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097:

荷物の積まれた馬車に乗り込むわたしを、アーシア叔母様を始めとした家を守るために残る人たちが見守っている。今日、ついにわたしは王都の学園へ行くために家を出るのだ。この世界に生まれてから5年間の毎日をここで過ごし、叔母様とともに森の別荘へ移ってからもことあるごとに来て家族みんなでご飯を食べたりしてきた家だ。見納め、というわけではない。今日でお別れ、というわけではないのだ。それでもわたしは今日で家を出て、これから少なくとも5年間を学園で過ごすことが決まっていて、もちろん帰ってくることはあるのだけれど、それでも今日で家を出るのだ。

お父様もお母様もすでに一度お兄様の時に経験しているので落ち着いたものだけれど、わたしにとっては今日は一つの節目になるのだ。振り返ると馬車の後ろの窓から家の前に並んで見送っているみんなの顔が見える。申請すれば普通に家に戻ることもできるのだと聞いてはいるのだけれど、なんだろうね、この鼻の奥がつんとするお別れの瞬間て。学園生活に対する期待と不安で胸を膨らませる思いと、家を出るのだという感傷的な気持ちとが合わさって、わたしの鼻の奥をつんと刺すのだ。

ダニロさんの「そんでは出発します」という声がして、パシッという軽い音とともにお馬さんたちが馬車を引っ張って道へと進み出ていく。振り返る家の玄関が、見送る人々が遠ざかり、馬車が門を抜けて道へ出ると今度は家が遠ざかる。門扉が閉じられるところがちらりと見えたのを最後に、横の窓から見えていた敷地の南側をぐるりと囲む塀も終わると、馬車はそのまま家を離れて今日の目的地となるキノットの町を目指して石畳の上をガタゴトと進んでいくのだ。


整備された街道は馬車の揺れも少なく、安心して景色を楽しむことができた。自宅からミルトまでの道の左右は一面が畑で、今は収穫も終わって残った麦わらをまとめていく作業だとかが進められている。収穫作業というこの時期一番の大仕事が終わっているこのタイミングに学園への入学があるというのはセルバ家にとっては大変にありがたいことらしくて、今は収量の確認だとか、今後の畑の手入れだとかの手配だとか、今後の麦の搬出作業だとかがあって、あとを預かる叔母様がその辺のことをやっていてくれるのだってさ。で、今は畑には乾かすための麦わらが大量にあったりする。これからこの麦わらも細工製品に使われたり、燃料になったり、飼料になったり、堆肥になったりと大活躍するのだ。その畑には今もちらほらと仕事のために行き交う人の姿が見える。一番大事な収穫は終わったけれど、次は来年のための準備なのよね、お疲れさまです。

そんな畑で埋まった景色の中にも次第に建物が見られるようになってきて、そして馬車は最初の大きな町、州都ミルトに入っていった。わたしにとってここは5歳の時の教会くらいしか印象にない。何しろお兄様はやったという、お父様のお仕事見学すらやっていないからね。話は聞いたけれどどこに州の庁舎があるかとかもまったく知らない。ここから町、というのが良く分かるくらい急に建物が密集する場所に入ると、人の姿も一気に増える。なぜか町の人々の動きは忙しない。そんなに急いでどこに行くのか何をするのかとは思うものの、これが都会の人の動きなのだろうなというのも分かる。そうして窓に張り付いて前方を見れば行く手に教会の尖塔が見えてきて何となく感慨深くもなる。まあ教会に用はまったくないのでこのまま通り過ぎるのだけれども。

北東からミルトの町に入った馬車はそのまま教会前を素通りすると、中央広場へ。ここまで来てしまうと、もうわたしには全てが初めての場所なので、窓からキョロキョロと周囲を見渡してしまう。お父様がちょっと自慢ぽく自分の働いている州の庁舎はここだよと教えてくれた建物はその中央広場に面していて、見上げればこの町の象徴の一つだという時計台が目に入る。町にある機械時計はこれ一つで、町の近くまで含めて多くの人たちがこの時計台の鐘の音で時間を知るのだという。機械時計っていう時点でだいぶ先進的だと思ってしまうのだけれど、まあ転生者だとかがいるんだからそれは誰かが開発はするよねといったところかな。

中央広場をぐるっと半周した馬車はそこから町の南西地区、経済の中心地だね、そこへ進んでいく。行き交う人の姿がここでまた一気に増える。それはそうね、どう見ても市場、どう見ても何かの工房、どう見ても何かの商店、そういった場所がどんどん馬車の左右に現れては後ろへと流れていくのだ。教会以来何もかも面倒になってしまって町まで来ることもなかったのだけれど、ここは一度くらい来ても良かったかもしれないわね。ちょっとだけ後悔。

そうして馬車はミルトの町を通り過ぎる。建物の数が急速に減り、そして街道の左右には再び麦畑だ。ただその麦畑の向こうには、今度はジャガイモとかキャベツだとかの畑が増えていくのだそう。もっと遠くには裸山、というかたぶんあの辺りは牧場になるのかな。酪農の盛んな地域があっちだったような気がする。そういう景色に変わっていく中を、馬車は一路キノットへ。


キノットは大きな街道が交差する、その交差点に位置する町で、どう控えめに見ても州都ミルトよりも大きかったりする。畑が減り始め、建物が増え、人が増え、遠目からも州を東西に横断する主要街道が見えてきて。まあ行き交う馬車の、荷車の、人の、なんと多いことよ。建物の密集具合もミルトよりも激しい気がするのだけれど、どうもこれは宿場町だったところへ人が集まって集まって集まってという経緯のせいもあるらしい。街道がきれいに南北、東西に伸びている以外はすごく雑多な印象だ。そのちょうど交差する地点には交通を管理するための施設が置かれていて警備の人が立っているのだけれど、交通整理が大変そう。道交法なんてないし、信号もないものね。

わたしたちの馬車はその交差点も通り過ぎて、少し進んでから左の脇道へ。この先にベルナルド叔父様の、いわゆる代官屋敷があるのだそう。一日目のお泊まりはここになります。もうね、ゆっくり進んできたのでもういい時間だったりするのよ。

お母様から「一日中きょろきょろして疲れたでしょう」と言われると、そういえば首が肩が痛いようなという気分になってくる。まあねえ、何しろ生まれて初めての遠出ですからね。それはやめられないとまらない。向かいの役場からすでに屋敷に戻ってきていた叔父様にあいさつして、お母様と2人で客間に入ったらそのままベッドにダイブしてしまった。お行儀悪いけれど許して。その日はそのままゆっくりさせてもらって、久しぶりに会った叔父様から根掘り葉掘りダンジョンのことを聞かれたりもしたけれど楽しく過ごしたら、翌日はいよいよリッカテッラ州を抜けてお隣の州へと進んでいくのだ。


そんなわけでお隣の州です。いやリッカテッラ州内を通っている途中の道はね、もうね、えーっと、2つの地区のちょうど合間を北から南へ街道が抜けているのだけれど、ほぼ、ミルトからキノットまでと同じなのだ。畑、畑、畑、たぶん牧場。そんな感じ。まあこれがリッカテッラ州の特徴なのでいいのだけれど、さすがに飽きてきますよ。そんな感じで真っすぐに南下を続けていくと小さな町に着いて、そこが州内の最後の町だって聞いて、そのすぐ南が州境の川になるのだそう。わがノッテの抱える北方国境の山脈の東側から流れ出した川がずうっと続いてここまで流れてきているのだそうで、とても大きいのだ。すごく分かりやすい州境。そこにかかる橋のたもとに人が集まってできた町を抜け、そして大きな橋を渡るとついにお隣の州なのだ。

まず言ってしまうと見所は特にない。越えた橋の先に町もなく。街道の左右はただ草原が広がり、ずっと向こうにはおそらくブドウの栽培されている丘陵が見えてくる。お父様によるとこの州は東西に広くて、主要都市はほぼ東側にあって、そして西側はブドウを中心にした果物栽培が主で、そしてワインの一大産地なのだそうだ。それは国にとって大事な土地ですな。ワイン。食料と同じくらい重要よね。そんなこともあって街道沿いよりも街道を外れた場所の方が発展してしまったらしい。主要都市が東にあるのは農地の開拓ルートがこっちになったのとは別にもう1本の住宅地にするための開拓ルートがそっちだったせいらしいよ。なるほどねえ、それは見所がないのも納得ですよ。

これは後はぼうっとしているだけかなというところで、南北が短いこの州でも王都が近づいてくれば宿場町が当然出てくるので、今日はそこで一泊だそうだ。さすがにこういう場所なので偉い人用の宿泊施設があるんだってさ。

街道から少しはずれた場所に建物が密集している場所が見えてきて、そこの町外れにある高い塀で囲まれたちょっと格式高そうなお宿へ。なんかねえ、大きな浴場まであるらしくてお母様はにっこにこよ。聞いたらお気に入りで王都へ行くときにはいつも使っているのだそうな。当然着いて一休みしたらそのまま浴場に引っ張って行かれましたよ。まあこちとらお風呂大好き元日本人ですしね、見聞きして知っていたローマ風呂のイメージで行ったらまんまで、湯船につかれるんよね、いいよね。さすが高級お宿ね、うむ、これはいいものですよ。あかすりは何だかおっかないので遠慮させてもらったけれど、お母様はわたしが出た後もどうも長々入っていたらしくてご機嫌だった。

そんなお宿を翌日出発したら後はまっしぐらに王都邸へ。街道を進むうちに巨大な城壁が見えてきて、そして城壁が大きくなり、まだ城壁にたどり着いていないのに建物がガンガン増えていって、本来の王都とそれを取り囲む自然発生した都市部なんだろうね、そんな感じに町が始まっていった。街道は左右から見下ろすように立ち並ぶ背の高い建物の間を抜けて進み、城壁までたどり着いたところで警備の兵士から確認を求められ、折良く顔見知りの人だったらしくてダニロさんが軽い感じで対応していたけれど、それからようやく本当の本来の王都の中へ。

街道の石畳はこれまでよりも整っているのか揺れもほぼ感じなくなり、左右の建物も整然としていく。街道はそのまま町の中心で街道の終点だという円形の交差点へたどり着き、そこから王城の南側にあるという貴族街へ進んでいく。建物がまばらになり、街道の左右には低木の植え込みがずっと続いていくようになり、道行く人など一人もいない。その貴族街の中段、さらにその中央という位置づけに我が家の格式というものを見た気がするけれど、とにかくその場所へと馬車は乗り付ける。白く塗られた門扉。左右に続く鉄の柵とその向こう側の垣根。区画を丸ごと一つ使ったぜいたくな作りだけれど、常に暮らしているのはお祖母様だけだという。

一度馬車を止めてから降りたダニロさんが、預かっているのだという鍵で門扉を開けるとそこへ馬車ごと乗り入れる。敷地は切りそろえられた草が覆った、まあ芝生だね、そんな印象の場所が広がっていて、何のためかブドウの棚もあるようだった。再び門扉を閉ざしたダニロさんによって馬車は奥に見えている家に向かってゆっくり進んでいく。かぽ、かぽ、というお馬さんたちのゆっくりとした足音を聞きながら少しだけ上り坂になっているアプローチを行くと、すぐに玄関が見えてきて、そこに誰かが立っているのが分かった。その前に横付けされるように寄せられた馬車の窓から見えるその顔はお父様に少し似ているように感じる。表情は良く分からないけれど、弧を描いているように見える口元から笑顔なのかなと思わせる。

ダニロさんが馬車の扉を開ける。

真っ先に降りるのはお父様、それからお母様。わたしは最後。

馬車のステップを踏み外さないように気をつけながら地面に降り立つ。視線を足元から上に上げ、見上げた表情はやはり笑顔だった。

「良く来ましたね、ステラ。長旅で疲れたでしょう、今日はゆっくりしていきなさい」

そう言うのはマノン・カネル・セルバ。わたしのお祖母様。

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