博多派遣の密命
山科言継が帰って行った翌日、俺は松原湊から呼び寄せた慶松平次郎と直臣にした小浜景隆の2人を大河内城に呼び出した。
「2人を呼び出したのは他でもない。お主たちには九州の博多へ行って来てもらいたいのだ。平次郎、お主は博多へ行ったことがあったはずだな?」
「博多ですか?はい、近江に来る前ですので、かれこれ17年ほど前になりますか。父に同行して何度か博多へ行ったことがございますが」
「そうか。実はな。博多には南蛮船が来航していると聞いている。そこで平次郎には、まず南蛮船を手に入れてもらいたいのだ。古い壊れかけの船ならば手に入るやも知れぬと思うのだが、どうだ?」
「左様ですか。確かに船を手に入れるのはかなり難しいかとは思いますが、古い壊れかけの船ならば、あるいは手に入るやもしれませぬ。ですが、はたしてそんな出物の船が都合よく見つかるかどうか。それと、仮にあったとしてもかなり値が張るかと存じます」
「うむ、そうか。銭は心配せずとも良い。それに出物の船がなければ出物を作ればよいのだ。半蔵」
「はっ、ここに」
気配を消して部屋の隅に控えていた半蔵に声を掛けると、すぐさま反応する。いつも思うが、やはり半蔵の隠密能力は群を抜いているな。さすがは伊賀忍者というべきか。
あまりの気配のなさに半蔵の存在をすっかり忘れていたのか、平次郎と景隆は驚きを口に出しはしないものの、かなり吃驚したようで目を丸くしていた。
「伊賀衆に泳ぎと潜りの達者な者はおるか?」
「はっ。水遁の術に長けた者はもちろんおりまする」
山の中で細々と暮らしてきた伊賀の素破だと泳ぎや潜水に長けた者はそういないのではないかとも心配したが、それは杞憂だったようだ。半蔵は表情を変えることなく淡々と答えてみせた。
「では、その者たちも博多へ行かせよ。博多湊に停泊する南蛮船の底に穴でも開けて細工して、買い叩くのだ」
「ははっ、承知仕りました」
「平次郎、これならば買えるであろう? それでも南蛮船が手に入らぬようであれば、景隆は志摩の船大工も連れて行け。船の構造を調べさせて絵図面を書かせよ。目に見える海面の上だけではないぞ。南蛮船の船底も細かに調べさせよ。南蛮船には竜骨という魚の鰭のような大きな板が船底に付いているはずだ」
南蛮船と和船の違いは縦帆だけではない。南蛮船の船底には竜骨、すなわちキールという船体の強度を高める重要な構造材がある。左右の揺れを抑えて推進力に変える部材でもあり、波の高い外洋航海には必要な部材だ。むしろ竜骨の方が南蛮船の最も重要な秘密なのだ。
「それと景隆は手下を何人か連れて行き、南蛮船の操船方法を学んで来い。縦帆のない和船しか知らぬ海賊衆では南蛮船を操船できぬであろうからな」
「それでは、伊賀守様は南蛮船を買うか造るかして、志摩衆に扱わせるおつもりですか?!」
景隆は驚愕を隠せない様子で目を見開く。海賊である志摩水軍は俺の信用を得るには時間を掛ける必要があると考えていたはずだ。そんな志摩水軍に従来の和船よりも性能が大きく上回る南蛮船を託すとなれば、力を過信して寺倉家に反旗を翻す可能性だって無きにしも非ずだ。
だが、俺は景隆の淀みのない忠誠心を湛えた目を信用することにした。やはり直臣として召し抱えたのは成功だったな。南蛮船が手に入った暁にはもちろん景隆に任せるつもりだ。
「無論その通りだ。志摩の海賊衆は小早と安宅船しか持たぬであろう? それではこれからの海戦では通用せぬからな。南蛮船を買えなかった場合は、絵図面を元に志摩で南蛮船を建造させるのだ」
史実では九鬼率いる志摩水軍は「石山合戦」において、毛利の村上水軍と2度の「木津川口の戦い」を行っている。今後の戦いでは制海権を得ることが必要になる戦が増えるだろう。そうなれば海戦では南蛮船は絶対必要な戦力となるはずだ。
南蛮船を得た志摩水軍は鬼に金棒となるに違いない。「日ノ本最強」と呼ばれる水軍になるのも夢ではないだろう。志摩水軍が最強になれば、熊野水軍など他の海賊衆もいずれは傘下に入ってくるはずだ。そうでなければ滅ぼすだけである。
「ははっ、承知いたしました」
「平次郎、それとな。南蛮船が買えなくとも最悪は造れば良いが、大砲だけは1つでも構わんから必ず買ってくるのだ。頼んだぞ」
「大砲、ですか?」
平次郎は「はて?」といったように首を傾げる。そうか。この時代は大砲のような大型の兵器は殆ど知られていない。知っているのは南蛮商人と懇意で、かつ海沿いに拠点を構える博多か堺の商人くらいなのだろう。平次郎が知らないのも無理はないな。
「知らぬか? 鉄砲を両腕で一抱えするくらいの太さに大きくしたものだ。大層重いので陸で運ぶのは難儀するが、南蛮船に積まれているはずだ。南蛮船同士の戦いでは大砲の打ち合いで相手の船を沈めたり、海から陸に砲撃したりもするそうだ」
そう、大砲だけは絶対に手に入れたい。1つでも手に入れば青銅製でコピーできるだろう。鉄砲とは比べ物にならないほど高価な大砲を戦に導入できれば、攻城戦を優位に運べるようになるはずだ。
「なるほど左様にございまするか」
平次郎は「ほおぅ」と相槌を打って納得したように二度頷く。俺が新しい物や技術を好むのは平次郎も理解しており、要求に対して訝しむことはなかった。
「他にも南蛮の品で、ギヤマンという透明な器や遠眼鏡、羅針盤といった物は必ず手に入れてくるのだ。ギヤマンの器は割れたものでも構わぬ。他にも、南蛮の作物や家畜、後は地球儀という品があれば手に入れて参れ。よいな」
ギヤマンはオランダ語でダイヤモンドの意味で、ガラス細工のことである。遠眼鏡はその名の通り遠くを見るための望遠鏡の前身だ。用途に富んでいるが、まずは諜報活動や戦場で重宝することだろう。割れたギヤマンを溶かせばレンズに作り直して遠眼鏡を作ることができるはずだ。
羅針盤は磁石の働きを利用して海上で方位を知ることのできる遠洋航海で必須の道具だ。将来は琉球や蝦夷と交易する際にも重宝するはずだ。それに海に面する伊勢国を得た今、水運における遭難の報告も増えることだろう。そんな時に羅針盤で方位が分かるだけでも遭難件数は大分減ることが期待できる。
地球儀の地図は全く不正確なので実用性は皆無と言っていいが、家臣たちに日本の小ささや世界の大きさを教えるには、あると便利だろうと考えている。手に入らなければ俺が適当に自作するだけだな。その方がよっぽど正確だろうな。
この時代の南蛮の文物は、日本にとっては正に時代の最先端を行く優れ物だ。入手できるのであれば多額の対価を払ってでも得る価値はある。
「ははっ。承知いたしました」
平次郎と景隆は博多行きという重大な使命を受けて、幾分興奮したかのように顔を紅潮させながら、俺に頭を深く下げると退出していった。
◇◇◇
慶松平次郎と小浜景隆に博多行きを命じた翌日、小浜真宗が臣従勧告を行っていた堀内氏虎からの返書を持って登城してきた。
返書を読むと、予想どおり熊野水軍は寺倉家の臣従勧告には従わないとのことだ。それならそれで構わない。俺は小浜真宗に対して熊野水軍の中で冷や飯を食っている者に対して、調略を仕掛けて寝返らせるように命じた。
こうして、大河内城での伊勢国と志摩国の統治の地ならしを終えると、後は嵯治郎に任せて、俺はようやく近江国への帰還の途に就いたのであった。