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クモだ、クモだと思う。いや魔物ならばスパイダーというのか、でもなんだこれ、見た目からすでにすっごい怖いんですけど。
全体に紫がかった体色。いぼだらけの膨らんだ体。いぼは紫色で、硬そうな部分は紫が濃く黒に近い。腹は逆に薄い紫。
細く長い足はいかにも硬そうな鋭い毛に覆われていて、先端がはさみ状になった2本を持ち上げている。
大きさは1メートルくらいはあるのか、もう少し小さいか。どう見ても普通のクモではない。ここにジャイアント・スパイダーはいてもいい設定になっているけれど、あれは単なる大きなクモだ。こんな意味分かんないやつじゃない。
ギャー、ガーとゴブリンたちが声を挙げ、拳やこん棒や木の枝を振り回す。クモに追われてここまで来たのか、恐怖でも感じているかのようだ。
三すくみのような状態になっているのか、ウーゴさん、ベネデットさん、叔母様も動けずにいるようだ。
「やばい、テラーだ。モニカ、回復薬はあるか」
え、そんなのあるの。行動不能系では上位の状態異常じゃないの。え、そんなの使うやつがこんな浅いところに出てきちゃ駄目じゃん。
横でプシッという軽い音がした。
「回復します」
モニカさんが立ち上がって近い方からウーゴさん、ベネデットさん、叔母様、最後にわたしにそれを向ける。見たら携帯型のスプレーのようだ。へえ、こんな容器があるのか。
や、なんかわたしにも使ってもらって申し訳ないです。わたしはたぶんかかっていないからさ。
「鑑定が通らない!」
「まじか、そいつで見えないレベルかよ」
「まずいわね、せめてもう少し下がりたいけれど」
「ゴブリンどもが騒いで引きつけてくれていればいいが、刺激したくはないな」
いつの間にかわたしの前にニクスちゃんが立ちふさがっている。
その視線の先にいるのはクモか。何だかそいつもニクスちゃんの方を見ているような気がする。
「あ、おい」
ニクスちゃんが一歩前へ出て、ウーゴさんが焦った声をあげる。ウーッといううなる音。ニクスちゃんが頭をあげて、クモに向かって大きく口を開ける。
ウォォォォォォォォォン!
思わず身をすくませる大きな声。遠ぼえだ。この子がこんな大きな声を上げているのを初めて聞いた。
その声にクモに向かって騒いでいたゴブリンたちの動きが止まる。
ウォォォォォォォォォォン!
続けてもう一声。ゴブリンの中に腰が抜けたように座り込むものがいる。
クモが威嚇するように手を持ち上げる。
――ウォォォォォォォォォン!
どこか遠くの方からも遠ぼえが聞こえる。この感じはルプスさんか、キニスくんか。
クモが遠ぼえが聞こえたと思える方を見る。
――ウォォォォォォォォォン!
また遠ぼえが聞こえる。今度は少し高い音、ルパさんか。
クモがそちらの方を見る。一歩足が下がったように見えた。
―ウォォォォォォォォォン!
近い。クモがまた一歩下がる。
ウォォォォォォォォォン!
ニクスちゃんがもう一度ほえる。こちらを見直したクモがざっと下がり、草むらの中に姿を埋もれさせる。
と、そこへ左、西の方角から何かが飛び出してくる。
オオカミ、キニスくん。飛び出してきて、そのまま切り返して草むらに飛び込む。
ニクスちゃんも飛び出す。ゴブリンたちの横をまわるように一気に加速するとキニスくんに続いて草むらに飛び込んでいった。
「助かった、か?」
「あんなよく分からんやつを相手にするには装備が心許ない。助かったでいいぞ」
「あー、ゴブリンに気づかれているわよ、準備。ほらステラも」
おっと、確かに終わっていませんでした。
モニカさんも腰からわたしと同じようなクラブを取り出して構えている。
こいつらが逃げるとも思えないし、どう見ても対ゴブリン戦だわね。それも、えーと数は12か、多いわね。
「俺はここでこいつらを挑発し続ける。モニカ、ステラは岩を背にあまり動くなよ。ベネデット、アーシア、遊撃。やるぞ」
了解です。ニクスちゃんもいないからね、頑張りましょう。
「おらぁっ!」
大きな声を上げながらウーゴさんが盾を振り、剣を振るう。当てることを狙っていない大きな動き。
それにゴブリンたちが簡単に引っかかってギャーギャーとわめき迫ってくる。
うわ、結構怖いわね。小鬼って言われるくらいにはいかにも怪物ですっていう顔をしていて、それが群れで迫ってくるのは怖い。いくら背が低くて貧相な体格だといっても、やっぱり怖い。
前傾姿勢になったウーゴさんが盾を突き出す。ガツンという激しい音とともに1体のゴブリンが吹き飛ばされ、それに巻き込まれたゴブリンと一緒に団子を作る。
その左右からさらにゴブリンが迫る。振り上げられるこん棒、どこかから飛んでくる石。ウーゴさんは盾で受けたり体に当てさせたりして後方のわたしたちの方まで攻撃がまわらないようにしている。
うまいと思う。さすが盾職。ゴブリンが投げる石なんてたいしたダメージではないと思うけれど、それを上手に肩とか胸とかの鎧がある部分で受けている。
その上で時折大きな声を上げたり、盾や剣を振り回すことでゴブリンの気を引きつけ続ける。
叔母様とベネデットさんは左右に大きく開いてからゴブリンの群れを切り崩していく。突入して群れの形を崩してしまわないように、左右の端から1体ずつ。丁寧に足を切って動きを封じてから首や胸を狙って一撃。さすがに上手よね。そして手早い。剣を振るたびにゴブリンの数が減っていく。いくら最初の数が多かったとはいっても、これはわたしの出番はなさそうよ。
『油断しないように。言いましたよ、イベントだと。ほら転がって枠をはずれたゴブリンが右に左に』
ちょっとー! これは終わったなとか気が抜けそうなタイミングでやらないでよ、もう。
「やべえ、そこで転ぶのかよ!」
なんかウーゴさんの盾の下をくぐるような形で転がってきたゴブリンがモニカさんのところに行ってしまったんですが。
って、右に振り回したウーゴさんの剣の下を膝から砕けるようにしてかがんでしまったゴブリンが転がるようにしてわたしの方へ来るんですが!
『マスターご所望のゴブリンです。頑張ってください』
もう! 言ったけどさ!
踏み込むと転がってから頭を上げたところを狙ってクラブを振るう。当たる!
ガツンという手応えと、少しの反動。
どうだ!? と思って見たらゴブリンと目が合ってしまった。やっぱり一発じゃ無理か。
もう一度!
ガツンとい手応えはあったけれど、ギャー! という大きな声にわたしの手元も狂ったのか、それとも動き出したゴブリンが当たる場所を変えたのか、殴れたのは肩口で、どう見てもそれでは倒せていない。
もうね、やっぱりこのクラブ、+100くらいまで強化したくなるわね。
握り部分のボタンを押し込んでスタンバイ、今度は当たりさえすればいい。起き上がる途中のゴブリンの、頭か首か肩口か、とにかくその辺りを狙って横に振るう。
ガンという当たった手応えと、バキンという激しい音、火花らしきものが散る。崩れ落ちるゴブリン。決まったわね。
「やりました」
「よし、良くやった。もう大丈夫だとは思うが一応気をつけておいてくれ」
足先でつんつんしても動かない。もう大丈夫でしょう。
振り返るとこちらを見守っていたらしいモニカさんがにっこりしながらクラブを持った手を掲げる。足元には頭が半分つぶれたようなゴブリン。
わたしもクラブを掲げてそれに応える。
「いやすまんな、まさかあんな形で潜られるとは」
「いいタイミングでしたよね。でも殴りやすいところへ転がってきたので簡単でしたよ」
「あー、まあな。しかし盾役としては不満だ。相手ゴブリンだぞ。もう少しうまくさばきたかったがな」
残っていたゴブリンも問題なく、叔母様とベネデットさんが倒していって無事終了。
数だけは多かったけれど、特に何事もなくイベントは終わったのでした。