路地にて
自宅であるマンションから出て数分。俺はショートカットのため、敵性存在と遭遇する危険を承知で住宅地を堂々と突き進んでいた。
さすがは住宅地というべきか、これまででも数匹の『敵』と遭遇している。損害なく撃退できているのも、ネットに上げられている情報と……鮮烈な経験のお蔭だろう。
「ん?」
最早聞きなれた、人が起こすような不自然な物音を拾う。歩みを止め、そのまま近くの塀で身体を隠しながら音の発信源を探る。
幸いにして音が聞き取れるほど近くだったこともあり、その対象はすぐに発見することできた。
「生存者じゃない、か」
それは人ではあったが、生存者ではなかった。
ゾンビ──死者でありながら活動し、生存している人間を襲う人類の敵。
生きる死者を表現する名称は色々と存在するが、ネットの掲示板ではこの呼称で決定しており、その世界にどっぷりと浸かっている俺はそれを採用している。決めたのは、会議開いて満足する政治家・専門家共ではなく我らネット民なので、仰々しい漢字の羅列や聞いたこともないような難しい横文字にはならず、シンプルで分かりやすい。
それに加えて政府機関があまり機能していないことも、少しは起因しているのかもしれない。『世界事変』──爆発的にゾンビが増えた日のことで、政府が発表した公式のものではない。これもネット民が生み出した通称で、例の如くなんの捻りもない安直なものとなっている──が起こった当初、政府は碌な対応もできず、結果が御覧の有様だ。
詳しくは知らないが、緊急事態にもかかわらず、野党は人格者を気取った世間へのアピールで総理一派の足を引っ張ったそうだ。死亡してゾンビとなり暴動を起こす者達を人間として扱うかどうかで大分揉めたらしく、その所為もあってか対処が随分と遅れたらしい。
『人襲って、頭潰さないと死なないなら……もうこれ“ゾンビ”でよくね?』
ちなみに某掲示板では、このたった一言でとある論争は呆気なく収束した。その議題とは『なんか感染する系のキ〇ガイが湧いたようだ。素晴らしいネーム求む』という国家運営と比べ規模は小さい論争だが、スレが立ってからは加速度的に参加者が増加しヒートアップしていった難問だった。
中には中二チックな名前を付けたくて最後まで足掻いてた可哀想な子もいたのだが、『中二乙w』、『帰ってイイヨ』のコメントの嵐で無事鎮圧された。これが後に『中二の吉田』と名を轟かせることになる男(当時、中学二年生)の、誕生エピソードである、のだが……ぶっちゃけ興味ない。
まあ、なにはともあれそんな反乱分子がいたとしても、たった一言で解決したのに変わりない。
……国を動かす権力者共も、無駄なことしてないで僕らのようにすぐ纏まればいいものを。もしそうしていたならば、これほどの惨事にはならず、幾ばくかマシな未来があったかもしれないのに(笑)。
話題が逸れた。件のゾンビだが腹のあたりが抉れており、そこから腸が飛び出しているために、見れば一発で分かる相手だった。
そこら辺の石を拾い放る。投げた石は壁にぶつかり軽快な音を響かせる。
それを察知したゾンビは、まるで誘われるように発信源へと近付いていく。
「いまッ!」
背を向けられた瞬間、身を潜めるのを止めて飛び出す。その踏み込んだときに発生した大きな足音に気付き、標的は振り返るが──
「──遅いッ!」
先に振りかぶっているこちらが有利だ。繰り出したバットは吸い込まれるように顔面へと命中し、その身体を数メートルほど吹き飛ばした。
吹き飛んだゾンビの身体は路面へと叩き付けられ、そのまま数回バウンド。その末にブロック塀へと突っ込み沈黙した。
手首に痺れたような、鈍い痛みを感じる。技術がまだまだ未熟の所為か、手首を痛めてしまったようだ。意識すればするほど強く、鈍い痛みが走っていく。
「…………人間って、こんな飛ぶもんだっけか……?」
そんな阿保らしい疑問が真っ先に浮上した。痛みを振り払って状況を再確認……飛ばねぇわな、うん。
「それなりに筋トレはしてるけどもね。これは、チョット……」
昔やってた部活の名残やら小説の影響とかで、筋トレのようなものをしてはいた。だが悲しいかな、『退化』は簡単でも『進化』は困難を極めるのが人間なのだよ。たったの一日寝込むだけで、いったいどれだけの育てた筋肉を失うと? 正直、釣り合いがとれてな(ry
……結局何が言いたいのかというと、申し訳程度の筋トレで育った筋力値如きでバトルファンタジーアニメよろしくなぶっ飛んだ展開に、より詳しく述べるなら、一発殴ったら人間が吹っ飛ぶなんて奇天烈な事態にはならない。他になにか要因がある……強いていうならば、『レベルアップ』とか。
非現実的な光景に思考が逝く。「考えても無駄」と結論を出すしかない。そんな風に割り切ってしまえば、そもそもが非日常なゾンビワールド、非現実的なことが起こるなんて今更な気さえしてくる不思議。
「うん、意味がわからん」
小骨が刺さったかのような微妙な心境になりつつ、移動するために再び足を動かした。