3-21 パエルの決断
「絶対、絶対ヨッメと結婚するンだ! モリヒト! 今すぐこの娘捕らえるーンだ!!」
そう命ずるチトモクの一歩後ろで、やれやれと小さく頭を横に振ったモリヒト。しかし、すぐに姿勢を正し、キズナを真っ直ぐとその瞳に捉えた。
「――おい、モリヒト。まさか本当に命令を聞く気かい?」
モリヒトの顔色の変化に、すぐさま横槍を入れたのはシビコだ。
「……チトモク様の命令だ」
シビコは軽く舌打ちし、続けてチトモクを睨んだ。その視線に気づいたチトモクは顔を赤くしてシビコにこう言う。
「オニャエ! ニャんだその目は! ……オニャエらレールガイぃ? ……ンも、前からロクにワイに対するソンケーがニャいンだ! オニャエらだってニャ、たまたまパッパが見逃してくれてるから自由にできてるだけニャんだからな! チョーシに乗るなよ、ドラゴン女!」
シビコはチトモクを見下げ、言い返す。
「こっちだって世の中のしがらみなんかなけりゃ、アンタみたいなクソガキ一瞬で捻り潰してやるんやで。アンタのほうこそ調子乗んなや」
「ニャ……! も、モリヒト! このムカつく女を今すぐ処刑しろ!」
「チトモク様、それはなりません。シビコ様には手を出すなと、アマソラ様より命じられております」
モリヒトに説明され、「ニャ、ニャンでパッパはこんな奴を……!!」とチトモクは悔しげに地団駄を踏んだが、すぐに本来の目的を思い出したか、再びキズナを指差した。
「まあいいンだ! 今はヨッメを連れて帰るンだ!」
「ちょっと! さっきからヨッメとか言ってるけど、わたしまだあなたのお嫁さんじゃないし、なるつもりもさらさらない、だよ!」
『ヨッメ』呼ばわりに嫌気が差したのか、キズナは堪らずといった具合に声を上げた。チトモクはまるで聞く耳を持たず、「いいから連れて帰れ!」とモリヒトに命じた。
モリヒトはやれやれと頭を掻き、キズナにゆっくり近づきはじめる。
ツナグはキズナを連れていかれまいと、咄嗟にキズナの前に立ち、「キズナは渡さねぇ! 帰れ!」と叫んだ。足を止めるモリヒト。同時に、ウィル、アムエ、シャル、も戦闘態勢を取りはじめた。
その傍ら、パエルは怯えた様子でこの状況を見ている。
「……あのなぁ。お前らが束になっても、俺には絶対に勝てない」
モリヒトはツナグに顔を近づけ、小声でこう話す。
「なぁ、本当にただ連れていくだけだ。隙をついて、彼女は解放するさ。だからとりあえず今この場は大人しく――」
「末裔の犬の言葉なんか信用できるはずねぇだろ。一瞬たりとも、キズナは渡してやるもんか」
モリヒトは片眉をピクリと吊り上げ、「……言ってくれるじゃねぇか、クソガキ」と言い、深く息を吐きながら、背筋を伸ばした。
「チトモク様の命令なんでな。そのまま帰るわけにもいかん。悪いが、ここは強引にいかせてもらうぞ」
「待てや。なんかウチも仲間外れにされてるみたいやけど、ケンカなら交ぜてぇや」
シビコはツナグ側につきながらそう言い、モリヒトを見上げた。
モリヒトは心底めんどうくさそうに、ますます頭を抱え出す。
「……あ、アイツらイカれてる……三大卿に楯突くなんて、いくらシビコさんが付いてるにしても、勝てねーだろ……」
パエルは誰にも聞こえないような声量で呟きながら、一歩、二歩と後ずさりしていく。
「元は末裔の命令だぜ? 逆らうなんて、何されるかわかったもんじゃねーのに……こんなヤベー奴らといっしょにされたら、命がいくらあっても足りねーよ……」
また一歩、パエルはツナグたちと距離を取り、一度そこで足を止めた。
ツナグたちはパエルが離れていっていることに気づいている様子はない。
このままどこかへ行ってしまえば、もしかしたら、パエルはニューエゥラ軍に巻き込まれずに済むかもしれない。
「……でも、アイツらは」
パエルの脳裏に、ギルドでの争いが思い浮かぶ。
「……見ず知らずのアタイに、たくさん声をかけてくれたな」
続けて、ツナグがメローサを殴り飛ばしてくれた、あのときの情景も脳裏を過ぎる。
「……兄ちゃんは、アタイのために怒ってくれて、泣き止むまでそばにいてくれたな」
パエルの中で、ツナグたちに対する感情が、少しずつ溢れてくる。
「……アタイだけじゃない。この町の人のために、悪いヤクを止めるために、たくさんしてくれたのに。……アタイは、このままただ逃げていいのかな」
ツナグたちの好意をぞんざいにしたくない気持ちと、末裔に逆らうことの恐怖に挟まれ、パエルは決断できないでいた。
「……アタイは覚悟を決めるだけなんだ。ちょっと勇気を出せば、アタイは……」
怖い……そうパエルが呟いたとき、肩にひんやりとした感触が。
肩を震わせ、振り向くパエル。そこにいたのは、自分よりも遥かに大きい、白と黒の色が混合した風変わりな髪型をしている一人の女性だ。
――そう、パエルももちろん知っている、三大卿の一人、ヒトリだ。
「……っ!」
「何かに迷っているときはねぇ……思い切ってリスクを取るのが大事さぁ」
ヒトリはパエルを一瞥し、続ける。
「リスクの低いほうを選んで、安全牌でいこうとすると必ず後悔する。それも一生さぁ……そんなの嫌だろう?」
「……」
「わたしが今から〈眠る秒針〉を唱える。どうするかは君次第さぁ」
パエルが返事するまでもなく、その呪文はヒトリにより詠唱された。
「―― 〈眠る秒針〉」
瞬間、パエルとヒトリ以外の時間が止まる。
戸惑うパエルの背中を、ヒトリは優しく押した。
「悪いが三秒しか持たない。今すぐ決断してやるのさぁ」
パエルは背中を押されたと同時に走り出していた。
狙うはただ一人――アホ面下げているチトモクだ。
攻撃範囲まで近づいたとき、パエルはハンマーを背から取って、その両手に力を込めた――そこで、時は再び動き出す。
チトモクは突然真横にいるパエルに気づき、眼球が飛び出そうなほどに目を見開いた。
一方で、ツナグたちもその状況に気づき、目を丸くしていた。
モリヒトは慌ててチトモクへ向かって走り出していたが――それよりも早く、パエルはハンマーを振るった。
「――〈ふりかぶり〉!!!」
ハンマーは見事チトモクの頬にダイレクトに衝撃を与え、吹っ飛ばされたチトモクはモリヒトの腕の中に収まったのだった。
一瞬にして気絶してしまったチトモクに向かい、パエルはこう言い放つ。
「テメーの母ちゃんに言っとけ! 家族の仇、ぶち込みに行ってやるってな!」