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moment  作者: 雨宮 奏
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 亮はゆっくりと目を開けた。

視界が白くて、ものを認識できない。

一番最初に復活した聴覚から飛び込んできたのは、翼の大声だった。

「亮くん起きたよ!!」

視覚が復活したときには、心配そうに眉を下げた小母さんが目の前にいた。

「亮くん、熱中症で倒れたのよ。」

お説教が始まりそうな気配を感じて、亮は慌てて意識を失う直前の小母さんの発言を思い出して言った。

「それで、俺に聞きたいことって何ですか?」

小母さんが、すっと真剣な顔になった。

「亮くん、悪いんだけど、聞きたいならちゃんと座ってくれるかしら?軽くできる話じゃないのよ。」

亮は言いようのない不安感に襲われながらうなずく。

亮と小母さんはが向かい合って座ると、小母さんは所在なげに立ったままでいる翼を見上げた。

「翼も聞きたいのならちゃんと座って。興味ないなら出て行ってちょうだい。」

翼は素早く亮の横に正座した。

「あたしも聞く。」

小母さんは小さく頷いて、亮の目をまっすぐに見た。

「亮くんの描いた、あの絵のことよ。」

「絵?」

亮はここに来てから薫の絵しか描いていない。

それが気になる、ということは小母さんは薫について何か知っているということではないだろうか。

亮は胸に満ちていた絶望感が少しだけ希釈されるのを感じた。

「モデルの子と、知り合いなの?」

「はい。」

「名前は?」

「薫です。西宮薫。」

何故か、小母さんが息を呑んだ。質問を続ける声も、心なしか震えている。

「どこで会ったの?」

「山です。」

小母さんは片手で目を覆って天を仰いだ。

「叔母さん?」

翼がそっと呼びかけると、小母さんはまた亮と目を合わせた。

「私はこの子を知ってるわ。けれど、あなたがこの子と会うはずがないの。」

まさか……

嫌な予感がした。

聞きたくない。

亮はとっさに耳を塞ごうと手を上げたが、それより小母さんの声の方が速かった。

「この子は、病院にいるんだから。」

「びょういん……?」

「そう。ここから、車で一時間くらいのところにある病院。」

亮が想像した答えは『薫は死んでいる』というものだったが、そうではなかった。

ただ、亮が会っていた薫は死んではいないものの、実物ではないらしい。言われてみれば確かに夜しか外に出られないことや、ずっと通い詰めている様子なのに亮が来るまで獣道ができていなかったことに納得はいく。実体がないから、そういうこといなったのだ。

亮は薫がちゃんと生きているとわかり、心底ほっとして、その場で崩れ落ちそうになったけれど、気力を奮い立たせて立ち上がった。

「俺、そこまで行ってきます。薫に会いたい。」

小母さんが目を伏せた。

「行きたいのなら、急いだ方がいいわよ。」

「急ぐ……?」

面会時間の問題だろうか。腕時計を確認するが、まだ3時過ぎだった。

小母さんは歯切れ悪く言った。

「今日までだから。」

「どういうことですか?」

小母さんは壁の時計に目をやって唇をかむ。

「とりあえず、行ってみなさい。うちの車貸すから。」

「でも!」

「時間がないの。」

亮は小母さんに押し出されるようにして車の前まで連れていかれる。

けれど、そんな曖昧な説明では流石に納得できない。

車の前で押し問答していると、翼が手を上げた。

「叔母さんがここから離れられない。そうでしょ?でも、あたしなら一緒にいける。通話しながら運転は山道は危ないけれど、移動しながらあたしが叔母さんに話を聞いて、あとで歩きながら亮くんに説明する。それでどう?」

「いいわ。」

亮より先に小母さんが頷いて、亮の手にキーを押し付けた。

「とにかく行って。」

小母さんの目があまりに真剣で亮は気圧されるようにして車に乗り込んだ。翼を助手席に載せて出発する。翼は言葉少なに電話していたが、出発して10分ほど経ったところで通話を切った。

翼はよく研いだ刃物のような鋭い声で言った。

「亮くん、止めて。」

「え?」

「叔母さんは時間がないって言ってたけど、あたしは早めに言っておいた方がいいと思う。なるべく手短に説明するから聞いてくれる?」

願ってもないことだ。

「わかった。」

狭い山道だから、脇道もない。

どうせ他に車は来ないと翼がいうので、亮はその場に止めた。

翼は大きな瞳で亮をまっすぐに見つめた。

「今日の16時半に西宮さんは死ぬ。」

「は!?」

「だから、時間がないの。言いたいことは色々あるけれど、お願いだから黙って聞いて。」

そういう翼の瞳は真剣そのものだ。

さっきの小母さんと同じ色をしている。

亮は黙って頷いた。

翼は、彼女らしくない明るさの欠片もない声で語り始めた。


西宮さんは、5年前の今日、自殺した。

正確には、自殺未遂だけど。

大量服薬して、でもすぐに病院に搬送されたから一命は取り留めた。

もうとっくに目を醒ましててもおかしくないくらい、肉体的には何の問題もなくね。

けれど、彼はいまだ眠ったまま。医者の話では精神的なものみたい。

亮君も何となく想像つくと思うんだけど、意識のない人間を養うのはかなり財政的な負担がかかるんだよね。特に、西宮家は裕福とは言い難かった。

4年経っても目を醒まさない息子を、ご両親は抱えきれなかった。だから、決めたの。

1年後、西宮さんが、薫くんが、目を醒まさなかったら、終わりにしようって。

そのタイムリミットが、今日の16時半。


「だから、詳しいことを聞かずに急いでほしいの。」

翼の話を皆まで聞かず、亮は勢いよくアクセルを踏み込んだ。

きゃあ、と助手席の翼が悲鳴を上げる。

亮は構わずトップスピードで険しい山道を走り出した。

カーナビの指示を見る限り、順調に行けば、16時半には余裕で間に合うだろう。

けれど、間に合ったからといってスムーズに会わせてもらえるとは限らない。

そのタイムロスを考えると、時間はいくら合っても足りないと言ってよかった。

亮は黙って車を走らせ続ける。

翼はそんな気持ちを察してか、危険な運転にも何も言わず黙って助手席に座っていた。

病院には1時間かからず着いた。

駐車するときに少し斜めになってしまったけれど、やり直している時間はない。

亮はそのままキーを抜いて車を飛び降りた。

後から降りてきた翼はなぜか亮のスケッチブックを持っている。

「話をつけるときにあったほうがいいでしょ。」

「ありがとう!」

亮はそれを受け取って走り出す。翼も並んでついてきた。

運動不足なせいで、割と華奢で小柄な翼にスピードを会わせてもらっている始末だ。

亮は自分が情けなくなりながらも、走り続けた。

幸いにも、受け付けは比較的閑散としていた。

看護師が突如走りこんできた二人組に露骨にぎょっとしている。

それを不快に思う間もなく、亮は一番お気に入りの一枚のページを開いて、スケッチブックをカウンターに置いた。

「この子に……薫に、会わせてください。」

「すみません、ご家族以外は面会できません。」

看護師はにべもなく首を振る。

翼が横から口を挟んだ。

「じゃあ、主治医の山内先生に会わせてください。」

看護師は驚いたように目を瞬いた。

「お見舞いに来られたことがあるんですか?」

「いえ、叔母が西宮さんと親しくて。」

看護師は少し迷ったような表情で亮がつきだしているスケッチブックを見つめたが、結局頷いた。

「わかりました。あちらに座ってお待ちください。」

「ありがとうございます!」

ぱっと顔を輝かせた翼が亮の腕を引いて示されたソファに移動する。

「何で主治医を?」

薫に会わせてもらえないと焦るあまり、亮はつい翼を睨んでしまった。翼は怒らず、眉を下げて笑った。

「だって、主治医の先生がいなきゃ何の処置もできないでしょ。とりあえず、間に合ったよ。まだ16時前だし。」

言われて腕時計を見ると、確かにそうだった。

亮は脱力して呟く。

「ごめん……」

翼はポニーテイルを揺らして首を振った。

「ううん。あたしも、大切な人を亡くすつらさ知ってるし。」

「翼ちゃんが?」

「そんな意外そうな顔しないでよ。あたし、両親いないの。」

え?宿の小父さん小母さんは?

そう言いかけて、亮は気が付いた。

確かに、翼は小母さんのことを『叔母さん』だと呼んでいた。実の両親では、ない。

それに、翼は「この町に来たばかり」と言っていたが、小母さんは五年前の事件を知っていた。

少し考えれば分かったはずだけど、自分のことで頭がいっぱいで、そこまで微塵も考えが及ばなかった。

亮は何も言えなくて、ただ頭を垂れてうつむいた。

「ごめん。」

「だから、仕方ないって。亮くんは西宮さんのことだけ考えてればいいの。」

「うん……ありがとう。」

その時、体格のいい若い男が二人の目の前に立った。

「君たちが、薫くんに会いに来たって子?」

「はい、そうです。」

男は誠実そうな口調で名乗った。

「彼の主治医の山内です。君たちの名前も、聞かせてくれるかな?」

「東雲です。」

亮が即座の名乗ると、翼も間髪いれず答えてくれる。

むやみに気が急いて仕方ない今は、そのテンポがありがたかった。

「じゃあ、ここじゃ何だし、少し移動しようか。」

「はい。」

カンファレンスルーム、というのだろうか。狭い部屋に無理やり机と椅子を数脚押し込めたような部屋に通された。

山内はどうぞ座って、と二人を並んで座らせたあと自分は向かいに座った。

「悪いけど、薫くんには会わせられない。」

「けど、今日を逃したらもう薫には会えないんですよね。」

「今日会ったって同じだよ。彼は確かに生きているけれど、意識はないんだから。」

山内の口調はおだやかだけれど、言っていることは冷たい。亮は激高しそうになるのを必死に堪えた。

意識がないから、死んでるのと同じというのはひどすぎる。

やるせない想いは翼も一緒のようで、視界の端に見える細い肩が震えていた。

亮は怒りを押し殺して問いかける。

「それは、薫は脳死状態だってことですか?」

「いや、違う。」

「植物状態?」

「でもない。」

「なのに、薫を殺すんですか!?それは法律違反です。」

山内はがたっと椅子を鳴らして立ち上がった。

「仕方ないだろう!」

翼がびくっと肩を震わせた。

俺は、この子に迷惑をかけっぱなしだな。

亮は心底申し訳なく思いつつ、山内をねめつける。

「座ってください。こっちだって、暴れだしたいのを我慢してるんです。大人なんだから、それくらいはできるでしょ?」

「……すまない。」

山内は、意外にも反論せずにおとなしく座った。

「けれど、君にも分かるだろう?薫くんのご両親の苦悩が。」

「わかりません。どんな理由があったって、息子の命を自分たちの都合で奪うなんて、考えられない。」

それまでずっと黙っていた翼が、凛とした声を上げた。

「薫さんが、同性愛者だからですか?」

亮は初めて聞いた話に驚いて翼を見る。

翼はまっすぐに山内を見つめたまま続けた。

「同性愛者だから、彼のご両親は、いえ、西宮夫妻は、薫さんを必要ないと思っているんですか?」

翼があえて『ご両親』ではなく『西宮夫妻』と言い換えた理由。

その憤りが、亮には痛いほど分かった。

そんな奴ら、両親でも何でもない。

山内は一瞬言葉に詰まったが、しばらくして力なく首を振った。

「そんな訳ないさ。」

けれど、その声は明らかに覇気がなく、彼が嘘をついていることは明白だった。

亮はまっすぐにそんな山内を見据える。

「認めようが、認めないが、俺らには関係のないことです。とにかく、西宮夫妻は金銭的な理由でまだ生きている息子を切り捨て、この病院は、あなたはそれを手助けしようとしている。大事なのは、その事実だけですから。」

隣の翼が黒い笑みを浮かべた。

「まぁ、あなたのその反応を見れば世間の人がどう思うかは明白ですけどね。」

山内が低くいう。

「脅しているのか?」

「まさか。事実を言ってるだけですよ。」

亮が肩をすくめると、翼がわざとらしく声を上げた。

「あれれー?あたし、間違えてスマホの録音したまま持ってきちゃったみたいです。」

翼はスマホを取り出して、画面を操作する。

『仕方ないだろう!』

山内の怒鳴り声が流れ出した。

翼がこてんとあざとく首を傾げる。

「うっかり会話を録音しちゃってけど、何の問題もないですよね?」

「そうだね、俺たちがうっかりそれを流出しちゃわなければ。」

「薫さんに会えたらこの録音消せるかもしれないですね。」

山内が再び椅子を鳴らして立ち上がった。

今度は翼も平然としている。

山内が人のよさそうな仮面をかなぐり捨て、吐き捨てるように言った。

「わかったよ。ご両親に話してくる。」

「俺には何だかよくわからないですけど、わかっていただけたなら幸いです。よろしくお願いしますね。」

山内が鼻息荒く出て行って、亮は翼と顔を見合わせた。二人同時に、ほぅっと安堵の息を吐く。

「翼ちゃんがこんなに腹黒だなんて知らなかったよ。それにしても、何で録音なんてしてたの?まさか本当に偶然ってことはないでしょ?」

あー、と翼は肩をすくめた。

「うちの親、割と資産家だったみたいでさ、結構遺産目当てみたいな奴が近寄ってきたから、嘘ついてる奴ってなんとなくわかるようになったんだ。あの主治医、目がそういう目だった。」

いつも明るい翼がそんな苦労をしているなんて知らなかった。

亮はどう返していいか分からず、そっか、とただ頷いた。

何となく世間話をする雰囲気でもなく、薄暗い部屋で二人黙り込む。

亮は段々眠くなってきた。

昨日の夜から気をうしなっていた2時間程度しか寝ていないのだ。

あんなに泣いて、険しい山道を運転してきたのにも関わらず。

いつのまにか、亮は眠り込んでいた。



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