9-3
「え……、レオ、ス?」
何故? まだ王宮にいるはずの男が、どうしてこんな所に?
呆然としていると、トン、と背中を軽く突き飛ばされた。
「行けよ、トワ」
「キリィ、でも……」
「これだけ長い間待たされたんだ。とにかく、言いたいことがあったら全部言ってこいよ」
そう言うなり、踵を返してすたすたと歩いて行ってしまう。
「トワ殿!」
キリィを見送る間もなく、レオスがこちらに向かって歩いてきた。
「さっき、見覚えのある奴がいるなと思ったら……、グレンだった。アイツ、今は君の配下になっているんだって?」
と、レオスが快活に話しかけてくる。
「……どうして、ここに?」
「一旦港に戻ると言っていたから。どうしても話をしたくて、馬車で追いかけて先回りをした」
「陛下の謁見と、晩餐会は?」
「あっちはエティスがいれば問題ない。俺は無理矢理、おまけでついてきただけだから」
レオスは俺の前で立ち止まった。
二人分の影が、石畳の上に伸びる。もうじき、夕暮れの時刻だった。
「……すまない。キリィに聞いたときから、トワ殿のことを思い出そうとしてみてはいる。でもまだ、どうしても思い出せない」
少し苦しげに。
切なげに。
そして、もどかしげに……。
複雑に入り交じったものを目に宿して、レオスは言った。
「……それは、別にあなたの所為ではないでしょう。だって、あなたは何も悪くない」
俺がきっぱりとそう告げると、レオスは美しい碧眼を見開いた。
「トワ殿……」
「その呼び方も、やめて欲しい。お前とか、トワで結構」
昔のように、とは心の中でだけ付け足した。
「……そうか。わかった」
と、レオスが嬉しそうに微笑む。
「先程、トワには本当に失礼なことを言ってしまった。その……今は三十四歳だと聞いていたから、もっと、綺麗だけど、こう、何と言うか年相応な感じの人を想像していた。だから、本当に驚いて。まさかトワが、綺麗なだけじゃなく、こんなに若く見える人だとは……」
──ん?
「美しくて……、一目見たときから、その、年甲斐もなく夢中に……」
──ん、んん?
俺は脳内で大きく首を傾げる。
これだけの年月が経っても、そして記憶をなくしていても、レオスの少しいかれた……いや、独特の審美眼は健在なのだろうか。
「……だから、今もその勢いだけで来てしまった。昔の俺たちのことは全く覚えていないが、もしトワが良ければ、その、旧情を温めるというか……、俺とまた一緒にいてもらえるだろうか? それに、俺たちの子供のことも……。こんなに長い間放っておいて、本当に、今更なのかもしれないが、父親としての責任を果たしたい。こんな状態の俺に、いきなりこんなことを言われても困るだろうが」
「い、いや、あの……」
レオスに言いたいことを言うどころか、いつの間にか両手を握り締められて、こっちが畳み掛けられている。
「──よう、お二人さん! お取り込み中のトコロ、悪りいんだけどよー」
小型帆船の船梯子を、大きな声を張り上げながら降りてきたのは、グレンだった。
俺は慌てて、レオスの手を振りほどく。
「グレン!」
「ん、マスター。久々の王都だし、俺もちょっくら羽伸ばしてくるわ。キリィの野郎もまだどっか、その辺にいやがるかもしれねえしな」
どうやら、舷側からずっと見ていたらしい。
「ま、待ってくれグレン!」
「……立ち話もなんだろうしな。ま、中でゆっくり旧交でもなんでも温めてくれや。俺のキャビンに、取っておきの葡萄酒もあるから飲みたきゃ飲んでもいいぜ」
「ちょ、ちょっと……!」
「ついでに船の番も、頼んだぜマスター」
こちらの状況などおかまいなしに、グレンは言いたいことだけ言うと、ひらひらと手を振りながら行ってしまった。
──キリィといい、グレンといい。何故、こうも皆、俺の話を聞かない?
げんなりしていると、クス、と笑う声がした。
「驚いた。あの荒くれ男を、すっかり手懐けているんだな」
こんなにわかりやすく気を使う男だったか? と可笑しそうにレオスは言う。
「だとしたら、たぶんあなたのおかげです」
「え?」
「軍資金。二億クナーレの」
俺は、本人が全く覚えていないであろうその金のことをざっと説明した。
レオスが、祖国に帰るときにパットの口座に振り込んだあの金は、実はもうほとんど残っていない。
その使い途のほとんどは、キリィ、パット、ヴォルフたちへの報酬はもちろん、島を守るための設備投資や人材との契約、あとは彼らへの臨時の報酬に消えた。
中でも破格だったのがグレンとその配下たち、そして猟兵あがりで、今は島で唯一の猟師をしているビルだった。
彼らが島から駆逐した狼藉者は、実はこの十四年間でかなりの数にのぼる。
とはいえ、エティスも言っていたように、さすがのルキウスも国力差が歴然としている国、それも友好国の領土に攻め入ってくるほど愚かではなかった。
故に、やってくるのは金さえ払えばなんでもやる類いのならず者たちで、大抵は元海賊のグレン、最強の傭兵として名高いヴォルフやビルの存在を知ると、それだけで震え上がって逃走した。
それでも挑んでくる者らには、手痛い目に遭わせて追い払ってもらったが、中にはさらにしつこい手合いもいて、結局そいつらは海の藻屑となったり、ビルが掘る墓穴の中に入ったりした。
特に多かったのは、最初の数年間。その後はたまに思い出したように、ぽつぽつと。そしてしばらくの間は平穏だったのが、何故か最近になって、またどうやら小物が島の中をウロウロしているようだ、との報告を受けている。
俺がイコに頼まれて雇った臨時の小間使いに、パットが異様なほど警戒しているのもその所為だった。
(……そういえば。あの娘も確か、記憶を……)
「いや、違うな」
と、レオスは言った。
「え?」
「はじめは確かに金だったかもしれないが……、でもそれだけでアイツは、あんなに親しみを込めて他人のことを『御主人』などと呼ぶような男じゃないはずだ」
「いや、それは……、俺がギルドのマスターをしているからで」
単なる渾名? というか、そこに大した意味はない。そう話そうとして、急にさっきのグレンの言葉を思い出した。
ここで立ち話を始めてから、だいぶ時間が経っている。
海からは夕闇が迫っていて、寝床に帰ろうとする海鳥の声が暮れ泥む空に甲高く響きわたっている。
「……あの。グレンもああ言って……、じゃなくて。だんだん暗くなってきて、風も出てきたので。よければ少し、船の中で話しますか? あなたにもし、時間があるのなら、ですが」
俺がぎこちなく誘うと、レオスはたちまち嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。では、お言葉に甘えて」




