希望は、スーパーのツインパック木綿豆腐と同じくらい、もろくて安い。
測定19回目。
我々は、いつものように大学の研究室でモニターに映される結果を見守っていた。僕はコンピューターに映された値をじっと見つめる。博士も僕の右肩に顎でものっけんばかりに、画面を見つめている。シャワーに入ったばかりの彼女の身体からは、石鹸の香りがした。
結果から言えば大半のデータとして使い物にならないものだった。
我々はもちろん落胆した。
「なにがいけないんだろう。そもそも論の話のような気がしてきたね。境界条件の設定なのか、それとも仮説の設定自体の話なのか。まあ、たぶん。後者だろう」博士は、研究室に置かれたソファの周りをぐるぐると回りながら、ひとり賑やかに話し続ける。
そして突然立ち止まったかと思うと、両手を天高く突き上げて、「神よ!見捨てたもうたか!」と叫ぶ。また、どこからともなくサングラスを着けて、サタデーナイトフィーバーのジョントラボルタの真似をする。腰をエロティックに動かして、腕を揺らし、大人っぽい笑みを浮かべる。僕であっても、この時は冷や汗が出てしまう。もっとも子供から遠いこの瞬間、女性として、踊り子として、彼女を見てしまいそうになる。
「なんだい? まるで電子の動く方向が、プラスからマイナスじゃないことを知った子供みたいな顔をして。一緒に踊ろうよ」
ああ、ダメだ。僕は彼女に逆らえない。
だが、鉄の理性をもってして僕は椅子から立ち上がり、疑問を投げる。
「その、いつも思うのですが、踊るとアイディアが降ってくるってマジなんですか」
「マジもマジ。大アルマジロさ」
「なら……」僕は彼女の隣に立ち、見よう見まねで、それっぽく踊る。
最初はオドオドと、よちよち歩きの赤ちゃんのように、けれど、助走を終えたランナーのように、すぐに我々は一つのユニットとして、カップリングとして、踊っていた。
「それで実験は続けるんですか?」
「うん」
「さっきまでの懸念点は?」
「今考えてもしょうがない、やり切ってから考えよう」
「そうですか」
大半の人は誤解するのだが、博士の知性は深い思索からくるものではない。それは圧倒的なまでの試行回数に依存している。常人が10回の失敗で満足するなら、博士は1万回の失敗を繰り返す。その異常なまでの行動力が、彼女の知性の正体なのだろう。
「さあ! 測定をしよう! 測定して、測定して、その待ち時間に踊り続けよう!」
「えっ! あっ! はいっ!」
「ああっ、楽しい。研究って最高だ。仮説を立て、データを取って、その仮説をぶっ壊して、やり直して……振り出しに戻る。最高だ」
「それって最高なんですか?」
VMNからコンピューターに入力されたデータが、インクジェットプリンターに転送され、印刷される。バイオリンの弦を小刻みにこするような音が、室内に響く。
「これ以上の楽しみが人生にあるのだろうか? いや、ない!」
「戦争終結への貢献は?」
「そんなものはついでだよ!」流れるようなステップで、プリンターのあるスチールラックへ行き、プリントされたデータを見る。踊りを止めず、止まらない彼女。
「どれどれ……あっ! これイケる」
「えっ!? 使えるんですか、そのデータ」
「うん。どうやら、私の心配性が悪くでていたようだ。やっぱりデータを揃えれば、少なくとも結論には至れそうだね。これ」
「じゃあ、希望は?」
「希望は、ある!」
博士は、右手でガッツポーズをする。
と同時に、目の前が真っ赤に染まる。耳をつんざくような破裂音。そして飛び散るガラス。
僕はしばらくの間状況をつかめずに周りを見渡していた。粉塵と停電のせいで周りが見えない。けれど、それも一瞬のことで、すぐに非常用電源が起動して灯りが戻る。
こんなこと初めてだった。
けれど、桜田門博士は冷静に状況を把握しようとしていた。
「助手君、けがはないね。たぶん、近くにミサイルが……」博士は、研究室の中央から、割れたガラス張りの壁へと歩を進めていた。「ああ、隣のビルがやられたね。まあ、データがなくなるまえでよかった」
僕は、ようやく現状を認識すると、忘れていた呼吸を再開する。冷静になると少し自分の状況が心配になってくる。それは、過去現在未来における自身の判断?それとも交戦状態にある日本の行く末? はたまた、この先命があるのかどうかという問題か。
それはわからなかった。




