2-22 【回想】シャル・マッドガク(3)
次の日からは、メイドとして振る舞うための訓練の日々だった。
シャルは体術はできたが、家事のことに関してはまったく経験がなかったため、メイドとして働き出して最初の数ヶ月は、毎日目の回るような忙しさだったことを覚えている。
シャルは家事業務の合間にも、ラバーから文字書きについても学んでいた。物覚えのよいシャルは、あっという間に本を読めるほどまでになっていた。
それから数年経ち、すっかりメイドも板もついてきたころ、シャルはラバーに呼ばれ、ラバーの部屋へと訪れていた。
「おはようございます、博士。何かご用でしょうか?」
「なんじゃあ……最近は本当に口調までメイドらしくなったのぉ。それに博士呼びになったしぃ」
「本で、メイドという立場は敬語を使っていると目にしたので。別に、ボクが博士をなんと呼ぼうといいじゃないですか」
「こうパパ〜♡ とかって呼んでくれてもいいんじゃよ?」
「気持ち悪いですよ、博士。それより本題をお願いします」
ラバーと過ごして数年、二人の距離はかなり縮まり、互いに冗談を言い合ったり、遠慮もしないほどの信頼関係が築かれていた。
「ふふふ……実はかねがね、ワシはシャルにある物をプレゼントしてやりたいと思っていてな……。夜な夜な製作に励んでいたんじゃが……それが、ついに完成した!」
ラバーは言うと、クローゼットから一着の服を取り出した――それは、メイド服だった。
「博士……」
「きっと似合う……いや、絶対似合うはずじゃ!」
シャルはその服を目の当たりにしたとき、若干の抵抗があったが、ラバーの熱意に押され、渋々それを受け取った。
「……まったく。じゃあ博士、向こう向いててください」
ラバーが背を向けたのを確認してから、シャルはメイド服へと着替えていく。
「もういいか?」
「まだです」
「……もう、振り向いてもいいか?」
「……いいですよ」
シャルはそう言ってやると、ラバーは振り向いた――シャルを見たラバーは、感極まった声を上げた。
「おお! やはりワシの眼は間違っていなかったか!」
「ふふ。博士ったら変態ですね。でも、これすごくいいです。見た目以上に動きやすいし、生地の肌触りもいいです」
「こだわって作ったからのぉ」
満足げなラバーに、シャルはほんのり微笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、博士。これからはこの服で過ごしてあげますよ」
「最近はほんっと、ちょっと上からの口調じゃなぁ。まあこれもプチ反抗期か……」
「さてさて、ボクはお買い物に行ってきます」
ひとりブツブツと何かを言っているラバーを置いて、シャルは買い物へ出かけた。
屋敷の外へ出たとき、一瞬誰かの気配のような、何か違和感を感じたが――周辺を見渡しても何もないことを確認し、シャルはその場を離れた。
◇
その日、買い物から帰るとラバーの様子は少し変わっていた。
何か焦っているようなふうに感じ取れたのだ。
「……博士、何かありましたか?」
シャルがそう声をかけると、ラバーは途端に笑顔を浮かべる。
「いいや、なんでもないぞ? それより早く夕飯にしよう。ワシ、もう腹がペコペコじゃ」
「はいはい。すぐにご用意します」
当時のシャルはすぐに受け流してしまったが――今思えば、あの日、自分が買い物へ出かけている間に、ラバーは『寄生呪物』にかかったのだろう。
あの日、買い物へ行かなければ。
あの日、小さな異変に目を止めていれば。
自分は本来メイドなどではなく、ラバーの護衛役として雇われたはずだったのに。
――なのにラバーはあの日……いや、あの日以降も、シャルを責めることなど一切しなかった。
だが、シャルはその理由を薄々理解していた。
書斎で本を読み過ごしていた中で、シャルは知ってしまっていたのだ。
ラバーの過去を――ラバーの犯した罪を。
書斎の隅に隠されるようにしまわれていた、『不老不死』の研究記録を。
それまでに犠牲となった人々のリストを、目にしてしまっていたのだ。
シャルはずっと見なかったことにしていた。ラバーがそんなことをしていると思いたくなかった。
あんなに優しいラバーが、あんなことをするはずないと。
仮に本当にそうだとしても、ラバーには何か事情があったのだ。
――『でもな、君のおかげでワシは助かった。果たしてそれは、100パーセント君が悪いとはいえるじゃろうか』
ふと蘇る、ラバーが自身にかけてくれた言葉。
その問いについて、今のシャルなら答えられる――。