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対ドラコリッチ決戦当日は朝からとても慌ただしかった。
早くに起きて動き出した冒険者さんや軍の兵士たちが準備を着々と進め、協力する形になるわがセルバ家や冒険者ギルドの職員さんたちはその勢いに飲み込まれるように忙しくなっていく。
とにかくまずはポーションだ、それから医薬品だ、矢弾の補充だ、昨日直せる限界まで直した装備をもう一度点検してから身につけて、実際に動いて問題ないかをチェックして。そういうあれこれの騒ぎが夜明けの塔の一層には満ちていて、布一枚隔てた向こう側のそういう雰囲気にキニスくんやニクスちゃんも起き上がってくるくるし始めて、これはもう仕方がないですねということで、ヴァイオラに全部お任せとはせずにわたしも準備に参加したりしていく。
とはいえ箱詰めしたポーションや薬品、道具類を担当の兵士に引き渡したら、わたしにできることはもうない。後は全ての準備を終えて外へ向かって移動を開始した彼らに、頑張ってくださいと繰り返し声をかけながら見送るだけだ。こちらの準備も万端、そう思ってはいるけれど実際に戦うのは彼らなのだ。本当に頑張ってほしい。
「近くで見てみたいですけれど、迷惑になってはいけませんしここで待機ですね」
急に静かになってしまった場所で、同じように見に行きたそうなトーリさんに声をかける。そのトーリさんは前回でも見に行くようなことはしなかったけれど、そこはやはり冒険者ギルドの職員ということで、もちろんこういうことが好きなのだ。思いきり顔には残念だと書いてある。
この場にはわたしやヴァイオラ、ウルフたち、トーリさんを始めとしたギルドの職員とそれなりの人数がいるのだけれど、先ほどまでの騒がしさとそしてこれから始まる決戦に気持ちがいっていて、それぞれの仕事に戻ろうかという雰囲気にはならない。
「――ご覧になられますか?」
そこへ放たれるルーナの言葉。
「え、見られるのですか? それは見たいのですが」
もちろん見たいのでわたしの返す言葉も決まっている。
「それでは準備をいたしますので、少々お待ちください」
ルーナがイスごとガーッと下がって奥の壁面で何事か操作をすると、天上からモニターが3枚、すすっと下がってくる。少し高い位置で一度止まり、そこから高さや角度が細かく変えられ見やすいように調整された。
そしてパッとモニターの電源が入り、中央の1枚に塔の外、広場へ続く木立の合間の道を進んでいく冒険者と兵士の姿が映し出された。
おー、という声を上げたのは誰だろう。わたしかもしれない。
「ああ、音声が来ていませんね――」
ルーナが何かの操作をすると、左右の2枚に広場に寝そべるドラコリッチを横から見ているような映像が映し出され、そしてブシューという大きな鼻息の音が響き渡った。
門前の広場に踏み入る前、すぐそこにドラコリッチが見えている、そんな位置で冒険者たちと軍の兵士たちは一度立ち止まり、再度手順や装備の準備を始めた。
当然この時点ですでに畏怖の影響を受けているはずだというのに剛毅なもので、緊張してはいるようだったけれど、別に平気だというような強い表情でもあった。
弱体化は広場に入ってから使用しないと封印の効果が発揮されないので、この状況は仕方がないのだ。それでもこの気持ちの強さにさすがだという感想を持たざるを得ない。
彼らがここで平気で立ち止まっていられるのも、事前にルーナからこの広場での戦闘行為がどう判定されているのかを聞いているからで、戦闘が始まるまではドラコリッチの側から行動を起こすことはないし、森にいる間は直接攻撃されることもないと分かっているからだ。
判定はドラコリッチに厳しく、彼らの側に有利だ。森から攻撃する弓手はブレスの直撃さえ気をつけていれば良く、そのブレスも雷撃に絞った上で前衛が的になるように敵対心を稼いでいけば安全なのだ。前回は弓手はあまり戦闘に貢献できなかったが今回は鋭利の油という薬品を得て、全員がそれを武器に塗って使う。ドラコリッチから狙われにくい位置から一方的に攻撃できる弓手の存在はかなりの効果が期待できた。
ドラコリッチの正面から戦うことになるのは冒険者たちと、もう一組はマリウス将軍を中心にしたパーティーだ。2組のパーティーが正面からドラコリッチの視線を引きつけて戦うことになる。この2組の前衛が主にタトゥーシールを使用する。ダメージ耐性を上げるアブソービングだけは受けた攻撃で属性が固定されるということなのでドラコリッチのブレスが雷撃になってから使うことになっていた。
それ以外にも効果が持続するという回復薬は体力もスタミナも開幕から遠慮せずに使っていく。瞬時の回復が得られるポーションは支援組が持って緊急時用に回された。ドラコリッチの体力やスタミナを減退させるという薬も正面に立つ2組が常にタイミングを狙っていく。そうなるとこの2組はとてつもなく忙しくてダメージを安定して稼げるかどうかは分からないので、左右に分かれた軍の兵士たち、森の中からの射撃といった攻撃に集中できるグループの存在が重要になってくるのだね。
「さーて、いよいよなわけだが、確認だ。いつもどおりエディが盾で受け止める。危険を感じたら遠慮なく強撃を使ってくれ。その方が固定もしやすいだろうからな。俺は正面から攻撃、タイミングを見て減退薬を使って、緊急時はダークネス。フリアは周囲を動きながら攻撃、同じく減退薬を使って緊急時にはフォースビード。フェリクスは攻撃魔法に全振りだな。とにかくダメージを積むことを考えてくれ。カリーナは支援を中心に、可能ならファイアー・スタッフを使ってくれ」
「開幕ブレス、後はエディに防御と抵抗、回復をかけ続けるってところね」
「僕は基本的に攻撃魔法に振っているし5レベルもファイアーボールを高レベルで使うのに回して、予備でマジックミサイル・ワンドを持っておくくらいかな」
「火薬はある程度削って頭が下がってきたところに確実に使いたい。指示したらフリアに渡してくれ」
「了解。ダメージを一発で狙うにはそれが一番だからね。口に放り込んだらファイアー・ボルトかマジック・ミサイルか、エディが強撃で狙うか、とにかく一斉にだね」
「よし、これでいいな。後はいつもどおり、臨機応変てやつだ」
冒険者たちの打ち合わせの声がこちらにも届いていて、話し合うその向こうにはドラコリッチのもたげた頭がすでに見えている。すげー、としか言いようがない。なんだこの構図、すげー。
「私も前に出る、いざとなればターゲットは回してくれ。盾役は引き受けよう」
「そうだな。エディが一人でやれるかっていったらな。頼む。その時にはカリーナがそっちの支援に入る」
「うむ。さて、これで準備はできたな?」
マリウス将軍がハンマーと大盾を手に話している。
レイド戦で盾1枚なんてことはせず、当然2枚は用意される。そのもう1枚がマリウス将軍だ。殴りでも貢献できるようにハンマー装備、盾役もできるように大盾だね。
とにかくこうして準備は整い、指示を受けたクウレルさんとパキさんの部隊が左右に分かれてそれぞれの位置へと移動していく。その姿はすぐに左右のモニターに映り始め、直接攻撃をする数人を手前に、残りは木立に入って弓を射かけるための態勢を作っていく。それ以外にも広場のドラコリッチ正面にはジャベリンをゴムの力で放り投げるためのカタパルトも引き寄せられ、その周辺の木立の中に支援に回る兵士たちがポーションを抱えて散っていった。
冒険者、そしてマリウス将軍の両パーティーが互いにうなずき合って位置に付く。
その2パーティーのちょうど間に位置していたカメラが真正面からドラコリッチの表情を捉えていた。
とうにこちらに気がついているドラコリッチの目は青かった。
伏せた姿勢で首をぐりぐりと動かし、その牙の隙間からはゴシューという音とともに時折青白い煙が吹き上がっている。
正面に立ち畏怖に震えドラコリッチに見られながらもカリーナさんが前衛にブレスを、エディさんには加えてエンハンス・アビリティを使う。後衛2人はそこからメイジ・アーマーとシールドを展開。さらにタトゥーシールを体に貼り付け準備は完了。
「始めるぞ! 開幕は冷気! 耐性薬を使え!」
宣言したクリストさんが広場に入ると同時にドラコリッチもその背を起こす。カチカチと牙を打ち合わせると胸の中から青白いもやが上がっていく。大きな口を開け、ゴウッという激しい音とともに広場に吹雪が吹き荒れた。
「分かってんだよ」
クリストさんが1の、フリアさんが2の、マリウス将軍が3のそしてもう一人の兵士が4の、金属板を折る。
目の前のドラコリッチから何かがごそっと抜け落ちていったかのようだった。映像越しでも分かるほどドラコリッチの体がぶれたように見え、そしてそのぶれが丸ごと空気に溶けていくかのように消えていった。
「ファイアー・ボール!」
開幕を告げるフェリクスさんの放った火球の魔法がドラコリッチの首元で炸裂した。同時にカタパルトからジャベリンが放たれる。引き絞っていたゴムの力は思いのほか強く、炎の渦の中、ドラコリッチの胸へとそのまま吸い込まれるように飛び、突き刺さった。
ドラコリッチが牙をカチカチと打ち合わせると青い眼球がぐるりと回り、赤く変わる。
「ち、次は炎!」
言いながら飛び出したクリストさんが顎下に剣を振るいながら足元へと侵入していく。フリアさんもまた足元、つま先に切りつけながら右へ大きく迂回していく。エディさんは正面から盾を構えて接近し、頭部目掛けてグレーター・アックスを突き出す。攻撃が届く必要は今はないのだろう。視線を引きつけ、炎のブレスが吐かれる方向を絞っていく。
マリウス将軍の部隊も、クウレルさんやパキさんもまた遅れじと足元に飛び出し首に、胸に、足に攻撃を加えていく。そこへ周囲から放たれた矢が迫りバシバシと音を立て、いくつかは皮膚に刺さった。
ドラコリッチが足元をうろつく人の多さをうっとうしそうにしながら大口を開けて下を向き、胸からせり上がってきた赤い炎の塊をそのまま吐き出した。
「う、お、熱いが、だが耐えられるぞ。ジャベリン! 用意でき次第続けて放て!」
耐性薬が効果を発揮しているのだろう。だが数の少ない耐性薬にいつまでも頼るわけにはいかないぞ。早く雷撃に切り替えさせたいでしょう。
炎を吐くために下を向いていたドラコリッチの頭にグレーター・アックスを振ったエディさんがそのまま強撃を放つと、衝撃に頭部が一度持ち上がり、そのままがくんと下がる。そこへマリウス将軍がハンマーを合わせ打ち上げる格好にして胴体の前を空けた。
カタパルトでジャベリンを二人がかりで引き絞っていた兵士が同時に手を離し、放たれたそれが今度も真っすぐに胸元へと届き、命中する。残念ながら突き刺さるとはいかなかったもののバコンといういい音をさせた。
ドラコリッチがカチカチと牙を打ち合わせると眼球がまたぐるりと回り、今度こそ黄色く変わる。胸からせり上がる色は黄色く、そして開いた口から放たれたのは雷撃だった。
「よし! これで固定だ!」
クリストさんが金属板を折ると、また一瞬ドラコリッチの体から何か膜のようなものがごそっと落ちていったかのような錯覚を覚えた。
これでついに全ての弱体化はなり、相手はアダルト・ダークブルー・ドラコリッチへと切り替えられたのだ。