082:地下6階2
通路はずっと先まで真っ直ぐに続いている。
左の壁には所々に照明があって辺りを照らしていて、そしてその光の下には扉が1つ2つとあることが見て取れた。
その通路のはるか先、向こうの端の方には何か雑多なものが、あるいは瓦礫のようなものが積み上がっているように見えていたけれど、それが何なのかは近づいてみないとはっきりとはしないだろう。
どれもこれも、些細なことだ。
問題は右の壁にあるのだから。
右の壁は一面がガラスでできている。ガラスだ。瓶などの容器や店舗の窓などに導入が進んではいるが、こんな、壁を全面、それもこんなにも長く伸びる通路の壁を全面だ、覆い尽くすような規模のガラスなど見たことも聞いたこともないだろう。
そしてガラスである以上は、その向こう側が透けて見えるのだ。
今ではガラス窓というものも普通に見られるようにはなったが、でもそれはこんなにも滑らかだっただろうか。こんなにも透き通っていただろうか。触れてそこにガラスがあることがようやく分かる、光の反射があってガラスなのだとようやく分かる、それほどまでに透き通ったガラスの壁だ。
薄く光が差し込んでいる。
ガラス壁に近寄って見上げてみれば空は厚い雲に覆われ、所々で時折、白く輝くところが見て取れた。あれは雷だろうか。
視線の先、はるか彼方にはあまり高くはないのだろうが山脈がそびえ、その山脈のうちの谷間になっている場所には砦のようなものがあった。そして砦よりも右手奥と言えば良いだろうか、山の一つの頂には白か灰か、そのような色をした巨大な城がそびえ立っていた。砦辺りからすでに城壁が山肌を伝って伸び、その城壁の先に繋がるような形で塔の立ち並ぶ城塞だ。雷の光が時折その壁を照らし出す、一種異様な姿だった。
眼下には森が広がっていた。
その森は右へ左へ、そしてはるか先の砦の方まで広がっていたが、ところどころには広い空間も開いているようだった。
恐らく森の中には町が、村があるのだろう。恐らく線のように木々がない場所は道なのではないだろうか。その道に沿うように、あるいはその道からほど近くに、建物の集まりのようなものが点々とあることが分かる。
規模に関してはここから見通すだけでははっきりとは分からないがきっと街道沿いの町や村というものなのだろう。
左の奥の方には建物の連なる町がはっきりと見て取れる。あれは白壁に赤茶けた瓦屋根と言って良いだろうか。美しい町並みのようで、この町はこの辺りでは一番大きそうだと想像された。
だが視線をちょうど下に向けたところにある町は様子が違った。黒い木材が露わになり、壁は崩れ、屋根は崩れ、通りには瓦礫が散乱しているように見える。焼け焦げた町並み、そう言うのが正しいのだろうか。
その焼け焦げた町から右へと視線を向けると恐らく墓場だろうものも見えてくる。墓石は正しく並んでいるのか、それとも崩れ倒れているのか、ここからでははっきりとは見通せなかった。
森の中の道はどこからどこまで続いているのだろうか、やはりあのはるか遠くに見える城だろうか。その城の近くには町のようなものはないようだったが、だが、ああ、城から右へと視線を送れば山肌に張り付くようにたくさんの建物があるのが分かってきた。あれが城下町なのだろうか。
さらにその城下町からぐるっと右へ視線を送っていくと、黒く平らな面があることがわかる。もしかしたらあれは海か湖か、そういうものではないだろうか。
さらに右へと視線を進めると、墓場よりももっと向こうにちらりと城壁のようなものが見えた。こちら側にも城壁があるということは複数の城があるのか、それとも領地を守るための外側の城壁だろうか。もしかしたらこちら側の城壁のどこかから遠くの砦、そして城へと道が続いているのだろうか。
呆然とガラス壁の外を眺めていると、何かが下から上へ、空へ向かってパッと移動していった。それは弧を描いて森の上へと向かって飛び、さらに城の方へと去ってそのまま小さくなっていく。
よく見れば森の上を何かが飛び交い、森へ出たり入ったり、あるいは町らしき場所へ出たり入ったりといったことを繰り返している。
鳥か、あるいは飛ぶ魔物か。
しばらく見入っているとまた眼下から何かが上がってくる。それはガラス壁の下で一度壁に足を置いて止まり、また壁を蹴って向こうへと飛び去っていった。
今度ははっきりとその姿を確認できた。
ライオンの体にワシの頭と前足、そして翼を持った魔物、グリフィンだった。
ピューイという鳥の鳴くような音が聞こえた。
良く耳を澄ませてみれば風の吹く音や、木々のたなびく葉ずれの音、そして遙か遠くの雷鳴が聞き取れる。
今まではまったく気が付きもしなかったが、どうやら向こう側の音が聞き取ることができるようだった。
グリフィンは森の上を滑空すると、木々のない開いている場所へ下り立つのかそこへと姿を消していった。
そして今度は左手の上空、遠くから幾つかの鳥のような形に見えるものがこちらへ向かってくることが分かる。
近づいてくるとその一見鳥かと思えた姿はコウモリのようにも見え、そして頭はトカゲのようでもあった。その姿のものが3つ、空を滑るように飛んで来る。
目の前に来る、そう思ったところでその鳥たちの上に黒い影が射し、そのうちの1体の上へすぐさま赤茶色をした大きな塊が覆い被さるように降ってきた。
ギーとかギャーとかいう声は襲われた鳥のような魔物の声か。
襲いかかったのは先ほどのグリフィンのようなライオンの体、だがグリフィンとは違いライオンのたてがみを持つ人のような顔つをした頭、そしてドラゴンのような翼があった。マンティコアだ。
マンティコアは捕まえた鳥のような魔物に長い尻尾を何度かたたきつけると、満足したのか大きく翼を羽ばたかせて宙に浮く。そして太い足で抱えるようにした鳥の体にそのままかぶりついた。飛びながら食べるつもりなのだろうか。ガッとかガブッとかいう音は実際に聞こえている音だろうか。目の前で食べなくてもいいのにと少し思う。
そうしてガッガッと幾度かかぶりついていたマンティコアが、不意に顔を上げて向こうを見る。城の方角か、何か別の魔物でもいるのか。
上空の厚い雲が大きく白く輝いた。
森の上で雲が下方向へと膨らみ、何かがそこを突き抜けるように飛び出してくる。黄色い、いや、黄金色の巨大な姿。長い首、長い尾、大きく羽ばたく巨大な翼。雲間からその巨体へとつながるように稲妻が幾本も幾度も走る。
その黄金色の巨大な魔物がこちらを向く。
マンティコアが足から鳥を取り落とし、その鳥は眼下の崩れた町へとただ落ちていった。
鳥を落としてしまったことには気が付きもしていないのか、あるいはそれどころではないと察したのか、マンティコアが頭をめぐらし、左を見、右を見、下を向いて、さああの崩れた町へ逃げなければというような表情を見せた。
だが、そんなことは許されなかった。
巨大な黄金色の魔物は明らかにマンティコアに狙いを定めていた。
首がこちらを向き、そして羽ばたくと、波打つような動きで瞬く間に距離を詰めてくる。
迫り来るにつれ見えてくる頭には2本の角が左右に伸び、そしてひげのようなものが幾本も後方へとなびいていた。
その巨体は眼前まで迫ると頭を上へと持ち上げ、大きく複雑な動きを見せた翼によって体勢を変えたのか立ち上がったような格好へと移行する。そして巨大な後ろ足が突き出された。
足は惑うことなくマンティコアを捉え、そのままズドンという激しい音をさせたのかさせなかったのか、そんなことは全く気が付きはしなかったのだが、ガラス壁へとたたきつけられる。果たして衝撃でガラス壁は揺れたのか、揺れなかったのか。分からない、分からないが思わず手は壁から離れていた。
半ば潰れたようにひしゃげたマンティコアの体をそのまま巨大なかぎ爪で握ると、もう一方の後ろ足でガラス壁を蹴り、今度はドンというはっきりと大きな音をさせて身を翻すと、森の上へと移動し、そして大きく羽ばたくと上空へと昇っていった。
その姿は瞬く間に小さくなり雲間に飛び込んでいく。その後はまた厚い雲は時折白く輝く先ほどまでとまったく同じ姿に戻ったのだった。
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何を見たのか、何を見せられているのか、分かるだろうか。
分かるだろう。ガラス越しとはいえ、そこにあるのは地上とそう違いはないように見えるもう一つの世界なのだから。
空を舞うグリフォン、マンティコア、そしてエインシャント・ゴールド・ドラゴン。
ゴールド・ドラゴンは伝説の魔物だ。実物を見たという公式の記録はなく、ただ伝説の魔物として本の中にだけ存在している魔物だ。しかもエインシャントともなれば、勇者が記した冒険の書の中にしか見つけることができない。
これがわたしがダンジョンの地下10階に用意したもう一つの冒険の舞台。ダンジョンだけでは物足りなくなって作り出した、何でも放り込むことのできる地下世界だ。
この地下世界という発想もまた、勇者の冒険の書からいただいた。そしてダンジョンの一部ではあるから、ここに何だって放り込める。そう、物語の中にしかいないエインシャント・ゴールド・ドラゴンだって放り込めるのだ。どうよ、すごいでしょう。
冒険者さんたちも当然勇者の冒険の書のことは知っていて、そしてここが地下世界ではないのかという想像にたどり着くことになる。
すごいでしょう。地下10階のダンジョンの深さがこの地下世界の天地の幅のはずがないとか、そんなことはどうだっていいのだ。ダンジョンを下りているうちに考えていたよりも深く潜らされていた、そういうことなのだ。
3階のメッセージもこの場所に行ってほしいから用意したものだ。あれを残した誰かさんはこの地下世界からこのダンジョンを上って上って3階までたどり着いたのだ。
先ほどまで呆然としていた冒険者たちの「早く10階へ来い、見ろ、驚け、そう言っているんだろう」「そうして言うんだろう。あのはるか向こうに見えている城へ来いってな」そういう言葉に力がこもる。
そう、早く来てほしい。待っているから。
このダンジョンは冒険者を誘っている、もっと潜れ、もっと先へ進め、そしてその先にあるものを見ろ、驚け、そう言っているように感じられてきたのなら、それはもう正解にたどり着いたと言っていい。このダンジョンはあの地下世界に至るためのスタートラインでしかないのだ。
10階にたどり着いたのなら次はこの地下世界の冒険だ。一番分かりやすいのはあの城だけれど、町が村があり道があり墓があり川が湖が海があり、他にもいろいろなものがあるのだ。だからそう、早く早く早く。
落ち着きを取り戻した冒険者たちが行動を再開し、近いところにある扉を調べ鍵も罠もないことを確認して開ける。その先は部屋になっていて、中には雑多に物が置かれている。蓋が開いたような木の箱、閉まっているような木の箱、その上に置かれたロープの束。壁際にまとめて置かれた木の杭、シャベル、ハンマー、小さめのはしご。
右の壁には棚もあり、そこには瓶詰めや小さな木の箱、布袋などが積まれている。手前側、入り口の右側にはミニキッチンのような形をした水場がある。
ここはダンジョンの中の物置。手分けして調べ始め、しばらくの間はガタガタという物を動かす音だけが聞こえていた。
木の箱は中身がおがくず、道具は特別なところの見当たらない普通の物、保存食は劣化が激しく元の状態の想像もできないような物。水場では問題なく水が出て、単に見た目を今までとは変えただけで、今まで通りの水場だと確認された。
その場で唯一特別に見えたのが木箱の上に置かれた鍵だろう。
ここまでダンジョンで見つかった特別な鍵は板鍵だったけれど、今回のものは形自体は普通の鍵だ。今はヒントもなく、使いどころがどこなのか想像もできないのではないだろうか。焦らなくても大丈夫、ヒントは次だ。
探索を続けるため部屋を出て通路を左へ。
ガラス壁の向こう側に広がっている世界は、今は時折鳥のようなものが飛び交うくらいで静かだった。その景色を見ながらしばらく進んでいくと、左側にあるもう1つの扉の前までたどり着く。
こちらの扉も鍵や罠はなく、安全に開けることができた。そうして立ち入った今度の部屋は、先ほどの部屋に輪を掛けて不自然な状態になっている。
部屋の中央には全部で15脚のイスが輪を描くように並べられ、その一番奥側の1脚を除いた全てに一輪の薄桃色の花が置かれている。イスの背板と座面は白い板のようなもので作られ、脚は銀色の細い金属のようだ。
手前側、入り口の右手の角にはそのイスが5つ、積み上げられている。
その反対側、左手の角にはイスよりも大きな、白い板と銀色の細い金属の脚、恐らくはテーブルなのではないかと思われる物が壁に寄せて立てかけられている。
奥の壁には銀の枠に茶色い板のはまっている大きなものが掛けられていて、ギルドにもある掲示板を想像させるそこには、メモ用紙と思われる紙が何枚も貼り付けられていた。