15-1
「……気をつけろ。何か来るぞ」
前を向いたまま、ヴォルフが低く言った。
──我に返ると、辺りは異様な光景になっていた。
違和感は目に映るものだけに留まらない。
波の音は消え、周りに沢山あったはずの海鳥の声や姿もなく。
水平線に落ちゆく日の残光が、俺たちのいる場所を不気味に赫く照らし出す。
少しずつ、禍々しく。
羽を広げたままの格好で宙に浮かぶヨタカの目も、赫く光っていた。
(これは……空間の異界化? いや、召喚結界か!)
数瞬の間、反応しきれずに立ちすくんでいると、波止場と隣り合う浜辺の砂が、何かに突き上げられるようにボコボコと盛り上がり始めた。
異変に呼応するように、羽を広げた大鴉が「カアアーッ」と鳴いた。
『さて、挨拶も済んだことだ。もう汝らにはいつでも島を出て行ってもらって構わぬが……』
ニタニタ嗤いながら、ヨタカが言った。
『ここでただ別れるのも味気ない。どれ、ひとつ肩慣らしをして行って貰おうか』
「……肩慣らしだと?」
ヴォルフが眉を釣り上げた。
『ああ無論、躱してもらっても結構だ。迎えの船が来るまでどう過ごすかは汝ら次第……。さあ、出でよ! 我が下僕たちよ!』
すると、砂浜に空いた四つの大きな穴からそれぞれ黒い塊が噴き出される。そこから現れたのは、四体の融合獣だ。
獅子の頭部、ヤギの胴体から生える尾は蛇という、ダンジョンでは中ボス級のモンスターである。
「どういうことだ」
いつも冷静なヴォルフも、さすがに驚いたように目を瞬かせた。
「ダンジョンでもないのにキメラが湧いてきたが」
低級な雑魚モンスターならいざ知らず、この世界の魔素程度では、魔力消費量が高いモンスターほど、自発的に現れることはほとんどない。
「……どうやらヨタカ殿は『召喚師』のようだな」
魔導師と呼ばれる者なら、俺のようなのも含めて数多くいるが、召喚師はなかなか希少な存在である。俺も実際に相対したのは初めてだ。
「召喚師? じゃあ魔界から直接、モンスターを呼び出したのか?」
「そういうことだ。おそらく先に、砂の中に召喚陣を仕込んでおいたんだろう」
……用意周到なことだ。この分だと、ここ以外にも島中いたるところに同じような罠が仕掛けられているかもしれない。
本人はずっと、ギルドから派遣された作業員に扮してダンジョン内にでも隠れていたのだろうが、あらかじめ小さな紙や布に描いておいた召喚陣をメグに渡し、いざという時に触媒として使えるよう、こっそりと埋めさせておいたのだろう。
そのうえ、ヨタカの結界によってこの場は半魔界化している。その所為で、ヒュドラダンジョンの下層域と同じぐらいの濃厚な魔素に満ちていた。
耐性があるはずの魔導師の俺でさえ、気を抜けば酔いそうなほどだ。歳若く、魔力に対する耐性がまだほとんど出来ていないイコを先に島から出しておいて良かったと心底から思った。
「魔素? ああ、このどんよりとした、赤く見えるヤツか」
夕日の色にしては妙だなと思った、とヴォルフはひとりごちた。
彼が纏う鎧は魔法防御力が高く、魔素による影響はほとんど受けていないようだ。
「どうする、トワ。ヨタカの言いなりになってコイツらの相手をしてやるか、それとも……」
ヴォルフが言い終わる前に、別の場所からも新たに魔力の発現を感知する。
俺はハッとして振り返った。
所在なげにぼうっと立っている少女のその背後の空間がぐにゃりとねじれ、そこに現れた裂け目から一体のオークが出現する。
「メグ、逃げろ!」
俺が叫んだのと同時に、ヴォルフの腕に止まっていた大鴉が矢のような速さで飛んでいく。
「え? い、いやああッ!」
眼前に迫る大鴉に恐怖を感じたメグが絶叫する。彼女は、背後から危険が迫っていることには気づいていなかった。
そのメグの頭をめがけ、オークが手にしたトゲのついた棍棒が振り下ろされようとしている。
しかし、それは果たされることはなかった。
大鴉が恐ろしいスピードで猪頭のオークを強襲する。
ガリッバキッという何かが砕けるような音とともに、棍棒を持ったオークは野太い悲鳴を上げて後方に跳ね飛ばされていった。
それを見たヴォルフは露骨に顔を顰め、ヨタカを問い詰めた。
「あのオークを召喚したのもお前か?」
『──いかにも』
「何故襲わせた。彼女はお前の仲間だろう?」
『いやいや黒旋風殿、ご冗談を。アレは確かに我が一族の血を引きはするが、所詮はただの端女よ』
と、ヨタカは冷たく言い捨てた。
大鴉は空中で素早く旋回すると、両翼に火焔を纏わせ、再びオークに向かって突っ込んでいく。
「なるほど。理解した」
そう言って、ヴォルフが腰から剣を抜き放った。
隣で静かに戦闘態勢に入って行く黒騎士を、俺は頼もしい思いで見つめた。
「俺が相手をしなければ、弱い者から襲わせるつもりだな」
『フフ。さて、どうかな』
──『黒旋風のヴォルフ』
さっきヨタカが言っていた通り、冒険者界隈のみならず、傭兵社会においても今なおその名は大きく轟いている。
四十路を目前にしていながらも、その強さに翳りは微塵もなく。
彼の漆黒の甲冑は、物理攻撃と魔法攻撃に対する耐性がほぼ同等に高いドラゴンの鱗で作られた護符が魔力によって編み込まれた物である。
かつてのレオスも同様に、ドラゴンの加護が宿った防具を身につけていた。
冒険者の常識として、星五つの職位を持つ者の高価な武具や防具には、それぞれの能力に合った破格級の特殊効果が付与されているものが多い。
そのうえ、『神速』と呼ばれる域の速度強化魔法の奥義を会得しているヴォルフは、甲冑を纏った筋骨逞しい大柄な体型でありながらも、両手持ちの大剣を自在に操り、敵陣の真っ只中までたった一人で盾を持たずに切り込んでいくことが出来る。
「では、行くぞ!」
四頭のキメラに向かって、まさに黒い旋風のような疾さでヴォルフが斬りかかっていく。
キメラの恐ろしい咆哮が重なり合い、赫い魔素に冒された空間を震わせる。
俺は腰を抜かして座り込んでいるメグのもとに駆け寄った。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
青ざめた顔で、メグは俺を見つめた。目には強い不安と警戒の色がある。これまでの状況を思えば、それも致し方ないことだった。
「一つ訊くが。……ヨタカ殿のところに戻りたいか?」
俺の問いに、メグは驚いたように目を見開いた。
俺はメグの目を見つめ返し、じっとその答えを待った。
自分で言うのも何だが、俺の顔立ちはどちらかといえば人に冷たい印象を与えがちだ。
情感に訴えかけるような話し方も苦手である。俺を見る度、ただでさえ怯えていた彼女に、俺の真意が伝わるかどうかは賭けだった。
やがて、彼女は意を決したように小さく息を吸って、僅かに首を横に振った。
「そうか。わかった」
俺はほっと胸を撫で下ろす。




