4-16 地上の国々と人魚の国
「階段を駆け上がるのも、息が上がりますわ」
地下牢を脱出し、城内の階段を先頭を切りながら走るドールは、ふとそんなことを洩らした。
「ツナグ。あなた、少しペースが落ちているようですが、大丈夫ですの?」
「ハァ……ハァ……なんのこれしき……っ!」
強がって答えるツナグだったが、疲労度は誰の目から見ても明らかだった。ハンスは眉を下げ、「本当にすまない……」と申し訳なさそうにしている。
「こんなところでバテてもらっては困りますのよ、ツナグ。ワタクシたちはこの城を抜け出し、ココノッチュラ小国へと逃げ帰らねばならないのですから」
「わーってる……ったく、俺もヒトリさんみたいに、〈瞬間転移魔法〉が使えたらよかったんだけどな……」
「しかたありませんわ。そもそも〈瞬間転移魔法〉自体、ある程度魔法を鍛錬しないと使えない技ですし、ヒトリのように、同時に何人も連れて移動するなんて……それこそ、ヒトリだからこそできるのだと思いますわ。三大卿の中でも、おそらく複数人を同時に移動できるのは、彼女だけだと思いますわ」
「改めて、ヒトリさんのすごさを感じるな」
そんな会話の最中、突然ドールは唇の前に人差し指を当て、「静かに」と制した。
ようやく階段も登り切り、いよいよ地下牢エリアを抜け、城内部手前まで辿り着いたはよいものの、ツナグたちの侵入を知らされたであろう何人もの衛兵たちが、廊下に集まっていたのだ。
「このままこちらへ来られては、ワタクシたちは一巻の終わりですわ。なんとかしなさい、ツナグ」
「なんとかしろったって、俺にはとても……」
「――ここは僕に任せてくれ」
ハンスは言うと、ツナグの耳を塞いだ。それを見たドールはハンスの思惑を察したのか、ドールも自身の耳を塞いだ。
ハンスは息を吸い込むと、その口から囁くように音楽を奏ではじめた。
心地のよいソプラノが城内に響き渡り、すぐにその歌声は衛兵たちにも届いた。次の瞬間、歌声を聴いた衛兵たちは、突然気でも触れたのか、その場に崩れ気絶したり、頭を抱え辺りを徘徊し始めたのだ。
皆一様にその瞳は焦点が定まっておらず、明らかに意識が朦朧としていた。
耳を塞がれているツナグはその光景を目の当たりにしながら、「……なんだ、これは……」と呟いた。
「……人魚だけが使える魔法ってところかな。僕たちの歌声は、時々人を惑わすんだ」
「……ん? 時々?」
「ああ。成功率30パーセントといったところだね。もし失敗していたら、僕らは見つかって衛兵たちに捕まっていたところだったけど、成功したようでよかったよ」
「そんな博打的な魔法を、予告なしにいきなり繰り出すなんて……」
ツナグは若干顔を青くしつつも、まあ成功したのだからよかったのだと思うことにした。
「さあ、今のうちに行きましょう。歌の効果も、そんなに長くはないのですから」
ドールはそう切り出し、廊下を駆けていく。ツナグもドールの後をすぐさま追いかけ、城から逃げ出すべく走るのであった。
「……そうだ。この際だから、今聞いていいか?」
「なんですの?」
脱出の最中、ツナグは改めてあのことを尋ねることにした。
「――人魚と地上の人たちの関係について……をさ。『人魚は食用肉に成り下がった』……とか、『条約が破られた』……とか、一体、何があったのかなって」
「……」
「……」
ドールもハンスも一度押し黙ったが、先にハンスが口を開いた。
「僕たちの……ちょうど曾祖父母の時代、だな。地上の国々と人魚の国であるココノッチュラ小国は、常に争いを続けていたそうだ。かつてお互いの国は、食うか食われるかの関係だったから」
続けて、ドールも口を開く。
「かつて、人魚は高級食材として人気があったそうですわ――不老不死をもたらす、珍味だって。富裕層はこぞってお金を出して求めたものですから、国自らが人魚の国を制圧して、人魚の牧場化をしようと企んで、戦争を起こしたのですわ」
「でもそんなの、無駄な争いさ。僕らを食べたって、不老不死の効果なんてない。本当にそんな効果があるのなら、僕らは千年だって生き長らえるはずだろう? だけど、今までにそんな長生きした人魚なんて、一人だっていやしない」
ハンスは吐き捨てるように、そんな呟きを挟んだ。
「一体、どなたがこんなくだらない戯言を流布したのでしょうね……」とドールは嘆息を洩らしつつ、これまでの歴史について語っていく。
「そんな戦争の最中でしたわ。そこに女神様――マーザーデイティ様が現れたのですわ。マーザーデイティ様は戦争に終止符を打ち、ある言葉を残していったそうです――今後はお互い血を流し合わず、尊重し合い、仲良く暮らていくこと……と。それから、全世界に人魚の捕獲禁止令が出され、ココノッチュラ小国とそれぞれの地上の国は、不可侵条約結んだのですわ」
ツナグは過去の悲劇に胸を痛めながら、「そんなことが……」と言葉を吐いた。
「……でも今、それが破られた……ってことなのか」
「ええ。お父様の手によって……ね」
ドールの瞳に、強い憎しみが滲む。
「……お父様なんて……本当に、大嫌い。お父様なんて……」
そこから先は、ドールは口には出さなかった。代わりに歯を食いしばり、床を蹴りあげる力が強くなったように思えた。
ツナグは何も言わず、城の外を目指して足を動かし続けるのだった。