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【──『アルファ』と『オメガ』。並べてみれば、あらゆる意味でなんとも運命的な響きを持つ二つの言葉だが、今の私にとっては如実に皮肉が際立った……いや、皮肉では済まないか。
むしろ呪いのように忌まわしい響きに思える。
アルファであったならいざ知らず、残念なことに私は、その運命の皮肉を一身に引き受けたオメガなのだ。】
…………いや何を言っているのか。
嘆息しながら、俺はペンを投げ出した。
のっけから悲愴感を出し過ぎだ。
これまでの半生を振り返りつつ、とりあえず手記でも書いてみるかと思い立ったはいいが、書き出しというのは存外に難しい。
何事も最初が肝心だ。しかし、無駄に格好をつけ過ぎるとどこかで必ず破綻する。
化けの皮が剥がれぬうちにさっさと素の自分に戻るとしよう。まあ、今しばらくは、猫を被った感じが続くかもしれないが。
こうして手記など書いてみようなどと思い立ったのも、この歳になってようやく過去を省みる余裕が少し出来たことと(書きかけてさっそく躓いたわけだが)、あともう一つ。
それは、愛する者にある秘密を打ち明けるためだ。
自分の口では全てを冷静に話せる自信はなく。ならばと思い、こうして色々と書きかけて……、そして書くのに詰まっては悩むのを繰り返し。
だがまあ、せっかく気分が乗ってきたので、過去を振り返る作業だけはもう少し継続してみよう。
……ああそうだ、まずは自己紹介をしなくては。
実際に手記を書き上げたとしても、読むのは愛しい家族と、後はよく見知った者たちばかりかもしれないが、念の為だ。何事も最初が肝心。……二度目だな。
俺は再びペンを持ち、今度は殴り書きのような速さで新しい書き出しを綴った。
【──初めまして。私、(……いや俺に訂正)俺の名はリーファス。
今年で三十四歳になる。一般的には──俺自身はあまり好まないが──赤の他人からオジサンだとかオッサンなどと呼ばれる歳になって久しい。
現在の仕事は、グリギア王国の最西端に位置するアクラ岬から南の海上に浮かぶ島、レルネ島の施設経営者兼ダンジョンの管理人だ。
島にある冒険者ギルドのマスターなどもやっているので、人からは単純に「マスター」と呼ばれることが多い。】
➕ ➕ ➕
レルネ島といえば、今ではちょっとしたリゾート地としても知られるが、その昔は凶悪で恐ろしい三つ首竜という巨大モンスターが棲んでいたことで有名だった。
だがヒュドラは、今から百年ほど前にとある勇者の一行によって斃されている。
それはいいのだが、まずいことにそのとき、世界と魔界との間に打ち込まれていた楔までもが諸共に崩れ去ってしまった。
つまり。そのポンコツ勇者がヒュドラを斃したとき、ダンジョン全体に張られていた結界をも一緒に吹っ飛ばしてしまったのだ。
そのせいで、魔界から世界の法則を無視した膨大な数のモンスターが押し寄せ、それがダンジョンの外にまで溢れ出してしまったのである。
ヒュドラによる強大な支配も、ダンジョン内に出現するモンスターの数を一定に制御する働きをしていたのだろう。
そうした事態に、レルネ島を国土として有する魔導国家グリギアは、大きく開いてしまった魔界に繋がる穴の封印と、島全体に蔓延るモンスターの殲滅に踏み切った。
──苛烈な掃討戦の後に残されたものは、焼け崩れたダンジョンと、その付近の山肌が丸焼けになったゴルネイ岳。
島民の居住区だった場所は、国の魔導研究所があった高台以外はみな全て灰燼に帰した。
モンスターどころか、草木も、動物も、人間も、島に在った多くのものが生きる場所を失った。
以来レルネ島は、瘴気が浄化され、損なわれた自然がある程度回復するまでの数十年の間、完全に封鎖されていた。
国がようやく人の立ち入りと居住を許したのが、今から十五年ほど前のことだ。
現在のレルネ島は、再び冒険者たちが己の腕を試しにやってくる場所になっている。
新たにダンジョンも出現したが、肝心の主たるモンスターは、未だヒュドラほどの大物が限界しておらず、上級職位を持つ冒険者たちにとっては少々物足りない仕様になっている。
ただし、島の魅力はダンジョンだけではなかった。
本土からは少し離れているが(速い船であれば、三時間もあれば着く)、峻厳なゴルネイ岳を中心とする山岳島さながらの自然がまさに絶景で素晴らしいことや、登山や海水浴の場としてもなかなか快適な場であることから、やってくる彼らの目的の半分は、実は余暇を過ごすための観光にある。
その新しいダンジョンの管理人として、俺がレルネ島に住むようになったのは、何を隠そう俺の実家の権力によるところが大きい。
現在のレルネ島を含むアクラ岬一帯は、魔導貴族であるレイブン家が治める土地である。
魔導貴族とは、魔族が棲む魔境の侵攻から魔導術によって王国を守る魔導師の家門のこと。爵位こそ持たないものの、王宮では国王に直接見えて仕えることができる栄誉や、年に数回開かれる貴族院議会に傍聴者として登院出来る資格を有するなどの特権が与えられている。
一応世襲ではあるのだが、それには一つ、厳格な条件があった。
まあざっくりと言えば、血統や過去の功績などは二の次で、もしも充分な魔導術を使える後継者がいない場合は、その地位と権限は容赦なく剥奪されるというものだ。
俺の実家であるレイブン家は、レルネ島での殲滅戦において特に功績があった家として認められ、王国の中で最も魔族やモンスターの支配力が強い魔境に接する地を監視する任務につくようになった。
おまけに、現当主である兄は王太子の腹心の臣下であり、今や王宮の首席魔導師の地位にまで登りつめている。
そんな優秀すぎる兄に引き換え、俺自身はといえば若かりし時分に家を飛び出し、親からも勘当されてしまった身の上である。故に、本来ならばその力を頼れる筋合いなどあるはずもなく。
だが俺は、恥知らずなことは百も千も万も承知で実家の力を頼った。
それが今から十三年前のことだった。そのときにはすでに家は兄が継いでいた。
俺を勘当した両親は、俺が家を出た数年後には続けて病に罹り、既にこの世を去っている。
兄は、突然窶れ果てて現れるや『レルネ島に住まわせてほしい』と懇願する不出来な弟を訝しげに見ながら言った。
『二年以上、とんと音沙汰もなく。それがいきなりコブ付きで戻ったかと思えば……あんな荒れて寂れた島に住みたいだと?』
兄が不審がるのも無理はなかった。
その当時のレルネ島はさっきも述べた通り、殲滅戦以来の封鎖が解かれたばかりで、人が快適に住めるような場所ではなかったからだ。
『だからこそです、兄上。俺は……本当なら徹底的に逃げ隠れしなければならない身ですが、見ての通り逃げ続けるのには限界があります。でも、隠れることならなんとかできる。ならば少しでも有益な場所で安全に隠れていたいのです』
それから俺は長い長い時間をかけ、兄に家出してから自分の身に起こった全てのことを話して聞かせた。先に手紙を出し、簡単な経緯は報せていたのだが、やはり丁寧な弁明はあって然るべきだと思ったからだ。
途中で何度か泣きぐずるイコを、慣れぬ手つきで不器用に揺らしてあやしてやりながら……ああ、と、失礼。
イコというのは俺の息子の名前である。
正真正銘、オメガである俺がこの世に産み落としたばかりの……、当時はまだ乳の匂いがする嬰児であった。




