夕空晴れて
雨が上がったら、空を見ることにしている。
虹を期待しているとか、ちゃんとした目的があるわけではなくて、ただぼうっと空を見る。これといって見るものもないから、退屈になってすぐにやめる。
「なんか意外。」
「そう?」
まあ…そうだよな、と自分でも思う。
「木崎くん、今日はまだ大丈夫なの?」
「あ、全然平気。今日は休みだから。」
「そう。」
しばし、窓の外を見る。日は差しているけれど、薄いグレーの雲がゆっくりと広がってきている。
「原田は?」
「私も平気。そうだ、これ食べてくれない?」
「いいのか?」
それは、原田が一番食べたいと言っていたドーナツだ。期間限定で、抹茶とチョコのやつ。まだ半分も残っている。
「うん。もうお腹いっぱいで。おいしかったから食べてほしいなって。」
「そっか。ありがとう。」
すぐに取って食べた。ドーナツの味の違いは良くわからないけれど、まあ、おいしい。
「ありがとう。」
「うん。」
原田は皿をじっと見ている。話すときはにこにこしているけれど、今は少し疲れたような表情だ。先生とサシで話しているときみたいな。
その時になって、俺は自分の皿の上にドーナツが残っていないことに気が付いた。食べるものがないのにここにいる理由はあるのか?
「そろそろ行く?」
「あ、うん。」
窓の外を見ていた原田は、反射するように答えた、
「でも待って、次はどこに行く?」
「あ、そうか。」
「先に決めておいたほうがいいよね。」
「そうだな。」
ここの店に入る前に、どこに行くか迷って30分迷ったことに気が付いた。確かに、出る前に決めておいたほうが寒い思いをしなくて済む。
原田は頭がいい。
「じゃあ、どこがいい?」
「木崎君は?」
「俺はどこでもいいけど。」
「そっか、そうだよね、えーと、じゃあね…」
原田は笑ったまま少し困ったような表情を浮かべている。そういえば、この店に入る前もこんな顔をしていた。
「ごめんな?」
「え、ううん、全然?あ、ごめん、スマホ使っていい?この辺のお店調べてみるね。」
「店、か。」
「ん?」
原田がこちらを向く。
「あ、いや、何でもない。」
「どこか行きたいところあった?」
「いや、それは無いんだけど…うん、それは無い。」
「本当?」
「うん、本当。この辺詳しくないしさ。調べてもらえると助かるよ。」
「…わかった。ちょっと待っててね。」
何もすることがないので、窓の外を見た。信号が赤に変わったところだった。こんなに景色を見るのはいつ振りだろう。そうか、秋田に帰省した時に、新幹線の窓で見たきりだ。
今度は皿の上に目を落とす。
「ごめん、ここ電波悪くて…」
「全然大丈夫だよ。」
「ごめんね?」
「うん。」
原田は必死にスマホを見つめている。画面に「早く、早く」と語りかけるような目をしている。
ふと、俺は本当は自分のドーナツを原田に分けるべきだったのではないかと気が付いた。原田は確か俺のドーナツを見ていたはずだ。本当は食べたかったのかもしれない。俺が頼んだのはただのチョコのやつだったけれど、ひょっとしたらチョコが大好きなのかもしれない。そしてまた気か付いた。
原田は何が好きなんだ?
急に焦るような気持ちになって、急いで原田を見た。
「…」
原田は病人を心配するような目でこちらを見ていた。
「ごめんね、ここ本当電波悪くて」
もうしばらくしたら、泣きそうな目で。
「原田。」
「なに?」
「もうここ出よう。」
暖房が暑くなってきたのも本当だった。
出てきた瞬間に冷たい風が吹いてきたので、空に向かってタイミングを褒めたかった。ナイス。
上着を着ると、店内の暖かさが残っているようでほっとした。
「あ、やっぱり外だと電波入るよ。えっとねー」
「原田、ちょっと歩かないか?」
「え?」
原田は本当に驚いたような表情で振り返った。
「どこを?」
「えーと、あっちのほう?」
適当に指を差したら、商店街を抜ける道だった。
「あ、うん。わかった。」
原田はまた笑った。
スマホをバッグに入れるのに手こずって、また謝った。一文字一文字しっかり聞こえる。
「おまたせ。」
「うん。じゃあ行こうか。」
手を出してみる。原田はどんな顔をするだろうか。
「…あ、ありがとう。」
少し固まってから、またいつもの顔に戻った。動揺したりすると思っていたので、少し驚いた。
ところが、手を握るのは慣れていないみたいで、力の加減が安定しない。少しうれしくて口が勝手にひきつる。
「どうしたの?」
やっぱり変な顔だったかな。それより、心なしか声も少し上ずっているみたいだ。やった。
「え、いや別に。」
「そっか。」
そこで、自分の体も少しおかしいような気がしてきた。うすいビニールで覆われているような、自分の意思と少し遅れて体が動くような。
左手が暖かいことに気が付いた。
「や、やっぱり少し緊張するね?」
「あ、ああ。」
「変かな?これで大丈夫?」
「え、多分?」
何が?
少し考えたけれど、やっぱり何か分からない。
「えーと、何が?」
「え、何が?」
「いや、これで大丈夫、とか。」
「え、うーん…何だろう。ごめん、分からない。」
困ったような笑顔を向けた。その時、これはいつもの笑顔とは少し違うかもしれないと思った。
左手はだんだん汗ばんでくる。だけどそれでいいと思った。
俺は原田の手を引いて歩き出した。原田はそれについてきた。
とうとう太陽には雲がかかったけれど、多分しばらくすれば日が見える。ちょうど夕方くらいになるのではないか。
それまでは、この手は離さないでいよう。
END
高校生の時に書いた話です。こんな感じのまっすぐで純朴な人が野球部に居たらいいなと思います。
当時私に恋人はいませんでしたが、書ききったらほっこりした気持ちになりました。
別にほんとう、負け惜しみじゃなく、はい。