柚山恭一という男子高校生
その部屋は、雨戸のシャッターが下ろされ、さらにカーテンも完全に閉め切られている。外から様子を窺うことは不可能、世界から完全に隔離された空間。
外界からの光が届かない薄暗い部屋を照らすのは、激しく明滅を繰り返すパソコンのモニタと、その周辺──主に手元の視界を確保する目的で設置された、申し訳程度の光を放つスタンドライトのみ。
その部屋の主は、パソコンの画面を親の仇のように睨めつけマウスとキーボードを相手に格闘を繰り広げている真最中。口から飛び出すのは、侮蔑を多分に含んだ罵倒するものばかり。褒め讃える祝言など、ほぼ稀だ。この現代ではありふれた、極々一般的なプレイ風景だ。
プレイしていたゲームに一段落着き、俺は軽く伸びをする。指の関節がぽきぽきと鳴り、気が抜けたせいか疲労感が一気に押し寄せてくる。長時間同じ姿勢でいたことや、レイドボス相手の協力プレイ──ほんの些細な操作ミスですら許されないという緊張感から身体が強張っていた……というのが、妥当な要因か。
その後、手元のリモコンを操作して部屋の照明を点けた。
光の入らない薄暗い部屋、ゲームしてばかりの住人。そんなマイナスの言葉から思い浮かぶ、常識を持つ者なら誰もが忌避するほどの煩雑な部屋……という訳ではない。リモコンだって、態々探し出さないといけないなんて事態になることなく、簡単に見つかる。
明度が上がったことで、この部屋の模様が明らかとなる。小説や雑誌の類いは本棚に、ゲームのディスクが入ったパッケージは段ボール箱に、ゴミはゴミ箱にきっちりと収められており、不要なものでいっぱいになったゴミ袋も邪魔にならない端のほう、部屋の隅に固めて置かれている。
この通りに部屋はしっかりと整頓されており、連想されるヒキコモリ特性の一つ“足の踏み場もない”なんて事態にはならない。
まして、ヒキコモリ歴数日の人間に、一体なにを求めているのか。
「さーて、飯めし~」
机の引き出しを開け、手を突っ込む。これくらい、何十何百と繰り返してきた作業なため視線をやらなくても問題なかった──これまでならば。
「あ? ……うわっ、兵糧切れたか」
手軽に食べられ、必要な栄養も十分取れる人類の叡知の結晶。『乾いた口や喉を潤すための水分が必要である』くらいの欠点しかないという優秀食品。そんな、いつもは常備してあるカロ○ーメイトも、補充されなければいつかはなくなる。当たり前の話だ。
前回部屋を出たのは、一体いつだったか…?
「しゃーない。カップ麺で済ませるか」
ノロノロとした動作で席を立ち、キッチンの方へと向かう。そこの戸棚には、様々な種類のインスタント・レトルト食品が所狭しと並んでいる。
先の言葉はある種の妥協のような意味に取れるが、ただ台所に行くのが億劫だっただけであった。食べ物には何の落ち度もない、あるのは惰性で生きる俺だけだ。
ちなみに、他の引き出しを開ければ缶詰、冷蔵庫の冷凍室には冷凍食品が完備されていた。
カロリーメ○トをはじめ、この部屋にある食品はすべて短時間で出来上がる人類の英知が結集された偉大な食品達である。
食料だけに限れば、『理想の環境』といえよう。
しかし、包装を破り食べるタイプの物と違い、ある程度のお湯と待ち時間が必要なインスタント食品やレトルト食品にはあまり手が伸びない。……これだけ色々と揃えておいて、“なにいってんだこいつ”な話だが。
まあ、コストが高く(準備するのがただ面倒なだけ)手が伸びないといっても、別段嫌いという訳ではない。むしろ好きな部類である。ただ、時間がもったいない……そう感じてしまうだけで。
時は金なり──ベンジャミン・フランクリンの名言とされる『Time is money』、その和訳。この言葉の通り、時間というものは貴重だ。
カップ麺完成までの所要時間は、おおよそ三分。
それだけの時間があれば、某光の国の戦士は怪獣を倒して地球を救えてしまうし、某番組では料理が出来てしまう。実際、それだけあればゲーム攻略は十分進むし、小説なら十数ページは消化できるだろう。俺より効率いい上の人間なら、より充実した時が過ごせるであろうことは想像に難くはない。
「コストが掛かるが、温かさや味わいがある。だからこそ、どちらかに傾倒できないんだよなぁ」
そんな妙に上からば個人的感想を呟つつ、冷蔵庫からペットボトルを取り出して小さめの鍋に中身のミネラルウォーターをぶちまける。あとは鍋を火に掛け、沸騰するのを待つのみだ。
「面倒な世界になったもんだ」
いまのご時世、水道の水になにが含まれてるかわからない。水は煮沸消毒すればある程度は問題ないが、心配なものは心配だ。不安というものは、そう簡単には拭え切れるものではない。
沸騰したお湯を、いまの気分を基に厳選した『味噌ラーメン ~世界の始まり風~』の容器に投入、しばらく待機する。
「少し寝て、昼から買い出し行くか」
いくら食糧に余裕があるといっても、それは“いまはまだ”だ。早めに確保しておいても、悪いことはなにもない。あるとしても、精々他人から恨まれるくらいだろう。
──もしかしたら、店に残っている在庫がなくなっているかもしれない。
そんな懸念事項に後押しされたかのように、今日の予定は躊躇なく決定した。
セットしておいたアラームが甲高い音を鳴らし、俺に食事開始の許可を出す。それをすぐさま止め、麺を啜る。
デジタル時計に映されている時刻は午前6時12分。昼までなら、仮眠に丁度良いくらいの時間だ。ちなみに、今日は平日最初の日──月曜日である。
「学校の支度がどうのって時間なんだろうけど、まぁ関係ないな──いまの俺には、ね…………」
自嘲するように呟いて、寝室に入った。
やりたいことに没頭し、好きなときに寝て、好きなときに起きる。偶に必要なことがあれば外出する。
それが俺──柚山恭一という男子高校生の、現在の日常だった。