-イルミーネの国王1(本編第1章)-
―塔の城にて―
深い森を抜けると、なだらかな丘が見える。
その丘の頂上に城があった。
―塔の城―
いくつもの塔が連なっているように見えるこの城は、人々からそう呼ばれていた。
そして、この城には代々この国「イルミーネ国」を治める王が住まっていた。
彼は、山々に囲まれ深い森に閉ざされたこの国を、近隣諸国と同列のレベルまで発展させようと試み、自ら積極的に国の政治に関わっていた。
歴代の王達の中にそれを目指した者がいないわけではなかったが、閉鎖的な国民性と門閥貴族で固められた貴族院がそれを拒んできたのだ。
そのようなわけで、国王マクシミリアンはまず手をつけるのが難しい貴族院からの改革を推し進める方針を固め、日々国の重臣達との会議に追われていた。
・・・・・・・・・・
「ねぇ、父上はまだなの?」
「もう少しだと思うけど…」
普段は静寂が支配している塔の城の片隅から、親子らしき会話が聞こえる。
母譲りの黒髪を童子形に切った幼子は、焼きあがったばかりのクッキーの前で、もじもじと身体を揺すった。
「早く来ないかなぁ」
鼻先にバターの香ばしい匂いが立ち上ってくる。
がまん…がまん…
生唾を飲み込むのを誤魔化すように鼻をすすってみせた。
すると、隣にいる母からもズズッと音がする。
「もう食べちゃおうか?」
「まだまだ…父上がくるまで待ってるの!」
母の言葉にも、やせ我慢を貫く覚悟だ。
「うううん、おいしそうに焼きあがったのに残念!」
頬を膨らませて子供のような顔を見せる母。
「父上に初めに召し上がってもらうの!」
頑なに言いながらも、小さなお腹がぐうとなった。
「ぷっ!」
思わず噴出す母。
「お腹がすいてるんじゃないもん!」
ムキになって顔を赤くする子供。
どこにでもある母と子の会話。
しかし、この二人はどこにでもいる身分の人間ではない。
この国、イルミーネ国の王妃と王子。
それが彼らの立場だった。
「国王陛下におかれましては、こちらにいらっしゃるのは、あと半時ほどかかると思われます。会議が長引いているためとか…」
厨房に入ってきた老侍従が儀礼的な口調で報告をした。
「じゃあ、あと30分待ってみよう。それで父上が来なかったらたべちゃおう」
「う、うん」
母の提案に王子は戸惑いながらも、やはり身体の欲求には逆らえないらしい。
黙って、うなずく。
親子を見て、そばで控える老侍従は苦い顔をした。
この王妃ときたら、少しも王妃らしくはない。
それも当然か、この王妃は上流貴族出身ではないのだ。
代々王家の武術師範を務めた中流貴族出身。
王族に相応しくない人間であり、やっかいなことにそれを隠しもしない。
それに料理など、卑しい者のすることではないか。
未来の国王陛下にまで、それを当たり前として植え付けようとしている。
甚だしく悪影響だ。
老侍従は聞こえないように舌を打った。
王族というものは、普通の親子、家族であってはならない。
それが、この城の多くの者が考えている常識だった。
その時、部屋のドアが開いて
「ずいぶん、にぎやかだね。ここは」
長い金髪をたなびかせた長身の男が入ってきた。
老侍従は決まり通り敬礼をする。
その男は、彼が仕えるべきただ一人の相手だからだ。
部屋に入ってきた男に王子は走りよった。
「父上!」
ひょいと王子の身体を抱き上げたのは、イルミーネ国王マクシミリアン。
「会議が長引いたと聞いたけれど・・・」
王妃ルイがそっとそばに寄る。
「ああ、でも大丈夫。予定より早く終わったよ」
国王は、王子の母譲りの黒い髪に口づけをした。
まるで愛おしくてたまらないというように。
「すまないな、トト。遅れてしまって」
「お菓子、父上が来るまで食べないで待っていたんだよ」
そう言って、王子トトは茶色い瞳を父に向けた。
童子形にきっちりと切ってある黒髪、母によく似ている小さい顔が、マクシミリアンの薄水色の瞳に映った。
―この子のために、早く新しい国を作らなくては―。
この国を新しく生まれ変わらせようとしている国王は、連日のように重臣たちとの会議が長引き、多忙を極めていた。
「この子と、あまり一緒にいる時間がないのが残念だよ」
「でも、あなたは忙しいのだから」
ルイは柔らかな笑みで答えた。
「トト、お菓子を食べてもいいかな」
「うん、父上のために作ったのだもの!ねぇ母上!」
「そうね」
家族を、老侍従は見ていた。
確かに、国王陛下ご本人はご家族というものに恵まれなかった。
だが、しかし…。
釈然としないものを感じながらも、彼は生まれてこの方植えつけられた概念を、真っ向から否定することはできなかった。
国王を否定するなどということは、彼の認識には含まれていなかったのだ。
そのかわり、このような状況を作り出した原因である王妃に敵意が向く。
「それなのに、母上は早く食べましょうと言ったんだよ」
「おや、そうなのかい」
「だって、遅くなると聞いたから、トトだってお腹がぐうってなっていたし」
「そんな事ないもん!」
「ハハハ・・さぁ、トトも食べなさい」
「うん、いただきます」
「ほら、そんなに詰め込んだらむせちゃうわよ!」
「うっうん、ゲホゲホ…」
「ほら、言わんことじゃない。大丈夫?」
そこにあったのは、まぎれもなく普通の家族の姿だった。
ただ、彼らにはそれが許されていなかった。
イルミーネの王族である彼らには。
イルミーネ国は大陸の北西、周りを山々に囲まれた山岳地帯に位置しており、周囲の国々との交流はあまり盛んではない。 さらに、土地には平地が少なく作物の収穫も決して豊かではない。
しかし、そこに住む人々は貧しい土地の中で互いの団結を深め、協力しあって生きてきた。
そのため、イルミーネの民は武器を持たないが、鋼鉄の意志を持つと言われていたのだった。
事実、イルミーネが他国に侵略された期間は建国以来、ほとんど存在しない。
そのため、イルミーネという国は大陸の中で最も平和ではあったが、文化的にはかなりの遅れをとる国となってしまった。 戦争が無い代わりに、他国の文化との交流も少なく、さらにそれを受け入れない姿勢が徐々にとられるようになっていったからだ。
他国が、それまで貴族だけの物だった議会を民衆にある程度開放し、商業が広い意味で発展するような時代になっても、この国では相変わらず国の主権を握っているのは国王と一部の貴族達であった。
だが、国民もそれを受け入れて何一つ疑問をもたずに日々を過ごしていた。
なにより、この国の住民は他国にほとんど興味を持つものがいなかったのである。
「他国を知り、受け入れる。それは自らの文化を否定する事」
それまでの大人たちは考えていた。
現に今までそうしてきたからこそ平和でいられたのだ。
しかし、この現国王マクシミリアンは違っていた。
彼は、初めて国に開かれた議会を設けようとしていた。
というのも、国王と貴族達の間で絶えず小さからぬ摩擦が起こっていたからである。
国王よりも一部の貴族が力を持ち、次の国王を推薦し、国王を操り利益を貪る。
どこの国にでもある腐敗の影がこの国にも染み付いてしまっていた。
マクシミリアンもこうした貴族間の争いに巻き込まれ、自分の兄弟を追放している。
もっとも、これは彼の意思ではなかった。
現在、彼は、こうした体制を内側から変えるために日々奮闘していた。
重臣達との会議は塔の城の北側、城の深奥部で行われ、全ては分厚い扉で閉ざされて会議の内容が外に漏れることはなかった。
扉が開かれるときは時代の変わるときだ。
「お待ちください王太子殿下!そちらはっ!」
ちょうど廊下を塞ぐように壮年の男が立っている。
「私は、議会が見たい」
まだ5歳ほどの童子は、自分より遥かに身体の大きな男を片手で払った。
「しかし、殿下…」
横に追いやられた男は、こもごもと口ごもりながら脇へ退く。
「この国の現状を知ることがそんなに悪いことか」
「い、いえ…」
場違いな迫力に気圧された臣下は、黙って俯いてしまう。
彼には同じ歳の子供がいるが、やっと文字が書けるようになったばかりだ。
その子に、国状を憂うようなことはまず不可能だろう。
王子は聡明だと、聞いていたがこれほどとは思わなかった。
それとも王族とはこういうものなのだろうか。
顔は母親によく似ているが、王族らしさを身につけているという点では父親にも似ているのかもしれない。しかし、マクシミリアン陛下はもっと親しみがあったというか、こういう種類の迫力はなかった。
相手を見下し、射竦める様な…。
頼もしくもどこか末恐ろしい王太子殿下である。
この臣下はそのような感想を持った。
「扉を開けろ!」
王太子は、扉を守る護衛に命じた。
「しかし…陛下は…」
「私の言うことが聞けないのか」
「い、いえ・・」
護衛は、数歩後ずさった後、議会が行われている場への扉を開けた。
重く分厚い扉がギギィと鈍い音をたてて内側に開く。
「何用か?!」
扉の近くにいた重臣の一人が叫ぶ。
「そ、それがあの…」
護衛は、しどろもどろになりながらも、どうにか声を出した。
「ここがどういう場所だか知っているのだろうな。不用意に扉をあけるなど!」
もう一人が内側から声を荒げた。
「あ・・ああ、…」
すっかり萎縮している護衛の男を押しのけて、王子は扉の奥に足を踏み入れた。
「これは…王太子殿下!いかがなされましたか?」
先ほどまで声を荒げていた重臣の一人は、急におとなしくなった。
「王太子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう…」
もう一人の重臣は、表情を動かすこともなく寄ってきて頭を垂れた。
「父上!」
「トト、ここに来てはいけないと行っただろう」
マクシミリアンは極めて穏やかに、微笑みさえ浮かべて息子に諭した。
しかし、今までの会議の内容がその表情とは裏腹のものであることは、眉間に残る縦線が物語っている。
「でも、父上…。私は、この国が今どのように動いているのかそれが知りたい。」
「トト…」
「私は、王になるのでしょう。父上の次に。それなら、ここにいて皆がどのような意見を持っているのかを聞かなければならない。そう思ったの!お願いここにいさせて」
「トト…まだいいのだよ。」
マクシミリアンはトトの頭を撫でながら語った。
「おまえが聞けるような意見がまとまった時に、きっとお前が王として皆を導く。その時まで…もう少しだから待っていておくれ」
息子の目が、真剣に物事を訴えているのはわかった。
しかし、この真っ直ぐさがここでは通じない事を…
人間の醜さを知るのはまだ早い。
「大丈夫、今日の事はちゃんと今夜トトに伝えるよ。そういえば、昼から母上と剣の練習をするのじゃなかったかな?早くいかないと叱られてしまうよ。母上は恐いからな~」
おどかすような父の口調に、トトは一瞬ひるんだような顔をみせて頷いた。
母の恐さは身にしみている。
「さぁ、もう行きなさい」
父が背中を押した。
トトが一歩部屋の外に出ると、すかさず扉が閉められた。
まるで追い立てられたようだ。
―私は国王になる身なのに、臣下達は私のことが嫌いなのだろうか―
夜会や回廊ですれ違うたびに向ける笑顔とは、まるで違う冷たい表情が、閉ざされた扉の向こうに見えた気がした。
・・・・・・・・・・
「遅い!」
中庭に行くと、腰に手をあて、仁王立ちしている母…剣術の師は怒鳴った。
「時間を守りなさいといつも言っているでしょう!」
「ご…めんなさい」
怒ったときの母はものすごく恐い。
こんなに恐い人は世の中にいないのではないかと思うくらいに。
「さぁ、早く剣を持って。はじめるよ!」
「はい…」
トトは、言い訳を言う間すらない。
型を説明しながら母は言った。
「まったく、ちゃんと時間通りに来なさい。もう一人の弟子よりはいいけどね」
「母上にはもう一人弟子がいたの?」
初耳であった。
「あの馬鹿弟子はさぼってばっかりで、ちっとも学ぼうとしなかったから破門してやったわ」
あーあ、とため息を一つ。
ここまで言わせるなんて、その人はよっぽどダメな人だったのだろう。
この王宮の人間だろうか?
「その人、今何してるの?」
ちょっとした好奇心から聞いてみた。
すると、母はこちらをちらりと見て
「キミの父上さ」
と言い、少年のような顔にニヤリと笑みを浮かべた。
「父上が?!」
トトは、声をあげた。
少なくとも、トトにとって父という人は、いつも臣下に囲まれて敬われている存在だった。
自分にとっては優しい父でも、世の人々に敬われているだけりっぱな事をしている人だと思っていたのだ。
しばらくトトがきょとんとしていると、母は急に笑みを消し
「次の王様はね…今の王様よりも強くならなきゃいけない」
皆が期待するからね・・・と語った。
「トトなら大丈夫。なんて言ったって、このルイの子なのだから」
いつの間にか、トトの肩に暖かい母の手が乗っていた。
「強いはずさ」
トトは息を止めた。
母の言葉には説得力がある。
トトはこの母ほど、強い人を見たことがなかった。
なにしろ、母は剣術大会のジュニア部初の女性優勝者なのだ。
シニア部は残念ながら、王妃に納まってしまったため参加できなかったが、参加したら絶対に優勝していたであろう。
それに、母は武術だけではなく、心も強かった。
母は身分の違う父と結婚したことで、王宮内の人間達から冷たい視線を浴びている事くらい、幼いトトにもわかっていた。
母の家は代々王家の剣術師範を勤めたとはいえ、身分的に言えば中流で、とても国王たる父と結婚できる身分ではない。
しかし、国王マクシミリアンが独断でそう決めた事に、真正面から反対できた者はいなかった。この異常事態を快く思わない者たちの敵意は国王ではなく、王妃に向けられた。
”あの女が国王を誑かし、余計な入れ知恵をしたせいで…”
その者たちは口をそろえた。
彼らは、例にももれず新体制反対派の門閥貴族たちだ。
身分の低い王妃が、自分達から富を取り上げようとしていると、彼らは主張していた。
このように、あからさまに母がないがしろにされているのをトトは目撃した事もある。
聞こえよがしの悪口も知っている。
しかし、彼らは皆、トトが姿を見せた途端に態度を変えて、今までの苦虫を潰したような顔を消し満面の笑みに変えるのだ。
少なくとも、自分に笑顔を向けてくる相手を罵倒するわけにもいかず、トトは表立って彼らを責めた事はないが、いつもその瞬間に不可解な、不安な感覚をおぼえていた。
だが、国王たる父はそんな彼らを見ると積極的に、朗らかに話しかけていた。
そんな事をしている父が不思議だった。
母を罵倒している人間たちとどうして仲良くしようとするのか、トトは理解できなかった。
だからといって父と母は仲が悪くは見えなかった。
しばらく、剣の型を学んだ後、母は剣を降ろして
「休憩!」
と言った。
イルミーネ王宮の中庭は広く、木陰がいくつもある。
その一つに二人で入って、木の根元に腰掛けた。
いつもの休憩場所だ。
「あーあ、よく動いたねぇ、おなかすいたー」
「おなかすいたー」
よく似た顔が二つ、にんまりと笑う。
「おやつにしよう!」
母はポケットから2枚チョコレートを出し、一枚をトトに渡した。
「甘いー」
「甘いー」
そうして二人で、ごろりと横になったままチョコを口にほおばる。
口うるさい侍従が見たらなんと言うだろう。
そんな想像をして、トトは思わず口に笑みを浮かべた。
「ねぇ、トト。これから王様になるといろいろと辛い事があるかもしれないけれど」
口のまわりについたチョコを舌でぺろりと舐めながら母は言った。
「そんな時、見誤ってはいけないよ。自分に笑みを向ける相手だけが味方ではない。
本当にトトを想ってくれる人は、どんなに遠くにいても、離れていても、例え身分が違っても、必ずトトを見守ってくれていて、大事な時に助けてくれる」
「うん」
「もし、私や、父上がいなくなっても忘れてはいけないよ。その事を・・・」
母の顔は木陰に隠れて、その表情は見えない。
トトは急に不安になり、母に抱きついた。
「母上はどこにもいかないでしょ」
「うん、まだまだね」
そう言ってニヤリと笑ったいつもと変わらぬ表情に、トトはほっとした。
―ずっと、このままでいられる―
そんな予感が嬉しい。
「トトが王様になる時は、父上にも母上にも見てもらうんだ。りっぱな戴冠式をしたいよ!」
…いっぱい人を呼んでね。きれいな飾りをいっぱい付けてね…
身振り手振りではしゃぐ息子を見て、母は微笑んだ。
「父上は破門されたの?」
家族で暖をとっている最中。
突然投げかけられた質問に、国王マクシミリアンは飲みかけたコーヒーを噴出しそうになった。
「えっ?誰がなんだって?!」
おもわず、長椅子から腰をあげる。
ククク・・・そばにいる王妃ルイは笑いを堪えている。
「は・も・ん・されたのでしょう。母上に」
トトは歯切れよく一言ずつ言った。
「えっ、ああ、はもん、破門ね…」
マクシミリアンは、ふぅと一息ついて長い前髪をかきあげながら
「びっくりしたー、離婚されたのかと思った」
と言った。
「まったく…破門の次は離婚されないように気をつけてね!」
とルイ。
「容赦ないなぁ・・」
トホホ・・と頭をかくマクシミリアン国王。
なんともなさけない表情だ。
「父上ーなさけないよー!」
トトが笑う。
「キミの母上が恐すぎるからさー」
「何か?」
ぎろりと、ルイの吊り上った紅い瞳がマクシミリアンを捕らえた。
「すみません」
いつも最初に謝るのは父だった。
「父上、がんばってよー」
「だってキミの母上恐いんだもん」
「何か…」
「ご、ごめんなさい!」
暖かい暖炉の火がぱちっと弾けた。
「トトはもう寝る時間だろう?」
「まだ、起きてる!」
「ダメ!もう寝ないと明日起きられないよ」
「ふ~ん」
トトは口を尖らせて、しかたなさそうに母と連れ添って部屋を出た。
ベッドに入ると、母が明かりを消した。
「もうちょっといて」
「トトは甘えん坊さんだね」
「そうじゃないの!でもちょっとだけ…」
「はいはい…」
「父上は、何で母上よりも弱いの?」
布団に入ったトトは、横に腰掛ける母に聞いた。
息子の無邪気な質問に一瞬笑いかけたルイだったが、ふと真顔に戻り
「父上は弱くないよ」
と言った。
「どうして?だって破門されたのでしょう」
「父上は剣術はからきしダメだけどね。私より強いよ」
「なんで?」
いくらりっぱな仕事をしているとはいえ、あの父が母より強いとは思えない。
「それはね、一人で強くても力って限られているでしょう。例えば一人が弱くても、たくさんの強い仲間がいれば、強い一人よりもっと強くなれる。父上は味方を作るのがうまいのよ」
「よくわからない」
いつか、わかるようになるよ。
そう言って、母はトトの頭を撫でた。
「もう、おやすみなさい」
「うん、おやすみなさい…」
背中越しに静かな寝息を聞きながら、ルイは部屋を出た。
「少し休んだら…?」
長いすで会議資料に目を通している夫に声をかけた。
「うん、わかっているよ。もう少しだけ…」
「まったく…トトと同じことを言う」
我侭な息子の顔を思い出したのだろう。
マクシミリアンは苦笑した。
「トトはルイに似ているじゃないか」
「あなたにも似ているよ」
そうかな?
マクシミリアンは首をかしげる。
「マックス…」
夫の愛称だ。
幼い頃、国王の遊び相手として宮中に上がってからずっと呼んできた名だ。
やがて、遊び相手から剣術師範になり、そして妻になってからも、その呼び名は変わらない。
「何を考えているの?」
ここのところ、国政とは別の何かがマクシミリアンの思考の中にある。
そのことにルイは気づいていたが、何かとても嫌な予感がして直接聞くことを躊躇っていた。
ふと感じた予感は…自分自身をとても苦しめるものだろう。
知りたくない。
何かということが、漠然とわかっていても。
幼馴染として一緒にいた時よりも、この人をふと遠く感じる瞬間があるのはなぜだろう。
「何でもないよ」
そう答える夫の肩に腕を回してルイは呟いた。
「何も無理しなくていいんだよ。ずっと馬鹿なままのあなたでいてよ。利口になんてならないで…」
思えば、彼は幼い頃から病弱でやせぽっちだった。
そのくせ、いつもにこにこと笑顔で、他人を傷つけるということをしない人だった。
彼をよく知らない人は、なんとも頼りない王様だと言ったけれど…。
それは、この改革をより円滑に進めるための偽装。
反対するであろう貴族達に、余計な警戒心を生み出さないための最大の防衛手段。
ルイでさえも、大人になってから知った事だ。
だが、彼が計算のない優しさを持っている人であることも事実だった。
ただでさえ敵の多いルイを認めてもらうために、彼がわざとそういった人々に愛想よくしている事をルイは知っている。
ー人に気を使いすぎてるよー
ルイは何度となく言ったが、答えはいつも
「いいんだ、これで」
笑顔で答えるマクシミリアンに、何もいえなくなってしまうのだった。
「心配だよ…あなたが」
もともと、身体があまり丈夫でなかった夫が心身ともに無理をしているのは明らかで…。
「大丈夫…」
マクシミリアンは会議資料に目を通しながら答えた。
「マックス…」
国を背負うということ。
彼にはたしかにたくさんの味方もいるが、それ以上の敵もいる。
それに…
何を隠しているの?
ルイは、昔よりもだいぶ細くなった夫の肩を撫でた。
パタン…と、音がして暖炉の木が一つ崩れた。