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こうしてわたしが生まれてからこの方ずっと取り組んできたダンジョン案件はひとまずの終了を見た。
リッカテッラ州セラータ地区ノッテに発見されたダンジョン「夜明けの塔」はリッカテッラ州を治めるセルバ家と冒険者ギルドの協力のもと、依頼を受けた冒険者と国から派遣された軍による攻略が行われ、無事、その10階までの状況が明らかになった。ただその10階に発見された地下世界は果てしなく広く、現在のところ全体の状況は良く分かっていないというのが実体だ。
それでも人々が長年親しんできた勇者の冒険の書にも記載のある地下世界の存在が発見されたという情報が流れれば、やはり大きな注目を集め、そこへ行ってみたいと考える多くの人々がノッテを訪れることになるだろう。
もうわたしがこのダンジョンや地下世界の存在を周知する作業に深く関与する必要はなくなった。
もちろんこれからも手を出すことはあるだろうけれど、多くのことは管理するヴェネレとルーナにお任せだ。ソラちゃんやユーナ、デージー、ヘルミーナ、ヴァイオラ、それからこれから生まれてくるだろうみんなの手を借りたりしながら少しずつ改良を繰り返していけばそれでいい。
ダンジョンを管理するのはダンジョンマスターの仕事で、コアを使って作成し、マップを書いて、魔物を配置して、入り口を開放して冒険者に入ってもらうことでポイントを稼いでいく。
それが本来考えられていたダンジョンだろうし、あるべきダンジョンマスターの姿というものだろう。でも、わたしのベッドがダンジョン化できた時点でいろいろとおかしいということに気がついてしまった。
既存施設をダンジョン化することができるということ。コアをベッドから外し人形へとセットし直したことで分かった、コアはダンジョンに固定している必要はないということ、わたしの手を借りずとも自由に移動できるということ、ダンジョン内にそれと分かる形で存在する必要はないということ。
それからノッテの森をダンジョン化したことで分かった、屋外の外形がはっきりと固まっているわけではないものもダンジョン化できるということ。ルプスさんたちで分かった外部の生物と契約する方法とリンクを維持する方法、そしてダンジョンの固有魔物の設定。
実際に石組みの一般的なダンジョンを作り始めて分かった、できることの制限のなさ。想像がそのまま現実になっていく果てしのなさと恐ろしさ。求められるのはバランス感覚、自制心、そして他との整合性。
学園をダンジョン化する中で分かってきた、ダンジョン化の仕組み。本来のダンジョンコアが持っていたであろう機能と、ダンジョンマスターであるわたしがあれもこれもと思いつくままに追加していった機能との差。管理権限の獲得という仕組み。
あと一つ、ダンジョンの中に地下世界を作りだし、時の止まっていたその世界に地上から人がやってきて、そして変化を強制していくという設定が何の問題もなく実現できてしまったということ。
分かるだろうか。この、いくら何でもダンジョンというものに幅がありすぎるだろう、ダンジョンマスターのできることに制限がなさすぎるだろうという問題が。
なぜこんなことになっているのか。わたしはこの幅の広さと、この制限のなさからくる自由度の高さは、そもそも神様が地上でやっていることと同じなのではないか、よく似ているものなのではないだろうかと考えている。
この世界は古代から中世へ移り変わりつつある時代のような雰囲気がある。それなのにところどころすでに中世で、もっと進んで近世、近代といった時代が見えている部分もある。それも当然なのかもしれない。この世界には異世界からの転移、転生によってやってきた現代人、もしかしたら未来人だっているのかもしれないのだから。そういった人々がもたらす技術や知識は、それは古代から一気に時代を進める起爆剤になるだろう。
そしてここでまてよとなる。それは地下世界に対してわたしがやっていることと同じなのではないかということだね。
地上から未知の文化、技術、知識を持った人々がやってきて、長い間時間の止まっていた場所にそれらがもたらされるのだよ。この設定は地上で起きていることと、ほぼ同じなのではないだろうか。
そしてここで考える。わたしが思いついてあれがこれがと追加していったものには、この世界にはないのに設定はあるという不思議な状況になっているものが多く存在する。ここで仮定をしてみよう。そういうものはどこかにあるとかではなく、以前はあって今はなくなっているものだとしてみよう。
わたしは考えている。この世界は2度目か、あるいは3度目か、もしかしたら40度目、100度目という可能性もあるのではないかと。
リセット、という仕組みのことを考えてみてほしい。やったことはないか、リセットマラソン。配られた手札が気に入らなくてリセット。気に入っていたキャラが死亡してリセット。箱庭シミュである程度進めたところでこれは違うなと思ってリセット。やったことはないか。わたしはある。
ねえ神様、やったことはないか、この世界に対してリセット。
もっともリセットではないという可能性の方が高いだろうとは考えている。
これはリセットに必要なポイントが思いのほか大きいということが一番の理由だ。リセット機能を使うには、基本のポイントに加えてリセットの対象になる範囲のためのポイント、さらにそれに巻き込んで消える物のポイントが必要になる。特にこの巻き込みには膨大なポイントが必要で、人をということになると基礎ポイントにクラスやレベルによる加算が倍々となっていってしまい、1人を巻き込むだけでも大変な数字になるのだ。
このリセットを世界全体を対象にして行うとなると、そこにいる人や物その他あれもこれも全部を巻き込むということになってしまって、最終的に一体どれだけのポイントが必要になるのかは想像もできないということだね。
もう一つ考えるのは、この世界を箱庭ゲームだと見た場合には、やっぱりそこにはルールがあるのではないかということだ。リセットに対する制限がある可能性だよ。ゲーム全体の設定を決めた誰かしらがいて、そしてわたしが会った神様はここだけを担当しているプレイヤーだとしたら、やっぱりリセットには制限があるかそもそもできない可能性が出て来るんだよ。
ここまで考えた場合、例えリセットができたとしてもどうも選択はしにくいということになる。ポイントが足りたとして、それを使って世界をリセットして遊び直そうとしたら、手持ちのポイントはがっつり減っているわけなのよ。でだ、ポイントがもったいないなあ、でももう嫌だなあとなった場合に取るだろう手段も実は想像ができる。やったことはないか、ゲーム盤のリセット、もといゲーム盤上の破壊。どうにもがまんできなくなってゲーム盤をひっくり返したことはないか。ゲーム盤上のコマを全部がさーっと排除したことはないか。ゲーム盤上の人形をぶん投げたことはないか。わたしはある。
ねえ神様、やったことはないか、この世界を破壊することを。
格安ポイントで配置できる恐るべき存在を山ほど用意して、世界中を破壊して回るのだ。そうやって一度全部壊してからごみを消去すればいい。これならリセットよりもポイントの使用数は圧倒的に少なくてすむのだよ。
生きているものを消すためのポイントは膨大でも、死んでしまえばそれはただの物だ。生きていないものを消すために必要なポイントはわずかなのだ。
わたしたちが言うところのいわゆる神様のようなものだと、本人もそう自分のことをそう言っていた。だったら天使とかいいんじゃないかな。天使の大群が地表をきれいにしていく。イメージはぴったりなんじゃない?
後は天変地異の乱発っていうのも考えたのだけれど、箱庭ゲームの方向性の違いからこれは排除してみた。あくまでも地上で文明を栄えさせるゲームとしてみた場合、天変地異はあったとしても少量にしておかないと違うゲームになってしまうからね。
何て、これは全部ただの妄想。ただあの神様なら何があってもおかしくはないよねと勝手に思っているだけ。
わたしに対するずさんな対応。能力への理解の低さ。できることに制限がなさすぎるのは、単に神様が理解できていなくて、自分が世界で遊んでいるのと同じような方法だなあとか考えていたせいじゃないか、だからポイントがどうこう初期がどうこう以外の部分が何一つ決まっていないかのような自由度なのではないかなってね、そう考えているだけ。
もう一つ神様のことで考えるのは、祝福の存在だね。わたしは地下世界の住民に永遠と祝福という管理するための設定を加えた。どう? 同じだなって思わない? ギフトの欄に記載されている神の祝福はこの世界の住民を管理するための装置なのではないかって、そう思えてこない?
なーんて、これも全部わたしの妄想よ妄想。ただ、こういうことを考えてしまうくらいわたしが地下世界でやっていることが地上の状況に似ているように見えるっていうことと、それから、こういうことを考えてしまうくらい、わたしは神様に対してそれなりに思うことがあるのよと、そういうお話。
わたしは神様という。ソラちゃんは神という。最初からあったこの違いには当然理由があるんだよねと、そういうお話。
いつか、誰かに聞いてみたい。そうだな、例えば今一番身近にいるリリーエルさん、あなたは本当はどう思っているの?
妄想に対して解答が寄せられることはない。
わたしは地下世界をリセットする方法も破壊する方法も持っているし、何だったら永遠と祝福を持つ人をどうこうするようなことも可能だけれども、だからといってその方法論が地上に当てはめられるかどうかなんて分かりはしないし、わたしは神様ではないので何を考えて何を求めてこの世界に関与しているのかを知ることはできない。
結論は出ない。だから今のままでいい。神様から干渉がない限りは放置でいい。あるがままに、そういうコンセプトで運用される地下世界が地上に与える影響をどう考えるのかは神様次第。そういう話だ。
幸いわたしには神の祝福はなく、神様が今のこの世界に適用しているルールからは恐らく完全に逸脱している。神様が用いているルールの上では何もできず、わたしが用意したわたしのためのルールの上でだけ何でもできる。この状況を都合良く解釈して好きにする。
幸いわたしをこの世界にしばりつける唯一の理由でもあるわたしの家族は、わたしを自由にさせてくれている。愛してくれて大事にしてくれて心配してくれて、わたしのために怒ってくれる。大好きだ。だからこれからもわたしはこの世界で生きていくんだ。
幸いわたしにはみんながいる。ソラちゃん、ユーナ、デージー、ヴェネレ、ヘルミーナ、ヴァイオラ、ルーナ、それからこれからやってくる予定のみんな。わたしを一人にしないでくれてありがとう。この世界のルールからは外れてしまっているけれど、それでもわたしは一人ではないので、これからもみんなと楽しくお話したり考えたり悩んだりしながら、いろいろなことを都合良く解釈して好きに生きていくのだ。
こんなどうでもいい一人で考えているああだこうだも、みんなが聞いていてくれると分かっているから。だからさあ、一緒に次へ進もう。
今日の昼下がりの天気は快晴。どこまでも突きぬける濃い青、照りつける太陽の下で吹く風は少し暑く感じるくらい。家族に見送られ、ヴァイオラを供にやってきたのは王都の学園前。前回と同じようにヘルミーナに周囲の安全を確認してもらったらひとっ飛びよ。
門に立つ警備の人は眠そうにあくびをし、視線の先をネコが尻尾をゆらしながら歩み去って行く。その先には王都新市街の建物が連なり、食後の一休みの場所を求めているのか、日陰を歩いている人が数人。
どこかからは馬車が舗装された道を走るガタガタガタという音、それから町中からは何を言っているのか分からないなんとかかんとかーという大きな声。まごう事なきどこにでもある昼下がりのどうでもいい平和な風景だ。
わたしは腰上辺りを太めの水色リボンでキュッと絞った白のワンピースにベージュの薄手カーディガンを組み合わせ。足元にはサンダル、頭にはこちらも水色リボンの小さめの麦わら帽子。少し夏っぽく、でも朝晩とか風がひんやり感じることもあるよねといった出で立ちにしてみた。わたしの服はお母様が用意してくれているものを適当に組み合わせているだけなので、お母様のセンスのおかげでファッション何それなわたしでもどうにかなっている。
隣に立つヴァイオラはこちらは全身ネイビー。シャツにスカート、はおるジャケットもネイビー。ちょっとシックに大人っぽくかな? わたしのセンスには疑問符がどうしてもつきまとうので、これがこの世界のこの年齢層に合っているものなのかはさっぱりだ。
周囲に問題はなしと確認してから歩き出したわたしたちの前にはもう一度でっかいあくびをした門番さん。さあさあお待ちかねのお仕事ですよ、眠いところを申し訳ありませんが事情があって家に行っていた生徒が戻ってきたことを学園の方にお伝え願えますか。
あわててあくびを引っ込めた門番さんがささっと扉をくぐって言づてに行く。待っている時間は短く、承知していたのだろう見覚えのある事務員さんが出迎えてくれて学園の中へ。門によって一瞬遮られた日差しがまたわたしの頭上に降り注ぎ、まぶしく感じて立ち止まって目の上にひさしを作り目を慣らしていく。
どうかされましたかという問いかけに大丈夫ですと答え、視線を上げる。出て行った時と何も変わっていない学園がそこにはあった。
この時間なら今もお兄様やクレーベルさんやハイネさんやキャルさんや、みんな頑張って勉強していることでしょう。お兄様には今回の報告をしないといけないね。ドラコリッチ戦を見られなかったことはとても残念がるだろうから、いつかまた一緒に見たいと思う。クレーベルさんは大人しくしていてくれるだろうか。ハイネさんはいい加減自分の所の他の貴族と話せただろうか。
ふふっという小さな笑いが口元に湧いてきて、気持ちが浮上してきたことに気がつく。
うん。いいんじゃないかな。何だか楽しくなってきましたよ。
両手に拳を作って空に向かって突き上げろ。わー! って大きな声を上げたいけれどさすがにそれは我慢だ。びっくりしている事務員さん、もう少しだけ待ってね。
両手を突き上げて、うおーってね。ぐぐぐっと背伸びをして、気合いを入れる。
この場所でつい一週間前まで授業を受け、大食堂で美味しいご飯に舌鼓を打ち、大浴場でぼへえっとしていた時間が思い起こされる。
待ち望んでいた学園生活に再び挑む時がやってきたのだ。多くの人と関わりを持ち、あわよくば友達なんかを作り、学園生活を満喫するという願いを成就させるために。
だから、王都の学園よ、わたしは帰ってきた。これからまたよろしくね。




