ヒロの価値
「ほらさっさと寝る」
ひと騒ぎしたののちシオリにそう言われ、ヒロは加工場の一番奥に設置されている台へと横になった。
「相変わらず寝心地が悪い……」
横になった所で固い感触を背中や尻の辺りに感じながらヒロは呟いた。
この台は人が寝ることを目的として作られているわけではなくあくまでも作業台であるためあくまでも台であるという事を真っ向から宣言しているかのように頑丈な造りをしているだけの台である。
一応ヒロが寝るということで頭の部分が微妙に高くなるように布が引かれてはいるがそれ以外には特にこれと言った配慮はされておらず仮にこんなところで一晩寝たりしたら確実に余計に疲れると断言できるような状態である。
「文句言わない、むしろあんたのならこれで十分でしょ」
「はいはい……」
呟きを聞いたシオリがぶつくさと文句を言い、それをヒロは適当に受けながす。
その間にもシオリはてきぱきと周囲の物を動かし着々と準備を進めていく、台に取り付けられている拘束具を伸ばすと横になったヒロの肩口にそれをしっかりと取り付けていきヒロの腕部分を台へしっかりと固定していく。
「手、触るよ」
「おう」
完全に固定されたところでシオリは一言断ったのちにヒロの右手に触れた。
「反対側も自分で外しといて」
「分かってるって」
右手をシオリに預けている間ヒロは空いている左手を顔の前へと持ってくるとその指先を咥え、そのまま指をぐいと引っ張る様にする。するとまるで手袋が脱げるかのようにヒロの腕の皮膚がずるりと外れ下にあったヒロの素のままの腕が姿を現した。
そこにあったのは肌色をした皮膚――ではなく、重厚な金属光沢を持った鉄塊。
形状としては確かに人間の腕としての形は保ってはいるがその腕はいかにも機械的なデザインをしており、全体が金属そのままの色と光沢を持つその様は一目でそれが機械であると誰もが理解できるようなものとなっている。
肘の部分は如何にも球体が中にはめ込んでありそうな形状になっており、実際中に球体がはめ込まれていて関節の代わりを果たしている。
そこからさらに先端部分、手のひらの部分には人間と同じく五本の指が備わっているが親指以外の四本の長さは均等で如何にも「アーム」という言葉が似合いそうな武骨でシンプルな形状。
それらの特徴を持った極めて単純な構造を持った機械製の腕こそがヒロの本来の腕、普段はそれを隠すために人間の皮膚を模した手袋のような物で表面を覆っているがヒロは肩と肘の間の辺りからこのような状態となっている。
ヒロは自分の両腕を機械製の腕に置き換えている、つまり「サイボーグ」と言われる存在なのだ。
アンドロイドという人間と見ただけでは見分けが付かないほどの高性能なロボットが闊歩しているような世の中においてはそれよりももっと単純なもの、つまり生きている人間を造るアンドロイドではなく、生きている人間と機械と繋げるというサイボーグに関しててはとうの昔に開発され実用化されている。
事故などによって手足を失った者などはもちろんの事、力仕事を行う者などが作業効率のアップのために機械化するという事も普通に行われている。
ヒロが重い鉄くずや建築材などを一人で運ぶことが出来たり、自分よりも大きいシオリを軽々と持ち上げることが出来ていたのもこのためである。
技術の進歩という物はつくづく恐ろしい物であり、生身と感覚すらも全く変わることなく認知出来る義肢という高性能な物でさえも廃棄場内部で手に入ってしまう。
だがそんな世の中であったとしてもヒロの腕は少々異質さを放っていると言えるだろう。
「あいかわらずメカメカしいねぇ……こんなのもう探しても見つからないでしょ」
シオリは皮膚を外して露わになったヒロの右腕の表面を骨董品を見るような顔をしながら撫でる、すると金属が擦れるキュッキュッという音が室内に響く。
義肢開発の歴史という物が始まったのは半世紀、その前の構想の部分から考えれば一世紀は軽く超えるとも言われている。
今となってはこのように上に人工皮膚の手袋を装着しなくてもそのままの状態で生身と外見での見分けが付かないようなものの方が一般化しており、掘削作業やなどにおいて使われる作業用の義肢などを除けば見た目があからさまな機械という義肢が目に触れることなどまずない。
そんな作業を行う者ですら作業時以外は普通の見た目をした腕を付けて生活していることが当り前であり手袋で隠してこの腕のままで生活している人間はいないと断言してもいいかもしれない。
「まぁ俺が知る限りでもこのタイプを使ってるやつはもういないな」
シオリがヒロの腕を眺める中、少し離れたところでその様子を見ていたシゲルが言う。
「俺がいるぞ」
シゲルがそう言うとヒロが即座にそう返す。
「ましてや整備できる奴なんざもうこの世のどこにもいねぇかもなぁ」
「じいさんがいる」
シゲルがどこか遠い目でそんな事を言い始めるがヒロはすぐにそれを否定する様にして口をはさんでいく。
「ったくいい加減新しいのにしろよ、便利だぞ?」
「じいさんが安くするっつって勧めてくれたからそれ以来ありがたく使い続けてるんじゃねぇか」
「めんどくせぇ整備をやらされる身にもなれっつうの」
ヒロが口をはさむたびにシゲルは迷惑そうな事を繰り返す。だがその言葉の裏にはどこかこのやり取りを楽しんでいるようなものも見え隠れしている。
シゲルにとってヒロの腕の整備というのは紛れもなく誰にも変わることが出来ない仕事の一つ。
実際ヒロの腕はこの世でこの一セットしかない可能性は高い、そしてそれを整備することが出来る人間ともなれば本当にシゲルという一人の老人だけかもしれない。
シゲルという存在がこの世から消えればヒロの腕を整備点検出来る物は誰一人としていなくなりその腕は次第にさびれこの世から完全に消える。
その最後の命綱を自分自身が握っている。それは決して長くはない残りの人生を生きるシゲルにとって他でもない能動的な安らぎを与えてくれる存在といえるだろう。
「どれ、見してみろ」
両腕を固定されて台に縛られたような状態のヒロの隣にシゲルはどっかりと腰かけ作業を開始していく、その顔はまさに職人の顔そのもの。
「(相変わらず楽しそうな顔だこと……)」
その孫娘であり弟子であるシオリはシゲルの様子を横で見つめながらそっとそう思う。
すでに全盛期と比べて色々と落ち始めていることは日常的な生活を一番近くで見ているシオリには分かる。筋力も視力も落ち、人として中古になり始めているのは明らかだ。
それでもこの光景だけは絶対に勝てないとシオリは断言できる。あと五年十年たって今よりもっと落ちぶれたとしても勝てない。シゲルが死んでこの世からいなくなったとしてもまだ勝てない、自分の祖父というのはそれほどの存在であるとシオリは思っていた。
ヒロの古い義肢は定期的な点検が絶対に必要になるがヒロ自身が金がないだのと言った理由でしょっちゅうサボるので本当に必要な整備回数には届いていない。
それにもかかわらずヒロの腕が全く機能を落とすこともなくきれいなまま保たれているのはまぎれもなくシゲルの腕によるもの。
「シオリ、工具」
そんな事を考えるシオリに向かってシゲルがそう言って手を差し出す。いうなればメスを求める主治医とでもいった具合か。
「はい」
種類も何も告げられずにただ言われたシオリだったが状況から数十種類とある工具のなかからすぐに求めている工具と同じものを把握し、すぐにその手に乗せる。
「ちったあ分かって来たじゃねぇか」
そんなシオリの手早さを感じたシゲルは顔こそ向けなかったものの何処か満足そうに言葉を返す。
「そりゃ毎日怒鳴られまくってますからね~」
それからしばらくシゲルが工具を求めてはシオリがそれに答えていく、その間もシオリはシゲルの手元の動きをしっかりと目に焼き付けることは忘れない。そして内部の点検が終わり最後に一番外側の部分を新しい金属板に取り換えるだけとなった。
「(左手の分の用意をしておこ……)」
表面の金属板の張り替えには特別な工具は使わないのでシオリが手助けをするような場面もない、そのまま空いている時間を使って次の準備しようとシオリが部品を取るために棚の方へと移動しようとした時である。
「シオリ、張り替えやってみろ」
「えっ! ほんとに?」
突然言われた師匠からの実践許可にシオリは嬉しそうに声を上げた。
「ちょっとまて、シオリで大丈夫なのか?」
それを聞いたヒロは心配そうな声を上げる。ちなみに最新の義肢の場合は腕部分の痛覚なども共有されているため点検の際には一種の麻酔のようなものをかける必要がある。
だがヒロの古い義肢は痛覚までは共有されていないので麻酔は必要とせず点検中も普通にしゃべることが出来る。
「お前は寝てろ」
「ぅお……」
そんなヒロの顔面をシゲルは掴むとそのまま台へと押し付ける。黙っていろと言いたいらしい。
「練習は結構したけど本番は初めてだから……失敗したらゴメンね」
「シオリ、失敗した後の事なんか考えてんじゃねぇ」
不安さをにじませるシオリだがそんなシオリに対してもシゲルは厳しく言葉を投げかける。
それは師匠として弟子を育て上げることを誇りを持った人間であると同時に自分の持つ技術をしっかりと受け継いでほしいと思っていることに由来している。
「はいっ」
そして愛弟子もまた精一杯の持てる力を持ってそれに答えていく。最終的に両手共に張り替えをシオリが行い、最後の方はほとんどシオリが一人で行った形になった。
点検用の拘束から解かれ、自由になったヒロはその点検が終わった義肢を軽く動かしながら状態を確認していく。
「ま、なかなかいいだろ、どうだヒロ?」
シゲルもその出来栄えにはなかなか満足しているようである。
「別に、違和感はないぞ」
ヒロも動かしてみた限りでは別に動きや感覚に違和感があるようなことはなくシオリの腕が通用するレベルになっている事をしみじみと感じらせる。
大きな声では言えないが正直に言うとシゲルがやった時とシオリがやった時でどこが違うのか全く分からなかった。。
「なかなかやるもんでしょ」
だがシオリはふふんと鼻を鳴らしてご満悦そうだったのであえて口には出すようなことはしなかった。
「さてと……」
台から降りたところでヒロは軽く伸びをする、固い台に長いこと横になっていたので微妙に体が凝ってしまっているようだった、凝りをほぐすように腕を回して肩甲骨の辺りを動かすと微妙に痛みが走る。
「おい、帰るぞ」
軽く動かしながらヒロはミコに向かってそう呼びかける。
「はい、かしこまりました」
ミコはヒロの点検中ずっと部屋の端の方で立ったまま微動だにせずに待機していたのだが全く疲れた様子も暇を持て余している様子もみせていない。
「もう帰んのか?」
「ていうか、もともとこいつを売りに来ただけだし」
「ところで、そのアンドロイドどうすんだ? 一応売り先は探してみるが、それまでうちで預かっとくか?」
そう言うシゲルであったが言い分は別に間違ってはいない、売却を考えているのだから売ってくれる人間に預けておいた方が効率が良いのは明確である。場合によっては顧客に直接見せることで買い手が見つかる可能性もある。
信用できないような相手が言い出したら断った方が良いがシゲルがそんな事をするような人間ではないという確信もそれなりに持てる。
「持って帰るに決まってるだろ! そんで家にしっかり置いておく!」
だがヒロは速攻でその提案を拒否する、ヒロは何が何でも自分のところからミコを離すという事が怖かった。
「そうかい、そりゃ残念だ」
「うちにあったら、こっそり触り放題なのに~」
「なおさらダメだ! こいつは俺以外触るの禁止!」
そう言うとヒロはミコの手を取った。
「じゃあな、またそのうち来るから売り先見つけといてくれよな?」
そのまま手を引いて工房を後にしていく。
「言っとくが見つからない可能性の方が高いからな?」
「できれば週一ぐらいでは定期検査に来てよね~?」
後ろから聞こえて来るシゲルとシオリの言葉を聞き流しつつヒロは速足で元来た道を戻っていく。
「ご主人様ペースが早すぎます、肉体的疲労と到着速度を両立させるためには少々速度を落とした方が結果的には――」
「いいから早く帰るぞ!」
手を引っ張られているミコがその速足に対して助言をするが最後まで言い終わるよりも前にヒロは遮るようにして声を重ねた。
こんな人通りが多くていつ何が起こるか分からない所に想像もつかないような大金を生み出す存在を置いておくことの方が恐ろしくてたまらない。
真新しい金属の腕の先に繋がれている存在、それをもし離してしまったら何処かに行ってしまうのではないかとヒロは気が気でなく無駄に力が入ったまま廃棄場を下って住処へと戻っていく。