「退屈は人を殺す」
お久しぶりです。……という挨拶が、自分の作品では当たり前になってるんですよねー(苦笑)
まさか、半年開いてるのにキープしてくれてる方がいるとは……(感想が付いたのは軽く予想の埒外でした)。
代わり映えしない授業風景、友人とのバカ騒ぎ、クラスメイトとの他愛もない会話──そんな、平和そのものといっていい日常。
日常で起きる物事は、すべて起伏に乏しい味気ない一コマであると同時に、特出すべき掛け替えのないものでもある。
「…………飽きた」
好きな時に起きて、適当になにかを食べて、好きなもの読んで遊んで、また適当に食べて、好きな時に眠る。あの生存者との交流を最後に、悠々自適な、自堕落ともいえる毎日を送っていた。
たしかにそれは、夢のような環境だろう。しかし、人は慣れる。その幸福を普通だと感じてしまう。普段は平穏を望んでおいて手に入れば次には刺激を求める──、それも人が持つ姿のひとつなのだろう。
それをこの男は、と自分で言うのもアレだが。そう自分を皮肉気に第三者の目で分析する。
マイナス補正のフィルタが掛かっている自己評価だ、己の気分を降下させるだけなのは必至だ。この作業をやってしまうのは癖のようなものと黙認しており、仕方がないと半ば諦めが入っている。
この自嘲気味な考え方が冷徹に物事を判別させているのだろうか。己を含め全ては等しく無価値だ……といったような。
「さて、暇つぶしはなににするか……」
刺激を求めるのは確定事項だ。あまりにも快適すぎて、退屈を持て余し気味になっている。
少しだけ思考し、脳内に遊べそうな候補をリストアップしていく。が、なかなか惹かれるようなものは。
「……あるじゃないか」
そう。飛び切りのいいものが。
「命の恩人様の様子でも見に行くとしますかね」
世界が変わって被害が最も大きかったのは、当然だが初日『世界事変』だ。被害が大きいと言うことは、生き残れた人間は一芸に秀でていたり運が良かった者ばかりだ。正直、俺のような凡人、凡人以下の人間は即退場していただろう。
死んでいないのは単純に運が良かっただけ。虐めとも言えない幼稚で陰湿な〝迫害〟があって、学校という環境に一時期嫌気がさしたためだ。
やることは決まった。
「さて、学校行くか」
準備を終え扉を開け──、
「dihagdkfsajfgjeaw!!」
判別不可の絶叫をあげるゾンビが一体、姿を現した。
──退屈は人を殺すという。
暇と退屈は違う。退屈とは、目的もなく暇を持て余している状態だ。
変化のない日々というのは精神を蝕んでいく。目的がなければ気力は湧かず向上心は無くなり、次第に動くことすら億劫になっていく……。
気分が沈んでいく一方なら、そりゃ鬱にもなるし、何事も面倒だと一蹴、気力も沸かなくなるだろう。死にたくもなる。
このように、退屈が原因で死ぬような目に合う人間はごく少数。しかも、物凄く運の悪い部類に入る。
もちろん瞬殺した。