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「リーファス・トワ・レイブン様でいらっしゃいますね? 初めまして。エティス・クレインと申します」
「左様にございます。初めまして、エティス様」
俺は片手を胸に当て、一礼した。
そして、エティスの瞳が、俺の後ろにいるキリィの上で止まる。
「それに、キリエール殿も。驚きました。出航前日にもお会いしましたが、もうこちらにお戻りになっていたのですね」
と、エティスが笑み含んだ声で言った。
つい最近まで、ロダにいたキリィとは顔馴染みのようだ。
キリィは、芝居がかった仕草で肩を竦めた。
「エティス様が突然、ここに来る途上でトワへの面会を申し込まれたと……。レイブン卿からそう伺い、大至急ロダより戻って参りました」
出来れば諸々、事前にお知らせ願いたかったんですけどねえ、とエティスに告げるキリィの声は、いつになく冷ややかだ。
「ええ。急な願い出であったにもかかわらず、今宵の晩餐会の前であれば、と。快く聞き届けてくださり、誠に忝なく存じます」
エティスはさらにもう一度、兄に向かって深く一礼した。
俺は、改めて疑問に思っていた。何故兄は自らの足で直接、俺を迎えに来たのだろうと。
そしてもっと気にかかるのは、この場で何も知らないのは、俺一人だけだということ。まず、このエティスからして何者なのか、皆目わからない。
今回の使節団の筆頭なのか、それともただの随行員か。オメガであることからしても、なんとなく後者である気はするのだが、ならば何故彼は、一体どういった立場から、俺にわざわざ会ってレオスの未だ帰ってこられぬ事情とやらを話そうとするのか。
キリィはともかく、兄は何もわからない風で俺をここまで連れてきたのだが、それもどうやら怪しくなってきた。
(率直に考えれば……まあ、嫌な予感しかしないが)
「トワ様……? いかがされましたか?」
「ああ、いえ。別に」
俺が黙ったまま、エティスのことをじっと見過ぎていたのだろう。怪訝そうに首を傾げられたが、ふと合点がいったように頷いた。
「ああ……、これは失礼を。その、私が何者であるか、キリエール殿からは、何も?」
「はい、何も。全く聞いておりません」
「そうでしたか。では、改めまして……」
さっきとは打って変わって、艶やかな微笑みをうかべたエティスは、不意に薄碧色の瞳をきらりと煌めかせた。
「申し遅れました。私は、ロダの王家に仕える宮廷魔導師にして、次期国王とおなりあそばすレオス・ダン・イーグル様の許嫁にございます」
しん──、と。
部屋が静まり返った。
様子を窺う、などという遠慮深さはない。この場の全員の目が、じっと俺の動向を注視しているのがわかった。
──レオスの許嫁。なるほど、そうきたか。
……はあ、と俺はため息をついた。
こんなところにまで、一体自分は何をしに来たのだろうと思う。これは茶番なのか? それとも。
「はあ、左様で」
と、俺は抑揚のない声で言った。
もしかしたら、実家でのことが多少は関係しているのかもしれないが、俺は貴族も貴族社会も大嫌いだった。相手を試すような無礼で回りくどい会話もだ。
過剰反応? 子供じみている? いや、結構だ。
ここでは、ロクデナシであるぐらいがちょうどいいのかもしれない。
俺はなるたけ自分が不遜に見えるよう、ほんの心持ち顎を上げてみせた。
やりすぎると、かえって滑稽になる。憎たらしくて、可愛げのない。そんな自分の顔の特色を最大限に生かすとなると、いささか陳腐ではあるのだが、こうなる。
ここで、フンと鼻を鳴らしてみせたりすれば完璧だろうが、それはさすがにやめておいた。
「──レオス・ダン様というのは、確か先王ルキウス様のご実弟でしたか? 生憎と御名しか存じ上げませんが。ああしかし、貴国の男児には、レオスと命名されることが異様に多いとも聞き及びます。故に、間違えておりましたら誠に申し訳ありませんが」
つまり、俺とは縁もゆかりもない人物だ。
それを、元勇者のレオスのことであるかのように、わざと思わせぶりに……、しかしまあ、人を試すつもりなら、相応の礼は返してもよかろうと。
不遜にも言いたいことを言ってのけ、そのあとはまた、水を打ったような静けさ……、になるかと思いきや、ぶっと俺の後ろで盛大に噴き出したのはキリィだった。
兄はといえば、なんとも言えない表情で俺を見ていた。
呆れか、それとも諦めか。兄の表情が上手く読み取れないのは、何も今に限ったことではないので、気にしないことにする。
さあ、さて。問題は……。
「──ふ、ふふっ」
エティスは俯きながら、肩を震わせていた。傍らにいる護衛の男──そういえばまだ名前を聞いていない──もだ。
「だ、駄目だ、エティス様! さすがあのレオス殿を落としただけのことはある!」
「そ……、そうですね。でもまさかここまでだなんて……! ああ、すごいな本当に!」
──二人とも、何やら興奮しながら笑っている。失敬な。
煽られたな、と感じたので、こちらもなけなしの意地でやり返したつもりだったのだが。
「キリィ」
俺は、ゲラゲラと笑い続けている男を睨みつけた。だが、憎たらしいことに、キリィにはこの顔のはったりは効かない。
「キリィ? 今すぐに状況を説明しろ。さもなくば……」
「ああ、トワ様。大変失礼致しました」
と、エティスは何故か満面の笑みを浮かべながら、嬉しそうに言った。
そして、微かに潤みを帯びた目で俺を見つめてくる。
「──では、お話致します、トワ様。ダンではなく、あなたのレオスの話を、お約束通りに、直ちに」




