

 どうしてそんな金持ちの息子が冒険集団に所属しているのか。あんぐりと口を開けてローを見つめるシータに、ヘイズルはねばついた灰緑色の瞳を細めた。

「お前、一回生だな? 武闘学科や神法学科の生徒はな、自分の専攻で他の生徒に手を出してはいけないっていう決まりがあるんだぞ」

 学院の規則など当然頭に入ってはいない。シータが視線でローに確認すると、「そのとおりだよ」と答えが返ってきた。

「この規則を破れば退学処分だ」

 ヘイズルが勝ちほこった顔で言う。そしてヘイズルはおとなしく去るようシータを促したが、シータは従わなかった。ここで自分が退けば、ローはたった一人で大勢を相手にしなければならなくなるのだ。

 絶対に見過ごすわけにはいかない。そんなことをすれば、武闘学科生としての名がすたる。

()()以外であれば問題ないわけね?」

 シータは長剣を鞘ごとはずすと、ローに押しつけた。

「君には関係ないんだから逃げてくれ」

 剣を返そうとしたローにシータはむっとした。

「私が負けると思っているの?」

「そうじゃない。君には僕をかばう義理はないと言っているんだ」

「私は寄ってたかってというのが大嫌いなのよ。大事な剣だから、しっかり守らないと許さないからね」

 ローはまだ何か言いたそうだったが、やがて黙ってうなずいた。シータはヘイズルたちをきっとにらみつけた。シータの強気な姿勢に取り巻きたちがざわつく中、ヘイズルが傍らの少年に耳打ちする。少年が正門の外へ駆けだすと同時に、ヘイズルが取り巻きに合図を出した。

 少年たちはみんなでシータとローを押さえ込みにかかった。ローは意外にすばしっこく、シータの剣をかかえてうまく逃げまわっていたが、ついに足を引っかけられて転んだ。そこへ少年たちが剣を奪おうと群がる。だがローは引きずられても蹴られても剣を放さず、その間にシータが取り巻きたちを突き飛ばし投げ倒した。もともと体術は得意なうえに体力的にも彼らを上回っていたシータは、まだ十分に余力を残した状態で最後の一人をうちのめした。

 後はヘイズルだけだ。集団でいじめようとする根性をたたきなおしてやるとふり返ったとき、シータの右眉にガッと切れるような衝撃が走った。

 地面に落ちたのは小石だった。いつの間にか正門に別の少年たちが並んでいる。全員二股の木の枝で作った玉はじきに石を置き、シータに狙いを定めていた。

 どうやら最初に抜けた生徒が味方を呼んできたらしい。一時は引きつっていたヘイズルの顔に再び自信と嫌味な笑いが浮かんだ。

「道具を使うなんて卑怯よっ」

「うるさい! 教養学科生相手に本気になるお前のほうが卑怯だろうっ」

 シータに怒鳴り返し、ヘイズルは声高に命じた。

「やれ!」

 いくつもの石がビュッと放たれた。とっさに顔をかばって座り込んだシータは、風のうなりを聞いた気がした。

 ヒュウウウと鳴り近づいてきた音は、まもなくゴオオオオッとすさまじい騒音に変わった。さらにパン、パン、パンッと連続した破裂音が響く。シータは身を縮めて息を殺していたが、不思議なことにいつまでたっても痛みを感じなかった。

 おかしい。石が飛んでくるか音の正体に切り裂かれるかを覚悟したのに――おそるおそる顔を上げると、自分たちを取り巻いていたらしい風の渦が回転を弱めながら消えていくところだった。

 周辺に砕けた小石が散らばっている。風が石を全部はじいたのだとわかったとき、ふわりと誰かが降り立った。

 眼前に広がる法衣の青色が目にしみる。風になびく青銀の髪の主は……

「ファイ!!」

 シータの隣で上体を起こしたローが、青い法衣の生徒に抱きつく。

「ファイ・キュグニー……貴様っ」

 ヘイズルはファイを攻撃するよう命令したが、少年たちが玉はじきを使うより先に、ファイがぼそぼそと何かつぶやき、右手の杖で空中に大きく三角形を描いた。とたん、ヘイズルや手下の少年たちの尻に火がついた。

 火ははたけばすぐに消える程度のものだったらしい。熱い痛いと悲鳴をあげて走り転がる少年たちに舌打ちし、ヘイズルは同じようにこげた自分の尻をさすりながら眉をつり上げた。

「よくもやったな。先生にいいつけてやる。神法学科生が教養学科生を法術で攻撃したってな」

「僕の専攻は風の法だ」

 言葉に詰まるヘイズルを冷然と見やり、ファイが正門のほうへ歩き出す。ヘイズルは「逃がすなっ」と怒鳴ったが、取り巻きたちはすっかり戦意を喪失したらしく動こうとしない。その様子を見て、シータとローもファイを追った。

「覚えてろ! 絶対に貴様を裁く決まりを作ってやるからなっ」

 情けない取り巻きを叱咤することはできても、単独でシータたちに立ち向かう勇気はないようだ。離れた場所で一人こぶしを振りまわして大口をたたくヘイズルに、ローが噴き出した。

「おかげで助かったよ」

「今日は集会の日なのにローがなかなか来ないから、みんな心配してたんだ。またヘイズルに捕まってるんじゃないかって」

 だから探しに来たんだけど、とファイが言う。まさにそのとおりだったローは申し訳なさそうに「ごめん」と肩をすくめると、隣のシータに視線を投げた。

「いったん学院を出たんだけど、忘れ物に気がついてさ。取りに帰ったところで彼女に会ったんだ。ほら、入学式で君に豪快な頭突きを食らわせた一回生」

 ローに笑われ、ファイは露骨に渋面した。顔を見るのも嫌だとばかりによそを向くファイに、話しかけたくてうずうずしていたシータは慌てた。何とか話をしようとするが、ファイは知らん顔で返事もしない。どうしたものかと困っていたシータを、ローが誘った。お礼をかねて仲間に紹介したいと引っ張られ、シータは結局ファイと言葉をかわせないまま、町の小さな闘技場に連れて行かれた。小さいといっても、入り口から歩き続ける間に控え室らしきものが六つはあり、時折人の声が漏れている。

 通路は右側に等間隔につけられた小窓からわずかに陽の光が入るだけで、薄暗く湿っていた。石の敷き詰められた廊下を歩いていると、まるで試合に出る前のように緊張してきて、シータは一度身震いした。

 何十年も昔は、ここで剣士や槍の使い手が己の技をぶつけあっていたのだ。首都に大きく立派な闘技場ができてからは役目を終え、今はおもに子供たちのたまり場となっているが、傷んだ壁や床の古さが過去の栄光を物語っているようで、見ているだけで胸が高鳴ってくる。

 数えてちょうど七番目の部屋にローとファイは入った。シータは呼ばれるまでの間、周囲を観察して時間をつぶした。

 一人でいることにいい加減退屈しはじめた頃、ようやくローが扉を開けてくれた。室内に通されたシータは、まぶしさに瞳をすがめた。控え室は中央の闘技場を囲むように構成されているため、屋根のない闘技場へ降る陽光がそのまま見物窓を通して差し込んできているのだ。

「俺たちの『城』へようこそ」

 少しずつ目の慣れてきたシータに声がかけられる。四人の少年少女が、中央の円卓を取り囲む形で並んでいた。

「まずは仲間を助けてくれてありがとう。気になってファイに頼んだんだが、君がいてくれたから間に合った。ローに聞いたが、体術もかなりの腕前だそうだな」

 声の主は金髪の少年だった。腰に剣をさした姿がしっくりなじんでいるので、おそらく剣専攻三回生だろう。しかも女の子ならほとんどがみとれてしまいそうな、優れた容姿をしている。落ち着いた感じでありながら好戦的な印象も受けるのは、いきいきとした赤い瞳のせいだろうか。

「ファイ、そろそろ機嫌をなおせ。別に悪気があったわけじゃないんだから」

 金髪の少年の隣にいた大柄な少年が、苦笑まじりに斜め後ろをかえりみる。ファイは部屋のすみで椅子に腰かけていた。シータと視線をあわせるつもりはないのか、むっつりとして見物窓のほうを向いている。

 ファイに話しかけた褐色の髪の少年は短剣だけ身につけているので、どうやら槍専攻生のようだ。体格からして三回生だろう。金髪の少年とは対照的に見た目はややふけているが、愛想のよさそうな顔だ。だがピュールのおかげで、槍専攻生に対してはあまりいい感情をもてない。警戒と嫌悪感をのみ込もうとして視線をずらしたシータは、槍専攻生の隣にいる水の法専攻生を見て驚いた。なんと治療室で手当てをしてくれた女生徒だったのだ。彼女もシータを覚えていたのか、目があうと柔らかい微笑を返してきた。

「それで、仲間にするの? しないの?」

「うわあっ、美人……」

 口をはさんできたのは、剣専攻生の横にいた完璧な美少女だった。れんが色の長い巻き毛に、ほこり高さをうかがわせる深黄色の瞳。幾分きつく見えるほど整った顔立ちにシータは圧倒された。炎の法専攻生であることを示す赤い法衣がさらに少女の印象を強めている。

「あら、正直な子ね。いいわ、気に入ったから仲間に加えてあげる」

「イオタ、一人で決めるな」

 金髪の少年に注意され、少女は唇をとがらせた。

「いいじゃない、別に。どうせあと一人必要なんだし」

「イオタ……イオタ・サリーレ? 去年の『黄玉の姫』の?」

「今年も、よ」

 少女がツンと鼻を上向ける。

 この奇妙な組み合わせはいったい何なのか。闘技場にいるのは似合わないファイやローや優しい面立ちの水の法専攻生がいて、『黄玉の姫』のイオタがいて……とまどうシータを金髪の少年が正面から見据えた。

「君も聞いたことがあると思うが、学院には神法院公認の虹の捜索隊と、公認されていない普通の冒険集団がある。俺たちは公認されていない集団の一つだ。俺の名前はタウ・カエリー。剣専攻三回生だ」

「タウ・カエリー!?」

 シータは声を裏返して身をのけぞらせた。去年の『黄玉の騎士』であり、剣技のほうでも学院一と評されている人物に、まさかこんなところで会えるとは。

 自分は夢を見ているのだろうか。思いきり頬をはたくと、あまりの痛さに涙が出そうになった。

 夢でないなら絶好の機会だ。ファイだけでなくタウやイオタまでいるなんて。これだけ有名人が集まっている冒険集団に仲間入りすれば、ピュールに堂々と自慢できる。ピュールに勝てるのだ。

「あの、私を仲間に入れてくださいっ」

 それまでの穏やかな空気が消え、沈黙が落ちた。仲間選びにうるさいというローの言葉が、ひやりと脳裏によみがえってくる。全員に注目されてシータはひるみそうになったが、ここであきらめるわけにはいかなかった。イオタの話からしても、彼らは仲間を欲しがっているに違いないのだ。

「お願いします。あまり時間がないんです」

 頭を下げるシータに、タウが眉をひそめた。

「どういう意味だ?」

「ピュール・ドムスっていう、とんでもなく嫌な奴に剣専攻生を馬鹿にされて、ピュールと同じようにどこかの冒険集団に入るって宣言してしまって……約束の期限は今週末なんです」

 シータの説明を聞いたとたん、タウの顔つきがけわしくなった。

 何かまずいことを言っただろうか。ぱっと見たところ、この集団の中心はタウのようだし、印象を悪くするのは避けたい。

 長い間があった。タウはまだ黙り込んでいて、他の者もそんなタウの様子をうかがっている。このままでは進む話も進まない。シータがしびれを切らしてさらに頼み込もうとしたとき、救いの手が差しのべられた。

「僕は薦めるよ。彼女の正義感の強さと度胸のよさは評価できる。それに『冒険者の集い』の前試験に必要なものは今週末に取りに行かないと間に合わないし、彼女がここに来たのも何かの縁だと思うよ」

 ファイのそばにいたローの説得に、だがタウはかぶりを振った。

「人数をそろえればいいというものでもないだろう。重要なのは一緒にやっていけるかどうかだ。俺はどうも、感情に走りやすそうなところが引っかかる。冒険集団に入りたい理由が賭けだというのも気に入らない」

 真っ向から指摘されてシータはかっとなった。

「理由なんて……」

 どうでもいいじゃない、と言いかけたところで何とか踏みとどまった。まっすぐに見つめてくるタウとにらみあう。

「仲間選びにうるさい」とはこういうことだったのか。みんなのあこがれであるタウ・カエリーがこんなに気難しい人間だったとは。

 自分はまだ一回生だが、足手まといになるほど腕は悪くない。何なら今ここで剣技を披露してもいい。そもそもタウの言う「一緒にやっていけるかどうか」は漠然としすぎていて、それこそ断る理由としては不十分だ。

 賭けで何が悪い。自分はピュールを負かして、剣専攻生の名誉を回復したい。ついでに虹の捜索隊に名前を登録できれば、なおよい。それだけなのに。シータがもやもやした感情を噴き出しそうになった刹那、槍専攻生が間に入った。

「まあ、いいんじゃないか? 突っ走るのはイオタも同じだが、なんとかやっていけてるしな」

「ちょっと、それどういう意味よ?」

 かみつくイオタに、槍専攻生は素知らぬ顔で口笛を吹いている。シータは困惑した。まさか槍専攻生にかばわれるとは。ピュールと同じ槍の使い手ではあるが、実は話の通じる人間なのだろうか。

「ミューはどう思う?」

 タウに尋ねられ、ミューと呼ばれた水の法専攻生は薄紫色の瞳をシータに向けた。優しそうなミューにまで反対されたらどうしようと、シータは緊張した。

 間をおいて、ミューはふわっと微笑んだ。

「ローの言うとおり、縁はあると思うわ」

「占いで出た人物か?」

「ええ、たぶん」

 ミューの答えに、そうかとつぶやいてタウはまた唇を結んだ。先ほどより少し表情がやわらいでいる。もう一押しだ。

「タウ、お前の気持ちはわかるが、俺たちだって会ってすぐに信頼しあったわけじゃないだろう? どのみち前試験に取り掛かるまでに他の人間が見つかるとは思えないし、お試し期間があってもいいんじゃないか?」

 いい具合に薦めてくれる槍専攻生にシータは抱きつきたくなった。やっぱり彼はとてもいい人だ。

「……そうだな」

 タウはようやくうなずくと、自分の腰にさげている剣をひとなでした。

「いいだろう。条件つきで俺たちの仲間として迎える」

「やったあ!!」

 シータは握りこぶしを高く挙げた。シータのはしゃぎぶりがおかしかったのか、ローとミュー、そして槍専攻生が笑った。

「とりあえず今回の『冒険者の集い』の前試験に、この七人で挑戦する。だが全員賛成でなければ正式に仲間と認めることはできないから、最終的な決定はその後だ」

 タウがファイを見やる。ファイも異論は唱えなかった。

「さて、それじゃあ自己紹介だな」

 槍専攻生が壁に立てかけていた槍をつかみ、槍の柄で軽く石造りの床を突いた。

「俺はラムダ・アーラエ。槍専攻の三回生だ。ちなみに俺たちは、お前さんの宿敵であるピュール・ドムスの兄貴からたびたび喧嘩を売られている」

 アレクトール・ドムスのことだ。あまり嬉しくはないが、どうやらドムスの兄弟とは妙な悪縁があるらしい。

「次は私ね。イオタ・サリーレ。神法学科三回生で炎の法専攻よ」

 勝気なまなざしにはなるほど、炎の神の守護を得るのにふさわしい力がこもっている。納得するシータの前にミューが進み出た。

「私はミュー・レポリス。神法学科三回生で水の法専攻よ。よろしくね」

 ミューの印象は最初のときとまったく変わらなかった。まさに一人っ子のシータが思い描く理想の『お姉さん』だ。冒険集団に加わっているのが意外だったが、存在するだけでその場の雰囲気をなごませるミューは、実は一番必要不可欠なのかもしれない。

 それから、とミューがファイに視線を振った。青い瞳の少年はあいかわらずシータとは別のほうを向いたまま、無愛想に答えた。

「ファイ・キュグニー。神法学科二回生」

()()風の法専攻だ」

 タウが苦笑してつけたす。ローがファイの肩に手を回した。

「ちょっと人見知りするけど、本当はすごく優しいんだよ」

 弁護するローをファイは迷惑そうに見たが、反論はしなかった。だがやはりシータのほうには目もくれない。確かにあんなところで体当たりした自分が悪いのだが、根にもたれるのは困る。仲良くなるのはかなり難しいかもしれないと、シータは内心でため息をこぼした。

「最後に、僕の名はロー・ケーティ。さっきも話したけど、この中では唯一の教養学科所属で、二回生だ。古代語と謎解き、情報の収集は得意だから」

 ローが笑顔で握手を求めてくる。手を握り返したシータは背筋をのばすと、大声で自己紹介した。


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