139:
さて、せっかく起きてきたのだから、予定どおりここからは大事なお話をしていきましょうか。うまくまとまるとうれしいのだけれど、どうなるかな。自分がどこまで上手に話せるのか分からないのよね、頑張りましょう。
「もっと建設的なお話をしましょう。お薬、足りていますか?」
手を合わせて聞いてみたところ、言ってもいいものかという表情のアエリウスさんがしゃがんだまま頭をかいて、ちらりとマリウス将軍の方を見た。
「軍の内情ではあるが隠しておくよりも協力を得た方がいいだろう。情報交換と合わせて頼めるか」
お、さすがに言いたいことが分かりますか。いいですよいいですよ、評価を上方修正し続けなければならないほど、わたしの中でこの国の軍隊の株はぐんぐんと真っすぐ上を向いて伸びている。
「良いですよ。セルバ家は国の方針を遵守します。可能な限りの協力を惜しみません――トーリさん、場所をお借りしても?」
ギルドの受け付けに声をかける。一見誰もいないように見えるけれど、トーリさんがカウンターの陰に隠れて話を聞いていることくらい分かっているのだ。パッと身を起こしたトーリさんがこちらへこちらへと奥の応接へと案内してくれた。
あ、ニクスちゃんは眠いだろうから戻っていていいよーと首筋をぽんぽんしたら、さっさと戻っていってしまった。ごめんよー、眠かったよねー。
軍からはマリウス将軍とアエリウスさん、冒険者からはクリストさん、わがセルバ家からはわたしが代表者として席に着き、ヴァイオラとトーリさんがお茶の用意を始める。さあそれでは対ドラコリッチ戦につながる話し合いをしましょう。
「それで、お薬ですが」
「一応足りはしました。足りたのですが‥‥」
うつむき加減なアエリウスさんの声にルーナとのやりとりのような力強さはまったくなかった。相変わらず頭をかきかき答える様子は面倒事が起こった時に後始末を押しつけられた担当者のよう。
「どうもな、一部の者の回復具合がおかしいのだ。ポーションを使っても完全に疲労感が取れない、体力が回復した実感がないという者がいる。魅了のような状態異常を受けた者も回復しない。けがも完全には回復できていない」
「できない、できないが多いな、そんなことがあるのか」
「分からん。使っているポーションは一般的なものだ。状態異常に関しては直せる範囲を超えていると考えることもできるが、体力、疲労、けがに関してはな」
お互いにうーんと腕を組んで考え込んでいる。使っているポーションに軍も冒険者もないのだから、この場で答えなんて出ないだろう。
これはこのダンジョン特有の現象になってしまうのかな、特殊な状態異常を受けていると言っていいと思う。こういうことはルーナから情報として出してもらおう。
「‥‥このダンジョン特有の症状という可能性もあるのでは? 聞いてきましょう」
全員の前に紅茶の入ったカップを並べていたヴァイオラがそう言って、ルーナの方へと向かってくれた。
「そっか、あの、何でしたっけ9階でくんできたっていう」
これもあるじゃないね。状態異常回復のための水。あれの効果にこれに対応したものってあったっけ。魅了はこれで直るよね。衰弱はどうだった、あー、こっちはなかったか。
「ああ、あったな、レストレーション・ウォーターってなっていたか。ん? あんたたちはくまなかったのか?」
「何の話だ? 9階ならば水場はあったが」
冒険者さんたち限定の話で、軍の方では噴水がそもそもなかったので話がかみ合わない。ミミックエリアの場合はあの井戸なんだけどね。倒した後にも井戸が消えているわけではないので、どうにかこうにか水をくめばレストレーション・ウォーターをゲットできるようにはなっているのだ。
ここで冒険者さんたちと軍との間で9階の情報が交換される。
出現したエリア、魔物の話だね。冒険者さんたちはミノタウロス、ハーピー、アニメイテッド、メドゥサ、ドライダー、マインドフレイヤー、デビル、エンジェル。
対する軍はミノタウロス、アニメイテッド、ミミック、エイプ、デーモン。そして見には行かなかったけれど他にローパー、グリック、マミーだよ。
ね、同じなのはミノタウロスとアニメイテッドのエリアだけ。ミノタウロスのエリアもがっつり変更を加えた後だから実質別物と考えると、同じだったのはアニメイテッドエリアだけっていうことになる。通路の構造も第1ブロックは同じだけど、第2ブロックはそもそも通路がなくなっているからね、まるで違うといってもいいでしょう。
「俺たちの時はミノタウロスのところは少し移動するたびに迷路のどこかが変わるって形だったな。武器もハンマーじゃなくてアックスだった。あとはアニメイテッド・アーマーのところは奥に旗がかかっていてね、それも動いたんだよ。で、その先は普通に休憩もできるような場所があって、そこから全部で4つか、別のエリアにつながるようになっていた」
「そもそもの形状から異なっていたということか。それでハーピーとメドゥサに、ドライダーというものは知らないな。最後がデビルとエンジェル? かなり違いがあるな」
「ああ。入るたびに構造が変わるってことを言っていたが、そういうことか」
9階は踏み入るたびに構造が変わるのだ。第1ブロック、第2ブロックの区別なく、用意されているエリアの中から毎回ランダムで配置が決定される。第1ブロックに2つ、アニメイテッドエリアで接続して第2ブロックは複数パターンから選択。軍の時みたいに広いエリアが選ばれた場合は通路部分がなくなるんだよ。
このランダム選定が8階から下りてくる度に行われる。9階攻略途中に8階に戻って入り直した場合は再選定はなしで変わらないけれど、いくつも階を戻ったりして時間がたってからとかは変わるかもね。さじ加減はヴェネレにお任せだよ。ちなみに10階から上がる場合はクリア済みの中から再配置になるね。
ここでルーナに聞きに行っていたヴァイオラが戻り報告する。
「‥‥衰弱状態、という状態異常があるそうですよ。これは体力や気力、精神力といったものの最大値が低下した状態で、ポーション類では回復できないそうです」
うむ。衰弱状態はどうしようもない。一度に受けたダメージが大きすぎてぐったりしていた人が、ポーションをぶっかけたら即座に全回復してまた前線に出てバリバリ戦いますとかそんなことはあり得ないだろうということで、一気に削られた場合とかは衰弱することもあるという設定にしてあるのだ。
「そうなると、回復にはどうすれば?」
「適切な治療を受け、安静にしていれば時間が解決するだろうと」
つまりこの場での回復は期待するなということだね。
「フロカートとイェレミアスが駄目ということですね‥‥」
ふろかーと、いぇれみあす、あー、聞いたことが、と思ったら隊長さんか。それが2人も離脱するとかこれは痛いわね。
「やむを得んだろう。輜重部隊はここで解散、他と合わせて再編する」
「まあパキも経験がないわけではありませんが」
ぱき、ぱき、あー、この人、荷運び部隊専門ていうわけではなかったのね。前線でバリバリもできるタイプの人が荷運びを指揮していたのか。
「‥‥やるつもりなのか?」
クリストさんの問いかけにマリウス将軍が難しい顔を上げる。
「やむを得ん。これもわれわれの務めだ‥‥やらんのか?」
「その衰弱状態だったか、仲間がそれに近い状態でね、すぐには動けないんだよ。一応それ以外の準備はできたんだがなあ」
「準備があるのか‥‥聞いても?」
「案内人に聞いた方がいい。準備なしなら俺たちは絶対にやらないしできないと判断した。正直準備はしたもののそれでできるようになったのかは確信が持てないでいる」
「それほどか、だが先に一撃は入れさせてもらおう」
マリウス将軍が厳しい表情を崩しもせずに言うと、クリストさんが応えるように肩をすくめる。
わたしとしてはここで、薬品だとかそれ以外にもいろいろと道具を用意してきているので提供の意思表示をしてもいいのだけれど、マリウス将軍とアエリウスさんはそのまま立ち上がって部屋を出て行ってしまった。わたしは最初に協力しますよと示していたのだけれど、何の手も借りずに軍の力だけで一度はやるっていう覚悟なのかな。あー、何だかかなり心配になる様子だったのですが。
「‥‥わたしも聞きましたし外へも行ってみたのですけれど、無理でしょう」
クリストさんの方を見たら同じように心配そうな表情だった。
「無理だろうな。俺たちだって準備はしたもののいまだに無理なような気がしているよ」
あのドラコリッチとやる。それを考えただけで怖くなるのだろう。ルーナに弱体化の話は聞いているけれど、それに何の意味があるのか、どの程度の効果があるのかなんて分かりはしないのだ。もしかしたらルーナの手のひらの上で踊らされている、だまされているだけという可能性だってあるのだ。
「それでもやると?」
「それが冒険者ってもんだ。準備はした。通用するかどうかはやってみなければ分からない。だったらやるさ。無理だったらその時はもう全力で逃げるだけだな」
そうか、と思う。この覚悟、その先も考えているけれど、やること自体は諦めていないという気持ち。なるほどと思う。そして軍の人たちも、恐らく同じように覚悟を決めているのだろう。
「軍の皆さんは大丈夫でしょうか」
「どうだろうな。だがまあ先に一撃はって言っている時点で無理だった場合も考えているんだろう。向こうは向こうで立場ってもんがあるからな。やるしかないとは思っているんだよ。で、俺たちも向こうが来た時点でいろいろと考えている」
そうか、と思う。一撃はっていうことは、とにかく一発入れてそれを実績としておいて撤退することも当然選択肢にしていると。そしてなるほどと思う。やはり考えていることは同じなのだと。
軍は現状の、多数の損失を抱えた状態であれとまともにやりあえるのかといったらそれは無理だろう。ただやることは確定で、そして冒険者さんたちはそれを見たいのだろう。その上で弱体化でどこまで落ちるものなのかを知りたいのだろう。その先にあるものは、軍も冒険者も、そしてわたしも、みんな考えていることは同じだと思いたい。