086:地下6階視察2
空は青く、はるか遠くまで広がっていて果ては知れない。
ところどころに真綿のような雲が浮かび、その影を森の上に落としている。
森は広く、眼下の廃村のような場所からずっと、遠くの山々まで続いていた。ところどころに見られる線のような跡は道かそれとも川か。
連なった山々は緑に覆われたり、山頂付近が赤茶けた岩肌を見せていたりとさまざまだ。その山脈の途中には砦があり、砦から伸びる城壁をたどっていくと山の頂にそびえる黒褐色の塔の並ぶ城へとたどり着く。その城の右手には山肌を覆うようにして建物が並んでいた。
右手はるか彼方に見えるものは湖かはたまた海か、対岸は見えない。そしてその湖か海かのようなものの手前では森が途切れ草原なのか黄緑のような色をした平地が広がり、そのなかを線のような恐らくは道だろうものがあちらこちらと走っている。その途中途中には町か村か、そのようなものもあるようで、そして水辺の高台になっているところには白い屋敷か城かというような大きな建物が建っていた。
左手も遠く森が途切れる場所があり、その向こう側はやはり草原か。そして山の方から続いているだろう線は太く、大河のような幅広の川となっていた。
川の向こうでは草原が徐々に茶色く変わり、さらに白く変わっていく。その向こうにも見える山が白くなっているところを見るとあれは雪だろうか。
右手の手前側にはちらりと城壁のようなものが見えるが、左手側には見えない。いったいどこまでの広さがあるのだろう。
遠くには城をいただく山脈、青く輝く水面、雪をかぶった山々。地下だというのに空には太陽が輝き、世界は昼間の明るさに包まれている。その明るさの下で見るこの地下世界の果てはここからでは見通すことはできなかった。
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すごい。
自分で作っておいてなんだけれど、わたしが見ているのはあくまでもモニター越しの設定画面で、それで完成した結果を見ていてもどうしてもゲーム画面感がぬぐえない。
実際にできあがったものを現場で見る。これはやっぱり違う。臨場感がある。手を差し伸べれば触れられるような臨場感。本物がすぐそこにあるのだという感触があるのだ。
いいね、すごい。とってもいい。
この世界には時間の経過も、天候の変化もあるのだ。
全てがこの地下世界固有のルールとランダム設定とによって作られている。配置した生物も全て個別の人工知能によって行動している。
前回のクリストさんたちが見た景色だってそうだ。
時間はルールに従って決まっていて、そして曇天はランダム決定されたもので、城の向こうの空からドラゴンがやってきて一周して帰るというイベントは作ったけれど、ドラゴンの行動は人工知能による自律行動によって生まれたものだ。
マンティコアがあそこにいたのも、ドラゴンがそれに蹴りを入れたのも偶然起こったことなのだ。
楽しい。
見ているだけでも楽しい。待っていて。すぐに冒険者たちがそこへ行くから。用意したあれとかこれとかそれとか、全部のことに意味ができるときがすぐに来る。それまで待っていて。すぐだよ。
そうしてきっとわたしも行く。
観客でもいい、ポーターでもいい。役割なんて何でもいい。すぐにわたしも行くよ。待っていて。
「‥‥でかすぎるだろう」
言ったのはアドルフォさんだろうか。ガラスに張り付くようにしてその向こう側の世界を見つめている。ここにいる誰もが似たようなものだろう。
「今日は遠くまでよく見えるね」
「ドラゴンはいないわよね?」
「いないな。ああ、メモにもあったろう。今日は城の上にドラゴンが見える」
「今日は、か。そっか。今日はドラゴンがいない日なのね」
そうなのだ、あのドラゴンの住処はここからは見えない。城よりももっと向こうにある。
「ねえ、下のあの、廃村って言っていいのかな。何かいるね」
「うん? ああ、あー、確かに何か動いているな、何だ?」
焼け焦げて崩れた建物の並ぶ廃村のような場所を動くものがいる。
ここからだとよく見えないだろう。こういう時のために用意しておいたものを提供しましょう。それでもっと楽しくなってほしい。
「使いますか?」
ポーチから単眼境を出してクリストさんに手渡す。使い方が分からないといけないからその説明もしますよ。
受け取ったクリストさんが細い方に目を当てて下を覗き込む。
「お、見えてきた。いいなこれ、よく見える‥‥なあ、ハグに見えるんだが?」
そう言われて単眼境を手渡されたカリーナさんも覗き込む。
「そうね、ハグに見えるわね。手に籠を持って何かを集めている。あら? 慌ててそっち、そっちの方へ移動していったけれど──え、」
「どうした? あー? 馬か? 馬のように見えるが」
「‥‥ユニコーン。ユニコーンよ」
カリーナさんはクリストさんに単眼境を押しつけて壁際に移動した。
「この間はドラゴンを見て、今日はユニコーン」
とても楽しそう。いいな、カリーナさんはこのパーティーの中ではたぶん一番楽しいんじゃないかな。
「楽しいですか?」
思い切って聞いてみる。
「そうね、楽しいわね──このどこかに、ドルイドの魔法の秘密があるかもしれないのよね」
そうだろうとは思っていたけれど、やっぱりドルイドの魔法に興味があった。ふふ、もっともっと、いろいろなものがありますよ。楽しいですよね。
「ギルドとしてはどう思うのかね?」
お父様が呆然とした顔を取り繕うこともせずにアドルフォさんに訪ねる。
「どうもこうも、いや、何というか、どうしたらいいんですかね?」
2人揃って呆然とした顔を見合わせてしまう。
その隣ではモニカさんが張り付いたガラスから離れることができずにいた。何かが見えたと聞こえればそちらを見、また何かが見えたと聞こえればそちらを見、興味が尽きることはない様子。
「ねえ、城の上に何かない?」
叔母様が目の上にひさしのように手を当てて城の方を見ている。双眼鏡欲しいかな? どうかな?
それを聞いたクリストさんが単眼境を使い城の上の方を見る。
「ドラゴンかと思ったが、違うな。何だ? 何か、塊が浮いているな。岩のような、上が平らになっているのか?」
アドルフォさんに請われて単眼境を手渡す。
「なあ、冒険の書の何巻だったかな。あっただろう、天空の」
「天空の城か。8巻だな、ペガサスに乗って行くところが好きだ」
アドルフォさんの問いに答えたのはエディさんだった。あまり主張をしない人だけれど、やっぱり冒険の書は好きだったみたい。そうよね、勇者が空の上にあるという天空の城を目指してペガサスに乗って空を飛ぶ場面は有名なのよ。みんな大好き冒険の書よ。
「ついでに向こうの水面も見てもらえるかしら。さっきから出たり消えたり、何かいるのよね」
叔母様はそちらも気になる様子。わたしも気になってそちらを双眼鏡で見る。何を配置したっけ。結構な範囲でコアちゃんたちに任せてしまっているから全部は把握していないのよね。
いるねえ。ヘビにも見えるけれど、東洋龍みたいにも見える。何だろうあれ。
「水中から浮かび上がってくるヘビか、シーサーペントとかナーガとかか?」
「いやここから分かるくらいの大きさだと違うだろう。サーペントにしろナーガにしろ、そこまででかくはないはずだ」
クリストさんとエディさんが言い合っている。
ああいう形の魔物かあ、どういうのがいたっけ。
「海か湖か、水の中にいるヘビのようなドラゴンのようなって、何でしょうね。グラーキ、アイダハル、セルマ、ストーシー、ガルグイユ、リヴァイアサン。何でしょうね?」
ここから見ても分からない。あれが何かを知るにはあそこまで行かないといけないというのがまた楽しい。
真っ先にたどり着くのは誰になるだろう。ここにいる冒険者さんたちになるだろうか。彼らは10階を開放したらまずどこから見ようとするだろう。
「いやいやいや‥‥いや、な? どれも伝説の魔物だぞ?」
アドルフォさんがいやいやと顔の前で手を振る。
ふっ、と目の前に大きな影が差し、それが森の上を城の方へ向かって流れていった。
鳥かと思って見上げると、そこには確かに翼を広げた鳥が1羽飛んでいたけれど、それは雲の上を飛んでいて、その影は雲と同じように大きかった。
「‥‥ルフ、ルフだ」
誰の声だったろう。エディさんかアドルフォさんか。
ルフもまた物語の中に登場する、神々がドラゴンに匹敵する生き物として作り出したとされる巨鳥だ。
森の上を飛び、そしてその巨大な鳥は山々の向こうへと消えていった。その影は山頂にそびえ立つ城を覆い尽くすほどに大きかった。
楽しい。
わたしが全部の設定をしたわけではなく、任せている部分も多いのだ。
世界観は作ったけれど、それを壊さないように自由に使ってといって任せているのだ。
その結果が目の前にある。
わたしにとっても全てを把握しているわけではない未知の世界だ。
そこでは、そこに住まう全ての命たちが自由に生きている。
今日はハグたちは勝手気ままに廃屋を漁り、ユニコーンがそれに気づいて追い払い、海には巨大な生き物が威容を見せつけるようにたゆたい、ルフが頭上を舞っていったのだ。
楽しい。
「‥‥とにかく10階です。10階ですよ。行けばわかります。行きましょう。行かないとだめですよ、これは」
「そうは言ってもな、でかすぎて手に負えないだろう」
「いいじゃないですか、大きい、どんとこいですよ。自力で10階に到達した冒険者にこの、この世界の探索の許可を出す、それだけですよ。自力で到達できないのなら許可しない。だってこのダンジョン、10階に来いって言っていますよ。来て、そしてその先にも来いって。自力で到達できないのならこのダンジョンで腕を磨けばいいんですよ。それだけでしょう?」
「そうなのか? まあそうなんだろうが、そうは言ってもな。正直に言うと俺も10階に行ってみたくなっているんだがな? 支部長の立場から言うと見つかっているものがすごすぎて怖いんだよ。ダンジョンだけならまだなんとか収まるような気もするが、この先がどう考えてもまずい気がするんだよ。とてもじゃないが、手に負えない気がしていてな」
ガラス壁の前でモニカさんとアドルフォさんが言い合いを始めている。
たぶん話は長くなるだろうから立ち話も良くないよね。フリアさんに協力してもらってイスとテーブルを通路に並べる。花を置いたイスが輪になっているのは自分で設定しておいてなんだけどちょっと怖かった。
並べ終わったら、はい席に着いて、お茶菓子があるといいかなあ。あ、ポーチに入っている設定にして、うん、いつものクッキーでいいでしょう。
ポーチから紙包みを取り出してテーブルに広げる。
あとは飲み物があるといいよね。とはいえポーチに水筒は変だし水でいいかなあ。や、水出しのお茶がいいな。お茶っ葉も持っていることにしよう。それを紙コップに注いだらいいよね。
ということで隣の部屋へ行って、フリアさんが手伝ってくれるのでついでにキャンプ用品の感想なんかも聞いて。これも今後の改善の参考にするよ。
お茶は緑茶とハーブ茶をティーバッグで用意したのでお湯に投じる。
抽出している間に部屋に置きっぱなしだったゴブリンの武器にも話を振って、消えるかどうかを確かめるためにここに置いていったのに忘れていたっぽいクリストさんの説明を聞く。この説明はきっと通路でアドルフォさんたちも聞いてくれるでしょう。
お茶を入れ終わったら通路に戻って、クッキーがもう空になっていたので追加を出して。それでは皆さん続きをどうぞ。
「さて、せっかく現地に全員いるんだ、真面目な話をしよう」
時間の経過のおかげか、それともお茶を飲んだおかげか、落ち着いたらしいアドルフォさんが切り出す。
「10階到達は達成してほしいと思っている。そうしないとこの世界が本物かどうかも分からないからな。で、どうだ? 行けるということでいいのか?」
「もちろんだ。俺たちは10階へ行く。これが本当のことなのかどうか見てこよう」
冒険者同士の話はあっさり決着する。他の選択肢などないのだから当然の流れだろう。
「ただな、心配していることはある。どうもな、このダンジョンは俺たちを見ている気がして仕方がないってことだ。いろいろと都合が良すぎるんだよ」
「どういうことだ?」
「まず魔物だな。間違いなく少ない。特に通路で出くわす奴が少ない。普通はもっと乱雑なもんだ、でたらめな場所にいるもんなんだよ。それが数が少ないうえに待っていたかのように動いている。部屋にいる奴だって大した数じゃないうえに、どうにもこっちが来るのを待っているようだ。だいたい部屋の奥の中央付近にいて部屋中をうろうろしているとかって雰囲気じゃない。グールがラットだスネークだを食っていたところなんてまさにそれだな。俺たちが来るのを待っていて食べ始めないとあんな都合良くはいかないだろう。このダンジョンは俺たちに合わせて動いている」
‥‥あー、どうやらわたしたちの都合はバレバレだったらしい。
いやだって、そうしないと演出がね、どうしてもタイミングがね。
「でだ、俺たちは今ダンジョンの中でこんな話をしているわけだが、なあ、ダンジョンがこの話を承知した場合、どうなると思う?」
「‥‥調整が入るということか?」
「その可能性がある。6階に下りてすぐの場所は見た。そこは変えてこないかもな。だがその先は分からない。数が増えるか雑多な動きが増えるか、行ってみれば分かるさ」
「難易度は上がると思うか?」
「上がるだろう。こんな話をしているからってだけじゃないぞ。そのヒントは散々見せられた。上の階でもな、明らかに合っていない魔物がいることがあった。ああいうのは下層で出す予定の奴を試していたんじゃないかと思っている。上の階の終盤で出た奴は下の階の序盤で出る、そういうパターンなのも分かっている。そこに混ざる毛色の違う奴はテストだろう。6階のグールがそうだと思っているよ。あれはアンデッドを使うための準備だろう。だからこそ1体だけで出てくるんだ。それに罠もな、たまに危ない奴が混ぜられていてな。あれも使いたい奴を少しずつ試している感じがする。昇降機の位置を見ても、ここで一区切りなのは間違いない。本番はここからなんだろう」
だめね、バレバレですわ。さすがだなあ、これはもう感心するしかない。
さすがにBランクは良く見ているということね。その評価は伊達ではないわ。
調整の入れ方に気をつけないと、これまたバレバレなことになるのね。困ったわ。
「私はね、これ以上はもういいだろうと思っているんだ。ここから見えるものは確かにすごいとは思うけれどね、どう受け取ればいいのかまったく分からない。これ以上は私の理解を越えてしまっている」
お父様が盛大にため息をついた。
あまりにも出てきたもののスケールが大きすぎて理解を超えてしまっているらしい。
「それにね、これは、これは一つの国があるようじゃないか。こんなものがセラータの地下から出てきたなんてことになったら、どうすればいいんだ? ここには人はいるのか? いたらどうすればいいんだ? 地上は安全なのか? ドラゴンは地上に出てきたりはしないのか? 本当に大丈夫なのか?」
あー、という表情でアドルフォさんが天を仰いだ。
わたしもあーと思う。そうね、そこは気になるわよね。でもその対策としての呪い設定なのよ。それは10階の先へ進めば分かるようにしている。
でも確かに領主としてみれば危険性の方が先に来るのだろう。ダンジョンから魔物が地上に出てきたという話は現状ではないらしいけれど、絶対にないかと言われたらそれは分からないとしか答えようがない。このダンジョンではそんなことにはならないけれど、それを保証することはできないのだ。
「兄様、私は報告を中央に送って、判断を仰いだ方がいいだろうと思っているわよ。さすがにこの規模になってしまっては私たちだけで決めることはできないわ」
叔母様が口を挟む。
「中央にかい? その場合管理は中央に」
「権利はちゃんとセルバ家で握って。管理に人を出してもらってもいいけれど、そこはちゃんとして」
「ああ、ああそうだね。うん」
「恐らく誰か視察に来るというでしょうから、ここを見せて、メモを読んでもらって、ああ、教会はだめね、うまく話を持っていかないと。それで10階を目指しているという話をするのよ。そうなると恐らく確認のためにも軍を出すという話になると思う、10階に軍を出すって。見てもらえばいいじゃない。別に私たちは困らないと思うわよ」
視察に来る、軍が来ると聞いて、む、と口を結んだお父様が考え込む。
「いいんじゃないかしらね、軍が来るくらい。攻略しに来るかもしれないし、競争みたいになるかもしれないけれど、いいんじゃないかしら。私としては冒険者で、うちと直接契約している形になる彼らに先に10階まで行ってもらって、それでそこにセルバ家の旗でも立てておきたいところだけど」
ね、と叔母様に声を掛けられる。
いや答えにくいですって。わたしには今は答えられないので横に座ったキニスくんの首筋をわしゃわしゃと揉んでごまかした。
これで視察は終わり。
クリストさんたちはその後ホブゴブリンを殴りに行って、そして5階の専用鍵が必要なエリア用の板鍵と、もう1つ昇降機の5階までの鍵とを持って戻ってきた。
素晴らしいスピードで感心したのだけれど、両側の扉から挟み撃ちの形にして魔法を連発して最後にとどめで飛び込んで終わりだったそうな。
その間はゆっくりお茶を飲んで、モニカさんはキニスくんの背をなでて、ゆったりとした時間を過ごす。
ガラス壁の向こう側では少し雲が増えてきたのか、空の雲に覆われている範囲が広くなっていた。時折鳥か獣の声が聞こえる。危険は何も感じられず、穏やかな時間だった。
鍵だけでなく宝石もゲットしてきたと言ってそれらはまとめてアドルフォさんに渡される。どうやらこの場所でやることはこれで終わり。
満足する結果が得られたと思う。
満足する結果が見られたと思う。
次は10階を目指す冒険が始まるのだ。6階から先はこれまでとは違う、もっと手応えのある冒険ができると思うので楽しみにしていてほしい。もちろんわたしも楽しみだ。是非10階のイベント戦には参加したいと思っているので。
さあそれでは皆さん、ダンジョン探索の後半戦を始めましょう。