1-14 はじまりの拳
「……え」
キズナの否定的な言葉に、ツナグは目を丸くした。
「な……なんでだよ。だって嫌だろ、こんな奴といきなり……!」
「ツナグ……チトモク様はね、絶対なんだよ……ツナグには、まだわからないかもしれないけど……」
「…………っ!」
チトモクは「おい! コソコソと喋るニャっ!」と、ダンと地面を踏み大きな音を出した。
「オニャエ……ワイの言うこと聞かニャい気かッ!?」
チトモクはツナグに人差し指を立て、顔を真っ赤にさせながら怒りを顕にした。
「こ……こっちがせっかく親切心で言ってやったというのに! それを! オニャエは! 断るというのかっ!!」
ツナグはたまらず言い返す。
「何が『親切心』だ! 病気で苦しむ町の人に対してどうでもいいとか言って、挙句にキズナを殴ったクセして、やっぱりかわいいから結婚するだぁ!? ……ふざけんじゃねぇよ!」
キズナすっかり怯えた様子で、「やめて! もう下がって!」と、必死にツナグに訴えかけている。
チトモクは怒りが頂点に達したか、白目を剥きながら声を荒らげた。
「ニャ……ニャニャ……この無礼者が! オニャエみたいニャ奴は、今この場で処刑してやる! ――やれ、モリヒト!」
チトモクの声掛けにより、後ろで見守るようにして立っていた男が動いた。
ゆっくりと前に出てきてツナグを見下ろし、立ちはだかる。
「……悪いなぁ、ボウズ」
男――モリヒトは腰を屈め、構えを取った。
「――これも仕事なんだよ」
モリヒトが踏み込むと同時に、ヒトリもさすがに焦った様子で「下がれ! ツナグくん!」と、槍を召喚した。
しかし、ツナグは下がらない。モリヒトを睨みつけたまま動くことはない。
「いや……っ! ツナグ!!」
キズナの悲鳴をよそに、モリヒトが腕を振り上げる。同時に、ヒトリが守りに入ろうと動き出した、その瞬間だった。
「――うるせぇ! 俺はお前に用はねぇ!」
ツナグの叫びが、場を圧倒する。
誰も、その場を動くことができない。
ツナグはキズナの手を振り払い、冷や汗を浮かべるモリヒトに構わずその横を通り過ぎ、チトモクの前に立った。
「ニャ……ニャんだ、お前……」
チトモクはすっかり腰を抜かし、怯えた様子でツナグを見上げている。
「俺たちにはキズナが必要だ。それに、この花を持って行かなくちゃならねぇんだ。だから今回は、そのまま帰ってくれよ」
「か……帰れだと!? このワイに、手ぶらで帰れと……!」
「マーザーデイティは慈悲深いって聞いたぜ。お前だって末裔として、今や世界のトップにいるんだろ? 十分すぎるほど、恵まれてるんだろう? ……今日くらい民に情けをかけて、手を引いてくれたっていいじゃねぇか」
チトモクはだらしなく鼻水を垂らしながら、それでも怯えよりも怒りの感情が勝ったようで、顔をさらに一層赤くさせながら、ツナグの背後にいるモリヒトに向かって叫ぶ。
「モリヒト! 今すぐこの場にいる全員殺せ!」
それを合図に、モリヒトはまずツナグの首に向かって手刀を繰り出そうと動き出した。
ツナグは紙一重でそれを躱し、モリヒトの後ろに回り込むや地面を蹴り上げ高く飛び、その背に向かってパンチを決め込んだ。
「……!?」
モリヒトは少しばかりよろけただけで、倒れるまではいかなかった。すぐにツナグへ照準を合わせ、蹴りの攻撃を入れようと足を振り上げるが――。
「モリヒト! 相手するのは、ツナグくんだけじゃないからねぇ!」
――ヒトリがその蹴りを槍で止め、モリヒトへと笑みを向ける。
「……お前じゃ俺に勝てない」
「ツナグのパンチを食らうような奴に、言われたくないねぇ」
モリヒトは槍を蹴り飛ばし、ヒトリとの距離を開け、ヒトリにさらなる攻撃をしかけるのかと思いきや、打って変わってキズナへと攻撃対象を変更した。
「……え」
「――キズナ!」
ヒトリはモリヒトを止めに入ろうとするが、モリヒトの動きのほうが一歩早く、追いつかない。
モリヒトの大きな身体がまるで荒波のようにキズナへと襲いかかろうとし、キズナは守りの姿勢に入ることもできず、ただ呆然とした様子で見上げてしまっていた――そのときだった。
「〈見えざる軌跡〉!」
一筋の軌道が、キズナを荒波から救う。
ウィルがモリヒトの足の腱を斬りつけ、バランスを崩したおかげだ。モリヒトは地面に手をつき、素早く体勢を立て直すと、すぐさまウィルのほうへと走り出した。
「……け、腱を斬ったはず……だが」
「掠っただけだ。だが、筋はいい」
モリヒトはウィルの胸ぐらを掴み持ち上げ、キズナへ向かって投げ飛ばした。
「……っ」
「ウィル! あぶ……キャッ!」
キズナはウィルを抱え込もうとするが叶わず、そのまま衝突し、二人とも地面は倒れ込む。
「……お前」
ヒトリは槍を構え、モリヒトを強く睨みつけた。
「待て、まだ殺してはないだろう。俺らがここで本気で戦えば迷宮は崩れ、それこそ全員が死ぬことになる――」
モリヒトはそこで忘れていた何かを思い出したかのように、ヒトリから視線を逸らした。
モリヒトが逸らした視線の先には、拳を握りしめ、今にも自分を殴りかかろうとする――ツナグだ。
「キズナとウィルに何しやがんだっ!」
ツナグは拳を振り下ろす。しかし、モリヒトは動じることなくツナグの拳を受け止め、そのままツナグを地面に叩きつけた。
「……うっ!」
「最初は驚いたが、力はまだまだだな」
「……っ、離せ! 俺らにはやらねぇといけねぇことがある! ここで殺されてたま――」
「――落ち着け、ボウズ。俺の話を聞け」
ツナグの抵抗の叫びを、モリヒトは静かに制した。モリヒトに口を押さえつけられたツナグは何も言い返せず、ただモリヒトを睨み返した。
傍にいたヒトリは、モリヒトのわずかな口調の変化を察知したようで、モリヒトに手を出さずに静観している。
「今、お前がここで大人しく寝たフリをしておけば……殺さずにおいてやる」
そんな話をしはじめたモリヒトだが、チトモクはせっせと花を摘みはじめているため、どうやら話は聞こえていないようだ。
「――あとはこちらであのチトモクの機嫌を取っておいてやるから……俺らがいなくなったあと、そっと迷宮を去れ」
ツナグは「納得いかない」と、視線で訴えた。
黄金花を手に入れられなければ、ここへ来た意味などないのだ。
「……そんな目をするな。お前らは運が悪かったのだ。……今回はしかたがなかったのだと諦めろ。全員の命がなくなるよりはマシだろう」
「諦めろ」――その言葉に反抗するかのように、ツナグの瞳孔が開く。ツナグは胸の内に燻る心情のままに、モリヒトの腕を振り払った。
「――!?」
自分よりも遥かに貧弱な身体の少年に力負けするなんて思ってもみなかったのだろう。呆気なく腕を振り払われたモリヒトは目を丸くしていた。
ツナグは口元を拭いながら、身体を起こす。
「……『運が悪かった』? ……冗談じゃねぇ」
ツナグは花を独り占めしようと必死に集めているチトモクの元へ、地面を踏み鳴らしながら進む。
「……お、おい! ボウズ、何しようとしている!?」
モリヒトの声はツナグへ届かない。
ツナグは怒りの形相のままにチトモクへ近づくや、拳を振り上げた。
チトモクはそんなツナグに気づき、途端に顔が青くなる。
「……コイツがワガママ言わなきゃ、ぜんぶ解決なんだよ!」
「お、お、オニャエ! そんなことしたら、しょけ――」
次の瞬間、ツナグの拳は繰り出された。
「――〈革命拳〉!!」
チトモクは花畑の上を飛び越え、一気に吹き飛ばされた。
やがて一番奥の壁に激突し、チトモクは白目を剥いてその場に倒れ、完全に意識を失ってしまった。
モリヒトは唖然とした表情を浮かべ、対照的にヒトリは、そんなツナグを誇らしく思うように笑みを浮かべていた。