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待て待て待て、という声が聞こえたのでちらりと見ると、クリストさんが手を出して顔をしかめている。そしてその向こうでは今まさに来たらしいマリウス将軍が腕組みをしたまま壁にもたれかかって渋い顔をしていた。
「話が聞こえたから参加しようかと来てみたが、われわれはそんなものと正面からまともにやろうとしていたのか?」
「最初から無理だろう、良く言ったところで難しいだろうと思ってはいたが、やばすぎないか。ドラゴンのリッチ、いや、マジか。頭を抱えるってのはこういうことだよな」
まさにそう。でも倒さないと地下世界には出て行けないよ、頑張って。
これまでにもヴェネレやルーナから散々あおられてきたでしょう、鍛えられてきたでしょう。ここまで来れた時点で十分活躍ができるのよ、倒さないとならない最後の相手なんだからほら頑張って。
「通常見られるドラコリッチよりもはるかに強力な個体を引き当てましたね。素晴らしいくじ運でございます。これは素体もかなり上等なものとなるでしょう。倒したあかつきには骨や皮膜、魔石といった素晴らしい素材が手に入りますよ。これは腕の見せ所ですね」
ルーナも両拳を握って肩の辺りまで上げ、さあ殴り合えというポーズを作ってにこやかに言う。ほらほら、ルーナが応援しているよ、頑張って。
今の状態で倒せばデイドラ・ブラックオニキス・ドラコリッチの素材が手に入るんだよ。聞いただけでわくわくするでしょ、なーんてさすがにそれは無理だということは分かっている。でもまだできることがあるのだから、それを確認していこう。
「勘弁してくれ‥‥で、肝心の封印の効果だ。飛行と、あの威圧感はつぶせるってことだ。それ以外の伝説的な行動ってのは結局どれになるんだ?」
すごいよね。本当に鍛えがい、あおりがいがある。
これだけ今回のドラコリッチの恐ろしさを聞いても勘弁してくれの一言だけでまだやる気を失わないクリストさんは本当にすごいと思うし、あれだけボロボロに負けたというのにもうやめたいなんて言い出さずに、わざわざここまで出向いてさらに話を聞こうという姿勢を崩さないマリウス将軍もすごいと思う。さすがと拍手したいけれどここは我慢だ。
「指定する必要がございます。ご希望に応じ、こちらでそれを書き込みましょう。お薦めといたしましては吐息の切り替えと音声、もう一つは羽ばたきかシャドー生成になりますでしょうか」
弱体化キーで封じることができるのは、1が飛行形態、2が畏怖すべき存在効果なので、この2つは必ず消えるということになる。
地上を歩くだけで飛行能力をもたない人類にとって、ドラゴンが飛んでブレスを吐いてくるだけでどうすることもできなくなるのでこれは確定。
畏怖すべき存在効果は常時発動だし、広場に入る前から判定が行われ始めるし、一度でも抵抗に失敗してしまえば恐怖を感じながら行動することになってしまうしと地味にきついもの。これの影響を受けているせいでその後の全ての判定もマイナス修正を受けるのよ。封じないとひどい結果を引き起こすことになるのでこれも確定。
その上で冒険者さんたちが見てから決めたがっていた伝説的な行動の封印、その選択が重要なのだけれど。
「‥‥吐息の切り替えってことは使うブレスを一つにさせるってことか。なるほどな。音声をつぶせば恐怖も混乱もなくなる。もう一つつぶすなら羽ばたきだろう。シャドー生成はどっちかってーと都合がいい」
「ふむ。生命力、ヒットポイントとやらを使わせるということだな。見た限り、あのシャドーはたいしたことはない。その畏怖とやらと、恐怖と混乱、それがなければ問題にはならんだろう」
「そうだな。自滅に近い行動になるはずだ。行動を絞り込んでやれば勝手に使ってくれるんじゃないか」
「吐息、ブレスはどうだ。猛毒の程度が分からんが‥‥」
「麻痺は駄目だ。食らったら終わる。かじゅうってのも分かりにくいがやつの足元を動く俺たちには不利になりそうだ。絞るなら火か冷気か雷か」
「冷気と雷は見たが、使わせるのならば雷だろう。多少の幅はあろうが、直線的に放たれる可能性がある。火と冷気はその後が怖い」
「炎上と凍結か、そうだな。これでどうだ、行動が雷のブレス、シャドー生成、あとは爪、牙、尾か。皮膚の腐食効果ってのはあまり考える必要はないだろう。せいぜい予備の武器は用意しておけって程度の話だ。いいな、分かりやすくなる」
「かみつきを受けない、尾の振り回しに耐える、ブレスに耐える、生成されたシャドーを手早く倒す。問題はこれくらいか。ふむ、これならば普通にブルー・ドラゴンとやる想定とそう大差はない。後はやつの防御を抜けるか、体力を削りきれるかという話になる」
「いいね、希望が見えてきたんじゃないか」
すごい。
本当にすごいと思う。拍手するところではないことが惜しいくらいにすごい。
これがこの世界で戦っている人たちだ。魔物がいる世界で、これまで幾多の戦場を経験してきた人たちだ。考えるべきことが分かっている。どれほど恐ろしい相手であろうとも、対抗手段が用意されているというのに引き下がることなんて考えもしない。どうやるかを考えている。
正しく弱体化の使い方を考え、そして勝てる可能性を高めていく。
今回のドラコリッチの弱体化の仕組みは、能力の削除ともう一つ、素体となるドラゴンのランクの低下がある。
ぶっちゃけ能力を封印したところでデイドラ・ブラックオニキス・ドラコリッチのままなら防御を抜けずに終わるのだ。アーマークラス105は伊達ではないのだ。ではどうすればいいのか。決まっている。ドラゴンのランクを下げるのだ。
一つ封印するたびに素体のドラゴンは低ランクのものへと変更され、全ての弱体化がなされた場合には、それはアダルト・ダークブルー・ドラゴンまで下がるのだ。ここまで来ればブルー・ドラゴンのちょっと変わった能力持ち程度だ。レベルは17、アーマークラスが19、ヒットポイントは258だ。問題にはならない。
ぽむ、と軽く手を打ち合わせる。
完全にかみ合っているクリストさんとマリウス将軍の話を聞いて、そしてそこでわたしがやることは一つだ。
「これはまだ独り言なのですが、聞こえてしまっていたらごめんなさい。えーっと、ここにいる冒険者の皆さんはセルバ家とギルドから依頼をして来ていただいています。目標は地下世界への到達。この場所はまだダンジョンだと考えると未達成ですね。達成するためにはあのドラコリッチを何とかしないといけません。それから国からの指示を受けて軍の皆さんが来ています。こちらも目標は地下世界への到達。状況は同じですね。
「さて、ここにセルバ家の人間がいます。都合の良いことにダンジョンがあるノッテの代表者で冒険者の皆さんに要望をお伝えする権利があったりします。そして、セルバ家は国のために力を尽くすことにためらいはありません。持っているものを供出する準備があります。とても都合の良いことに、ここにいろいろと持ち込んでいたりします。森で入手したあれこれで作ってみたけれど、危なくて仕方がないからダンジョンに隠しておこうかな、なーんていうものだったりもします。
「ところでお隣の人たちが難しいお話をしています。冒険者さんたちがいて、軍人さんたちがいて、どうも同じ魔物のお話をしているみたいです。もしかしたら協力して戦おうっていうそういうお話なのかなって思ったりもしています。ところでここにセルバ家の人間がいるのですが、こういうお話は聞いてしまっていてもいいのかなって――」
さあ、レイド戦の準備をしよう。
わたしが話している途中から天井を見上げてあーとかえーとか言っているのはクリストさんで、ずっと目を閉じて何かを考えているのはマリウス将軍だ。
クリストさんたちからすれば、全ての準備を終えてルーナから弱体化の具体的な方向性を聞いても、浮かぶのは軍がボロボロに負けた姿で、そして相手はやはりドラコリッチなのだ。やる気はあるしやりたいけれど、でも、そういう話だ。
軍からしたら、いざドラコリッチに挑んでみたらそれこそどうしようもない程ボロボロに負けて、けが人は多数で装備損傷も多数でこれ以上どうすれば、打つ手がない、そういう状況なのだ。
そこへ提示されたルーナからの弱体化の具体的な説明を聞いて話し合った結果、何だか勝機が見えてきたような気がする戦術面と、そしてセルバ家からの何かしらその勝機に貢献できるかのような供出の申し出が降って湧く。どうよ、行けそうな気がしてきたところへそれを後押しするかのようなこの話よ。これだけお膳立てをされて引き下がるなんてことは考えもしないでしょう。
マリウス将軍がちょっと待てというように手を出して話を止めると通路を戻っていく。それをちらりと見たところでギルドの受け付けから黙ってことの成り行きを見ているトーリさんの方へ声をかける。
「ギルドは誰がどう突破しようが構わないのですよね」
「結論を言ってしまうとそうなりますね。得られる利益は変わらないでしょう。契約内容にも一番に、とか書いていませんし?」
この実利一辺倒な冒険者ギルドの本音よ。これもまたさすがだと思う。この世界で冒険者を率いて魔物に対抗してきた組織のこれが本来の姿だ。
思わず腕を組んでうむうむとうなずく。
ギルドの目標なんて、ここに受け付けを設置できた時点でほぼ達成されていることだろう。今思うことなどドラコリッチの素材が手に入るのかー、すごいなー、という程度のことなのだと思う。
「――済まんが続きをいいか。軍には国の指示を最大限達成するための権利がありそれを行使するための用意もある――」
そう言いながらアエリウスさんを伴ってマリウス将軍が戻ってくる。そのアエリウスさんはドラコリッチの尾に吹き飛ばされた結果、鎧はぼろぼろ、体もぼろぼろという状態で、たぶんさっきまでポーションがぶ飲みでここまで立て直しているのだろう。表情は疲れ切っているようだったけれど、でも、わたしを見るその目には力があった。
話の流れでもう分かっている。
アエリウスさんはわたしの前まで来ると姿勢を正した。
「軍を代表し、セルバ家へ対ドラコリッチ戦への協力を要請します」
待ち望んだその言葉を受け止めるわたしの表情はきっと笑顔だっただろう。だってわたしたちが準備してきた全ては、この時のためにあったのだから。




