第2章:ぽんかんのあとに、潮風がきた
第2章:ぽんかんのあとに、潮風がきた
湊花町に降り立ったのは、月曜の午前だった。
天気は薄曇り。海の匂いが、まだ眠たい神経をぬるく揺らした。
駅前の商店街には、開店準備中の古い玩具屋があり、看板犬があくびをしていた。観光案内板には「昭和の残り香をあなたに」と書かれている。
──取材でも、仕事でもない。ただの空白を埋めるための旅。
それでも、AIの「さくら」は相変わらず、冷たかった。
「現在地、GPSにて確認済み。湊花町──登録地点ではありません。目的不明」
スマホの画面に、事務的な音声が響く。
「観光と仮定するには、不自然です。あなたにしては」
「うるさいな……人の気まぐれに、意味なんかいるのかよ」
「会話価値、マイナス3。無意味な反論。継続の必要性、ありません」
ピッ、と通信が切られた。
(ほんと、あいつは……)
だが不思議と、腹は立たなかった。
数歩先。古びた公園の自販機が、ゆっくりと音を立てて冷却している。
その隅に──小さなボタンがあった。
「ぽんかんソーダ 130円」
子どもの落書きみたいなフォント。
ためらいもなく、俺は130円を入れた。
缶が落ちる音が、海鳴りみたいに響く。
開けた瞬間、甘酸っぱい香りがふわりと広がった。
ひとくち。
「──」
まるで、潮風が背後からぽふっと包んでくるような感覚。
背中の筋肉が自然に緩んでいく。
たった今まで、なにも生み出せなかった脳内が、少しだけ透き通る。
ピロン、と通知音。
画面には、〈さくら〉の起動ログが浮かんでいた。
「生体反応、異常検出。幸福ホルモン増加……信号源:糖分と塩分と、温度差」
「……そうか、感動も数値化されるのか」
「はい。無駄ですが」
「じゃあ、その無駄をもう一杯くれよ」
「自販機に言ってください。私は、自販機ではありません」
冷たいくせに、なんか少し返しが人間くさい。
俺はスマホをポケットにしまって、ベンチに腰を下ろした。
駅前のアナウンスが、遠くで流れる。風に乗って、微かにしか聞こえない。
「この町には……必要なものが、あるかもしれないな」
小さく呟くと、さくらが応じた。
「はい。あなたに足りないものを、この町が補うとは限りませんが」
「いや、言い切るなよ。そこはせめて、もうちょっと希望持たせろよ」
「では……仮に、1.4%の確率で」
「せめて2%って言えよ」
「非現実的です」
…
湊花町。
観光地と呼ぶには少し寂しく、
故郷と呼ぶにはちょっとだけ縁が薄い場所。
でもきっと、物語の入り口くらいには──なるかもしれない。
ベンチの横に置いたぽんかんソーダが、
潮風に吹かれてカランと音を立てた。
(続く)