永禄の変①
永禄7年(1564年)9月。
「日本の副王」三好長慶の死去から三好家中は長く動揺に包まれた。その三好家の家督は嫡男である三好義興が継いだものの、義興は23歳と若年であり、権力基盤が極めて不安定であった。そのため、三好家の実質的な権力を握ったのは、臨終の際に長慶から義興の後見役に指名された重臣の松永久秀と、実力者である三好長逸・三好釣竿斎・岩成友通の三好三人衆であった。
長慶が健在だった頃は、三好家の権力は長慶一人のものと言っていいほど強大な独裁体制であった。したがって、本来ならば長慶が病に倒れた際に万が一の事態を見越して共同統治体制に移行し、長慶亡き後の統治を円滑に進められるようにすべきであっただろう。
しかし、長慶の場合は病が病である。重い精神病を患ったことにより、長慶本人が共同統治どころか政務自体にも意欲を失くすという状況が長らく続いた後、突然亡くなってしまった。
そのため、長慶の死後は表向きは合議体制という形を敷いていたが、実態は当主である義興の後見役・松永久秀の一人勝ちであった。久秀の影響力は三好家中において圧倒的であり、長慶が死んだことで久秀を止められる者は誰もおらず、それはもはや新たな“天下人”と言っても差し支えないほどになりつつあった。
◇◇◇
大和国・信貴山城。
松永久秀は9月初旬のある晩、三好三人衆が将軍・足利義輝の暗殺を計画しているという報せを得た。だが、これに対して、久秀は黙認の姿勢を取るという判断を下した。
その理由としては、武門の頂点に立つ「将軍」という地位の持つ権力と影響力は今なお大きく、三好家が完全に畿内の政権を掌握するには至っていなかったことに起因する。
足利義輝は川中島の戦いを始めとする大名同士の合戦や紛争の斡旋・調停や、守護職などの幕府の役職の任免を行うことにより、失墜した足利幕府の権威回復を図っていた。その結果、地に堕ちていた幕府の権威はある程度の回復を果たすことになった。
そこまでは過去の将軍と同じ行動の範疇であり、特に問題はなかったのだが、2年前の「教興寺の戦い」の際に畠山家や周辺諸国の大名家に三好討伐令を出すなど、畿内の政権を握る三好家に対する義輝の明確な敵対行動が目立つようになっていた。
そして、極め付けは今年1月の三好長慶の死去である。三好政権の最高権力者の死によって、幕府の復興が可能となると錯覚した足利義輝は、更に増長の度を増した。
これに業を煮やしたのが三好三人衆である。
三好三人衆はいずれも三好家一族や重臣であり、三好長慶の時代には三好長逸は三好一族の長老、細川陣営出身の三好釣竿斎は旧細川家臣団や堺衆とのパイプ役、岩成友通は松永久秀と並ぶ家臣団の代表という地位を以って、それぞれが一軍を率いて一族の重鎮として活動していた。
しかし、長慶の強権という歯止めがなくなった三好三人衆は、半ば公然と三好家に対して敵対行動を見せる将軍・足利義輝という存在がもはや見過ごせなくなりつつあった。そこで三好三人衆は三好家の実権を握る松永久秀の意向を聞くことなく、独断で将軍暗殺を計画したのであった。
とはいえ、三好家の実権を握る松永久秀が将軍暗殺に関与したとなれば、当主である三好義興の命令だと疑われてしまい、三好政権の統治に悪影響が出かねない。
だが、久秀があずかり知らぬところで、三好三人衆が勝手に実行したとなれば、三好義興の名を傷つけずに済むし、政敵である三好三人衆の独断専行を咎めて処罰する大義名分が得られて、久秀自らも得をする。
「ふふふ、儂は何も聞いてはおらんぞ。だが、公方様には出家された2人の弟がいたはず。さて、どうしたものかのう。それにしても今宵は見事な月夜よの」
松永久秀は黒楽茶碗に九十九髪茄子から茶を掬い入れ、古天明平蜘蛛で沸かした湯を入れて茶を点てると、一人きりの夜の茶会を楽しみながら夜空の満月を見上げて呟いた。
足利将軍の暗殺は損得を比べれば得の方が断然大きいと損得勘定した久秀は、あえてこれを阻止しようとはせず、知らない振りをして見過ごすという判断を下したのである。
こうして、後に「永禄の変」と呼ばれる凄惨にして最悪の政変が幕を開けるのであった。
◇◇◇
9月12日・巳の刻。
「外が騒がしいようじゃな。誰ぞある」
京・二条御所の謁見の間で、足利義輝は若干の鬱積を声に含ませながら、物憂げに脇息に肘を乗せて頬杖を突いていた。
義輝が声を上げた直後、義輝の愛妾である小侍従の父であり、申次衆の進士美作守晴舎が謁見の間に慌てた様子で入室し、義輝の目前で跪いた。
「はっ。公方様、三好の軍勢が大軍でこの御所を取り囲んでおりまする。用件を伺ったところ、何やら訴訟の件で申し上げたき儀があるとの由にございまする」
訴訟、すなわち政治的要求である。大軍で御所を取り囲んだということから半ば無理強いに近い要求を脅して認めさせようという魂胆なのだろう。義輝はそう推測して思わず嘆息した。
義輝は三好・松永らの謀叛に備え、数年前から二条御所の四方の堀・土塁等を堅固にする工事を施してはいたが、幕臣の僅かな側近しか詰めていない二条御所には、大軍の攻勢に耐えうるほどの防御機能は存在していなかった。故に、三好の申し入れを「否」と突っぱねる選択はあり得なかった。
「ふん、一体どんな要求を突きつけるつもりなのか。仕方がない。門を開けて代表の者を連れて参るのじゃ」
「はっ、承知仕りました」
義輝は再び深く溜息を吐いた後、手を振り払うようにして決断を下した。
それから数分後、途轍もなく喧しい爆発音が義輝の両耳に轟いた。鼓膜が破れたかのようにも感じられた義輝は、反射的に耳を押さえて瞑目した。
「な、なんじゃ、この音は!」
「わ、分かりませぬ! 見て参りまする。しばしお待ちを!」
側近たちも慌てた様子で立ち上がり、腰刀に手を添えながら謁見の間を飛び出していった。
軍勢の足音が近づいてくる喧騒が謁見の間にも伝わってくる。義輝は騒然とした雰囲気の中で努めて冷静に思考を巡らし、今の状況について考察した。
(爆発音から察するに十中八九、御所を取り囲む三好軍の手による発砲じゃな。晴舎が門を開けた途端、雪崩れ込むようにして攻め入ってきたのだろう。ということは、用件は訴訟などではなく、やはり我の命を奪いに来たのであろうな)
実は昨日、義輝は従弟で義理の弟でもある関白・近衛前久から「三好に謀反の動きあり」との報せを受けて、京を離れてまた朽木谷に難を避けるため御所を一旦脱出しようと行動を起こしていた。しかし、奉公衆ら義輝の側近たちが再三の都落ちはせっかく回復させた将軍の権威を失墜させると反対し、義輝と共に討死する覚悟を示して説得したため、義輝も不本意ながら御所に戻ったのであった。
(晴舎の命はもうないかもしれないの)
義輝は涙交じりの汗を袖で拭った後、徐に立ち上がると、未だ立ち竦んだままの側近たちを怒鳴りつけた。
「直に三好の兵がここに現れるぞ! お主らも刀を取れ!」
その立ち居振る舞いはまさに"剣豪将軍"と呼ぶに相応しい堂々たるものであった。
「公方様は如何なされるのでございまするか?」
義輝が逃げるのだと察して、悲しげな目をして訊ねる側近たちの問いに、義輝は心外この上ないと一蹴する。
「ふん、この期に及んで尻尾を丸めて逃げ出すはずがなかろう。そもそも京から退避しようとした我を止めたのはお主らではないか。違うか? 我はこの御所で最後まで武家の頭領たる足利将軍として戦ってみせよう。だがこの命、ただでくれてやる訳にはいかぬ。塚原卜伝翁に授けられた"一の太刀"の奥義を以って、一人でも多くの三好の兵どもを冥府に道連れにしてみせようぞ」
「もっ、申し訳ございませぬ!」
義輝の目には確固たる闘志がギラギラと燃え盛っていた。かつて将軍にここまで「武」に長けた人間がいただろうか。傍に立つ側近たちが揃いも揃って身震いしてしまうほどに、義輝は恐ろしいまでの強い殺意を身体から迸らせていた。
主君の決意をひしひしと感じ取るや否や、側近たちは真剣な眼差しで頷くと、一斉に刀を抜いた。
「公方様!」
そこに、一人の男が力なく駆け込んできた。進士晴舎である。義輝はよもや生きていたのか!と腰を上げたくなるのを堪えた。だが、晴舎の身体は切り傷だらけで、こめかみの傷からは止めどなく鮮血が流れ出していた。
晴舎はそんなことには全く意に介さず、跪いて義輝に告げた。
「誠に申し訳ございませぬ。私が三好の真意を見抜くことができず、門を開いて三好の兵どもの侵入を許してしまい申した。幸い門を通れる人数はそう多くなく、今は一色輝喜らの奮戦でなんとか足止めしておりまする故、三好の兵がここまで来るには今しばらくは幾らか時間を要するでしょう。ですが、突破されるのももはや時間の問題かと存じまする」
晴舎は無念を顔に滲ませながら、拳を強く握る。
「構わぬ。いずれはこうなっていたであろう。こうなれば是非に及ばず。我らが底力、見せてやろうではないか」
義輝はクククッと笑う。しかし、主君の空元気に似たものを感じ取った晴舎は、血と涙が混じった液体を畳に一滴、二滴と垂らしながら腰の刀を抜いた。
「公方様、城内に三好兵の侵入を許してしまったこと、死んでお詫び申し上げまする」
「ま、待て!!」
義輝は晴舎が刀を自分の腹に突き刺そうとするのを制止したが、時すでに遅く、腹を切っても死にきれない晴舎は、苦しそうに呻き声を漏らしていた。
「ここに医者はおらぬし、腹を貫いたのじゃ、もはや助からぬであろう。だが、武家の棟梁たる我に仕える者として誠に立派であったぞ。長らく我に仕えてくれた礼じゃ。最期はこの我が自ら介錯を務めてやろうぞ」
義輝は晴舎を悲しげな瞳で見つめる。
「誠に過分なお言葉、かたじけなく存じまする。私は公方様にお仕えできて果報者にございました」
晴舎は息も絶え絶えに儚げな笑みを義輝に向けた。両者の目からは止めどもなく涙が流れ出していた。
「うむ、我もすぐに逝こう。冥府で道案内を頼むぞ」
そう言って義輝は一刀の下に晴舎の首を刎ねたのだった。




