13-1
最初に地震があった夜から、三日が過ぎた。
あれ以来、何度か地震は起こっているが、まだ今のところは軽微な揺れだけで済んでいる。
だが、次元的な隔たりのあるヒュドラダンジョン内は別だった。
当時、不幸にもダンジョンの中にいた人間の話によれば、この世の終わりが来たのかと思うぐらいそれは激しく揺れたらしい。
それでも一人の死傷者も出なかったのは、我々……即ち冒険者ギルド側があらかじめ施しておいた緊急時用の退避魔法によって、間一髪のところで全員強制的にダンジョンの外に転移させられたからだった。
地震が起こった時は夜だったこともあって、島に滞在中の冒険者のほとんどは、ゴルネイの拠点に引き上げてきていた。
ダンジョンの中にいたのは、冒険者ギルドの本部から派遣されていた第四層の道の整備などに携わっていた者たちで、その作業もようやく終わりが見えてきた頃の今回の地震だった。
あとで見回りに行った者たちによると、ダンジョンの下層域では今も断続的に強い揺れがあり、第四層から第五層に繋がる回廊の天井が崩落したりと甚大な被害が拡がり続けているそうだ。
……が、魔界の法則で構成されたダンジョンには、こちら側の世界との狭間にある結界さえ破られぬ限り、魔界側による原状回復作用が働くため、放っておいてもそのうちまた元の形に戻るだろうというのがギルド本部の見解だった。
ということは、崩落した一帯の人の手を加えて整備された道などもまた、元の状態に還ってしまうのだが……。
「どのみち、第四層以下のダンジョンレベルは、ほとんど観光で来ているような素人冒険者には超えられないのだろう? だったらそのまま、上級者向けとして解放してしまったらどうだ」
と、そんな身も蓋もない提案を寄越してきたのは、つい今しがた、何の前触れもなく島にやってきたばかりの兄だった。
レルネ島は今、領主の権限で本土側から島に渡ることが禁止されている。
ヒュドラ級のモンスターが顕現する場合、おそらくこの世界の地上にも大きな地震が起こるだろうという予報が、グリギアの魔導研究所から出されたからだ。
島内からも、関係者以外の退避は全て完了し、その上で定期船の運行も止まっているのだが、その禁止令を出した当人は、涼しい顔でグリギア本土へと物資の調達に出向いていたグレンの船に便乗してきていた。
「第五層の地図も描き終えているのだったな? ならこの状況が落ち着き次第、そっちも一緒に開放してしまえ」
「……そうですね。まあ、考えておきます」
少しでも歩きやすいようにと整えられた道よりも、野趣に富んだ天然の洞窟を進む方が、確かに上位職位の冒険者からのウケは良いかもしれない。
だがそのあたりの判断は、ギルド本部の裁量である。俺はしがない管理人に過ぎない。
島のダンジョンの運営と管理は冒険者ギルドが仕切っているが、島そのものの領有はグリギア国であり、実質的な支配権を持つ領主は魔導貴族であるレイブン家の当主……つまりはうちの兄である。どこまで本気で提案しているかにもよるが、ギルド側としてもその言葉を完全に無視することは出来ないのだ。
「それで? まさか、そんなことを仰るためにわざわざいらしたわけではないのでしょう?」
何の知らせも寄越さず、唐突に……、それは常の兄らしくないようで、いや実は兄らしいのかもしれない。昔から、腹の中がいまいち読みづらい人なのだ。
ここは、俺の家にある塔の上の部屋。
午後のお茶の支度がなされた小さなテーブルを囲むのは、俺と兄の二人。
淡い青地に、白い花の絵が品よく繊細に描かれたティーセットは、そういえばかつて兄がくれたものであったことを思い出す。俺とイコが、この島に移り住んでまもない頃だったろうか。
なんにせよ、この雑然とした仕事部屋には、あまりに似つかわしくない代物だ。
紙の束がいくつも山のように積み上げられた書き物机。無造作に放り出された上着やローブ、ブランケットなどが散らかっているカウチソファ。
兄が来たからといって、特に慌てて片付けることもなく。
それに、兄もとうに慣れているのだ。
俺の部屋は、かつて同じ屋敷に住んでいた時からこうだった。魔法学の本やら、冒険者の手記やらが、とにかく乱雑に、至るところに(俺の中ではきちんと分類された上で)積み上げられていた。
しかし、今日この部屋に入ってきたときの兄の言葉はさすがだった。
「どうした。いつもより荒れているな」
……と。
やはりこの人の目は侮れないな、と思いながら、「探し物をしていたもので」と答えるに留めた。
ところで、この明らかに高価なものを選んで贈ってくれたのは本当に兄の趣味だったのか、と持ち上げたティーカップに目を落とした俺は、今更ながらにふとそのことが気になった。
いや、まさか。おそらくは兄の奥方が選んだものであろう。
兄の妻と二人の娘たちは、普段は王都にある屋敷で暮らしている。俺たち兄弟と同じく魔導貴族の家に生まれた女性で、兄とは見合いで結婚した。
兄の家族とは、年に一度会うか会わないかという程度の付き合いだが、夫人は聡明で良い人だと心から思っている。
何せ、先代に勘当された俺のことでさえ、決しておざなりにはせず、きちんと親戚として扱ってくれている。定期的に、丁寧な便りとともに珍しい菓子などが送られてきたりもした。
「最近の報告を見て、いくつか気になるところがあった」
島のコック、元はレイブン家のお抱え料理人だったヘンドリック特製の細長い形をしたスパイス入りのビスコッティ(兄の嗜好に合わせて甘さは控えめにしてある)を摘みながら、兄は本題を切り出した。
「そうですか。どのあたりが?」
「……その前に」
と、言葉を切った兄は唐突に魔導術を発動し、結界を展開させた。
魔力で編まれた目には見えない障壁が、この塔の部屋をぐるりと取り囲む。これで、外部からの侵入もしくは盗聴を企む者は悉く、その意図や行為の全てが遮断される。
「徹底していますね」
俺が揶揄うように言うと、兄は口の端を少し上げ、「お前はわざと気を緩め、泳がせているようだがな」と、一音一音くっきりと発音するように言った。
「生憎と、今の私の気分はこうだ。たとえ取るに足らない鼠一匹であろうと、たまに会う弟との親密な会話を盗み聞きされたくはない」




