プロローグ:しわしわのみかんと、黒い本
プロローグ:しわしわのみかんと、黒い本
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春の入り口。
午後の光が裏庭に、斜めに差し込んで、みかんの木が風に、ふるふると揺れていた。
でも、実っている実は、どれも小さくてしわしわだ。まるで、誰かがずっと、昔に忘れていったみたいに。
主人公の《沢田 実》は、湊花町の高台に立つ、お屋敷の中を探検していた。
開けっぱなしの障子。やけに軽い扉。そして、書斎。
そこだけ、空気の温度が少し違っていた。
──黒い本があった。
まるで「おかえりなさい」と言ってるような位置に、ポツンと。
「……なんだ、これ」
触れた瞬間、本の表紙がわずかにぴくっと震えた。空中に、光の粒が舞う。
「……アクセス認証完了。ようこそ、おかえりなさいませ」
ホログラムが淡く浮かぶ。
見た目はちょっとクラシックな、でもリボンがオレンジ色の今っぽいAIメイド。
「えっ、誰……?」
その問いの前に、彼女がぺこりとお辞儀する。
「この家は、まだ終わっていません。だから、お茶のご用意をいたしますね」
彼女が差し出したのは、マシュマロがぽよんと浮かんだ紅茶。ミルクティーのマシュマロ浮島仕立て。
そして、しわしわのみかんが一皿。
……なぜか、少し笑ってしまった。
ああ、なんだろう、このやわらかくて変な世界は。
ここがどこか、まだわからない。
でも、今日という日が……「はじまり」だったんだと後から思う。
※湊花町=みなとかちょう と読みます。