3-23 世界の運命を握りし者
――アマ・ノウンガ界。
それは雲の上に広がる、幻想的な場所。
一歩そこに踏み入れば、ツキ邸と呼ばれる豪邸があった。
塵ひとつ立たない厳かな廊下を、一糸乱れぬ歩幅で素早くあるく人物が一人――モリヒトだ。
モリヒトは緊張の面持ちを浮かべていた。ある巨大な扉の前で立ち止まると、それを見上げ、深呼吸をしてから、扉をノックする。
「モリヒト、今参りました」
モリヒトは扉越しに声をかけた。数秒時間を空けてから、「入れ」と、仰々しい声が返ってきた。
「失礼します」
モリヒトは扉を開け中へと入った。一歩踏み入るだけでも、まるでそこだけ重力が突然変わったかのように空気が重く、押し潰されそうな感覚を覚えた。
窓ひとつないその部屋は、薄暗い明かりで照らされているだけで、その全容は明らかではない。目を凝らせば物の輪郭だけが捉えられる中で、モリヒトの目の前では、巨大なソファに、巨大な人物が座っているのがわかった。
それは人……というよりも巨人と言ったほうがより正確だろう。
モリヒトでさえ二メートルもある身長を持つが、それよりも遥かに大きい人物だった。
薄暗いためその顔は定かではないが――彼から発せられるオーラには、直接本能に訴えかけてくるような恐怖をもたらし、圧倒されてしまう。
「アマソラ様、いかがなさいましたでしょうか」
モリヒトは膝まづいて問うた。明らかに緊張した物言いから、モリヒトでさえ恐れている人物だというのがよくわかる。
――アマソラ。
マーザーデイティの末裔の一人。
この迫力からして、おそらく彼が末裔の中で一番の地位に立っているのだろう。
「そう堅くなるなモリヒト。我は別に何か頼もうというわけではない」
アマソラは腹の底を震わすような笑い声を立ててから、こう話す。
「少し話がしたいだけだ。そう……最近好き勝手動いている『ニューエゥラ軍』とやらについて」
「……ッ!」
「だから、そう身構えるな。我はこれについて、モリヒトを咎める気などない」
そう言われてもモリヒトは簡単に気が抜けるはずもなく、静かにアマソラの話の続きを待った。
「あそこには世界を変える革命家が集ってるそうだな……いわばあれは革命軍というわけだ。我ら末裔にも盾突き出すほど、その想いは本気のようだな」
「……はっ。申し訳ありません、私の力不足なばかりに、彼らを止めることもできず――」
「『奴らを止めろ』、とは、我はひと言も言っとらんぞ」
モリヒトは掴みどころのないアマソラの発言に戸惑いの表情を浮かべた。
「別に構わん。奴らの好きにさせておけ――そのうち、いつかきっと、奴らは我のところまで辿り着くだろうさ」
「い、いいのですか……」
「ああ。奴らが動き出したということは、きっとこれが我の運命なのだ。それに、面白そうじゃないか、今や神となった我に抗おうとする存在なんて」
「……」
「しかしな、モリヒト。これだけは先に言っておく」
名前を呼ばれたモリヒトは一層気を引き締め、アマソラを見上げた。
「――ヒトリ・アイリスには注意せよ」
聞き慣れた人物の名に、モリヒトは動揺を隠せずにいた。
「アイツはミーユの意志を受け継ぎし娘。世界の主導権を握らせれば、たちまちこの世界はつまらないものになっていく」
「……一体、それはどういう意味でしょうか」
「そのまんまの意味さ。……まあ、世界がどうなるかなんぞ、世界自身にしか知らないのだから、我らがどうしても意味はないのだがな……」
アマソラは諦観したような呟きを見せた。
モリヒトはすべてのことは理解できなかったが、末裔の使用人として、あるべきことを述べるだけだ。
「アマソラ様、ご安心ください。何が起ころうとも、私はアマソラ様を、末裔様方を守りきる所存であります」
それに対しアマソラは、「お前も、つまらない男だなぁ……」と、ひと言呟いただけだった。
「まあいい。これから、世界はどんどん面白くなっていくぞモリヒト。しかと、その運命を見届けようじゃないか」
モリヒトは「は……はぁ……」と、曖昧な返答しかできかったが、次に放たれたアマソラの発言に、モリヒトは驚愕することになる。
「――運命を握る……掬等繋の決断を、な」