大河内城の戦い④ 決着
力士のごとく大きな腹を揺らし、俺の前に歩み出て平伏したのは、身体的特徴から見ても北畠具房であることは明らかだったが、その顔は俯いており、具房の表情を窺い知ることはできない。
北畠軍から和睦交渉を行いたいとの申し入れを受け、俺は「ようやく来たか」とその申し入れを快諾した。
「私は寺倉伊賀守である。貴殿が北畠左近衛中将殿だな?」
しかし、具房の真意はまだ不明だ。俺は伏し目がちな具房をジッと見つめ、口上を待ち続けた。
そして、ようやく具房は顔を上げると、徐に口を開いた。
「いかにも。某は北畠左近衛中将具房と申す。此度は和睦交渉の提案を受け入れてもらい、感謝申し上げる」
俺はそこで初めて具房の容姿を見たが、やはり兵糧が底を突いたせいか、太った身体とは対照的に、両頬は少しやつれているように見える。
「ふむ。和睦交渉をしたい旨については聞いておる。問題はその内容だが、単刀直入に訊ねるが、左近衛中将殿が自らこうして交渉の場にやって来られたということは、北畠家は降伏する意思があると受け取ってもよいのかな?」
「……ああ、そのとおりだ。先刻承知だとは思うが、既に大河内城内の兵糧は底を突き、このままでは城兵や領民たちは明日にでも飢え死を待つだけの状況だ。もはや打って出て討死するか、降伏するしかない。勇猛果敢に打って出るのも一興だが、多勢に無勢、多くの兵たちを無駄に死なすことになるだけであろう。某も家臣も武士として戦って討死することには何の恐れも抱いてなどおらぬが、某は家臣たちの無益な死は望んではおらぬ」
やはり俺が城下の民を大河内城に追いやった策略が功を奏したようだ。あの策は史実で「鳥取の渇え殺し」で有名な秀吉の鳥取城攻めの策を拝借したものだ。史実では1400人の城兵が籠る鳥取城に2000人以上の民を追いやり、餓死者どころか人肉を喰らう餓鬼まで出る有様となったそうだ。大河内城がそんな飢餓地獄になる前に具房が降伏を決意してくれて良かったと、俺は心中で胸を撫で下ろした。
どうやら具房は武闘派の父・具教とは違い、玉砕覚悟の戦いは好まない理性的な男のようだ。尤も、武闘派でないことはその体型から一目瞭然ではあるが。
「うむ。それは私も同感だな。最後の一兵になるまで戦って玉砕するなど匹夫の勇だ。死んで花実が咲くはずもないからな。それで、左近衛中将殿は降伏の条件として何を望まれるのかな?」
「某の考えに賛同いただき、かたじけない。無論、敗軍の将ゆえ、この期に及んで『某の命を助けてくれ』などと願い出るつもりは毛頭ない。伊賀守殿が望むのであれば、武士として潔くここで腹を切る覚悟だ。だが、ただ一つ、伊賀守殿に頼みたいことがある」
「伺おう」
「この我が命と引き換えに、城内にいる城兵と領民、全員の命をどうか救っていただきたい。このとおりだ。宜しく頼む」
俺は正直、内心で驚くと共に感心していた。知行国主の北畠家の当主であり、由緒正しき血筋を継ぐ具房のことだ。人一倍プライドが高く、名門の血筋を残すためにも間違いなく助命を嘆願するだろうと予想していたからだ。だが、目の前の男は違う。残念ながら肥え太った腹はだらしないと言わざるを得ないが、その目には高潔な強い意思が確かに篭っていた。
「うむ。元より和睦交渉の申し入れを受けた時から、無辜の領民は言うまでもなく、城兵の命もぞんざいに扱うつもりなどない。ご安心召されよ。だが、北畠家の男は誠に気の毒だが、助命は叶えられぬし、出家も認められぬ」
北畠家の男を助命してしまえば、必ず将来の禍根となるだろう。出家させることも考えた。しかし、具教の弟・具親は興福寺東門院院主であり、史実では「三瀬の変」で具教と具房が暗殺されると、還俗して伊勢に戻り、北畠家の旧臣をかき集めて反織田の挙兵に及んでいる。
今回は城兵を助命するための降伏条件であり、暗殺ではないため挙兵には及ばないとは思いたいが、具親にも用心は必要だな。したがって、出家させたからと言って決して安心な措置とは言い切れないのだ。
「うむ。我が弟も幼いが、武家の男子だ。それも覚悟の上だ。可哀想ではあるが、甘んじて受け入れよう」
むざむざ幼い弟の命を捨てさせることを、具房は辛酸を舐めるような想いで受け入れたのだろう。具房のその覚悟を無駄にするつもりはない。このままでは鎌倉時代から続く名門の北畠家を滅亡に導いた暗愚な当主として、具房の名が後世に伝わってしまう。実際に暗愚な人物であれば致し方ないが、これまでの口上と態度を見る限り、具房は戦国大名として立派な人格を持った武将だ。このまま無為に死なせてしまってはあまりにも忍びない。
「だが、私も鎌倉の幕府の世からの名家である北畠家を断絶させたくはない。できることならば存続させたいとは思うておる」
「!! 某も北畠家を私の代で断絶させては、亡くなった父上やご先祖様に顔向けできぬと、それだけが唯一の心残りであったのだ。叶うことならばどうか北畠の血脈を残していただきたい。宜しく頼む」
俺の言葉に光明が差したのだろう。具房の目が一瞬輝いたように見えた。具房にとって何よりも大切なのは、己の命ではなく北畠家の存続なのだろう。
「うむ。とはいえ、出家して興福寺にいる貴殿の叔父御を還俗させたり、「北畠三御所」から養子を迎えるくらいであれば、貴殿の幼い弟御を死なせずに北畠家を継がせる方がましだ。そこでだ。我が弟・寺倉嵯治郎惟蹊の正室として貴殿の妹御の茅夜姫殿に嫁いでもらい、嵯治郎を婿入りさせて北畠家を継がせようと考えておる。将来は嵯治郎と茅夜姫殿との間に生まれた男子に北畠家を継がせ、北畠家には今後も伊勢国司として伊勢国を治めてもらえれば、北畠の血脈を後世に残すこともできよう。いかがかな?」
嵯治郎には既に半兵衛の妹の志波姫という正室がいるが、嵯治郎に北畠の家督を継がせるためには、対外的には北畠の姫を正室としなければならない。北畠家の家格は竹中家のそれを遥かに上回っているしな。無論、家中では従来どおり志波姫が正室であり、茅夜姫は側室として扱うつもりである。あくまで対外的に限っての話だ。こんな政略結婚のために嵯治郎と志波姫の仲を悪くさせたくはないからな。
そして、嵯治郎には北畠家に婿入りして家督を継ぎ、伊勢国主として伊勢国を治めてもらいたいと考えている。長野家のような養子の押し込みによる御家乗っ取りなどではなく、北畠家の血を残すことで旧北畠家臣からの不満も抑えられ、伊勢国の統治も少しは楽になるだろうと踏んだ訳だ。
「それは誠に願ってもない申し出だ。伊賀守殿、誠にかたじけない」
俺の提案を聞いた具房は目に涙を浮かべ、深く頭を垂れた。
「いや、当家にとっても、その方が少しは伊勢国の統治がしやすくなるだろうという打算が働いた提案だ。礼を申すには及ばない。では、左近衛中将殿も肉親や家臣との別れの時間も必要であろう。大河内城に戻って昔話など存分に語り合われてから、腹を召されるがよろしかろう」
これ以上長話をしていては具房に情が移ってしまうと考えた俺は、「北畠家の男子の自決」、「城兵と領民の助命」、「嵯治郎と茅夜姫との婿入り婚による北畠家の家督相続」という合意した降伏条件を書面に認めて具房に渡し、大河内城へ戻るように促した。目の前にいるのは俺より3歳も年下の男なのだ。腹は大きく、老け顔の具房だが、言葉の端々から名門の威厳を感じられる毅然とした態度に胸を打たれた。最期の時くらいは家族とゆっくり過ごしてから果てて欲しい。
本音で言えば目の前の人間が死ぬのを見たくなかっただけかもしれない。だが、家族との別れの挨拶ができるのは、両者が生きている場合にしかできないのだ。俺は父を謀殺によって突然亡くし、別れの言葉も交わせなかった。だから俺より年下の男に同じような思いはさせたくないという情が湧いてしまったのだ。
そして具房は大河内城に戻り、家族や重臣たちとの最後の会話に暫し花を咲かせて別れの挨拶を済ませた後、重臣筆頭の鳥屋尾満栄の介錯により切腹して果てたという。
こうして、大河内城は降伏開城され、戦国大名としての北畠家は滅んだ。しかし、古より続く名家としての北畠家は寺倉の血を交えて新たな時代を迎え、寺倉一門の分家筆頭として寺倉家を支えていくこととなるのであった。




