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六芒星が頂に~星天に掲げよ! 二つ剣ノ銀杏紋~  作者: 嶋森航
天下布武の黎明

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野洲川の戦い

寺倉が目賀田と戦った時期とほぼ時を同じくして、蒲生宗智率いる3000の兵は野洲郡と栗太郡へと侵攻を始めた。


相手は後藤賢豊・進藤賢盛・平井定武の連合軍3000弱。数の上ではほぼ互角とも言えたが、その実態は寄せ集め。目賀田の戦い以上に兵の指揮は統一されておらず、ただ同じ敵を持つ程度の纏まりでしかなかった。


野洲川を挟んで対峙した両軍の戦いは、数時間の睨み合いの末、連合軍の突撃によって幕が開いた。


先陣を切ったのは平井定武だった。それに続くように両軍が激突し、混戦状態になった。ここからは消耗戦となる。


「父上、このままでは無駄に兵を減らすだけでしょう。何か手を打つべきかと」


膠着状態に陥ったことを見かねて、蒲生忠秀は宗智に声をかける。


「戦況はもうじきこちらへと傾く。それまでの辛抱だ」


宗智は毅然とした態度を崩すことなく、静かに目の前の戦況を見つめていた。その顔に焦る様子は一切見られない。


そして宗智の予言通り、徐々に戦況が蒲生側へと傾き始めた。主に元六角六宿老の三家の兵が功を競い合い先走ったあまり、敵陣深くまで攻めすぎてしまったのだ。


その結果、左右の兵に囲まれる形となり前方の兵は挟撃を食らう形となってしまった。


「時は来た。我らはこれより蒲生に味方致す!!!」


徐々に蒲生が押し始めたことを見計らい、連合軍側の国人衆が一斉に反旗を翻し、三家の兵に一転攻勢を加え始めた。


用心深い国人衆は、蒲生の調略によって戦況次第では連合軍へと加担するが、蒲生が有利と見れば反旗を翻すという立場の元、この戦に参加していた。


有利な方につくという考えは褒められたものではないが、御家存続を第一に考える弱小国人の立場から考えれば、仕方ないという他ない。


その国人領主は北里館の高畑源十郎、小提城山城の永原重虎、矢島城の矢島越中守、浮気城の浮気時貞と、両郡において一定の勢力を持つ国人衆であった。


「な、なに!国人共がまとめて寝返っただと?!」


これに対し、三家の兵は当然大混乱に陥る。こうなれば烏合の衆でしかなかった連合軍は非常に脆く、一気に戦意を失い瓦解していった。


「あと少しだ!一気に崩せ!」


諸将の鼓舞により蒲生軍は勢いづき、連合軍を完全に囲い込む形になる。大将格の後藤賢豊、進藤賢盛、平井定武は敗戦を悟り、僅かな供を引き連れて慌てて退却を始めた。しかし混戦状態の中退却するのは容易ではなく、もたついた大将格の内、後藤賢豊とその嫡男壱岐守は立て続けに討ち取られてしまった。


大将の一角、後藤親子が討ち取られたことで戦意を喪失した兵は、ついに壊滅した。



結果、蒲生軍もかなりの被害を被ったものの、連合軍を壊滅に追い込む奮闘を見せ、野洲郡・栗太郡の制圧に成功したのである。


当主を討ち取られた後藤家は次男の高治が継ぐことになり、進藤と平井とともに六角六宿老最後の一人・三雲定持の元に身を寄せることになったのだという。




◇◇◇



三好長慶による比叡山焼き討ち。


この事件は世間を震撼させた。


俺はこの史実と異なる出来事に驚愕していた。厄介な比叡山延暦寺を焼き討ちし、占拠した長慶に対して感心したこともあるが、俺の知っている史実とは大きな違いを見せ始めたことへの驚きが一際大きかった。


史実との乖離の原因は間違いなく俺の存在だろう。もう史実という先入観は排除して考えなければならないな。


聞いた話の感じからすると、長慶は比叡山の腐敗した僧侶・僧兵を討ち果たしたことで、所謂燃え尽き症候群のような状態に陥っているのだという。8ヶ国を治めるに至り、宿敵・三好政長を討ち取り、比叡山の僧侶・僧兵も根切りにした。それに加え、弟を亡くし、“第六天魔王”という誹りを受けているという報告があった。まだ表には出ていないように思えるが、実際は精神的に憔悴しつつあるのは間違いない筈だ。しかし、比叡山焼き討ちという事件はあったものの、幸いにも三好は志賀郡南部を接収したことにより、南近江にも勢力を持つことが叶った。これで長慶の存在は、仏の力も恐れぬ魔王としての一面を戦国の世に強く印象付けたことだろう。


志賀郡南部が三好の支配下になったこと自体は脅威になりうるが、南近江に兵を向けて比叡山を焼き討ちしたことによって、まだ制圧していない志賀郡北部の堅田の抵抗が強まっており、今年の若狭への援軍は無いと確信するに至った。


これで浅井の若狭遠征への障害が一つ減ったことになる。正信主導の若狭国内に反乱の噂を流す工作も順調に進んでいるようだし、計画通り事を進められそうだ。


蒲生も多くの損害を出しながらも、野洲川で後藤・進藤・平井の連合軍を辛くも打ち破ったという。


残すは六角六宿老最後の一人・三雲定持がいる甲賀郡だが、ここはどうなるだろうか。


近江三家は、物生山会談で策定された領域をほぼ全て平定したことによって、近江国で確固たる地位を手に入れたと言えるだろう。



◇◇◇



6月23日、美濃一国を治める一色左京大夫義龍がこの世を去った。病状を聞く限りではどうやらハンセン病だったようで、享年35歳という若さであったと光秀が報告した。


「一色左京大夫殿が亡くなったとなれば美濃はまとまりを欠くでしょうな。しばらくは不安定な状況が続くでしょう」


「ああ、嫡男の龍興はまだ14歳で、酒色に溺れて女子にばかりうつつを抜かしておるという。一国の主としては些か力量に欠けると言わざるを得ない」


一色龍興は美濃を滅ぼした暗愚な当主として有名であり、政務の殆どを一部の重臣に委任し、女や酒に溺れ、重臣を蔑ろにする事で次第に家中での信用を失っていく。


「美濃に攻め込む好機ではありませぬか?正吉郎様は一色に攻め込まれる事を危惧していると存じます。当主が亡くなり脆弱な状況であるはずの今、こちらから攻め込めば勝機は十分に見込めるのではないでしょうか」


「いや、今は攻め込むべきではない。それにすぐに義兄殿が恐らく兵を挙げて攻め込むはずだ。この好機を見逃すはずはない。西美濃の竹中とも同盟を組んでいる今、背中を突くように進軍すれば西美濃衆に要らぬ不信感を与えてしまうかもしれぬ。ここは静観が得策であろう」


信長は義龍の死の直後、不安定な美濃の状況を狙ってすぐに兵を挙げたはずだ。これは史実で言う“森部の戦い”であるが、この戦では信長は奮闘し重臣を討ち取るものの、戦い自体には敗れている。


信長はこの敗戦の後も幾度となく美濃へと侵攻している。特に1563年の新加納の戦いでは竹中半兵衛の活躍により、数で劣る一色軍を伏兵策で勝利に導いたということがある。数で勝る信長が勝てないのだ。半兵衛の軍才には驚くほかない。


龍興はそんな半兵衛を疎く思い、国の政治から遠ざけ、佞臣は半兵衛を軽んじて侮辱する。そして竹中家は寺倉と婚姻同盟を結んでおり、史実以上に疎まれるのは避けられないだろう。


寺倉は今年の秋に浅井の若狭遠征に援軍を送る。それ故に美濃に手を出す余裕はない。だが龍興は寺倉にかなりの敵意を持っているだろう。志能便に命じて監視を続けなければな。






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